#11 プロジェクト型の“よい学び”をつくってきて分かった、大切なポイント
「プロジェクト型の学習」という言葉を、皆さんは聞いたことがありますでしょうか?
今日は、無花果で捉えている「プロジェクト型の学習」の北極星(“よい在り方”)をまとめるべく、noteを綴ります。
以下、無花果での「“よいプロジェクト学習”」の北極星に迫っていく軌跡を記していきます。
このnoteを元に、無花果スタッフ同士での対話がより深まることを目的に言葉を綴っていますので、何かみなさんの所属する教育現場での対話のきっかけ等にしていただけますと幸いです。
①プロジェクト型の学習を軸にした“よい学び”
改めて教育の本質に立ち返って。
“よい教育”の定義は以下でした。
「では上記の定義をもとに、生徒はどのようにこの北極星に向かっていけるとよいのか?」という問いに対する回答が、「プロジェクト型の学習」であるという位置付けです。
「プロジェクト型の学習」以外にも、これからの教育を語る際によく語られるキーワードとして、「個別学習」「協同学習」というものがあります。
これら3つキーワードの関係図としては、下図のようになります。
つまり、「プロジェクト型の学習」こそが軸に据えられるものであり、各人の興味関心に応じて「個別」のプロジェクトが生まれる。しかしながら決して個人で学習は完結するのではなく、ゆるやかな「協同」のもとプロジェクトは進められていく。これが“よい学び”の姿になります。
なお、この「プロジェクト型の学習」の基盤にあるのが「探究」です。
「自由と自由の相互承認を北極星にしたDOとBEの探究の連続」こそが、生徒にとっての“よい学び”の姿であることは以下にまとめていますので、よろしければ以下のnoteもご覧ください!
②“よいプロジェクト型の学習”のイメージについて
ここで1つ、“よい”とされる「プロジェクト型の学習」のイメージについて考えてみましょう。
「プロジェクト型の学習」に関する“よい”と感じる瞬間やその感度に対しては、私自身自覚的でありたいと感じており、少し考えを深めてみます。
ーーー
あなたなりに考えられましたでしょうか?
最初に結論を述べると、「プロジェクト型の学習」をイメージする時、
「何かに熱中をしていたり、興味関心を深めていたりする生徒の姿を“よい”と捉え、そうなっていない生徒の姿を“よくない”と捉えてしまいがちになってしまうという懸念があるのではないか」と、私は感じています。
例えば無花果には、
「プロのジャズミュージシャンを目指して、自身でライブ活動等をしている生徒」
「美大を目指し、画塾にも通いながら学びを深めている生徒」
「服をつくるのが好きで、パタンナーさんにアポイントをとって学びを深めようとしている生徒」
などなど、たくさんの素敵な生徒が在籍しています。
ここで挙げた生徒の例は、「プロジェクト型の学習」にまさにハマっている、“よい生徒の姿”として映し出されやすい生徒だと感じています。
しかしもちろん、このように具体的に対外的な活動をしていないようにみえる生徒も存在します。
ただ純粋に、友達とボードゲームをすることを楽しんでいたり、外出することを楽しんでいたり…。
もしかすると、こうした生徒の姿を見た時、
「もっと、〜に熱中したらいいのに…。」
「この子は、探究ができていない…。」
と感じてしまう瞬間もあるかもしれません。
(本来、今という瞬間を楽しんでいること自体が尊いはずのものなのに…です。)
しかし、これらの感想から“よい教育”の定義に立ち返ることなく、「もっとみんながプロジェクト型の学習を行えることを目標にしていこう!」と生徒に働きかけていくことは、先生の役割として全く本質的ではありません。
改めて大前提からまとめると、生徒にとっての“よい学び”とは、「自由と自由の相互承認を北極星にしたDOとBEの探究の連続」です。
生徒が行っている「DOとBEの探究」の向かう先を、「自由と自由の相互承認」にすることが先生の役割であり、そもそも「DOとBEの探究」は生徒によって常に行っているものであることはこれまでも述べてきました。
つまり、私たち先生が持つべき問いは常に、
生徒一人ひとりが「自由と自由の相互承認を北極星にしたDOとBEの探究の連続」を行っていくためのよい環境を一緒につくっていけているか?
ということです。
教育の本質に立ち返った時、どの瞬間も生徒にとっての“よい瞬間”になり得ます。
しかし、私たちがイメージする(無意識的にも感想で“よい”としてる)「プロジェクトに熱中している生徒像」のみに立ち返ってしまうことで、その像に当てはまらない生徒の姿を“よい姿”として捉えられなくなってしまうというある種の危険性には、自覚的で在る必要性を私は感じています。
「私たちがイメージする(無意識的にも感想で“よい”としてる)プロジェクトに熱中している生徒像」
この生徒像が「教育の本質から紐解かれたもの」であるかに自覚的で在る姿勢は、先生として必須の姿勢です。
…気がついた方もいらっしゃると思いますが、もちろんこの「教育の本質に立ち返る姿勢」は、いかなる瞬間においても大切な姿勢です。
「教育の本質に立ち返る姿勢」を持とうとしていても、無意識にそうできていなかった…ということが起こやすい瞬間として、「プロジェクト型の学習」を思考・実践する瞬間を取り上げ、今回は具体的に述べさせていただきました。
いかがでしたでしょうか?
ここまでを踏まえて、あなたにとっての「“よいプロジェクト型の学習”のイメージ」が、「教育の本質に基づいたものになっているなと感じられるもの」になっていますと嬉しく感じています。
補足) 「みんな違う」が出発点
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?