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幸せについて本気出して考えてみた(理屈っぽく)

「幸せ」とは何か?
これを考え始めると哲学的な話になってキリがないので、まずは状態としての「幸せ」がどういうものか考えていきます。

「幸せ」とはどういう状態か

幸せを一つの状態として捉えます。
「私は幸せである」という文が成り立つように、幸せというのは一つの状態になります。そうすると、幸せじゃない状態も存在することになり、「私は不幸せである」「私は不幸だ」などとなります。

今回の定義として「幸せではない≠不幸」として考えます。
つまり、幸せではないからといって必ずしも不幸であるとは限らない、ということにします。つまり、車のニュートラルにあたるような状態が存在すると仮定します。

幸せでないというのは、単に幸せではないだけです。
それ以上もそれ以下もありません。

「幸せです」と積極的に断言できない、一方で「不幸」だとも思っていない。
そんな状態はあり得るということです。

幸福論.002

動作としての幸せ

次に、「幸せ」の動作としての使用についてです。

「私は幸せである」という文がある一方で、「あなたを必ず幸せにします」といった文も見受けられます。この場合、動作として相手に働きかけています

「〜なる」ではなくて
「〜する」ということ

他人に幸せになってもらうための働きかけをして、他人を「幸せである状態」にするということです。

ここで一つ重要なポイントとして、動作としての「幸せ」を使用する場合の目的語は自分以外の人になるということです。

「私は私を幸せにします」という文はおかしいということです。

幸せかどうかは主観によって決まるものなので、自分が動作によって自分を幸せにするというよりは、幸せになったと自分が感じられさえすれば、それで幸せなのです。必要なのは幸せであるという「自覚」です。

働きかけによって「幸せである状態」に気づいてもらい、「幸せである状態」になってもらうということです。

自分だけの場合は、「幸せである」と自分で気づけたらそれで幸せです。

幸福論2.001

以上、ここまで「幸せ」の定義と用法についてでした。

次からが本題です。

幸せになる?ならない? 幸せにする?しない?

これまでの状態と動作についての「幸せ」を踏まえ、どのようなパターンがあるかを示したのが以下の図になります。
ふつう状態は省略します。

幸福論.001

自分が幸せになる、ならない。
他人を幸せにする、しない。

以上の8パターンが存在します。
当然、みんな幸せになりたいし、不幸は嫌だと考えます。

よって、目指すべきパターンは以下になります。

幸福論.003


幸せは何によって決まる?

ここで、幸せというのは何に依存するのか考えましょう。

お金をいくら持っていても幸せとは限らない、というのはよく言われる話です。

単純にお金がたくさんあれば幸せかもしれません。
しかし、それはどのくらいあれば良いのか。
また、誰よりお金を持っていれば良いのか。
一般的で定量的な指標は存在しません。

誰よりもお金持ちでなければ幸せになれないというのなら、この世で幸福な人間はたった一人しか存在しないことになります。

自分が持っているお金に対して幸福だと思えるかどうかは自分で判断します

幸福度のものさしに客観的指標はなく、「自分が幸福と思えるかどうか」
それのみに依存します。繰り返しになりますが、重要なのは「自覚」です。

以上を踏まえると、
『自分は幸福になれるが、他人を幸福にすることはできない』という結論が導かれます。

自分が幸せかどうかは、自分の判断する指標で決まると説明しました。
極論を言えば、自分が幸せと思えれば、どんな状況でも幸せになれます。

しかし、他人にどれだけ幸せになってもらおうと働きかけても、その人が幸せだと感じなければ、幸せになってもらえません

大金をあげたとしても、もらった人がお金に興味ない人であれば幸せにならないということです。

ここで「他人を幸せにする」という選択肢は実現不可能ということで消去します。
残りは以下のパターンになります。

幸福論6.001

不幸は何によって決まる?

ここまで「幸せ」の状態を説明し、「幸せ」が何によって決まるかは個人の価値判断によるということを述べました。

では、「不幸」はどうでしょうか?

「不幸」も自分次第で決まりますか?

悪口を言われたり、持っているお金の金額を比較されたり、挙げればきりがないほど簡単に人は落ち込み、不幸になります。

また、外界の情報を全てシャットダウンすることはできないので、自動的に不幸にさせられる可能性があります。

ある種、避けようのない災害みたいなものになります。

幸福になれるかどうかは自分次第ですが、不幸になるかどうかは他人の働きかけに依存します。

先ほどまでの「幸せ」は自分次第でしたが、「不幸」は外部要因で決まり、ちょうど正反対なのが面白いところです。

自分が「不幸」にならないというのは自分だけではどうにもなりません。地震や自然災害などは決して自分が原因で生じるものではありません。避けるための準備など対策を取っても100%完璧に防ぐことはできません。

人間関係のトラブルも似たようなものでしょう。
ある程度の回避はできたとしても、自分だけで根本的な解決はできません
ときに外部環境を変えることで解決に至ります。

最近では「親ガチャ」とかいう言葉も出てきているようですが、生まれる親を決めることはできないというのも一つの例になるかと思います。こんなことを個人の努力だけでどうやって回避できるでしょうか。

自分の努力次第で「幸せ」にはなれますが、「不幸にならない」というのは自分だけの力でできることではありません

しかし、逆に言えば、他人を不幸にする可能性を無くすことはできます
自分が他人への働きかけを変えるだけで、他人が不幸を被ることはなくなります。
暴力、悪口などの他人を不幸にする行為をやめればそれでOKです。

一つ勘違いしてはならないのが、「他人を不幸にしない」ということが必ずしも他人の幸せにはならないということです。
冒頭の定義を思い出しましょう。
「幸せではない≠不幸」

よって、「他人が嫌がることをしない」というのは最低限のことであって、他人を幸福にすることではない、という点は認識しておく必要があります。

以上、踏まえるとさらに一つのパターン「自分が不幸にならない」も実現不可能となり、選択肢から消去されます。

幸福論7.007

よって最初の方に示した8つの状態のうち、目指すべき状態は、自分と他人で一つずつに絞られます。

自分は幸せになり、他人を不幸にしない。

目標とする考え方

不幸は外部要因によってもたらされる場合があるので避けようがありません。ですが、幸福になれるかどうかは完全に自分次第です。

避けられない外部要因によって自分がどれだけ不幸になったとしても、そこから幸福になれるかどうかは自分次第です。どうすることもできない不幸にばかり捉われずに、自分で制御できることからやっていきましょう。

また、他人を幸福にできるかは分かりませんが、不幸にしない努力はできます。
他人を不幸におとしめるようなことはやめましょう。
それは自分で制御可能なことです。


改めて目標となる考え方を以下に示します。

幸福論7.008

自分は幸せになり、他人を不幸にしない。

基本的なことですが、改めて何故そうなるのか考えることは重要です。

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