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不便利屋 ①プロローグ

#小説 #SF #短編 #withコロナ

新型コロナ禍のおうち時間を利用して書きはじめた短編小説第二作です。書き続けるモチベーションのためにnoteに掲載します。週一で更新予定。その①

不便利屋

アフターコロナの世界を描く短編SF小説 第2作


プロローグ

もうどのくらい家から出ていないだろうか。1週間いや、2週間近く。とは言っても何も困ることはない。仕事は完全テレワークだし、買い物だって全てネットで済ませられる。もちろん食事もデリバリーでなんだって取り寄せることができる。外のレストランなんてもう何年も行っていない。というか、行けないのだ。

居酒屋や喫茶店、ファストフード店も含めて、人が集まるような場所は全て予約制になっている。しかもかなりの人数制限がかけられているので、m字マークでお馴染みのあの店でさえ、今予約しても行けるのは半年先だ。さらに値段がバカ高い。外食なんて今や超贅沢な娯楽だ。それでも何も不便なことなどない。大方のことはネットで間に合うしパソコン画面を見ながらの友人とのパーティや飲み会も楽しい。リアルに集まる時は「ソトノミ」と言っている。なんて便利な世の中になったんだと思う。ただ、それも昔に比べたらの話。もうこれが当たり前になって久しい。昔を知らない若い連中は、ソトノミさえ面倒だという。「人とリアルに会って、何が楽しいんですか?」ってこの前、事務所の部下にマジレスされた。もちろんオンラインで。

今20歳くらいの若者は生まれた時にはこんな世の中になっていたものだから、他人と直に接することが極端に少ない。さすがに義務教育の小中学校は実際に校舎と校庭のあるところに行くのだが、何せ人数が少ない。少子化が進み、ひとクラス10数人程度が2クラスというのが平均。高校、大学は全てオンライン化された。日常で外に出るのは、散歩する時ぐらい。
なので異性と出会うチャンスも限られている。誰かと会って恋に落ちるとか奇跡。みんなマッチングアプリで趣味や嗜好など相性のいい子とネットで出会い、経済力も含め効率よく人生をおくれるパートナーと契約する。それが結婚だ。人工授精での出産率は80%。まあ、そういう夫婦生活だ。

ところで、最近原因不明のちょっとした病気が流行っている。あのウイルスではない。あれはとっくの昔にワクチンや特効薬が開発され、もう普通の風邪になった。今流行っている病気。体に現れる症状自体は大したことはない。咳も出ないし、お腹も痛くならない。胸がドキドキしたり、頭が痛くなることもない。ただ唯一、遠くのものが見えなくなるのが特徴だ。視力が落ちるのではない。メガネやコンタクトレンズでも矯正できない。ただ、それは一週間もすれば治る。だから、たいていの人は疲れが溜まったぐらいに思って、そのままにしている。しかし、その症状が治ったあとが大変。どういうわけか脳に影響を及ぼす。判断力が鈍るのだ。決断力と言ってもいい。物事を決められない。先が見えない状態から、先が読めない状態になってしまうのだ。例えば休みの日に何をするか、あるいは夕食に何を食べるか。そしてビジネスでの判断を迫られた時、思考停止状態になってしまう。そうするとAIに判断を委ねて、その通りに行動するようになる。いわばAIのいいなり、ロボット化だ。

あるいは希望的観測しか持たなくなってしまう。いわゆる正常化バイアスが働きすぎてしまうのだ。自分にとって都合のいい解釈しかしなくなる。政治のトップがこの病気にかかっていたことが後に明らかにされた時は大問題になった。周りはおかしいと気づいていながら忖度ばかりしていたものだから、総理の希望的観測に合わせるように、後から数字を積み上げたり文書を書き換えていた。

初期症状を訴える人があまりにも多くなった。これもオンライン診療によりデータ量と分析スピードが格段に多く速くなったおかげで、すぐに論文があがった。国民の5%ほどが患っているという。ただ、はっきりした原因がわからない。脳の前頭葉になんらかの影響が及ぼされているようなのだが、何によってなのかが解明されていないのだ。一部には新しいウイルスという説もあるが、わかっていない。それでもたいてい一週間で初期症状は治るし、判断力が鈍ってもAIにまかせている方が楽だし便利だと考える人が多くいて、本格的な治療研究はされていない。

