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覚醒illegal #2

「あのさあ」
人通りの少ない寂れた商店街で、人を招き入れる気など毛頭無いような顔をしてヤニの匂いを漂わせている煉瓦造りの喫茶店の前に、珈琲の味も煙草の味も覚えぬ二人の少女が並んでいた。
「帰れよ、まじで」
ひとりは、くすみがかった赤茶色の長い髪の毛を片側に流して派手な柄のスカーフで結んでいる大人びた髪型で、相対してもうひとりは派手で明るい色を何色も束状に差し込んだ長い髪の毛を左右ふたつに結んだどこか幼い容姿であり、一見すれば仲睦まじい姉妹とも思える二人組だった。
「シカトすんなこら」
「ちょいまっていまそれどころじゃないから」
二人に共通していることと言えば、身につけている服装が、黒を基調としていながらも乱雑にペイントされていたり、互い違いの色の靴や靴下を履いていたりと、とにかく奇抜な印象で、すれ違う人間の視線を釘付けにする風貌だ。その視線の釘によるものなのか衣服は幾つかのダメージを負い、二人はそのダメージすら好んで受け入れてるようにも見えた。
「もうすぐ姉ちゃん来ちゃうんだってば。帰ってよ」
「お断る」
「お断るってなんだよ」
「だってあたしも刺身さんに会いたいんだもん」
「あんたさぁ、家族水入らずって言葉知ってる?」
「なんか聞いたことあるかも」
音と光のヤカマしい端末機器を両の手で操作することに夢中になっているふたつ結びの少女・ぐりる、が返した頭の悪い答えに舌を鳴らす片側結びの少女・刺青、は共に呆国に永く息づく傭兵集団・ぐれん隊に属するならず者であり、かつ刺青は刺身の実妹でもあった。
「つーかいつまでゲームやってんの。いい加減返せ」
「まってまって。もうちょいで7面クリアするから」
「はあ!?なんでそんな進めてんだよ!5面までって約束だろ!」
血相を変えてぐりるの頬を容赦なく引っ張る刺青の手つきから、二人の関係性がどんなものかが窺える。
「あだだだだだ」痛がりながらも端末を操作する手は決して緩めないぐりるがようやくその手を離したのは、突然端末が振動し、あきらかにゲーム音楽とは異なる発信音を響かせたことに慌てふためいた拍子だった。「わっとっとっと」ぐりるは二、三宙で転がした端末をスンデのところで地面に落とさず掴み取り、素早く通話ボタンを叩いて電話に応答した。
「はいもしもし」
「出るなよ勝手に!」
ぐりるはさも電話の持ち主が如く通話相手の用件にニ、三度頷くと、神妙な表情を浮かべ、ゆっくりと刺青の方を見遣り、黙って端末を持ち主へと差し出した。
「なに、誰」
「病院…刺身さんのご家族の方ですかって」
ぐりるの震え声とその言葉で、刺青は顔色を一変させて、半ば強引にぐりるの手から端末を掴み取った。しかし、すぐに端末を耳に当てることはせず胸に抱えて、荒くなりかけている呼吸を落ち着かせようとした。刺青ちゃん、と呼びかけてきたぐりるに目を合わせて、唾を飲み込むと同時に首を縦に振ると、おずおずと電話口に吸い寄せられていった。
「もしもし。刺身の妹です。姉が、姉がどうかしたんですか」
見知らぬ相手にこちらの不安を悟られてたまるかとなんとか平静を装うが、それも長くは続かない。普段奇抜なパンクロック精神を武装しているような人間に、社会に合わせた平静さは装えない。
「はあ!?本当か、それ本当に言ってんのか!?おい医者ぁッ!すぐ行くからなんとかして待ってろぉッ!ヘマしやがったらドタマかち割ってやるからなあぁッ!」
旧式の電話機ならばガチャンと音を立てて受話器を叩きつけてやりたいところをぐっと堪えて、刺青は、叩きつければすぐ壊れるほどに脆い最新の機器の小さい通話画面を閉じて、鍵やらガムやら煙草やらですでにパンパンのジャンパーのポケットにぎゅうっと押し込んだ。
「どうしたの刺青ちゃん、刺身さん病気なの?しゅじゅちゅっ…しゅじゅ、ちゅ…しゅ…」
「子どもが」
「へ?子ども?」
「産まれる!」
