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小説『覚醒』

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2020.3.11始動。2023.3.11終結。怪異とたたかう霊能者一家のおはなし。眠れぬ夜にマドロミを。
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記事一覧

覚醒 #1

覚醒 #1

腹立たしいほどに澄み切った天空の青に、くゆらくゆらと、流れるままに吸い込まれてゆく。そいつの名は、黒煙。
この街で古くから稼働する鉄工場の煙突から、くゆらくゆらと、途切れることなく吐き出されてゆく。そいつの名は、黒煙。
我々に必要不可欠な有機物を産み出すたびに繰り返される、汚れた呼吸。黒煙。
その姿はまるで、この世に未練や憎悪を遺して、葬列の如き色彩を放ちながら、あるかも分からぬ楽園を目指す死者の

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覚醒 #2

覚醒 #2

自らの命を狙ってきた敵を弔ってやる、というのも妙な話。正確に言えば、弔ってやるそれは、自らの命を狙ってきた敵、に利用されたものに過ぎないのだが。
虫といえども、手は抜かない。鐘田一家の末っ子娘・桜は、朝早くに起きて、せっせせっせと墓を作り上げていた。虫の飼い主である、同じく長男坊・俊彦は、その妹越しに、虫たちの屍を力無く見つめているだけであった。
雑草が満足に処理されていない庭の隅っこに、なんとか

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覚醒 #3

覚醒 #3

「あの教師、女子生徒に手ぇ出してたらしいよ」悪しき言霊が、鐘田慧(カネダ アキラ)の脳味噌を、ひたすらに掻き回している。男の声か、女の声かも、思い出せない、思い出す余裕も、今の彼には皆無だ。
廊下がいつもより長く感じる。途中スリッパが抜け落ちそうになる。両の腕を、ただの飾りに見えてしまうくらいに、ぶらんぶらんと振り回して、一心不乱に廊下を駆ける。途中横切る他クラスの教室から、嫌な視線を感じるが、構

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覚醒 #4

覚醒 #4

小窓から射し込まれる夕明りが、薄汚い便所を、じわりじわりと、染め上げてゆく。
逢魔刻、と呼ばれたる時間の訪れ。それを警告せし、いや、正確には、ただ学業の終わりを告げるだけの鐘の音が、校舎の中を浮遊し、校舎だけに留まらず、周辺の、公園や団地、田畑に挟まれた公道を、吹き抜け、それは、誰にも届かず、消え失せゆく。
すでにこの街では、市民に向けて、帰宅の時刻を告げる鐘の音が、響き渡っていた。聴けば、誰もが

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覚醒#5

覚醒#5

「止まれ」
霊能力一家の次男坊・慧(あきら)は、思わず足を止めた。ふと視界に入ったのは、"止まれ"と書かれた標識。こいつが自分を止めたのか。
元来自分を含め、鐘田家の者たちには亡霊の声が聴こえ、中でも耳障りで仕方ないのは「その身体をよこせ」と、数多の悪霊から寄せられる恨めしい声だ。
ようやく学校の便所での厄介な悪霊戦を終え、帰路に着けたというのに。次は標識に取り憑いて注意を引きつける女々しい悪霊か

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覚醒#6

覚醒#6

「えらいこっちゃ」
黒尽くめの少女がそう呟いた。背の低いビルの屋上を囲う、赤く錆びれた鉄柵に腰掛けながら、黒尽くめの少女は、ビル下の狭く暗い路地裏でのモメゴトを、愉快そうに眺めている。モメゴト?いいや、決してそんな生温いものではない。
血や涎やらで顔が汚れた学ラン姿の少年と、一眼見れば背筋の凍るような異形の怪物が対峙しているのだ。全く穏やかではない。尚且つ、てんで説明がつかない。兎角、これは異常事

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覚醒 #7

覚醒 #7

「良かったんです」
目の前に置かれた珈琲に一度も口をつけず、少女が漏らした言葉に、男は思わず小さく聞き返す。
「良かったんです。相手が人じゃないだけ。もし、わたしの全てを奪ったそれが、目に見える、実体のある生物、たとえば人間だったのなら、わたしはずっと、それを憎みながら生きなきゃならない。そんなの、あまりにも、辛いじゃないですか。だから、良かったんです」
作り笑いを浮かべながら、ぽつりぽつりとそう