この病気が発見されてからも社会は大して混乱はしていない。ただ一年に一度の全国民義務化のオンライン健康診断で罹患が認められれば、仕事が制限される。医療従事者や警察、消防あるいは裁判官や弁護士など高度な判断が求められる職業にはつけない。すでにそういった仕事に就いている人は転職が求められる。そのために100%ロボット化されている工業品の生産ラインを、あえて人間のために空けて受け入れている。

とにかく便利になった世の中は、あらゆることが効率化され無駄が省かれている。注文していた今日の夕食が届いた。ドローンがベランダの宅配ボックスにドロップしてくれる。そのままレンジで温めれば、本格的なイタリアンの完成だ。ちゃんと前菜からメインディッシュ、ドルチェまでフルコースを楽しめる。居間のモニターのスイッチを入れる。ダイニングテーブルに座ると正面に見えるように置いてある。しばらくすると、モニターに映るテーブルの向こうに彼女が座った。テーブルには僕のと同じ料理が並んでいる。今夜はディナーデートだ。彼女とは付き合って3年になる。もちろんマッチングアプリを通じて知り合った。
お互いに理想的な条件を提示してAIが引き合わせてくれた。まだ実際に会えてはいないが、性格も容姿や食べ物の好みも相性はいい。食事を楽しみながら、たわいもない会話をしてワインの酔いもいい感じになった頃だった。彼女が一枚の紙切れをこちらに見せた。イタリア料理の宅配の箱に入っていたという。なんらかの手違いで紛れ込んだようだ。

「イタリアンとも、ワインとも関係ないわよね。なんだと思う?」
その紙をカメラに近づけながら彼女が聞いてきた。そこには文字だけが書かれていた。

「不便利屋」

ぶっきらぼうな手書きの筆文字で大きくそう書いてある。あとは、ご依頼はこちらまでという中くらい文字と小さな文字で住所だけが記されていた。

「なんだろね。まあ間違って入っちゃったんだろうから。気にしなくていいんじゃない」

そう彼女に返しながらも、何かが心の中に引っ掛かった。一応スクリーンショットだけして、ベッドルームに向かった。VRグラスをつけると、すでにそこには服を脱ぎ捨てた彼女が寝ていた。僕は服を脱ぎ、そして服を着た。全身を包むセンシングスーツ。これで、そこにはリアルにいない彼女に触れることができる。まあ、そもそもが本物の彼女には触れたことがないのだけれど柔らかい胸に顔を沈めなら、僕らは夢の中へと落ちていった。

翌朝、目が覚めると最初に思い出したのは昨夜の彼女の手触りではなく、あのチラシだった。スクリーンショットを呼び出し、じっくりと眺めてみる。

「不便利屋 ご依頼はこちらまで 住所」

頭を傾げたり、文字を反転させたりして見てみるがこれ以上の情報はない。具体的な情報はこの住所だけか。モニターを見つめながら一人で呟いた。
「この住所を調べて」
AIスピーカーに話しかけると、すぐにモニターに地図が現れた。
「どこだここは」
思わず言葉に出してしまうとAIスピーカーが住所をもう一度読み上げた。

地図を拡大縮小して確かめてみると、その住所が示した場所には小さな集落があることがわかった。人口500人ほどの村。真冬には氷点下40度近くにまで下がる極寒の地だという。しかし、この便利な世の中であえて不便利屋を名乗り辺鄙な過疎池でどんな商売をしているのだろうか。そもそもこのチラシ自体が不親切極まりない。ご依頼はこちらまでというが何を依頼するのか。不便利屋と名乗っているが、不便をあえて求めることなどあるのだろうか。全てが便利で効率的な世の中では、もはや何が不便なことなのかさえわからない。連絡を取るにも方法がない。郵便制度はなくなりハガキや手紙は廃止された。宅配もGPSの位置情報で届くので、基本住所という情報自体が意味を成していない。

考え始めると謎が謎を呼び、頭の中が混乱してくる。もうテレワークの時間だ。ワイシャツに着替え、ネクタイをしめスーツを着る。外に出るわけではないのだが、こうしないと気持ちが仕事モードに切り替わらない。それにテレビ越しであってもクライアントは見た目で判断するものだ。モニターをワークモードに変えて仕事に取りかかった。僕は弁護士だ。とは言っても、業務のほとんどはネットを通して人の話を聴いてあげること。裁判は今やほとんどがA Iによって前例を元に自動的に判断されている。その結果を納得させるために話をするのが仕事だ。