「え?」間抜けな顔で少しの間ぽかんとしていたぐりるが商店街中に下品で野蛮な大声を響き渡らせるのはこの3秒後だ。「ゲええええええええええええええ!?」「うるさい殴るよ」「ぎぃっ…」「場所は中央病院だ、走るんじゃ間に合わない…車奪うか」「でもあたしら運転できないじゃん」「なら運転手脅す」「いやそもそもあたしら今日お休みなんだよ?下手な真似したらヘッドに怒られるちゃうよお!」「んなこと言ってる場合じゃないんだよ!とりあえず探すよ!」「あ、待って刺青ちゃん!」
何かを見つけたぐりるが、大通りへ飛び出そうとした刺青の頬を引っ張って引き止めた。「いででで」故意ではないにせよ刺青にうっかり仕返し出来たことにぐりるは内心ほくそ笑みつつ、ほらアレ、とこちらへ向かってくる一台のワゴン車を指差した。一般車両と列をなして走行しているそれは、黒の車体に少年コミック雑誌の巻頭カラーも顔負けの派手で過激なスプレーデザインがあしらわれており、数十キロ先からでも視界に鮮やかに捉えることができた。極彩色の残像を軌道上に描き、車を転がすごとに、放つ異彩で灰と化した街の景色を塗り潰していっているようにも見えた。
「ぐれん隊」
「ね」
同胞が乗る車両だと察知した刺青は即座に素早い身のこなしで傍にあった居酒屋の看板の影へと隠れた。
「どうしたの」 
「今この状況で皆に出くわしたらめんどくさい。あたし嘘つけないタチだし」
「ふうん。ねえ、あたしいいこと思いついたよ」
「後にして」
「乗せてもらおうよ、あの車に。病院まで」
「馬鹿ですか〜〜〜?姉ちゃんに会うことバレる、バレたら殺される」
「殺されやしないでしょ、刺身さんは敵じゃなくてあたしらぐれん隊の一員なんだよ」
「あたしらぐれん隊の一員なのにもろは組の男と関係持っちゃって謹慎処罰受けてるやつに勝手にこっそり会うなんて真似したらカチキレてなにしてくるかわかんねえやつがワンサカいるだろ。おまけにそれ隠して嘘ついて休みまで取って」
「あーもういいからいいから」
こっちへおいでと、ぐりるは、すねていじけて喚き散らかしている幼女を抱き起こすように、看板の影から刺青の身体を起こして真っ直ぐな瞳で刺青を見つめ、無垢な笑顔で小さく頷いてから、刺青に渾身の頭突きを喰らわせた。刺青は目から火花を飛ばし、頭上に星が回り、その場で崩れ落ちた。ぐりるはそれを見届けると、次なる段取りへと踏み込んだ。文字通り、ぴょんと跳んで車道へ踏み込み身体を大きく広げて、ワゴン車の行く手を阻んだ。ワゴン車は急停止し、刺青やぐりると似たような服装をした運転席に座る丸型サングラスの男と助手席に座る軟骨ピアスの男が、死にたがりの阿呆に罵声を浴びせようと窓から殆ど同時に身を乗り出したが、その阿呆が自分たちのよく知る阿呆だと認識するのも殆ど同時であった。
「ぐりるてめえ!どういうつもりだ!」
「お願い乗せて!刺青ちゃんが大変なの!」
ぐりるは、三文芝居とは言わせない鬼気迫る素振りで、看板にもたれかかりぐったりしている刺青の不調を二人に訴えかけた。
「突然発狂して壁に頭突きして、それで…」
「なんだよ、またクスリか」
刺青が薬に依存していることは仲間内では周知の事実であった。
「大変だな、せっかくの休暇によ。だが悪いな、闇病院に連れて行ってやる時間はねえんだ。他でなんとかしてくれ」
「あ、闇病院じゃなくて。ちゅ、中央病院に」
「中央病院だ?俺らには無理だろ」
「でも、結構ひどい怪我だから、脳とか、やばいかもだから、おっきいちゃんとした病院じゃないとダメかも」
しどろもどろな返しだが、ぐりるの素性を知る者にとって、それはなんの疑念も違和感も生まなかった。ぐりるの言い分に納得したのか、二人は少し思案し、口を開いたのは丸型サングラスの方だった。
「まあ、ちょうど良いな。いいぞ、乗れよ」
それは妙な答え方だった。ぐりるは引っ掛かりを覚えながらも、軟骨ピアスに力を借り、未だ気絶している状態の刺青をワゴン車の後部座席へ乗せ、その横に座った。再び発進したワゴン車がの揺れに身を委ね、なんとか工作が上手くいったことへの安堵の息を漏らしたぐりるは調子づいて、気兼ねなく丸型サングラスに問いを投げかけた。
「ちょうど良いってどういうことなの」
「ああ。おれたちも中央病院へ向かってたんだ。ついさっき入ってきた仕事でな」
「へ…病院に仕事って、なに?クスリ関係?」
