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1時間の廃線自転車旅

こんにちは。本来は毎年ある(らしい)陸上部のロードレースが一連の報道で延期になり、延期後の予定が期末前ということでロードレースをやらなくなって気分が上がっているShun-Hayabusaです。
みなさん、廃線ってあまりないと思っていませんか?
実は、結構身近にあったりするんですよね。
今回は、僕の住む相模原市にも実は廃線があるということで、自転車で行ってきましたので書いていきたいと思います。ちなみにこの自転車旅はriyougaさんと行きました(彼は記事にはしないそうです)。
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どんな廃線?

名前は、「在日米軍相模総合補給廠引込線」。名前の通り、相模原市にある米軍基地へ向かっていた引き込み線で、米軍の部品を搬入する際に使用されていた路線です。
まず、廃線の経路を教えたいと思います。
この廃線は、JR横浜線(当時は国鉄横浜線)の駅で、淵野辺駅という駅から始まります。そして、隣駅矢部駅まで並走したあと、2つに分かれます。
そのまま横浜線に沿うように基地に入っていく線路と、スイッチバックして北に進んで基地に入る線路です。1979(昭和54)年10月1日に廃止になりました。

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米軍基地内の線路は、全て撤去されています。また、矢部駅から相模原駅方面に伸びている線路は米軍基地内で立ち入ることはできませんので今回は省略します。
それでは、出発!

本題へ

さて、やってきました。今回の起点、淵野辺駅です。

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01.淵野辺駅構内

入場券を買い、中に入ります。

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淵野辺駅のホームに来ました。始まりの廃線はこんな感じ。一番右にあるのが廃線です。

02.淵野辺.廃線1

まあまあいい状態で残ってますよね。各駅停車のE233系が来るようなので廃線の線路と一緒にカメラに収めました。

07.淵野辺.廃線4

ホームから出て淵野辺駅北口バス停から廃線の線路を撮影。

08.淵野辺.廃線5
10.淵野辺.廃線7

かなり雑草に覆われています。
さて、淵野辺駅でずっと眺めててもいいですが、廃線ははじまったばかりなので移動します。
移動中にこんな看板が

16.謎の看板

解釈の仕方によっては、、結構やばい看板ですよね、、。
さて、橋の上に来ました。
淵野辺から矢部にある橋で少し廃線を撮影(一番右です)。

21.橋の廃線4

ほとんど土や草で埋められていますが、少し線路が残っているのがわかります。
移動し、淵野辺駅の隣、矢部駅の横に来ました。

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矢部駅の位置。

本当はここに踏切があり廃線の線路の写真を撮ることのできるいい場所だったのですが、、踏切は跡形もなく消えて地下道になっていました。
ちなみに矢部駅は在日米軍の兵隊が基地の近くに鉄道を無理やり停車させることが多かったために造られた仮の乗降場だったのを駅に昇格させたため、淵野辺駅との間隔が異様に短いらしいです。そう考えると横浜線の駅に米軍が関係していたんだな〜って思いますねー。

44.矢部の地下道

矢部駅付近の歩行者と自転車専用の地下道です。ここやその後ろの道路も、廃線跡です。線路を撤去して、アスファルトで埋めたのでしょう。ここから相模原方面の線路はすでに撤去されている上、米軍の敷地内なので今回は載せません。スイッチバックした後の線路を載せていきます。

23.廃線跡2

矢部駅の近く(というよりほぼ駅前)に上矢部公園という公園があります。そこの公園内に石碑がありました。

41.上矢部公園の石碑1

「相模陸軍造兵廠跡」と書いてあります。
元々ここは戦車、牽引車、砲弾の生産をしていたらしいです。
ここの米軍基地(元日本陸軍用地)ができた当初の広さは、橋本駅から淵野辺駅くらいまで(約5キロ)あったそうですよ。

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デカイですね〜。
さっきの駅横とは反対の道を進むと、、

24.道路の線路1

ありました。踏切跡です。
警報機は残っていませんが、踏切跡だということがわかります。
地図での位置は矢印のところ。スイッチバックしてすぐ踏切があったんですね。

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踏切の近くには鉄道境界が残っていました。
おそらく「防衛庁」と書いてあるんだと思います(防衛庁は現在でいう防衛省です)。軍事鉄道ですから防衛庁が管理していたんですね。

28.鉄道境界

元々この先にも線路があり、人も立ち入れたんですけどね、、。
マンションが立ってしまい、線路は全て撤去されてしまいました。
マンションの裏側に回ると、駐車場(?)があります。ここも廃線跡です。

29.廃線跡3

この駐車場(と思われるところ)を進むと、花壇があります。
…が、冬だからでしょう、全然花は咲いていませんでした。
花壇が始まるところの前に少しだけ線路が見えます。

31.花壇2

この先にも線路はあるんですが、土に埋もれてますね。
…と思ったんですが、この花壇に沿って進むと、線路が埋もれずに残っていました。当時のさい石もあります。

34.花壇5

また、このように花壇にある線路をとって後で写真を見返したら、野良猫が「お前何撮ってんだ」みたいな感じで写ってました(笑)

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米軍基地外で写真が撮れる最後の場所に来ました。

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ここに線路内に立ち入れる場所があります。

40.基地前3

入って基地が見える向きに撮った写真

37.基地前1

落ち葉がたくさんありますがレールが少し見えます。また基地内にも鉄道が通っていたであろう跡地がありますね。
米軍基地が見える方とは反対向きに撮った写真

38.基地前2

落ち葉で見えない部分もありますが、線路が残っているのがはっきりとわかります。

まとめ

いかがでしたか?
今回は、世の中の状況から鉄道旅ができないので、近くに廃線ができると知って、すぐに計画を立てて行ってみました。今回思ったのは、意外と身近に廃線があったということです。ぜひ、家にいるみなさんも、近くある廃線を調べて徒歩や自転車で行ってみてはどうでしょうか。行ってみた人はぜひコメントで教えてください(って言っても全然コメント来ませんけどね)。
では、失礼します。

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