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#17 わがまま帝王後醍醐天皇の倒幕運動、鎌倉幕府の滅亡と建武の新政

このエピソードで学ぶこと

元寇の余波で鎌倉幕府の求心力が弱まりました。
今まで静かにしていた京都の朝廷に、
1人のカリスマが現れます。その名は後醍醐天皇。
鎌倉幕府の滅亡と建武の新政が目指したものについて学びましょう。

本編(0分50秒)

・元寇に勝ったのに、鎌倉幕府の求心力が弱まった。
・元寇は防衛戦争であるため、勝利は名誉なことだけど実利は伴わなかった。
・この時代は日本においても農業生産力も上がり、商工業も発展。
・鎌倉武士たちは分割相続を繰り返したため、個人としては生産力は低下。
・徳政令は武士たちだけでなく商人たちも不満を溜めてしまった。
・アンチ鎌倉幕府の旗印として、後醍醐天皇が立ち上がる。
・鎌倉幕府への不満分子を糾合して倒幕に成功するも、自分本位の政治に終始。
・その結果、倒幕後の建武の新政は短期間で崩壊してしまった。

今回のおさらい(9分52秒)

Q1:鎌倉時代の後半において、天皇家はどうなっていたの?
→天皇位を巡って二つの系統に分かれていた。
Q2:後醍醐天皇はどんな人たちを味方につけたのか?
→鎌倉幕府に不満をもっていた人々。農地所有者だけでなく商工業の人たちも。
Q3:建武の新政の特徴は?
→天皇による天皇のための政治。
Q4:どうして建武の新政は失敗しちゃったんだろう?
→鎌倉幕府に不満を持っていた武士たちの権利を守ってくれる体制ではなかったから

次回予告(10分33秒)

鎌倉幕府に不満を持つ人たちの手によって鎌倉幕府は倒されました。
倒幕の中心人物となった後醍醐天皇が建武の新政という
天皇中心の天皇による政治を進めようとしますが、
後醍醐天皇を支えてくれた人たちはアンチ鎌倉幕府であって、
天皇や貴族のための政治を求めていたわけではありませんでした。
そのため、建武の新政は早々に崩壊し、
再び、武士たちが自分たちの権利を確保するために二つに分かれて争います。
次回、南北朝時代と室町幕府です。

次のエピソード⇒#18_裏切りがデフォルト南北朝時代と足利義満の剛腕が光った室町幕府

前のエピソード⇒#16_グローバル社会の波きたる元寇と困窮していく鎌倉武士


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<0413_楠木正成の忠誠心と機略>

<0414_太平記というタイトルの皮肉と後醍醐天皇>


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