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短編小説|ディープナイトコンビニエンス

 隙間からギラリと反射しているそれは、刃物であることは間違いない。数秒だったか数十秒だったかの後、心臓の鼓動が倍になった。
「えぇ、うそだろ…」
 おれは自分の意思とは無関係に、顔が引きつっているのが分かった。 
「一連の事件の犯人は、いわゆる刺身包丁を凶器として使用しており、警察は現在…」テレビからは、最近起きている連続殺人事件のニュースが流れていた。

いつもの時間、いつものコンビニにおれは居た。もうここで働き始めて六年近くになる。今年もクリスマスソングが嫌いだ。
「おい、新人」
 新人というのは、昨日入ってきた須磨という男だ。中年で、おでこから禿げ上がっている。
「…はい」
 陰気な返事に、こっちまで気持ちが沈む。前の仕事も、人間関係がうまくいかなかったとかで辞めたに違いない。返事をするときくらいこっちを見たらどうなんだ。
「表の清掃しといて」おれは横目だけで言った。
「…はい」須磨は言って、のそのそ出て行った。
 気持ちの悪いやつだ。仕事とはいえ、あんなやつと同じ時間に同じ空間にいることが情けない。強く当たって、自分から辞めますと言わせてやろうか。いや、そんなことをすればおれの評判が悪くなるだろう。店には監視カメラもあるし、音声もばっちり録音されている。この間も、夕方に働いている可愛いと思っていた女子高生が、おれの悪口を言っているところを見たばかりだ。若い女はこれだから馬鹿なんだ。自分が世界の中心だと思ってやがる。朝方に交代で入ってくる主婦も嫌いだ。おれを汚いものとして見てやがる。子供を生むと女はさらに馬鹿になるに違いない。きっとそうだ。しかしおれは男だ、ざまあみろ。
 おれは一点を見つめたまま、しばらく動かなかった。
 ふと店内を見渡すと、数人の客がいる。
 客といっても、おれにとっては客と呼べるものでは無かった。こいつらは買い物をしない。毎日この時間に来ては、店の中をうろうろしたり、店先にたたずんだりしているだけだ。
 一度声をかけたことがある。
 しかし「ああ」とか「うう」しか返ってこないのでそれきりだった。気味が悪いが、コンビニの深夜なんてこんなものだろう。
 いつの間にか、須磨が戻ってきていた。おれは、両肩が跳ね上がった。横目だけで睨む。空気の薄い奴は、総じて気持ちが悪い。
 表の掃除はもう終わったのだろうか、それにしてはやけに速い。おれが見てないのをいいことにサボったのか、そうやっておれへの当てつけにしているのだろうか。どうせこいつも、おれの悪口を言っているに違いない。須磨は昨日、違うやつとシフトが入っていたからな。そのとき悪口を言っていたんだろう。ようし、確認してやる。
「裏でやることあるから、こっちよろしく」
 須磨をレジに残して、バックヤードに向かった。
「…はい」須磨の声がはるか後ろで聞こえる。おれは寒気に追いつかれる前に、勢いよく扉を開けた。
 入り口を抜けると、細長い空間があり、奥にはデスクがある。監視カメラのモニターと書類の束が密林のように収納されている。
 昨日の監視カメラの映像をチェックしようとデッキを操作する。ところが、昨日の映像は見れなかった。映像はすべて砂嵐になっており、音声は一切聞こえてこない。その前日も、前々日も。今日を含めて過去の映像が見れなくなっている。
 なるほどそういうことか、おれの悪口を言っている連中の嫌がらせだ。勤務中の悪口がバレぬよう、こうして監視カメラの記録を消してしまったに違いない。店長が何も言っていなかったということは、あいつもグルか。ちくしょう、年下のくせに。
 おれはデッキのリモコンを放り出し、ずんぐと立ち上がった。
 壁沿いにある冷蔵庫のドアを開け放ち、いつもの死角に座り込んだ。陳列棚からサイダーを一本とりだし蓋を開けた。もちろんこれは売り物であり、勝手に飲んでいいわけが無い。これは腹いせであり、おれの悪口を言っている連中、ひいてはそんなやつらを首にせず雇い続ける店長への嫌がらせでもある。
 このコンビニの深夜は、おれが支えていると言ってもいい。サイダーの一本や二本くらい、勝手に飲んでもバチは当たるまい。
 無断で飲むサイダーは、背徳感が泡となりゴクゴクと喉を刺激する。美味い。
