見出し画像

歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.103 放牛地蔵さんと語るの巻

おはようございます。

今日は2019年1月3日に名古屋城で撮影した加藤清正像からの光のオーラの写真からごらんください。

名古屋城建設にあたり、家康に忠心を誓う意味をふくめ、各大名から献上された城の土台になる石の運び方を、加藤清正公が指揮している様子を描いた銅像の写真を、単純に恰好いいな~て写真に撮ったってことなんですが、この写真をFBに上げたら、ある霊感のある人から、「この写真はすごい」と言っていただき、「これから、いろんなことが起きるけれども、あなたは守られております」と言っていただき、「わ~い」って思っていたら、ガンが発覚して、手術して、抗がん剤で苦しみ、でも、生きていて、今なのですが、その途中に、またまたある星占いの人に「僕は前カメラマンだったから、この手の写真はあまり信用しないんだ~。単純に逆光だったから撮れただけよ~ん」って言っていただき、「あ~そっか~」って単純思考の私はあまり、この写真の意味を深く考えていませんでした。

しかし、昨日から、熊本の守田さんとお地蔵さんのワープ案件(笑・恰好いい商談ベースぽいね~)でやり取りしてて、もともと、お地蔵さん調査隊の主催者の宮原さんとは、私が秋田で情報誌をやっている頃からFBでは繋がっていたけれども、そんなにお地蔵さんに私は傾注していなかったのが、ガンになってつるっぱげになって、地蔵みたいだな~ってことから「歩き地蔵」をはじめ、自分でリサーチ地蔵のネタ切れの時にSOSを発信したらば、お地蔵さん調査隊の方々が優しく、しかも、楽しくお地蔵さん巡りをされていて、その宮原さんは熊本県人吉市の方で、熊本のメンバーも多く、しかも、熊本のお地蔵さんはすごいバライティーに富んでいて、かつ、メンバーも明るく元気な方が多く、、、、の、そのこのを守田さんとのやり取りでも再確認する状況下で

「あ?このご縁をあの写真は予知していたのでは?加藤清正と言えば、熊本城主ではないか~~~~」

と、繋がって、またまた、スピリチュアルな方面にて、この名古屋城の写真が私の中で光があたっています。

「加藤清正ちゃん、ありがとう。くまもん、ありがとう~~~」って感じ。

さて、前置きが長くなりましたが、今回のお地蔵さんはすごい歴史のあるお地蔵さんです。

ご紹介いただいたのは、お地蔵さん調査隊の守田さんです。

守田さんのお話をここで、ご紹介させてくださいませ。

「放牛地蔵」      熊本地方独自の地蔵で 「放牛」という高僧が熊本市を中心に玉名・菊池・益城・阿蘇等の道端に地蔵を建立しました。ほとんどの地蔵には番号が刻まれ、2014年時点で107番まで確認されています。その他無番号が8体あり「放牛地蔵」と呼ばれています。この「放牛」については、悲しい史実が残っています。…江戸時代 熊本城下の鍛冶屋町(現存)に貧しい鍛冶職人が住んでいました。貞享三年(1686年)1月4日、二人の男の子が表で喧嘩を始め、父親 七左衛門が何度注意しても止めないため、手に持っていた火吹き竹を投げつけたところ、不運にも通りかかった侍 大矢野源左衛門の頬に当たってしまい、父はその場で無礼打ち!       男の子(息子)は父が殺されたのは自分のせいだと嘆き、出家して「放牛」と名を改めました。30有余年の修行の後 享保七年(1722年)から享保十七年(1732年)にかけて、父の菩提を弔うため地蔵を建立し続けました。大願成就であった100体目を完成させましたが、各地から石仏建立の依頼が続き、民衆を災難や苦しみから救おうと力尽きる107体まで造りました。加えて無番号の是木物が8体あります。  私が放牛巡礼(笑)を思いついたのは、この話を聞いたことが切っ掛けでした。2014年当時、未発見の地蔵が何体かあり、107体全部とはいきませんが、番号が刻んである(1~107)石仏は制覇しました。放牛石仏の大半が右手に杖を持つ地蔵菩薩で、江戸時代から使われている細道や山道等のヒッソリとした道端に建っており、宝探し感覚で回り、発見する度に「やったー!」という気分になり当時に思いを馳せていたものです。        ただ、闇雲に歩き回る分けにもいかず、2014当時「放牛石仏の会」(今もあるかは不明です)というのをネットで見つけ、そこの資料(大まかな位置図・写真・説明等)を参考にさせていただきまわりました。添付の写真は、「放牛」の死を悲しんだ当時の民衆がお金を募り墓を建てた場所にある「放牛」自身の石仏と1体目にある碑です。今でも地域から大切に守られています。

「歩き歩き、その地域で住民に元気が出るようにと、有難いお経や説法を施し、そのお礼のお布施を集めお地蔵さん建立の資金にして、107体も作られた。100体で終えようと思ったけれども、民衆から続けてほしいと願われて、命が尽きるまでお地蔵さんを作られた」に心がじんじんきた私でした。

