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#26 頻発する外国船の来航と二転三転する幕府の方針

このエピソードで学ぶこと

アヘン戦争で中国がイギリスに敗北するという衝撃的な事件が起きます。
海外との交流を制限していた日本においても他人事ではなくなってきました。
世界と繋がっている海に多くの国がやってきます。
日本はどうなっていくのか。
この時期の対外政策について学びましょう。

本編(0分54秒)

・国内は化政文化の爛熟などがあるなど泰平な時代だったが、海を通して外国と繋がっている。
・松平定信の時代から海岸防備は課題だったが、抜本的な対応はあまり進められなかった。
・19世紀の最初は、ナポレオン戦争がヨーロッパでは起きていた。産業革命を経たヨーロッパ。
・日本の大砲などは火縄銃の時代から改良はされていなかった。
・当初は薪水給与令に基づいて円満に帰ってもらおうとしていたが、外国船による事件が多発するようになった。
・そのため、幕府は1825年異国船打払令を出した。1837年にアメリカ商船のモリソン号を打ち払った。
・この強硬な政策は、アヘン戦争において中国がイギリスに敗北した1842年に緩和されて薪水給与令に戻された。
・19世紀前半の幕府の海外政策は二転三転している中、いよいよペリーがやってくる。

今回のおさらい(10分06秒)

Q1:この頃の19世紀前半は世界はどんな様子だったのか?
→イギリスにおける産業革命の成功などにより西欧諸国のアジア進出、植民地争奪が激しくなっていた。
Q2:日本は外国船の来航に対してどんな対応をしたの?
→最初は薪やお水を給与して円満に帰ってもらうようにしていたけど、異国船打払令を出して強硬路線になった。
Q3:異国船打払令によって1837年に砲撃されたのは?
→米国の商業船であるモリソン号。
Q4:日本が異国船打払令を緩和したきっかけになった中国で起きたことは?
→アヘン戦争。中国がイギリスに負けると、日本は異国船打払令を緩和して薪水給与令に方針を戻した。

次回予告(11分09秒)

日本が江戸時代、海外との交流を制限している中、西欧諸国は産業革命を果たし、
日本近海に西欧列強の船が多くやってくるようになりました。
島国日本は海という天然のお濠に囲まれていることが防衛上の多大なメリットでしたが、
逆に長い海岸線全てにおいて外国船の来航を完全にシャットアウトすることはできません。
最初は薪やお水を渡して円満に帰ってもらっていましたが、問題が多発したため、
異国船は大砲打って追い払ってしまえと態度を硬化します。
しかし、アジアの大国中国がアヘン戦争で敗れたとの一報を受けて再び幕府は円満路線へ。
次回、いよいよ日本にペリーがやってきます。日本の夜明けは近いぜよ!

次のエピソード⇒#27_ペリー来航。日本開国の混乱が高めてしまった朝廷の権威

前のエピソード⇒#25_松平定信による反動政治と、そこからの更なる反動が生んだ化政文化


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