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籠の中の処女は沖縄の海辺で自ら服を脱ぐ


 家を出た時は大雪だったというのに機内は春のように暖かい。タラップを降りるときに、カシミアのロングコートを着ているのは私一人であることに気づいて脱いだ。沖縄では防寒着は不要。というわけでこれから搭乗する女性に「よかったらもらってください」と言って差し上げた。戸惑いながらも笑顔で受け取ってくれた。幸先が良い。普段の私なら見知らぬ人に話しかける行為はしない。だが私はこれから生まれ変わる。トートバッグには財布とハンカチとテイッシュと紙ナプキンしか入っていない。帰りの切符はないのでとても身軽だ。

 空港を出てタクシーを拾い、私は大事に持っていた写真雑誌の切り抜きを運転手に提示する。

「この海が見たくて北の国からはるばるとやってきたの。そこに連れて行ってください」

 私はそのまま寝ちゃったらしく、運転手に起こされた。

「お客さん、ここですよ。遠浅でサーファーも来ない穴場です。今の時間なら誰もいませんよ」

「ありがとう」

 目の前には海が広がっていた。足元はほんのりと暖かい白い砂。目の端には大きな岩がある。空も海になっていた。私はくつを脱いで裸足で海に向かって歩き出す。髪もリボンをはずして解放した。私の腕に風と髪がそよぐ。ああ、海は私を受け入れる。海は凪。海の蒼さよりもなお青い空が接触してきた私を包む。私は沖縄の海の中に閉じ込められた。私が自らそれを望んだ。自然と笑い声が出た。

「この海が見たかったのここに来たかったのここで過ごしたかったの」

 ……お前はワタシから逃げられない……

 ふいに頭上から母の声がした。ここまで逃げてもなお響く、懐かしくも忌まわしき声。私はすぐにその声を払いのけようとしてセーターを脱ぐ。

 ……黙って家を出たなお前はワタシがいないと何もできないくせにワタシを置いて家出したな……

 声は頭上から私の身体にからまるように降りてくる。これは幻想だ。私はスカートも脱ぐ。

 ……ワタシのいうことを聞かないとお前は絶対に不幸になる……

 相手にしないこと。私は海にだけを神経を集中して下着も脱いだ。全裸になってから、身体の奥からできる限りの大声を出した。

「私の人生は私のもの私の身体も私のもの私の心も私のもの」

 声が消えた。やった。爽快感が私の身体を貫く。私の中の母はいない。

 私は両手を大きく横に広げて空を仰ぐ。なんと美しい。私の足が海に少しだけつかる。海水は冷たいがすぐに暖かくなった。私はもう母の人形ではない。幸せだ。

 今の私は生まれたままの姿。すべてはここから始まる。私は生まれ変わる。この身体もあの母から出たものだと気づいて、また身体が震える。沖縄の海と風が気にするなと凪いでくれた。私はひざまで海につかり、再び両手を広げて空に祈りをささげる。

「ああ神様、母がいなくとも私は生きていけますよね? どうか私に力を。そして母が生きる意味を私以外に見出して、私は私の人生を一人で歩めるようにしてください」


 びいん、びいいん……私の耳に何か音楽が聞こえてくる。振り返ると砂浜に男の子がいた。小学生ぐらい? でも驚かなかった。この少年が私より先に来ていた。多分。むしろ私がここの侵入者だ。彼は昔の琉球衣装なのか白い着物を着てハチマキをしている。肌の色は日に灼けて褐色だ。髪が私のそれと同じ方向になびいている。少年は楽器を抱えている。あれが三線という沖縄の伝統楽器だろう。少年は微笑んでいた。私は太陽を背に堂々と少年に向かって歩く。私が脱いだ衣服がその子の足元にあるから。髪が私より先に少年のもとになびく。

 少年は小さな声でなにかつぶやいている。

「キヨラ……」

「え?」

 今度はやや大きな声で早口でいってくれた。

「チュラ……」

 その言葉ぐらいは知っている。彼は琉球言葉で私を美しいといっている。今までの私は母の顔色をうかがってばかりいた。でも私は生まれ変わっているはず。私は彼に向かって微笑んだ。

「ありがとう!」

 彼は海に向き直って三線を弾く。初めて聞くものだった。テンポがよいかと思えば、哀調を帯びたりする。私は足に何かが流れ出るのを感じた。私はバッグをそっと開け、ナプキンを探す。三線の音を聞きながら服を着た。私の手足が私の思う通りに動いてくれるのはなんと心地よいものだろう。その一曲を終えると少年の影が薄くなり、やがて消えた。だが気配はする。

 私はその彼がすでに生きてはいないと漠然とわかっていた。こんなに美しすぎる場所は生者と死者が交錯もするだろう。それが私にわかるなんて。こんな感覚もまた初体験だった。声がまたした。

「キヨラ、イチュン」

 私は時間が来たのでここから去ってほしいというように感じた。

「ありがとうね……」

「キヨラ、アチャ」

 ……さようなら。海が白く光る。服を着るとまわりの色彩が分裂して、いきなり誰かのはしゃぐ声が聞こえてきた。


「わあ、きれい、さすが沖縄の海はいいねえ」

「うん、暖かいし今から泳ごうか!」

 数人の観光客が私の後ろを通り過ぎた。来た方向を見ると土産物屋が並んでいる。団体バスの駐車場も見えた。海は普通にきれいな海だった。しかしあの蒼さではない。私は今までどこにいたのだろう。でも確かに私はあの場所にいた。裸になって自分なりの禊をした。でも誰もが見てないし、私も彼らが見えてないし見ていない。私は下腹部の鈍痛を味わうがごとく、お腹をそっと抑える。

「自分の力で生きていく。自分の意志で働き自分の意志で恋愛する。できるならば子どもを産む。もちろん相手も生まれてくる子どもの個性は尊重する」

 そう決めた。

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