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損して得取れ?


世の中には一見、わけの分からない「教え」があります。
 
「損して得取れ」
「徳を積む」
「ゴダック・ピン」(スリランカ仏教の「徳を積む」)
「日にひとつ、いいことをしなさい」
「お天道様が見ている」
「右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい」
「あなたが人に与えるものを、あなたが受け取ります」
「利他が利己になる」
 
 
まったく意味が分かりません。
だって、「隣の人に100円あげなさい」ということなんです。
 
自分は100円損するじゃないか、と。
 
 
 
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すべての人は「欲」を持っています。
食事、睡眠、性欲、認められたい…。
 
仏教において、この「欲」を放すことが大切と言われます。
 
「100円を渡したくない!」
 
は、自分の欲です。
相手より自分が大事。
相手がお腹ペコペコでも、自分のご飯はあげない。
これは、自分が生き残るために必要なことです。
 
 
 
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その一方、人間は助け合うことで、今日まで生き延びてきました。
「かわいそう」
「自分は悪いことをしてるんじゃないか…」
 
という思いもあります。
私たちの心は、同時に複数の、ゆれ動く気持ちを持つことができます。
 
「自分と相手、どちらが大切だろう」
「助けた方がいいかな」
 
ここで、自分を優先するか、相手のことを考えるか、悩みます。
 
 
 
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100円にこだわる人は、100円の人生を生きます。「100円が大切」と思って生きているので、自分の100円を守ることが、人生で大切なことです。けなしているのではありません。20代で借金を作り、50円玉で毎日生活した、私の経験です。
 
 
 
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もし、「100円なら」と、自分の「欲」を手放すことができたなら、その人は、その「欲」から解放されます。それについてずっと考え、悩み続けなくても済むのです。
 
 
 
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「いいよ、これ、あげるよ」
 
これで素直にあげられたなら、OK。
でも、「何かお返しがほしいな」だと、「欲」は残ったままです。
「見返り」は、とても強力で、無意識にも私は求めてしまいます。
まだまだ修行中。欲を放せ。
 
 
 
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「いいよ、これ、あげるよ」
 
自分の手元から、どんどんモノが無くなっていきます。
同時に、それを管理するための心や労力も、なくなります。
人はどんどん、自由になります。
自由になることは、ゆとりが生まれることです。
新たなモノを迎えいれたり、経験を得ることができます。
 
新しい、進化した自分になれます。
 
 
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「お天道様が見ている」
 
無理に太陽神を信仰しなくてもいいのです。
見ているのは「自分」です。
自分は、「自分のすべての目撃者」です。
 
「ああ、人の役に立てたな」
「実は、見返りを求めていたな」
「自分には、ウラがある」
 
自分でもう、分かっているのです。
でもそれは怖い。
だから「お天道様」「神様」「ご先祖様」が、見ていることにしています。
自分にウソはつけません。
 
 
 
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現代は資本主義です。
資本主義で生き残る方法は「強欲」になることです。
生き残るために必要な「欲」をうまく組み込んだ、すごいシステムです。
その代わり、人間の欲で、地球と人の心が大変なことに。
純粋な資本主義は、終わりつつあります。
SDGs。
 
 
 
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もし誰かの何かを手伝って、本当に心から、よい気持ちになれたのなら、その人は、「心が広い人」「器の大きな人」です。
 
そんな方は、細かなことは気にせず、朗らかな人生を歩めます。
 
100円をプレゼントしたはずなのに、
自分の時間を誰かのために使ったはずなのに、
 
なぜか、自分の心が豊かになりました。
 
 
手伝ってくれる人は、ありがたい。
手伝わせてくれる人も、ありがたい。
 
 
人の役に立つ。
悩み苦しむ。改善する。成長する。
助けてもらう。
感謝する。
そしてまた人の役に立つ。
 

人生は、この無限ループなのかなと思っています。
 
 
 
 
 
 
 

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