 ドリンクの隙間から店内を覗くと、須磨がレジカウンター越しにこちらを見ている。
 ドキリとした、向こうからだと照明が反射して冷蔵庫の中は見えないはずだ。おれがなかなか戻らないのを怪しんでいるのだろうか。
 念のため、そろそろ戻ろう。
 飲み干したサイダーをいつもの段ボールに放った。先週飲んだ缶ビールに当たり、ガシャンと音がした。
 冷蔵庫から出ると、ちょうど反対側にある従業員ロッカーが目にとまった。須磨のロッカーが少しだけ開いている。監視カメラで須磨の様子を確認すると、動く気配は無い。おれはロッカーの取っ手をつかんだ。
 薄暗い空間には、黒いバッグと黒いコートがあった。両方とも黒で陰湿な感じだ。バッグのジッパーが少しだけ開いている。ロッカーを開けるのも、バッグを開けるのも同じだろ。自分に言い聞かせるようにひとりごちて、おれはバッグを開けた。
 包丁があった。
 いくつかの小ぶりな瓶に混じって、包丁が入っている。

「えぇ、うそだろ…」
 人生で初めて立ちくらみをした。
 体温が一気に下がった気がする。
 全身の毛穴が開き、熱が逃げていくようだ。
 漠然とした、とても大きな不安がおれを飲み込んだ。
 身体の力が抜ける、しかし、何かをしなければいけないような気がする。
 だめだ、何も考えられない。
 力の入らない脚をなんとか動かし、おれはなんとなく店内へと向かった。
 ドアを開けると、動けなくなった。
 須磨がこちらを見ている。おれの頭の中が筒抜けになっているような気分だ。
 おれはすぐに視線を外すと、何事も無かったように歩き出した。しかし、かなり動揺しているようで、踏み出した一歩目は体重を支えきれずに膝から折れた。
 靴紐を結ぶフリをして誤魔化そうとしたが、指先が震えて何もできない。
 弱々しく立ち上がり、須磨を視線の外で捉える。
 まだ見ている。
 怪しまれるな、怪しまれるな。
 それ以外考えられない。
 抜けそうな腰をこらえるのがつらい。
 自然体がわからない。
 目尻の痙攣が止まらない。
 おれは露骨に避けるのも不自然だと思い、あえてレジカウンターの中に入った。須磨の顔は見れない、恐らくこっちを見ているだろう。
 どうすればいい。走って逃げるか? いや、こんな状態ではだめだ。走り出した途端に捕まりそうだ。そうだ、非常ボタンだ。あれを押せば、警察に連絡が行く仕組みになっていたような気がする。いや、どうだったかな。ただ緊急ランプが点灯して、店の外にいる人間に通報を促す装置だったかもしれない。ちくしょう、そんなこと覚えてねぇよ。でもとりあえずボタンを押せば、緊急事態を知らせることはできる。
「須磨さん、表の清掃してもらっていいですか?」自然と敬語になった。
「…」
 須磨は答えない。陽気なクリスマスソングに腹が立つ。
「あの、外を…」
「さっきやりましたけど」須磨が答えた。
「ああ、すいません」
 情けないほど声が小さい。
「じゃあ、ドリンクの補充いいですか?」
「…さっきやったんじゃないんですか」
「さっきのは在庫のチェックだけだったんで、お願いできますか?」
「わかりました」
 須磨がバックヤードに向かって歩き出す。途端に嫌な予感がした。
「すいません! やっぱり表の清掃いいですか?」
 須磨はこちらを振り返ろうともせず、何も答えない。
「あの、表の、ゴミ箱、ゴミ箱の袋! ゴミ箱の袋を交換してください!」怪しまれるなという考えは無かった。とにかく、あいつをロッカーに近づけてはだめだ。
 須磨は黙って踵を返すと、こちらに戻ってきた。カウンター下の引き出しから、ゴミ袋とトングを取り出し、外に出て行った。
 おれはその間、石像のようになって苔が生えてもおかしくないほど動けなかった。
 よし、今のうちにボタンを。いや、果たして本当にそれで大丈夫だろうか。このボタンを押せば、店頭にあるランプが光る。しかし、ランプのすぐ側には須磨がいる。あいつがその気になれば、警察が来る前に事は済むだろう。しかし、須磨は必ずロッカーに戻るはずだ。その間に逃げれば…。
 いやいや、果たしてバッグに入っている包丁で全部なのか? 小さな刃物を忍ばせている可能性だって十分ある。それで身動きを封じ、大きな方を使ってトドメを…。
 いやいやいや、そんなこと考えるな。おれはどうすれば助かる?
