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大学3年生、下北沢でカフェを開店した話

おひさしぶりです。cafe.millennium(カフェミレニアム)のかすみです。
2022年12月21日に開業から1年半を迎え、この記事を書いています。

前回はcafe.millennium(カフェミレニアム)のオープンに至るまでの経緯をお話ししましたが、今回はオープンからの日々についてお話ししていければなと思います。

カフェってどうやって開くんだろう?とか、お店作りってどんな感じなんだろう?とか。なんとなく「カフェ経営」に興味がある方や、就活や将来のことで悩んでいる同世代が記事を読んで少しだけ勇気付いてくれたらいいな、と思っています。^^

【余談】店名「cafe.millennium」の由来

本題の前に(笑)雑談としてcafe.millennium(カフェミレニアム)という名前の由来について軽く紹介します。お店の名前は、私含め創業メンバー3人(太陽、詢、かすみ)のうちの1人である詢(じゅん)がつけてくれました。由来は超~~単純(笑)私たちは所属大学もバラバラ、性格も三者三様でこれといった共通点がなく、お店の名前をどうしようか長らく悩んでいました。そんなある時、ふと詢が「俺ら2000年生まれだし、ミレニアムとかよくね?」と一言。なんかしっくりと感じ、満場一致で「なんかいいじゃん!」となりミレニアムに決定しました。
そんな経緯で店舗名が決まったので、はじめは現在の「cafe.millennium(カフェミレニアム)」ではなく「2000(ミレニアム)」だったのです。
店舗名が変わった経緯はまたいつかの機会にお話ししようと思います。

オープン当時は「cafe.millennium」ではなく「2000.」だった


カフェを開くきっかけとなった存在

今回はcafe.millenniumがオープンするきっかけとなった人物、アユミちゃんの紹介をします。
彼女はモノづくりが大好きで、自分で作ったアクセサリーをネットショップで販売したり、驚くようなクオリティのケーキやお菓子を作ってインスタにアップしたり、絵を書いたりと様々な才能をもっていました。
今となっては店舗管理やメンバーのマネジメント、マーケティング、デザインと様々な面でお店を支えてくれている彼女ですが、才能があるにも関わらず、メンバーに加わった当初はとにかく自分に自信がなく、何をするにも不安そうな表情を浮かべていました。そんな彼女が「一緒に働かせてほしい!」とまで勇気を出して長文の連絡をくれたのだと思うと、大学生がカフェを運営しているという事実が多少なりとも同年代の心に刺さったのかなと思います。彼女はその後ミレニアムでの活動を経て、驚くほど成長と変化を遂げていきます。
前回の記事でお話した通り、アユミちゃんはcafe.millenniumがオープンするきっかけとなった存在でもありましたが、彼女の変化はのちにミレニアムという場所の価値を気づかせてくれるきっかけともなりました。
この話もより深く、次回お話しできればと思っています。

アユミちゃんが初めて商品開発した「アップルクランブルケーキ」

大学3年生、下北沢でカフェを開く

2021年6月21日、当時大学3年生の私たち創業メンバーの3人は、先ほど紹介したアユミちゃん、そして私のInstagramをフォローしてくれていて、告知の投稿をきっかけに4月のPOPUPカフェに遊びに来てくれたレイちゃん、メンバーの詢の友人であるユウタロウの3人をメンバーに迎え、計6人の新しいメンバー体制で「2000.(ミレニアム)」をオープンしました。オープン準備のドタバタは前の記事に書いた通りですが、オープン後のドタバタも数えきれないほど。(笑)ここからの話は、キラキラの学生カフェ経営ストーリーではないことをご承知のうえで読んでいただければと思います。

アユミちゃんがチョークアートで作ってくれた看板(写真は制作途中)