熊本の皆さんの熱き思い。守田さんのお地蔵さんから、その当時の政情を察知される力というとおこがましいのですが、先人の偉業を思われるお姿を、ネットでのチャットでのやり取りで、ビンビンと感じ、失礼にあたらないように描かせていただこうと思いましたが、なかなか、うまくできたかは、わかりません。

守田さんからは、放牛地蔵の写真、それぞれ個性的な写真を何枚が送っていただきましたが、今回はその中でも阿蘇地域にある放牛地蔵さんを描かせていただきました。

このようなワープ~。

「では、遠路はるばるありがとうございます。阿蘇の放牛地蔵尊さん、よろしくお願いします」

「こんにちは」

「はい。こんにちは。こちらの放牛さんは何体目でいらっしゃいますか?」

「私?私は、35体目ですのよ」

「素晴らしいです」

「いや、私が素晴らしいのではなく、放牛さんが素晴らしいですね。本当に優しいお方でいらっしゃいました」

「はい。お顔を拝見しても、なんていうのでしょうか?優しさがにじみ出ていて、、、コツコツと石を削りながら、亡くなってしまった父親を思われたと思うと、切ないというか、向き合う姿勢というか、私、感銘しちゃってます」

「あ、あなたも『歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語』を連載で書いてますものね~100話達成したってお地蔵さんネットでも聞いていましたよ。すごいですね」

「あ、お褒めのお言葉ありがとうございます。私の場合は重い石を運び削るなどの大きな仕事ではありませんので、思ったことをお地蔵さんと好きかってに会話して…お地蔵さんも、人間ができているっていうか、仏心っていうか、わがままな私に冗談でもつきあってくださるので、本当にありがたくって、もう、この時間がないとしぼんでしまうのではないか?位にお地蔵さんとの会話の時間に生かされているって感じなんです」

「いいわね~無心なんでしょ?」

「そうなんです。こんなにお地蔵さんの話を書くことに夢中になるとは思ってなかったんですがね~」

「きっと、私が思うには放牛上人もはじめ、石仏を立てた時に何か感じたのでしょうね。石を無心に削って削って、心の中の煩悩も削れて行くような・・・」

「あ~そうなんですね」

「そうなんでしょう。自分の心が清らかになって行くのがわかったから続けられたし、そこで掴んだことを村人にお話しして喜んでいただけて、また、石仏を掘る資金が浄財から捻出でき、コツコツとやってたことが村人の元気と未来への希望へとつながっていったから、きっとやれたのでしょう」

「あ~すごい。当時は天候もよくなく飢饉続きだったと守田さんも教えてくれていましたが、本当に心が強い方だったんですね?」

「そうね。心が優しく強いお方だったと思います。私も放牛さんに建てていただいたんですがね、出来上がった時に、一端、目をとじて、深呼吸して、そして目を開けて、私を見つめて『生まれてきてくれて、ありがとう』って頭を撫でてくださったのよ。感動して、心臓震えてしまいました」

「わ~その話をお聞きするだけでも、泣けてきます」

「はい」

「あ、この歩き地蔵では、100回超えたあたりから、お地蔵さんに浮世の何かを召し上がってもらいたいっていうのを私の勝手な企画ではじめてて、守田さんにお地蔵さんは何が好物なんでしょうか?とお聞きしたら、『当時は飢饉の時代。飢えで亡くなる方もいらっしゃった。ですので、おにぎり一個でもありがたかったでしょう』と、それで、塩だけで握った塩おにぎりを持参いたしました」

「うわ~美味しそうです」

「はい。どうぞ。えへへ、あ、恥ずかしいな~~。本当に具もない普通のご飯ボールですよ」

「はい」

「う、美味しい。ありがとうね」

「いやいや、大したご馳走でもない・・・けど、いかに、現代人が贅沢で我儘になってしまっているか、、、、」

「いやいや、時代の流れなので、現代人を非難する見方はやめましょう。ただ、言えることは、今のしあわせをしっかり見つけましょうってことでしょうか。あ、ちょうどいい塩加減。あの時の飢饉でも放牛上人におにぎりをくださった村人の心の味がするわ」

「あ、ありがとうございます。うまく握れたか、塩加減どうか、めっちゃ緊張して握ったんです。今回は本当に放牛さんの心に自分、反省ばかり・・・。今までのお地蔵さんに冗談ばっかり言って、いや~本当にすみませんでた」

「いいのよ。あれでみんな息抜きになっていたから。それより、もっともっと続けるのでしょ?歩き地蔵」

「はい、お地蔵さん調査隊の宮原会長にも、始まったばかりだって・・・あはは」

「ね~本当にお地蔵さんの世界は奥深いわね~。続編も本当に楽しみにしていますから、無理しない程度で頑張ってください」

「はい」

そんなことで、奥深い世界にまた一歩入ってしまったshibu

しかし、その奥深さがまた、味があって、勉強になって・・・

日々に感謝の念でいっぱいです。

本当に皆さんのご協力、心から感謝申し上げます。

ありがとうございます。

そして、今回も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

今日は少ししたら、越谷に行ってみようかとも考え中です。

歩き地蔵、今日は雨ではないので歩けそうです。

お天気さんにもありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?