仕事が終わると、やはりあのことが気になってきた。不便利屋のことだ。いったいなんだろう。頭を整理するために近所を散歩することにした。久しぶりの外出だ。たぶん2週間ぶりだと思う。近所の公園には桜の木がある。みると5、6輪の花が咲いていた。夕陽に照らされた桜の花。ピンクの花弁の縁がゴールドに彩られ輝いている。そうか、春になったのか。たまに外に出なければ季節も忘れてしまう。日が落ちかけた街並みはオレンジ色に染まりはじめていた。遠くに目をやると見えていたはずのテレビ塔が、見えない。目を凝らしてもう一度その方向を見てみる。やはり見えない。ひょっとして、これはあの病気。まさか僕が。

これまでの人生は常に冷静な判断をして生きてきた。その選択は間違っていなかったと確信している。今、何一つ不便のない生活を過ごせているのはその結果だ。効率的な勉強、無駄のない仕事、理想通りの彼女。感情ではなく論理的な分析をもとに客観性を持って、物事を決めてきた。判断力こそが僕の強みであり、生きる上での唯一の武器なのに。そんな僕が、判断力を失ってしまう。そんなバカな。心臓の鼓動が早くなったのを感じる。人生で初めての経験だ。これが動揺というものなのか。僕には無縁のものだと思っていた。

理想的な彼女に相談するわけにはいかない。彼女にとっても僕はAIが選んだ理想的な彼氏。彼女は冷静な判断力を持つ人物を希望したのだ。保健省に問い合わせれば、確実に生産ラインの要員にされてしまう。何せ僕は高度な判断力が求められる弁護士だ。次のオンライン健康診断が来週に予定されている最悪のタイミング。残された時間は7日。どうすればいい。判断するんだ。自分に言い聞かせるができない。もうすでにこの病魔に冒されているのだろうか。効率的で便利な世の中を謳歌してきた僕に突然訪れた試練。このままだと一生不便な生活を強いられることになる。毎日自動的に生産ラインに立たされ、ロボットと同じ作業を繰り返す。今日食べる飯もA Iに判断を委ね、ただ生きる。そうなれば悩むことも迷うこともなくなる。つまり判断することがなくなる。そう考えると一つの疑問が湧いてきた。これって不便な生活なのか、それともある意味便利な生活なのではないか。何が便利で、何が不便なのか分からなくなってきた。

そう考えたとき、心の中で何かが囁いた。
「不便利屋に聞いてみれば?」

不便利屋 あれは何かの啓示だったのか。時間はない。判断、いや決断を迫られていた。もしかしたらこれが人生最後の決断になるかもしれない。僕は住所に記された場所に向かうことにした。直接訪ねるより他、不便利屋に会う方法がなかったからだ。こうして僕の不便な旅が始まった。僕の住む街からその村までは100マイル。およそ160キロあった。幸いだったのが陸続きの場所だったこと。そして不幸だったのは移動手段がないことだった。オンディマンドの自動運転車で移動できるのは街の中に限られている。都市の間を結ぶのは公共交通機関の列車しかない。それも全て予約制で最適化されたスケジュールでしか運行されていない。サイトを確認すると、その村の最寄りの街までの予約は1ヶ月先まで埋まっている。歩いていくしかない。そう判断した。

体力は持つだろうか。食糧はどうすればいいのか。服装は、装備は。次々に判断すべき項目が出てくる。しかもそれはこれまでやっていたのとは全く違う感覚だ。脳みその中でも使っていなかった別のところを働かせているのを感じる。家の中にある旅に役立ちそうなものをかき集め、リュックに詰め込んだ。外に出ると夜空に月が丸く輝いている。満月だ。表に出る症状が治って、判断力がなくなるまで1週間。ということは、この月が下弦になった時がタイムリミットか。数キロ先のテレビ塔が見えなかったのに、38万キロ離れた月はハッキリと見えるなんて不思議だ。一度深く息を吐き出して歩きはじめた。吐いた息が白く残り、亡霊のように風に流されていった。春とはいえ、ここの夜はまだ寒い。

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