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旅行先での常備薬と同じくらい頼もしい作家はいますか?:梨木香歩『不思議な羅針盤』に感謝を込めて

先月半ばからしばらく、どうにも落ち込んでいて、休む時間を増やしてもあまり回復した気がしない、もっと休みたい、逃げ出したい、と思いながらやり過ごす日が続きました。そんなによくあることではないけれど、別に初めてでもないので、「ああなんか今、調子悪い時期なんだろうなぁ」と俯瞰する余裕はあるものの、いつ終わるのかわからない不安は拭えない、そんな数週間が過ぎました。

そんな折にふと本屋に立ち寄ったところ、昔同じような行き詰まった気持ちでいたときに手に取って救われた本があることを思い出しました。そうだそうだ、なんで忘れていたんだろう。

日本の小説の棚、「な」行、「梨木香歩(なしきかほ)」。『西の魔女が死んだ』『春になったら苺を摘みに』『からくりからくさ』『ぐるりのこと』『ピスタチオ』『雪と珊瑚と』など――大学で勉強がつらかった時、恋愛がつらかった時、就活がつらかった時、仕事がつらかった時、彼女の物語やエッセイは何度も私を慰め、勇気づけ、落ち着かせてくれました。

今回手に取ったのは『不思議な羅針盤』(新潮文庫、2015年)というエッセイ集です。今回は「救い」「助け」を求めるよりも自分自身の「平常心」や「冷静さ」を取り戻したかったので、小説よりもエッセイが効くだろうと予想してのことでした。結果として、予想どおり、じんわり効きました。

彼女の作品から立ちのぼってくる、私が想像する梨木香歩(私の梨木香歩)は、いつも私より一足先に世界に立ち向かい、誠実に生きている、敬愛する先輩のような存在です。彼女が生きている世界には、きっと私の生きていく居場所もあると思えるような勇気と安心感を、いつも受け取っていました。そして今回もまた、受け取りました。

目的に向かって歩きたいし、五感を開いて生きたい

この本から見える私の梨木香歩は、あるとき、新居の駐車場のような場所を庭にしようと決めて、せっせと土づくりをします。友人の敷地内にある腐葉土を分けてもらったり、石灰を撒いたり、道端でミミズを捕まえてはそこに放ったりと、数年かけて土をふくよかにすることに成功します。その庭に植えたラズベリーは、いつのまにか先祖返りしてブラック・ベリーとして生い茂り、ムクドリも食べないくらい酸味がある実をたわわにつけるようになりました。その実がなる季節には、毎朝片手に握れるくらいを収穫し、その日食べる分のジャムを作るのですが、それがもう絶品で……。

ます、この土づくりに奔走する姿に、尊敬の情が湧いてきます。友人たちに積極的に頼ることも、ミミズを箸でつまんで庭に放つことも、私がいまだかつて発揮できたことのない行動力だと思うからです。一人旅のように、ずんずんと目的地に向かって進む背中に、憧れと、「あぁ私もちゃんと地に足をつけて歩きたい」という意欲が生まれてきます。

それから、五感を開いて植物や動物と関わっている姿にも、あぁこんな体験をしてみたい、という活力をもらえます。この万華鏡のようなエッセイ集のいたるところで、庭で、森で、道で、植物や動物の気配を感じ、眺め、聴き、香り、触れ、味わう様子が描かれ、その分だけ世界が心地よい刺激に満ちていると感じられます。

五感を、喧騒に閉じて、世界の風に開く。
――「五感の閉じ方・開き方」より

感覚を研ぎ澄ますということが、生きづらさだけに通じるのではなく、生きていく数々のささやかな、でも鮮やかな幸せに通じるのだと、私の梨木香歩はそっと教えてくれます。そしてそれは、今からでも、心がけや練習を重ねることで、身に付けることがきっとできるはずだということも。

ジャムなんか煮たことがない私だって、虫が怖くてガーデニングに尻込みをし続けている私だって、金魚すら死の責任が怖くて飼えない私だって、今からでも五感を世界の風や、草木や、動物に開いて生きていけるかもしれない。

寂しくないけど、うるさくない距離で

人との関わり方については、「近づき過ぎず、取り込まれない」「ゆるやかにつながる」「近づき過ぎず、遠ざからない」というエッセイのタイトルからもうかがえるように、基本的に、いい感じの距離を保とうとしているように見えます。

いっぽうで、そっと近づいて触れ合うような一瞬の交流を慈しむ気持ちも、エッセイから垣間見えます。例えば、人の行動に胸を打たれたとき、共感を伝えたいときに自ら勇気を出して声をかけたり(「見知らぬ人に声をかける」)、人ごみの膨大な情報量から自分を遮断する膜のようなものが破けて、人と人がほのぼのと言葉や感情を交わす瞬間を楽しみにしたり(「プラスチック膜を破って」)。

近づき過ぎて無遠慮になり、ギスギスしたり、失望したり、誤解を重ねたり、といった苦汁をなめたからこその距離の取り方という感じがして(というか、そうじゃなかったら、あんなに魅力的な小説など書けるだろうかと思う)、励まされます。

寂しくないけどうるさくない、できることならそんな距離を、家族とも友人とも、ずっと保っていたい。私自身もそう願っているから、共感できてうれしいのかもしれません。

旅行にもっていく常備薬と同じくらいに

エッセイの1つ1つに浸るように読み進めていくうちに、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのを感じました。短編集だったのも、よかったと思います。編み物をしているような、1つ1つちょこちょこと進んでいくような快感が癒しになって。時には仕事の合間に10分だけ休憩して、この本に戻ったりもしていました。読み終えた今も、無事に仕事を終えて、夕食を食べたあと、このnoteを書いていられるくらいに元気があります。

気持ちが沈んでしまったら読む作家がいるということは、旅行にもっていく常備薬と同じくらい頼りになるものだな、とあらためて思います。私にとってはそれが梨木香歩で、きっとこれからも、思い出しては読み、安心と勇気を得てまた旅立っていけるんだろうと思います。

ただ「落ち込んだら梨木香歩、一択!」という生き方もまた別に望んでいないわけで、他にもそんな作家に出会えたらいいな、と思っています。探し求めていろんなものを読むこともある意味冒険だから、ホームとしての私の梨木香歩がいてくれることがやはり、常備薬のように頼もしいな、と思っています。

おまけ:梨木香歩さんの「顔」

梨木香歩さんは、たしか、読書体験に作家の顔が影響を与えてしまうのはよくないという趣旨の理由で、顔写真を本に載せていらっしゃらなかったようなのですが(これもどこかで、エッセイに書かれていたはず…記憶があいまいなので、正しくないかもしれません)、今回このnoteを書いているときにふと、「梨木香歩」でググってみたところ、1件、写真がヒットしました。「AERA dot.」(2019年5月14日)の記事です。

その姿が、まったく違和感なく、あまりにも自然に、これまでなんとなく想像していた私の梨木香歩の姿と重なったので、逆に驚きました。それにしても、すてきな写真だな。表情や角度によって変化に富みそうで、私の梨木香歩のイメージは、この写真によっても固定されないし、崩れもしないな。

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あなたにとっての常備薬的作家はだれでしょうか。

もし、人の、社会の、文学の毒気に疲れて、優しい効きめを求めているなら、梨木香歩もいいかもしれませんよ。

では、明日もよい一日を。


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