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50歳のリアル⑥ 大人の優雅さとは何か?

「頼人さんはいつも楽しそうですね」

「いい笑顔してるなあ」

ボク自身は、そう言われてもほとんど自覚はない。

他人から見られている自分と、自覚している自分とは、やっぱり乖離しているのだけれど、今の自分は概ね、幸せだとは思っている。

今の会社に入って今年で23年。

長くサラリーマンを続けているが、親父が自営業だったことや学校では運動部に入らなかったこともあって、組織の中での立ち回りが、今になってもよくわからない。

上司に忖度しながら出世してゆく同僚や後輩を見ては、窮屈な生き方をしているんだなあ… 程度にしか思わなかった。

そんなボクでも、長く続けていると、優秀な人間は次々と転職して行き、気づけば社内では要職に就いている。

頑張らなくてもいい
続けさえすれば最後には勝つ

転職時代の今だからこそ、逆の発想もいいかもしれない。

取り柄のない凡人は、とりあえず続けるが勝ちということもあるのだ。


さて、本題。

大人の優雅さとは何だろうか?

40歳を過ぎて子育てが一段落したあたりから、ふと思い当たった疑問。

子供は親離れして、収入も安定してきて、余裕は出てきたはずが、相変わらずあくせく動き回って、すっかり貧乏性が身についてしまった。

「お小遣い、たったの2万ですか?」

「いや、別にお金使わないし・・」

ふと出た言葉に、思わずゾッとしてしまう。

お金の使い方すら忘れてしまって… まるで家畜のようではないか。

お小遣い制のパパあるあるかもしれない。

休日は子供の習い事の送り迎えをして、スーパーに買い物にいっては酒の肴を物色し、文庫本を片手に家でゴロゴロして過ごす。

確かにお金がかからない週末だ。

家族に飼われている家畜のようですらある。

こうして、サラリーマンのお父さんは社会性を削がれてゆくのだろう。

優雅さとは程遠い世界だ。

だが、しかし。

優雅さ=お金

というわけでもないことに、この年齢にもなると気づいてくる。

まず第一に、優雅さとはアクセク忙しくしてはいけないのだ。

とすると、週末に家でゴロゴロする行為は、間違いなく時間には余裕がある。

ひたすら、ぼーっとすることには優越感すら感じる。

のんびりと過ごすことが優雅だとするなら、まさしくその通りだろう。

ついでにYouTubeで焚火の動画でも流そうか。

パチパチと火の粉が散る音だけが響く静寂。

うん。実に優雅だ。

この静寂を利用して、本でも読んでみようか。

安部公房

少し敷居の高い、高尚な小説を読んでいる自分に酔ってみよう。

おお、さらに優雅な気分になってきたぞ。

イイ感じだ。

そういえば昔TVで観た、こんな言葉を思い出した。

世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカのスピーチだ。

「本当の貧しさとは、もっともっとと欲しがることだ」

確かにそうだ、その通りだと思う。

感動の涙を感涙というんだろうか?

胸の奥深くに、ずっしりと突き刺さるではないか。

逆を言えば、何も欲しがらないことこそ、豊かさだ!

ということでもある。

実に進んだ見識だ。

つまりこれは、いわゆるミニマリストではないだろうか。

必要最小限のものだけで生活する。

なんとも哲学的である。

文庫本1冊と一人掛け用ソファー。

そろそろ暑いから扇風機でも1台あればいいだろう。

これこそが、本当の優雅さというものだ。

人生を達観した大人が辿り着く、大人の優雅さである。

優雅さとは、心のありよう心象なのだ。

お小遣いが2万円のお父さんも、心のありよう次第では優雅に過ごせるというものだ。

50歳のリアル。





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