 どうすれば。
 目だけを動かし、須磨の様子を見る。すでに一つ目のゴミ箱は終わっている。公衆電話で、女が物悲しそうに受話器を握っている。
 電話だ。
 そうだ、簡単なことだ。電話で警察を呼べばいいんだ。呼ぶ理由は何でもいい。警察が来れば、須磨の顔を見て気付くはずだ。連続コンビニ殺人鬼だということを。
 おれはレジカウンターから飛び出し、うろついている客ふたりをすり抜けると、デスクまで行って受話器を取った。
 ところが、電話は繋がらなかった。
 電話線も、電源も繋がっている。一一〇番も合っている。しかし、なぜか呼び出し音が鳴らない。
「えぇ、なんでなんで?」焦りで背中が冷たくなる。
 おれは受話器をデスクに叩きつけた。電話線や電源を抜いたり差したり繰り返す。それでも結果は変わらず、電話が警察を呼び出すことはなかった。
 モニターを見ると、須磨はレジカウンターに戻っていた。
 まずい。
 おれは、何食わぬ顔で店内に入ると、とくに乱れてもいない商品棚を直すフリをしてからカウンターに戻った。
 須磨は何も言わず、隣に立っている。おれも黙って立っていた。
 やはり緊急ボタンを押すしかないのか。いや、反対にこのまま朝まで何事も無く過ごしたほうが安全かもしれない。
 おれが、おでんをかき混ぜながら考えていると、突然、須磨がしゃがみこんだ。おれは動きを止め、いつでも走り出せるように片足に重心を寄せる。
 須磨は収納から割り箸の束を取り出すと、レジ横に補充した。
 おれは、ふうっと息を吐く。もみあげから汗が垂れ落ちた。
 すると今度こそ須磨はこっちを向き、ゆっくりと歩き出した。手には鈍く光る、銀色の物が握られていた。
 もうだめだ。
 おれはとっさに、カウンターを飛び越えた。しかし、レジ周りにある割り箸やらスプーンやら募金ボックスやらに引っかかり、それら全部をぶちまけてカウンターの向こうに転がり落ちた。
 手首からミシっと音がした。
 眼鏡のフレームが顔面にめり込む。
「くるな」と言いたかったが、口から出たのは「うわぁぁ」だった。
 片方の靴が脱げたが、おれは構わず店の出入り口に向かって走り出した。
「…ング」須磨が何かを言った気がした。
 うろうろしている常連をすり抜けると、二回転んでドアにたどり着いた。全身をぶち当てて押し開ける。口の中で鉄の味がした。すぐ後ろに須磨がいるような気がして、振り返ることなく駐車場を突っ切った。
 車道に出て助けを呼ぼう、そう思ったが無理だった。
 駐車場の敷地外は真っ黒で、何も無かった。
 おれは、脳みそを吸い出されたみたいに思考が止まった。
 少しして、さっきまで頭の中を占めていたことを思い出した。
 はっとして振り返ると、真っ黒の空間にコンビニと駐車場だけがぽうっと浮かんでいる。
 店の入り口から、須磨が出てくるのが見えた。
 おれは再び、前と思われる真っ黒な空間に向き直って走り出した。
 ときおり振り返るが、コンビニとの距離が変わらない。
 反対に、須磨との距離はどんどん縮んでいく。
 須磨が敷地と真っ黒の境まで来たとき、おれは走るのをやめた。
 もうなにがなんだかわからない。
「なにがなんだか分からないだろう」須磨が言った。
 見ると、それは須磨ではなく、銀色のおでん用トングを持った全く知らない男だった。細身で髪をぴっちりと横に撫で付けている。つり上がった目がおれを見ていた。
「なにがなんだか分からないですよね」男が言った。
 おれは何も答えられない。
「真っ黒な空間、そこに浮かぶコンビニ、そして突然現れた私。わけが分からないですよね。でも分かることがあります、あなたは死んだのです」
「えっ」声が漏れ出た。
「さっきみたいに店を飛び出して、車に轢かれたのです」
「死んでないよ…」おれは言った。
「死んでるんです。あなた最近、家に帰りましたか?」
 男はどこから出したのか、いつの間にかタバコを吸っていた。
「毎日帰ってるよ、昨日だって」言って、おれは自分の家が思い出せなかった。
「思い出せませんよね」
 おれは、男を見た。
