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頭の中で巡るぐるぐる

長文を嫌う若者コミュニケーション

若い人たちは動画を倍速で見るという。
時間がもったいないからという意見もあるが
それで片づけられるほど彼らは単純ではない。

そもそも彼らの若い脳は処理速度が異常に早い。
あらゆることをマルチタスクでこなし、ものすごい速度で最新の流行を察知し、誰よりも先にアウトプットしたがる。

一方で、私のような最近白髪も目立ってきたかしら、そういえば視力も落ちてきていやだわスマホの文字を拡大表示にしようかしら、朝食にパンを食べると昼まで疲れるのは何故なの、消化スピードがゲロ遅くなってしまってるからなのね、もう夕飯は豆腐でいいかなごま油と塩でいただきマース。みたいな細長おじさんはもちろん。世間の諸先輩方も同じだとは思うが、年をとればとるほど、熟練すればするほど、

「 間 」を意識し始める。

会話の間、連絡の間、
距離という物理的な間、行間、文間、

脳の処理速度は落ち、行動も遅くはなっているが
その分だけ積み重ねた経験の上に成り立つ
「 間 」の大事さに気づいてくる。

このnoteには素晴らしいクリエイターが多く存在し
私がフォローさせていただいている方の中には
誤解を恐れずに表現すると、埋もれた文豪も存在している。
(ええ悪気はありません、もっと世に出て称賛されるべきだということです。)

話を戻すと―
その、間、行間・文間について気になったので
調べてみた。文豪たちにはあたりまえすぎて「何を今さら」となるだろうが、私にはイマイチその本質がつかめていない。そこで調べてみると、とても興味深い研究ノートが見つかった。

高崎経済大学経済学部 高松正毅 教授の研究成果


文章理解における「行間」と「論理」をめぐって
高崎経済大学論集第52巻 第3号抜刷 平成21年12月28日

学の無い私が引用するなんて、おこがましいにもほどがあるが気になる人はぜひググって欲しい。
note内のことではないのであしからず。

これが実に面白い。
確かに昔はそうであった。
行間の読めない若手に「まだまだだな」といっていた。世間も、大人も、間や情緒や風情なんてもんを口にしていた。言わなくてもわかるだろ、察しろよ、野暮だねぇ とかなんとか
「風が吹けば、桶屋が儲かる」とかね
乱暴にもほどがあるよまったく。

しかし、今はどうだろうか
現代の若者たちは、SNSを駆使したコミュニケーション術を身に付け、長文を使わずに短文、あるいは単語のみで構成された文章を使いこなし、インターネットという目には見えない網膜のように張り巡らされた世界のビッグウェーブを悠々と泳いでいるのだ
#おじさん構文 #マジ草

たぶん違う

いや、でも今の世の中は、まさにNew文間、New行間を読めなければ、若者とコミュニーションすら取れないのだ。

何が、大人は間を大事にするだよ。
短い単語のやり取りの間に隠された、若者たちの心情すらも理解できないくせに。
「説明が足りない」とか「不親切だ」とか
挙句「無礼だ」なんて。ビジネスマナーとかいう誰に忖度してるかもわからないような、長文のやり取りよりも若者たちの方が何倍も先を歩いている気がする。

あーぁ、年はとりたくねぇなぁ。
年齢を重ねることに不満はないのだが、情報化社会についていけなくてもうヘソ曲げちゃうもんねおじさんにはなりたくないという意味だ。


とりとめのない長文
たまにはこんな記事を書いてみる。

2022.10月雑記 未年に幸あれ

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