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情報デトックスを勧める人は信用できますか?

それなりに多くの本を読むようになると,自然と以前は理解できなかった事柄を急にフッと分かるようになったり,知る前は目の前に出されたものだけが全てだと信じて疑わなかった自分が,懐疑的に物事を見つめるようになったことで,断続的に受け取っていた情報の背景を想像することで,点と点が繋がるように(つまりは有機的に物事を把握すること)考えることができたって感じた時には,読書を積み重ねた分だけその達成感は大きいものです.

けれども,話はそれで終わりません.

なぜなら,本を読めば読むほど,それだけ知識だけが先行してしまい,頭でっかちになってしまう恐れがあることを忘れてしまいがちになるからです.

よく頭が良い=偏差値が高いとはいっても,仕事ができない奴が多い,すぐに理論ばかりで屁理屈をこねるなど社会人の方や,自分は他の人よりは多く読書をしているものだと自負している人は,知識量,すなわち頭が絶対的に良いと保証されるものではないと頭ではわかってはいてもやはり,物事を多く知っている分,世の中を理不尽に感じてしまい苛立ってしまう人は多いと思う.

しかし,最近ではなんと地頭といった具体化するような形ある知よりも,抽象的なことをいかに現実とリンクさせ,自分の頭で考えることができるのかみたいな抽象思考が大々的に主張されていて,僕はびっくりしました.

そもそも,知識という筋肉が全くないガリガリの僕のようなモヤシボーイがそれでは自分の頭で考えてみなさいと言われた暁には,凡人以下の働きしかできないとさえ僕は思っているからこそ,普通になるために人は知識を獲得するのだと言いたい.

そして,世に蔓延し始めた,本は読みすぎるな,かえってバカになるんだよ,言い換えると情報の減量をすることを勧める人のことなんか頭でっかちになってから考えた方がいいとさえ思っています.

あくまで,知識量=インプット過多と言われる状態になるまでに僕がそうだって思う量って本の冊数でいえば,1000冊は最低でも超えないと過多ではないと考えていて,僕が把握する限りで,情報をシャットアウトすることで生活が豊かになると唱える人は,本1000冊に匹敵するほど人生経験が豊富か,あるいはそれだけ勉強してきたかのどちらかしかいないので,それら情報が信用に値するのかどうかをそもそも自分で判断するためには,本は読みましょうねって話でした.


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