今となっては考えられませんが、あの頃は毎日ひたすらビラ配りと呼び込みをしていました。学生である自分達が用意できるお金で間借りできたテナントは、下北沢駅から徒歩3分の雑居ビル4F。「駅から徒歩3分」と聞くとかなり好立地に聞こえますが、4Fというのがかなりのボトルネックとなっていました。いうまでもなく、認知もゼロからのスタートだったのでビラ配りと呼び込みは「いかにして店を知ってもらい、店内の分からない4Fのカフェにまで足を運んでもらうか?」のゲームでした。メンバーで代わりばんこに4Fから降り、手持ち看板とクーポン付きのビラをもって下北沢駅前を歩き回りながら呼び込みをしました。当時の不安げで泣きそうなアユミちゃんの表情はいまだに忘れられません。あの頃はみんな心のどこかで辛い気持ちをもっていたと思います。でも、それを出した途端に何かが崩れてしまうのは分かっているので、誰一人マイナスな言葉を吐くことなく、ひたすら配り続けました。当時は色んな感情が入り交りながらビラを配っていたわけですが、一回始めたからには後には引けないという思いと何とかお客様で賑わう店にしたいという一心で必死にやるしかありませんでした。

いばらの道ではありましたが、カフェ営業は20歳の自分にとって非常に貴重な経験となりました。来店してくださったお客様に、自分が開発した料理やデザートを召し上がっていただくのはとても緊張しましたし、それに対価をいただくとなると仕込みの作業も慎重になりました。料理を提供する際は、アルバイトでお客様に食事を提供していた時には感じたことのないドキドキを感じ、お客様が「美味しい!」と一言伝えてくれた時にはこの上ない幸福感でいっぱいになりました。

詢の開発した「檸檬フロート」。この頃の写真がほぼありません(笑)

オープンから1か月、仲間との別れ

オープンから1か月が経とうとしていました。当時は赤字営業。
昼間はカフェ営業、夕方は赤字補填の為のアルバイト、夜中は半期22単位分のオンライン授業と今までの人生で一番多忙だったように思います。
友達と会う時間も削って仕込む料理は毎日売れ残り、自分達の胃に入ります。来てくれるか分からないお客様の為に朝から仕込みをして、日中は下北沢を歩き回る日々。
徐々に『詢』と『太陽・私』の間に「温度差」が生じていきました。詢のなかの「モヤモヤ」を私達2人は感じ取るようになりました。当時のお店の運営は、経理を太陽が、料理を詢が、マーケティングやデザインを私が、といった具合で役割分担していました。当時、有名なカフェのアルバイトでキッチンをこなしていた詢にとって、料理を作っても売れないミレニアムで「料理担当」で働くことのやりがい、経験価値があるとは言えない状況でした。一方で、お客様が来なくとも太陽と私の担当していた「経理」や「マーケティング」「デザイン」にはまだまだできることがありました。
詢の口から「ミレニアムを抜けたい」という旨の話が出たとき、引き留める理由は見つかりませんでした。彼にとっては当時のミレニアムより最適な環境があるはずでした。
詢がいなくなりました。でも、落ち込んでいる暇はありませんでした。「今立ち止まったら店はすぐ潰れる」という状態のなか、必死に毎日を過ごしました。お給料もまともに払えないボランティア状態であるにも関わらず、アユミちゃん、レイちゃん、ユウタロウは一生懸命ついてきてくれました。

右から詢、かすみ、太陽( 2021年 4月 POPUPイベント時の写真 )

オープンから3か月、閉店の覚悟

オープンから3か月が経とうとしていた9月の半ば、大学3年生の夏休みは相変わらず下北沢と自宅を往復する日々で過ぎていきました。
大学生らしい遊びはすっかり忘れ、どうやったら来店してもらえるか?どうやったら魅力あるメニューが作れるか?どうやったら認知がとれるか?を考えて試すことに夢中になっていました。今まで電車でボーっとインスタを眺めていた時間は、マーケティング関連のネット記事を読み漁る時間に替わりました。
頭をフルに使い、様々な仮説を立ててカフェでの施策を試すことは面白い一方で、経営面では現実の数字と向き合わざるを得ない状況に追い込まれていました。生活は、昼はカフェ営業、夜は2つのアルバイトで店の経費を稼いで夜中オンライン授業と課題をこなすといった有様でした。

できる限りのことはやりながら3か月弱続けてきたものの、カフェの経営は想像以上に難しく、メンバーのお給料すらまともに払うことができませんでした。当時は営業継続の為に週7日営業を続けざるを得ない状況だったため、体力も限界が近づいていました。
悔しさは残るものの、3か月目を区切りにテナントの契約を切るしかないかも……。と私達は決断を迫られていました。

