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#16 グローバル社会の波きたる元寇と困窮していく鎌倉武士

このエピソードで学ぶこと

鎌倉執権政治の元、日本はつかの間の安定を迎えますが、
新たな脅威が海の向こうからやってきます。
ユーラシア大陸を席捲したモンゴル帝国。
その脅威が日本に牙をむいた元寇と
その影響について学びましょう。

本編(0分51秒)

・日本が鎌倉幕府の下で安定し始めてきたが、国際情勢は新しい時代を迎えた。
・大陸にはモンゴル帝国が出現し、交易・グローバル経済の発展が起きていた。
・鎌倉武士は武力で日本を支配しているため、モンゴルに屈服するわけにはいかなかった。
・元寇は二回あったが、朝鮮半島をモンゴルが抑えた後のタイミングの1274年。
・中国南部も支配下にモンゴルが抑えた後のタイミングの1281年。
・この二つのルートは、遣唐使の時代から同じ。海にも見えない道がある。
・元寇を押し返すことに鎌倉幕府は成功するが、防衛戦争だったので負担だけが残った。
・徳政令も焼け石に水だし、むしろ経済的な困窮を深めてしまう結果になった。

今回のおさらい(12分04秒)

Q1:モンゴルが日本を攻めてきた理由は?
→支配欲という面だけでなく、グローバルな交易面でも日本を支配下に置きたかった。
Q2:モンゴルは何回襲来したの?
→朝鮮半島を服属させた後の1274年と、中国大陸を服属させた後の1281年の二回。
Q3:元寇に勝ったのに、鎌倉幕府はどうして弱体化したの?
→防衛戦争だったため、新しい領土を獲得したわけではなく、戦争の負担だけが残ったから
Q4:借金帳消しの徳政令によって、武士が受けたダメージは?
→逆に新しい借金が出来なくなって、生活は苦しくなった。

次回予告(12分59秒)

何とか元の襲来を防いだ鎌倉武士たち。
しかし、防衛戦争の勝利だったため、新たに手に入れた富はありません。
戦うために費やしたコストは、自腹だったため、
鎌倉幕府を支えてくれる武士たちが困窮するという事態になってしまいました。
よかれと思ってやった徳政令という施策も焼け石に水。
農業だけでなく、商工業の力も強くなってきた日本
新しい時代の波は、新しい混乱そして戦乱を呼び起こす。
次回、鎌倉幕府の滅亡と建武の新政です。

次のエピソード⇒#17_わがまま帝王後醍醐天皇の倒幕運動、鎌倉幕府の滅亡と建武の新政

前のエピソード⇒#15_天皇家の逆襲、承久の乱と執権による武士政治の確立


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<0371_蒙古襲来、日本本土防衛戦>

<0421_鎌倉時代の徳政令とその影響>


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