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「自分が書く意味ある?」と思ったときに読む話

noteを書いている方、あるいは小説などの作品やブログを書いている方、文字に限らず創作活動をしている方

一度は「これって私が書いてもいいのかな?」「私なんかが書いても読まれないのでは?」「私が創る意味なんてあるのかな」と思ったことはありませんか。

確かにそうです。
世の中には、専門的な知識を持つ人はたくさんいます。
あらゆる分野のプロや専門家がいます。
影響力が強い人や人気のある人だっています。

しかし、それでも、あなたが書くからこその価値があると思います。

経験や考え方、感じ方、そして表現方法や言葉、文章など、何もかも一致する人はいません。似ていると感じていることがあっても、共感できる内容があったとしても、「自分でなくても」なんて思わなくて良いはずです。

さて、どうしてこんなことを言い出したのかと言いますと、

私は映画の考察などを読むのが好きなのですが、
解釈は人それぞれ、実際はこうだという製作者側の意図はあるにしても、その結果として表現されたものをどう感じるのかは自由です。
そして、感じたことをどのように表現するのかもまた、自由だと考えています。


……

きれいにまとめようかとも思いましたが、
ここは思いのたけをふんだんにぶちまけます。

みんなもっと作品を作れ!
文章を書け!
好きなものを語れ!
あらゆる考察を垂れ流せ!!

文章力がないとか画力がないとか
構成ができないとか専門的知識がないとか

そんなことは気にしなくていい!

自分の経験も感じたことも思ったことも!
想像していることもイメージそのものだって!
そこに正解なんてないのだから、何だって自由でいいと思う!

史実を元にした創作物を史実に基づいて考察しても良いし、
描かれている部分だけをピックアップして考察しても良いし、
役者さんの背景や関係性まで絡ませて考察したって自由だと思う!

専門的な知識が必要だとしても、
全てが全て、プロでないといけないとは思いません。

間違った知識かも?と思うなら調べれば良い!

完全なプロからテクニックを学ぶことも大切ですが、
今まさにプロになりつつある人、これから目指す人、
読む側に近い人の情報だって十分に価値があるはず!

みんな、もっと文章を書こう。作品を創ろう。

特に創作や考察に正解や不正解なんてない。
合う合わないがあるだけ。
合わない人に無理矢理食べてもらう必要なんてない。
合わなかった人の評価に傷つく必要だってない。

もっと気軽にいけば良いのだと思います。

みんな、もっと文章を書こう。作品を創ろう。

作ってください。お願いします。

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