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覚醒#8

覚醒#8

逢魔時ー。地下鉄のホームは、学業や労働を終えた市民達でごった返している。しかし賑やかさなどは微塵も無く、列車の出発を知らせる構内放送が、虚しい独り言に聞こえる程に、極めて閑静だ。かと言ってその閑静の内に、劇場や書房を思わせるような上品さは伺えず、どこか鬱屈としていて、嫌な匂いが立ち込める。その匂いの誘因となるものは、人々の身体から発せられる、目には見えない、濁りを帯びたガスだ。それらがホームに充満

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覚醒#9

覚醒#9

亡、と少女は眺めていた。
今にもこの世の全てを攫っていきそうな、おぞましい気配を帯びた闇夜を。
亡、と少女は眺めていた。
闇夜に浮かぶ、魔物の巣窟が如き重厚な鉄工場を。
亡、と少女は眺めていた。
鉄工場の煙突からくゆらくゆらと立ち昇る、死者の葬列が如き黒煙を。

少女は、いつもは三つ編みのふたつ結びにしている筈の黒く長い髪を無造作に下ろし、だらしなく崩れた部屋着、土や砂だらけの裸足という、如何にも

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覚醒#10

覚醒#10

神宿の夜は永く、そして、高度の熱を帯びている。
午後十時を過ぎても、人々の喧騒は止むことを知らない。
たわわな乳房や、引き締まった生脚を餌にして、獣たちの視線をさらってゆく美女の群れ。それを侍らせ、のろまな足取りで御機嫌に歩く老いぼれ。それを罵倒し、酒瓶片手にゲラゲラ笑って暴れ回る複数の半ぐれ。それらすべてを焚きつけるように、煌々とギラつくネオンの流れ。
夜は神宿を、混沌の渦へと引き摺り込む。様々

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覚醒#11

覚醒#11

班目 銀次(マダラメ ギンジ)は内心焦っていた。仕事に出る前にダッシュボードに放り込んだ筈の駆血帯が、いくら探しても見つからないのだ。駆血帯が無ければ、静脈注射は難しい。銀次は頭を掻き毟った。しかし己の欲望に限り諦めの悪いこの男は、駆血帯の代用として、自身が着けていた革のベルトを乱暴に外し、左腕の上腕部に巻きつけた。交差したベルトの片側をヘッドレストのポール部分に結び、もう片側を口に咥えると、全身

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覚醒illegal #1

覚醒illegal #1

此処、呆国での年間死亡者数は、現時点で平均して約143万人。中でも割合が高い死因に上がるのは、脳血管疾患か心疾患であり、それぞれ20%程度を占める。反して、車両事故による死亡者の割合は、3%にも満たない、比較的〈死〉から離れたものであった。

一ヶ月前に起きた凄惨な事件は、その例外だ。

事件の概要は以下である。

三月十二日、日没頃、神宿駅構内に突如異形の怪物が出現。数名の殉職者の屍を超えながら

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覚醒illegal #2

覚醒illegal #2

「あのさあ」
人通りの少ない寂れた商店街で、人を招き入れる気など毛頭無いような顔をしてヤニの匂いを漂わせている煉瓦造りの喫茶店の前に、珈琲の味も煙草の味も覚えぬ二人の少女が並んでいた。
「帰れよ、まじで」
ひとりは、くすみがかった赤茶色の長い髪の毛を片側に流して派手な柄のスカーフで結んでいる大人びた髪型で、相対してもうひとりは派手で明るい色を何色も束状に差し込んだ長い髪の毛を左右ふたつに結んだどこ

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覚醒illegal #3

覚醒illegal #3

由荼(ユダ)ちづるが助産師を志し始めたのは、17の女学生時代だった。
きっかけとなったのは、当時テレビで放送されていた育児のドキュメンタリー番組を観たことだと本人は記憶している。命が誕生する瞬間に感銘を受け、自分もその場に立ち合いそして手助けをしたいと当時の由荼ちづるは色めきだっていた。自身は結婚や家庭に興味は無かった。色恋沙汰にもどこか疎く、恋人を欲する気持ちもロクに生じず、その為他人に時間を割

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