Apple Watchを手に入れた瞬間、仕事をクビになった
七月の終わり、突然強烈にApple Watchに惹かれた。おれには絶対に必要が無い。予定も無ければ、何かしらのフィットネスをしているわけでもない。Apple Watchのコマーシャルを見ればわかるように、あれはスケジュールを気にしたり、己の健康管理に関心がある者がつけるべき時計である。
しかし、なぜか惹かれるものがある。繰り返すがおれには予定が無い、何かしらのフィットネスもしていない。なのに、どうしてこうも欲しがってしまうのか。思い返してみると、おれは昔から外国に憧れがあったからかもしれない。
幼少期、おれは父親の影響でジャッキー・チェンの映画が大好きだった。とくに「プロジェクトA」という映画が好きで、それこそビデオテープが擦り切れるほど観た。
劇中で、ジャッキーが自転車でアクションをするシーンがある。狭い路地の壁に両足を突っ張って身体を浮かせ、ハンドルを上に振り上げるようにして、敵を自転車ごと吹っ飛ばす。それをよく真似した。といっても、近所に都合のいい狭い路地なんて無かったので、自宅の壁に挟まれた廊下で、両足を突っ張って身体を浮かせていただけ。それだけでも、自分は完全にジャッキーと同じ動きをしている! と本気で思っていた。無駄に高い場所から飛び降りたり、後転しながらテーブルに登ったり。プロジェクトAを観たことある人ならイメージできると思うが、とにかく劇中のジャッキーのアクションぽい動きを日頃から真似ていた。
しかし、唯一真似できないものがあった。ジャッキー達の話し方である。
父親が持っていたプロジェクトAのビデオは吹き替え版だった。しかし、おれは中国という概念がまだ無かった。「ジャッキーは日本語を話しているのに、なんで口の動きが合わないんだ」と真似をするのに苦労した。全体的にコミカルな映画なので、言葉と口の動きが合わないのもおもしろ要素なのだろう、と勝手に解釈してた。エンディングで流れる、プロジェクトAのテーマも、なんかすごい訛りが強い人が歌ってんだろうなと思ってた。中国という国がある、ということを知るまでは。
───すいません、ふと気づいたんですけど、プロジェクトAとApple Watch関係ないわ。
もしかしたら、AppleがApple Watchを開発するときのプロジェクト名が「プロジェクトA」だった可能性はあるかもしれないけど。たぶん絶対関係ないので、ジャッキーの話は置いときます。
なので、ここから話はガラッと変わってアメリカの話をしたい。おれはアメリカに行ったこと無いし、アメリカ人の友達もいないし、英語すら話せない。でもアメリカが好き。スケールがでかいとか、とりあえず訴えるとか、NYがマジでおしゃれとか、日本の次にゴジラが出現しやすいとかも好き。でも一番好きな理由は「なんか自由」だから。いや、細かいとこを見れば全然自由じゃないよ、って言う人もいるかもしれない。政治的なこととか、人種問題とか現実にはある。でもそっち方面の話題は置いといて、アメリカ人の自由さに憧れがある。
昔、東京にひっそりと暮らしていたとき、メッセンジャーやってたんすよ。かっこいい自転車に乗って、東京をかっとばして、書類やらなんやらを配り倒すという仕事。やった理由としては、アメリカっぽいから。高校生のときに観た深夜の海外ドラマで、主人公がメッセンジャーやってから。それがアメリカのドラマかどうかは知らないけど、なんか「自由」を感じたのよ。メッセンジャーって、ウーバーイーツみたいにどれだけ配ったかで評価される。だから近道のために自転車ごと地下鉄に乗ったり、自転車担いでビルの中突っ切ったり、信号無視して車を避けて走ったり。ときには警察に中指立てたりして、最終的には仲間とか上司とハイタッチして、おつかれ、みたいな感じで業務終了。そんなアメリカのメッセンジャーに憧れてた。
そしていざ東京に来て、実際にやってみたら全然自由じゃないの。交通ルール遵守だし、でかいビルはセキュリティ厳しいから小さい封筒渡すだけなのに三〇分くらいかかったりするし。そんで当たり前だけど、やっぱり日本の会社なのね。一分でも遅刻は許されないし、ちょっとサボったら怒られるし、正当な理由が無いと休めないし。ガチガチの日本の企業だった。
「うわー、ここ完全に日本だ」と思ったら急にやる気なくなっちゃって辞めた。東京にアメリカは無かった。
全部「当たり前じゃねーか」と思う。でも、その当たり前がなんか嫌だった。だからアメリカの漠然とした自由に憧れてた。
国の情勢とかの一切を置いといて、とにかくアメリカの自由な雰囲気が好き。なのでApple Watchが気になってしまうのは、しごく当然のことだったのかもしれない。しかし発売から数年経つというのに、なぜこのタイミングで欲しくなったのか、いくら考えても分からない。いや、だからこそアメリカに惹かれるのかも。
アメリカの風を全身に浴びるために、Apple Watchを公式サイトで買った。Amazonや近所の家電量販店でも売っているが、それだとなんとなく「日本」の風が吹き込むような気がしたからだ。
公式サイトで買ったのだから間違いなくメイドインアメリカだ! と期待していたが、発送はまさかの中国からだった。しかし、アメリカで発明されたことには違いない。おれは大人なのでグッと飲み込んだ。飲み込んだが、ひとつ吐き出した。自宅に到着するまで十日ほどかかるらしい。おれの知らない間に、中国はブラジル辺りにでも引っ越したのだろうか。