ふと訪れた、継続への兆し

店を閉めることを本格的に考え出した9月頃、看板商品として販売していたデザートがOPEN当初から続けてきたInstagram上で軽くバズりはじめ、急にお客様の数が増えていきました。
丁度そのタイミングで間借り契約の更新日が近づいてきました。太陽としばらく話合いました。ここまで来たなら、やらない後悔はしたくないという結論で「あと1か月踏ん張って営業してみよう」という決断に至りました。なんだかドラマのような噓くさい展開ですが、本当にこんなことが起こったのです。有難いことに、徐々にお客さんが増えて売り上げも伸びていきました。
しかし、繫盛してめでたしめでたしという単純なものではありませんでした。むしろここからが苦しい時期だったように思えます。
当時の状況は、お客さんは増えたものの、人手が足らない。とはいえ、開業費用の回収はまだまだ。人手を増やすほどの人件費は捻出できないという感じでした。この状況から抜け出すまで、毎日お店で仕込みと集客の日々が続きました。

バズった「なめらか天使の檸檬プリン」。コロナ渦、家で作ったプリンから着想を得た。

オープンから4か月、継続へのあがき

継続の兆しが見えはじめ、テナントの契約を一か月延長した私達は必死でした。お客様が増え始めたきっかけがSNS上でのバズりだった為、「このまま1個のフック商品で安心していると一過性の集客にとどまり、すぐお店は潰れてしまうだろう」と危機感を感じました。始まった当初、継続して営業するということ自体予定がなかった私達のカフェには「コンセプト」がありませんでした。勢いでお店を開店し必死に集客に突っ走ってきた4か月、考える余裕がなかったともいえるかもしれません。
通常のカフェなら、どんな場所を創りたいかを先に考えるでしょうが、私達の場合、場所をつくって、さあどうする???という状況だったのです。
とはいえコンセプトはすぐに定まるものではないので、ここからかなり長ーーい時間をかけて「ミレニアムだから提供できる価値はなんだろうか?」を考えていくことになりました。
下北沢に近い大学の学生たちが空きコマによく遊びに来てくれていたので、カウンターでコーヒーを淹れながら「ミレニアムの魅力」について長らく語っていたことも(笑)長く愛されるカフェ空間を創るための手段を模索しながら、短いスパンで商品を作り、売り、分析するの繰り返しをしていきました。

私から見た「cafe.millennium」

まだまだ語り切れない部分ばかりですが、今回の話はここまでにしようと思います^^最後まで読んで下さりありがとうございました。

4ヶ月ちょっとの出来事だけでもこれだけ語れると思うと、コロナ渦大学に行けなかった私にとっては、ミレニアムが「頭と体で学べる大学」でもあったのだと思います。営業していて分からないことは夢中で本とネット記事を読み漁り、カフェでやってみる。本で分からなかったら、お客様として来てくれた大人や大学生に相談してみる。
普通のカフェだったらありえないことかもしれませんが、学生の私達はお客様からも学ばせていただいていました。

仲良くなったお客様と^^今ではカフェ巡りをする仲に🌼

「cafe.millennium」は外からみると普通のカフェですが、私にとってはカフェであり、学校でもあります。現在10名いるスタッフのみんなは平均年齢約20歳。ひとりひとりが日々悩み、試し、学び、成長しています。その産物が、素敵な空間とお客様とのコミュニケーション、美味しいお料理に反映されています。

とはいえ、時には失敗もしますし、お客様を100%満足させられないこともあります。でもそのようなことがあると、学生のみんなは大きく反省し、改善策を一生懸命考えます。そして、行動します。私はそんなミレニアムのスタッフ達を尊敬していますし、誇りに感じています。

次回は、オープンから5か月以降の話に加えて、外からは見られることのない、ミレニアムの「内側」の話もしていければと思います。
2022年も残すところあと数時間。cafe.millenniumは年内の営業を無事終えることができました。今年も私達を支えてくださった皆さん、本当にありがとうございます。2023年も皆様にとって実りある1年となりますように…

最近のミレニアム(営業後のクリパ🎄)写真は、みんなが気合をいれすぎた料理達(笑)



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