「あなたは死んでからずっとここにいる。ここっていうのは、あなたの思念が作り出した空間のことです」
「思念? 作り出した?」言葉の意味を考えるのに時間がかかる。おれは、同じ言葉を何度か繰り返してやっと答えた。
「でも、須磨も。いつもの常連だっていたし」
「あなたの頭にこびりついてたイメージなんでしょう。あなたの頭の中を、ほとんど占めているのがこのコンビニらしいです。で、それに付随するように常連。最期に、強烈なインパクトを残した須磨」
 男のタバコが、さっきより長くなっているような気がする。
「まあ、なんていうか寂しい感じですけど、もう死んじゃったからどうでもいいですよね」
 おれが言葉を探していると、男が続けた。
「それと、あなたは近くで誰かが笑ってると、自分が笑われているのではと思ってしまうタイプのようですね」
 それとこれと何の関係があるんだろうか。
「夕方働いている女子高生、朝方交代で入ってくる主婦、この人たちはあなたのことを嫌ってはいません。というよりも、あなたのことなんて何とも思っていないと言った方がいいでしょう。それと須磨という男も」
 そうだ、須磨のやつめ。間接的ではあるが、あいつに会わなければ、おれは死ななかったはずだ。
「須磨という男も、あなたのことは何とも思っていません。頭のおかしい殺人鬼だからということではなくて、純粋にあなたのことを何とも思っていないんです」
「おれは、そんなやつのせいで…」
「それはちょっと違います。須磨はあなたが思っているような人物ではありません」
 どういう意味だろう。
「須磨はただの中年の男です」
 膝の力が抜けそうになる。
 そんなの納得できない。おれは身振り手振りで、その間違いを正そうとした。
「でも、あの、バッグに入ってた、あの」
「あれは生のサンマです」
 一瞬、サンマがなんだか分からなくなった。
「さんま」おれは言った。
「サンマです」男のタバコはどんどん伸びている。
「須磨はサンマを肴に酒を飲むのが好きな、ただの中年の男です。事件の凶器と似てますからね、サンマ」
 おれは今度こそ、膝から崩れ落ちた。
「そんなわけないと思いますよね、普通は。だから思い込みって怖いですね」男は、長すぎて吸いづらそうなタバコをもみ消した。
「…おれは、どれくらいここにいたんですか」
「どれくらもなにも、さっき死んでまだ一分も経っていません」
「え、でも」
「夢みたいなものだと思ってください。少し寝ただけでも、やたらに長い夢を見ることありますよね。それと同じです。現実では、あなたが死んだことをまだ誰も知りません」
「そうなんだ」
 おれは不思議と安心していた。何も知らずにここで存在し続けるよりも、迎えが来てくれただけでも良かったと思った。どうせ生きていても、おれには仕事以外何も無い。
「じゃあ、そういうことですから」男は言って、真っ黒の中に入っていこうとした。おれには見えないが、どうやら出入り口のようなものがあるらしい。男は両手を使ってそれを広げている。向こうからは、濡れたアスファルトのような匂いがしてきた。
「そっちに着いて行けばいいの?」おれは言った。
「別に着いてこなくてもいいですけど」首だけをこちらに向けて、男が言った。
「そうか、ここにいれば成仏できるのか」
 おれはその場に座り込んだ。しかし地面は無く、真っ黒の上に駐車場と同じ高さで浮いている。
「さあ、それは知りません」
「え?」
「やっぱりあなたは思い込みが激しいですね。私は迷える魂を救う、案内人とかではありません」
 男の身体はもう、真っ黒の向こう側にある。声はくぐもって聞きづらい。
「あなたみたいな、死んだことに気付かない人に『もう死んでますよ』と教えてあげるのが好きなだけです」男の全身がうっすらと黒に染まっていく。
「成仏できるといいですね」男は言って、真っ黒に消えた。
 瞬間、もの凄い衝撃を感じた。
 気がつくと、おれはコンビニの中にいた。クリスマスソングに腹が立つ。
「おい、新人」
 側には、陰気な中年が立っている。


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