それからの十日間はとても長かった。待てど暮らせど、Apple Watchは来ない。クロネコヤマトの荷物追跡ページを確認してはため息を吐く、そんな毎日だった。とにかく朝から晩まで確認していたので、この十日間、クロネコヤマトのサイトアクセス数を爆増させたのはおれで間違いないだろう。
仕事をサボってオバケみたいにでかいバッタを追いかけていると、そのときがついにやってきた。どうやらもう自宅に配達済みらしい。
「やっぴー」
とよくわからない声を上げて喜んだ。バッタはどっかに飛んでいった。
───その日の帰り、おれは仕事をクビになった。
八月六日、朝からの猛暑でおれはもう限界だった。雇われ農家として働いていたおれは、太陽の恵みを全身で浴び続けたのち、見事に熱中症になった。
気持ち悪いし、ふらふらするし。とにかく横になりたかった、しかし、仕事場にすぐ休めるような涼しい場所はない。おれは申し訳ないと思いつつ、自己判断で早退した。車に戻り、クーラーをガンガンにつける。少し落ち着いたところで連絡をしたが、社長は厳しかった。
「明日からもうこなくていい」
Yahoo知恵袋あたりでよく目にする言葉を、まさか自分が言われるなんて。インターネットではありがちな言葉も、実際に言われるとその衝撃はすごい。
横になっているのに立ちくらみがする。
視界の端がぼんやりと白くなる。
心臓の鼓動がめちゃくちゃでかくなる。
なぜかニヤニヤする。
熱中症と相まってその効果は絶大だ。
「落ち着こう、落ち着こう」
頭で思うほど、心臓が爆発しそうに乱舞する。おそらくメダパニを喰らうと、あんな感じになるのだろう。ヤンガスって目つき悪いよね。
もう二度と買わないと誓ったドクターペッパーを買ってしまったので、かなりのパニック状態で間違いない。ドクターペッパーは、本当に二度と買わない。
いい歳こいて仕事をクビになってしまった。待ちに待ったApple Watchが自宅に来たのに、無職になってしまった。
「いやぁ〜、クビになっちゃったよ笑」
わざとらしくひとりごちたが、車内のクーラーに虚しくかき消された。ついでにこの感情もかき消してほしい。買ったばかりのドクターペッパーは、もうぬるくなっていた。
貯金も無い、副業も無い。なんなら借金しかない。そんな状態での無職。大した職歴もない。三六歳。モテるために筋トレ。色白。友達いない。モテるために金髪にして全くモテなかったことがある。ヤバい。いい年こいてヤバいとか言っちゃってるのがヤバい。でも実際にヤバいんだからヤバい。
そんなことを考えながら帰宅すると、階段の脇にはAppleからの贈り物が鎮座していた
「ああ、そうだ。Apple Watch来てたんだ…」
あんなに待ってたのに、あんなに欲しかったのに、こんなに嬉しさが半減するなんて。半減どころか、メシの食べ方が汚い人が残した米粒くらいしか残っていない。虚しい。
帰宅してから、一時間くらいApple Watchを放置してた。もう絶対にありえない状態だった。プレステ3を買ったときなんて、帰宅中の車の中で箱を全開にして親にめちゃくちゃ怒られたことある。新しいものを買ったときは我慢できない性格なのに。クビになるということは、それだけエネルギーを持っていかれるらしい。
一通り落ち込んで、そんでまあ、そろそろ開封しますかね、とか思いながら箱を開けていくと。なんと、テンションがみるみる戻ってきた。
Apple特有の切りづらいテープとか、真空パックかよって思うくらいピッタリ閉じられた箱のふたとか。それをひとつづつ開けるたびに、おれのテンションが戻って来やがった。
「Appleはわざと開けづらい梱包をして、消費者の気持ちをコントロールしているのさ」
みたいなことを気持ち悪い顔でニヤニヤしながらつぶやいていると、いよいよApple Watchのご来光です。
じゃわーん!
小躍りしながら装着してみると、腕にぴったり!(注文するときにサイズ図っているから)
またこのバンドのカラーが俺好み!(注文のときに自分で選んだから)
心拍数60だってさ!(右上にほくろ)
やったぜ、ついにおれはApple Watchを手に入れたんだ。さっき仕事をクビになったけど、おれはApple Watchを手に入れた。そうだ、手に入れたんだ。入れたんだ手に、Apple Watchを。Apple Watchをついに、ついにこの手にしたんだ。予定も無いし、お金も無いし、仕事も無いけどApple Watchはある。おれをクビにした社長め、お前はApple Watchを持っているか。持っていないだろう。お金は持っているが、Apple Watchは持っていないだろう。おれは持っている。
何を?
Apple Watchをだ!!
どうだちくしょうめ!
深呼吸してやる!
赤い光を放ってやる!
北はこっちだ!
おれは自分のクビと引き換えに、Apple Watchを手に入れたんだ。そうだ、何も心配ない。新しい仕事だって、このApple Watchを使って見つけてみせるさ。
───七月の終わり、おれは突然Apple Watchに惹かれた。アメリカの漠然とした自由に惹かれたのかもしれない。
しかし、自由を選ぶということは自己責任もつきまとう。
今のところ、おれのスケジュールは白紙で自由だ。
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