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小説|独房|みかん

「こんにちわ」
パソコンのディスプレイに緊張した顔が浮かぶ。男はまだ新しそうなスーツを着て、シルバーグレイのネクタイをしていた。
「はいどうも、こんちにわ」
私は何百回も繰り返した返答をした。
男は、もう一度こんにちわと言いながら、画面に向かって頭を下げた。

「じゃあ、面接ということでちょっと緊張しているかもしれませんが、まあ、リラックスしていきましょう」
「はい! ヨロシクオネガイシマス!」

「はい、ではまずはお名前なんですが──……、に、にげ……」
「あ、にげたおとこら、と言います」
「にげたおとこら?」
「はい、にげたおとこらです」

私は珍しい名前だ、と思った。

「珍しい名前ですね」
「はい、よく言われます」
「逃田男裸ですか」
「はい、逃田男裸です」
「漢字も珍しいですよね」
「そうですねえ、はい。よく『あ、逃田が逃げた!』ってからかわれました」

私だってそうからかうだろうな、と思った。
「なるほど、逃田さんですか。逃田男裸。裸? これもすごいですねえ! 名前に裸って漢字が使われているの初めて見ましたよ!」
「ええ!! そうでしょう!! 私も名前に裸の漢字が使われているのすごいなって、子供の頃から思っていましたよ!!」

声がでかいな。

「名前に裸って、そうとうからかわれたでしょう!?」
「そうとうからかわれましたね!!!」
「そうとうですか!?」
「そうとうです!!!」

ますます声がでかい。不採用にしようかな。

「そうとうですか!?」
「そうとうです!!!!」
「わーっはっはっは!!」
「わーっはっはっは!!!!」

「「わーっはっはっはっはっはっは!!!!!!」」

ボガーーーーーーーーーン!!!!!


新宿アルタの街頭ビジョンからニュースが流れている。
「連続リモート面接官爆破事件から三日、いまだに犯人は捕まっていません。逃げた男らのうち、ひとりの名前が判明しました。容疑者の名前は逃田男裸という一風変わった名前の人物であり、専門家の話によると名前に『裸』の漢字が入っている裸の意志を継ぐ者の末裔ではないかと───」


「なんだこれ」言って、俺は本を閉じた。

午前中、子供の付き合いで図書館に行ったとき、偶然見つけたのがこの本だった。本にしては薄っぺらく、全体のページ数はかなり少ない。表紙には「独房」と書かれており、ネットで調べてみるとこういった本は同人誌というものらしかった。近所の小説好きが集まって、本を作っているらしい。つまり趣味の延長線ということなのか。しかし、趣味の延長線でもこうやって市立図書館に置いてもらえるなら凄いものだ。

そう思って、何冊かある独房のひとつを手に取り、息子の昆虫図鑑と一緒に借りてきたのだった。自宅に着く頃には自分が借りた本のことなどすっかり忘れていた。カレーライスを食べ、くだらないテレビ番組を見て風呂に入った。そういえばと思い出したのが、ついさっき晩酌を始めたときだ。酒のつまみに読書は合う。そんなことを何かで読んだ気がする。俺は酒を飲みながら、独房を開いた。そして、一番最初に書いてあった話がさっきの話だ。リモート面接官と変な名前の男が爆発する話。俺が酔っているとはいえ、この話はつまらないよな。妻に感想を求めたいが、彼女は小説を読むと蕁麻疹ができるらしい。しかたなく諦めた。

しかし、この物語は何なんだ。突然面接が始まり、突然爆発して終わる。意味がわからない。独房には話があと4つほど載っているらしい。こんな話があと4つも。この独房が出た時代は、こういった脈絡の無い、大したオチの無い話が流行っていたのだろうか。俺はあまり本を読まないほうだが、オチくらいは知っている。裏表紙を一枚めくると、発行日は昭和49年になっていた。

霞を掴む思いで「独房 同人誌」とネットで検索してみたが、地方のしかも数冊しか発行されていない同人誌などなんの情報も無かった。この本を借りた図書館の情報と世界の独房写真が見れただけである。他にも主要なSNSを探ってみたりしたが、やはり結果は同じだった。
なんの成果も得られぬまま、気がつくとどっぷりと深い時間になっていた。俺は独房を開き、目次を見る。リモート面接官受難か。古いのか新しいのかよくわからないタイトルだ。

しかし、問題なのはそのリモート面接という言葉だ。俺は下層思考から独房の発行日を再び取り出した。昭和49年。この時代にはたしてリモート面接という名称が存在していたのだろうか。

はたして。そのめいしょうが。はたして───

ボガーーーーーーーーーン!!!!!


独房、執筆快調!!

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