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#27 ペリー来航。日本開国の混乱が高めてしまった朝廷の権威

このエピソードで学ぶこと

太平の眠りを覚ましたのは米国からやってきた蒸気船です。
自由に洋上を動くこの船を率いているのはペリー提督。
国内でゆったりとした平和を楽しんでいた日本も
いよいよ眠りから目を覚ますときがやって来ました。
日本の夜明けは 近いぜよ!

本編(0分54秒)

・日本の開国はペリーによってもたらされた。
・日本の開国は無理やり開国させられたというイメージがあるがそこには一連の流れがあった。
・何度か日本に対して米国は下手に出たが、無意味だったことからペリーは強硬路線を。
・流れがあったとしても諸外国の強硬路線は国内の反発が沸騰。
・世論沈静化のために朝廷の権威に幕府は縋ったが、むしろ幕府の権威が失墜。
・幕府の権威回復の意図もあり、井伊直弼は強硬路線を取ったが桜田門外の変で殺害される。
・幕府のトップが殺されるという自体から幕府の権威はさらに失墜。
・その後も幕府の統制がきかない薩長勢力との関係から幕府は起死回生の一手、大政奉還を繰り出した。

今回のおさらい(10分49秒)

Q1:ペリーが来る前にアメリカからやってきたのは?
→ペリーが来る前にもアメリカからモリソン号やビッドルなどが浦賀にやってきた。
Q2:開国にあたって、日本国内はどうなったの?
→桜田門外の変などで幕府の威信が低下し、混乱が加速。その中で朝廷の権威が高まった
Q3:日本は外国と戦争したの?
→長州藩が英仏蘭米と下関戦争、薩摩藩が英国と薩英戦争を起こした。
Q4:最後の将軍、徳川慶喜が行った大政奉還って何?
→政治を征夷大将軍として幕府がやっていたものを天皇家、朝廷に返すということ

次回予告(11分45秒)

長く泰平の眠りを満喫していた日本も諸外国の圧力から開国を余儀なくされます。
その過程で、江戸幕府の権威は失墜し、天皇家・朝廷の権威が高まり、
長州藩や薩摩藩は西欧列強と戦争状態に陥ります。西欧の強大な力を目の当たりにし、
開国しての富国強兵を進める必要があると理解した薩長は倒幕へと進み、
最後の将軍徳川慶喜は大政奉還を決意します。
幕府亡き後の政治を誰が担うかでは喧々諤々の議論が起きましたが、
元幕府はここでの権力争いに敗れ、日本は薩長が主導する明治政府路線へと進みます。
次回、武士政治の終わりと新しい明治という時代の幕開けです。

次のエピソード⇒#28_明治維新。長かった武士の時代の終焉と変わっていった国のカタチ

前のエピソード⇒#26_頻発する外国船の来航と二転三転する幕府の方針


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<0220_若い血がほとばしる禁門の変>


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