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「みんな一緒」という幻想

(※)メルマガから来てくださった方は、「今、考えていること」パートよりお読みください。


本日の問い

あなたはニューロダイバーシティという言葉をご存知でしょうか?
今日はニューロダイバーシティをテーマに教育について考えていきましょう!

ニューロダイバーシティとは、「人々の脳や神経系の多様性を尊重し、認識する概念」のことです。

私たち人間は、みんな姿かたちが違います。声も違うし、考え方だって違います。当たり前じゃん!って思いますよね。一人ひとり脳や神経が違うんだから、「みんな違う」のが当たり前です。

でも例えば、「同じ人間なんだから、このくらいはできて当たり前でしょ」などと感じてしまう瞬間はありませんか?

・みんなできるんだから、宿題はできて当たり前。
・私ができたんだから、きっとあなたもこのやり方でやればできるはず。

これって、人間が持っている一種のバイアスですね。

このように私たちはついつい、「みんな一緒」を出発点に他者(こども)のことを考えてしまいがちです。

ですがニューロダイバーシティの観点に立つと、「みんな違う」を出発点にした教育を思考・実践していくことが大切だということが理解できます。

例えば、授業の受け方について考えてみましょう。

・板書をノートに映す

このことを推奨されてきた人はきっと多いと思います。
ですがこれは「みんなにとってよい学びとなるカタチ」なのでしょうか?

板書をノートに写すには、よく考えてみるとたくさんの機能が必要なことがわかります。

・黒板に書かれている文字を見る
・文字を文節などで捉える
・覚えて、ノートに書き写そうとする
・ノートに文字を書く
...繰り返し(本当はもっと細かな工程があります!)


私たちには一人ひとり、目からの情報を受け取りやすい、耳からの情報の方が受け取りやすい、などの特性があることは広く知られていると思います。

それと同じように、
・文字を見て、短期記憶として覚えておくことの得意度合い
・ノートに文字を書く時のスピード
・ノートに文字を書きながら話を聞くことの得意度合い
など、それぞれの機能にだって特性があります。

このどれかが苦手だったりするだけで、板書をノートに写しながら授業を受けるという行為は、その子にとって難しいものになります。

「板書をノートに写すのは苦手だけど、別のカタチだったら集中して授業に取り組める!」
そんなこどもの声を聴くことなく、「なんでこれができないの?」「これができないのは努力不足だよ」などの認知のもとでコミュニケーションをとるという行為は、こどもの学びの可能性を狭めている行為だと言えます。

ニューロダイバーシティという概念から分かるように、私たち人間はみんな違う存在です。
一般福祉の叶う社会をつくり続けていくために、「みんな違う」を出発点にして教育が、より世界に広がっていくと嬉しいなと私自身感じています。

☆本日の問い☆
・「みんな一緒」を出発点にして他者・こどもと関わっていた瞬間を、自分の過去を振り返って思い出してみましょう。

・「みんな違う」は、「みんな一緒」が一定程度達成された上に求められる概念だという見解があります。この見解を受け取って、あなたは何を感じますか?気になったことなどあればぜひ調べてみてください!

考えてみたパート

その前にいつもの注釈

このnoteは、僕の配信しているメルマガのおまけパートです。

メルマガの大切にしていることから考えると、言ってしまえばこれ以降の文章は蛇足です。

ここからは、ただ僕自身が書きたいことを綴ります。
気の向くままに言葉を綴っていきますので、よろしければお付き合いください。

〈いつもの注釈 : メルマガで大切にしていること〉
“よい教育”について考える時、「問いを立てるという行為」にこそ価値があります。
AIなどの発展により、「問い」があれば「答え」を見つけてくれる存在が私たち人間のすぐそばに現れました。今はまだ「答え」が不正確なこともあるかもしれませんが、この精度はどんどん高まっていくでしょう。そして近い未来にはまるで「ドラえもん」のように、私たちの欲求を叶えてくれる存在になっていくでしょう。

このような未来を想像する時、人間にとって大切なのは「そもそもの問いを見つけること」だということが分かります。「自身の欲求に向き合い問いを見つけること」こそ人間にできることであり、人間にとって自由に生きる営みの土台となるものです。問いが見つかれば、あとは「ドラえもん」と一緒にその問いと向き合い、つくりたい未来をつくっていくことができます。

のび太のように、「助けてドラえもん!」「〜したいよドラえもん!」と表現できる存在。
そんな存在こそ、きっとこれから求められる人間像です。
これは社会的にという観点でもそうですし、一人ひとりが自由に生きていくためという観点に立っても北極星となる人間像だと思います。

この「求められる人間像」を踏まえ、本noteでは「仮の問い」を発信するにとどめています。「仮の問い」から、ぜひ「あなただけの問い」を発展をさせてください。そして「あなたのつくった問い」から、素敵な未来をぜひつくっていってください!

そんな風に、当メルマガをつかっていただけますと幸いです。素敵な物語があなたを起点に紡がれていくことを、私自身心から願っています。

今、考えていること

最近考えているのは、(エポケーをしながらも)自身の〈欲望-関心〉の中心点に向かい続けていくという営みについて。また他者のその営みにいかに寄り添うことができるかということ。

自由の相互承認の感度を育むことを土台としながら、自身の〈欲望-関心〉の中心点に迫っていく営みの連続こそ、無花果では大切にしたいこと。教育の本質だとも思っている。

この辺に、自分自身が大切にしたいことが詰まっている感覚がある。
「BE-潜在」を通りながらいかに“よい学び”のスパイラルを回していくか。
(BE-潜在については以下の記事。)

人生は壮大な暇つぶしって感覚。
退屈-暇って所与は、人類が定住をした時から向き合い始めた所与だ(という見解もある)って最近学んだりもした。

社会が急速に変化をする中で、人間にできることきっとどんどん増えていく。欲望-関心を起点とした営みが増えていく。
そんな時に人間が向き合うのが、「そもそもこれって自分の欲望-関心だったっけ?」みたいな問いだったり、「頑張りたいけど頑張れない」みたいな問いだったりするんだと思う。こうした問いって、人類がずっと向き合っている問いとも言える。

うーん、ここかなぁ。ここをやり続けるのって、自分にとっては苦じゃないな〜って思いながら、今日は終わりにしようと思う。
「自分を知る」ということが、いろんな技術(遺伝子とか、感情解析とか)によってできるようになる未来を想像しながら、投稿ボタンを押します…!


さいごに

本日もnoteをお読みくださりありがとうございました!
ではまた、お会いしましょう!

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