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#15 天皇家の逆襲、承久の乱と執権による武士政治の確立

このエピソードで学ぶこと

武士にとって念願だった自分たちの権利を守ってくれる組織が、
鎌倉に成立しましたが、まだまだその基盤は不安定なもの。
京都の貴族社会も逆襲を狙います。
承久の乱と執権政治について学びましょう。

本編(0分51秒)

・武士たちが権力を握ってきたことに対して天皇が逆襲を始める。
・京都は京都で後鳥羽上皇による院政があり、後鳥羽上皇も武士を抱えこもうとする
・鎌倉幕府の成立時点では、貴族化した平家を倒しただけで、天皇家の権威を倒したわけではなかった。後鳥羽上皇は混乱する幕府の様子を見て、
鎌倉幕府を倒そうとして、承久の乱を起こすが、敗れてしまった。
・これによって、天皇家よりも鎌倉幕府の力が強くなっていくことになった。
・鎌倉幕府の権力は北条氏が執権として握り、御成敗式目を制定して土地争いの御成敗式目を制定して土地争いの解決を裁判を通してできるようにしていった。

今回のおさらい(9分49秒)

Q1:承久の乱がおきた結果、どんな影響があったの?
→敗れた上皇方は島流しにあい、鎌倉の権力が西日本にも増大するきっかけになった。
Q2:執権って何?
→鎌倉幕府の将軍を支える役職で、事実上のトップ。北条氏が独占していた。
Q3:第三代執権の北条泰時が定めたルールは?
→御成敗式目。京都の律令とは別に定めた。
Q4:鎌倉幕府が主に取り扱った問題は?
→土地の権利争い、武士と貴族の間でたくさんのもめごとがあった。

次回予告(10分36秒)

日本を二分しての争いは悲しいことですが、
その結果、権力は一つに集中することができたとも言えます。
まだまだ不安定だった鎌倉幕府の基盤は承久の乱に勝利することによって
強固となり、争いの解決手段は武力・戦争から裁判という平和的な方法へと
変わっていきました。
ようやく日本につかの間の平和が訪れますが、
今度は国際社会の変化によって日本の外から脅威がやってきます。
次回、元寇。そしてその影響とは。お楽しみに。

次のエピソード⇒#16_グローバル社会の波きたる元寇と困窮していく鎌倉武士

前のエピソード⇒#14_最後にモノをいうのは力なり!武士の台頭と鎌倉幕府


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