軟骨ピアスが首を捻って後部座席のぐりるを睨み、青紫色の舌を見せて不気味に笑いかけた。
「霊能者狩り」
語尾にハートマークを結んでぐりるに贈った軟骨ピアスのその言葉は、ぐりるの背筋を冷ややかに撫でつけた。しかし、ぐりるは霊能者という存在をまるで知らない。ならば今襲った不気味な感覚は何なのか。ぐりるはその正体を完全に理解していた。背後から感じる、危うくも、どこか親しみ深い気配を確かめるべく、ぐりるは、ゆっくりと、自分よりさらに後ろ、すなわち、荷台の方へ視線を移す。
そこには、血と硝煙の匂い漂う、銃火器類や刃物、鉄材が雑多に積まれていた。
「強いのかね、霊能者ってのは」
「たのしむだけたのしんだら、ギタギタのグチャグチャにしてやる」

目隠し、という拘束手段が有る。拷問においてのそれは、捕虜の自由を奪い、何をされるか分からないという恐怖を与え自白に導く。処刑においてのそれは、罪人の視線による命乞いを封じ、執行人の迷いや罪悪感を緩和する。曲芸においてのそれは、さまざまな芸の難易度をさらに高め、観衆を興奮させ驚嘆させる。
神宿一丁目に位置する、もろは組の事務所の殺風景な一室に監禁されている呆国最強の霊能者・虚子の両の眼をぐるりと覆う布切れは、例に挙げた三つの内、どの役目を果たすのだろうか。
鉄製の扉が押し開かれ、軋んだ音が虚子の耳朶と脊髄に爪を立てた。扉が開かれようが部屋には暖かな光も清らかな空気も招かれることはなく、入ってきたのは、目が落ち窪み頬は痩せこけ、白髪混じりの顎髭に、唇の左端から延びるように痛痛しく刻まれた縫い傷、極め付けに額から角が生えていれば鬼そのものとなるであろう姿をした一人の男だ。
「虚子さん、あんた、判断間違えたよ」
そう虚子に指摘する鬼男の手には、端末が握られていた。
「ぐれん隊を雇った。現在中央病院に、三人、霊能者が生息してるらしいな。知ってたかい?」
鬼男は初老男性とは思えない手際で端末を操作し、リストアップされた霊能者の一覧に目を通し読み上げていく。
「救世 公紀(クゼ キミノリ)。37歳男。脳神経外科医。由荼 ちづる(ユダ チヅル)。29歳女。助産師。鐘田 桜。15歳。女学生」
三人目の、鐘田 桜の名を耳にした時、虚子は、反射的に眼球を動かしたが、目隠し越しに気附かれることは無かった。
「以上の三人を始末する。駆除と言ってもいいか。例の一件で確信を得たよ。貴様ら霊能者はやはり害悪だ」
鬼男は虚子の向かいにパイプ椅子を引きずっていき、そこに腰掛け、コミュニケーションを取ろうという気など全く無い姿勢を見せる虚子に対して、構わず滔々と喋り続けた。
「あんたの同種に殺されたウチの若いの、銀次っつうんだけどな。まあ、顔と名前があまり一致しねえ程度には末端の構成員らしいんだが…お陰で覚えられそうだよ。ある意味じゃあ、あんたらとの関係を繋ぐ鎖となってくれたわけだからよ」
「末端」虚子が、ようやく口を開いた。「末端の構成員ひとりの弔いのために、私の弟子たちを痛ぶり、私を拉致監禁し、挙句、私の同種を三人も、殺すというのか」
「うん」鬼男が間髪入れずに頷く。「そうだよ」
声色ひとつ変えずにそう返してきた鬼男に、虚子は血の気を失う。
「霊能者の元締めであるあんたが取るべき落とし前は、同種三人の亡き骸を前に、地面に額を擦り付けて俺たちにきっちり詫びを入れることだ」
「何度も、言ってるけれど、あなたたちの部下を殺した僧侶と、今名前が挙がった医療従事者の二名は、私の身内では無い。むしろ、敵対関係にある。何故、私が」
「聞いたよ、何度も。けど、そんなのは知ったことじゃ無い。霊能者は霊能者だ」
「道理に合わない」
「道理に反した生き方をするのが俺たちもろは組だ」
「…奴らには」動揺を押し殺し、虚子は囁く。「救世と由荼には手を出さないほうが良い。奴らはすでに、深く、穢(ケガ)れている。その力を、平気で、人間に向ける。あたしらのようにはいかない」
「死人が出るか」鬼男が嗤う。「それもいい。覚悟の上だ」
鬼男の気魄に、虚子がさらに怯むかと思われたが、否、虚子は鬼男の嗤いに乗じるように、狂気的かつ淑やかに、嗤った。目隠しをされているが故に、不気味に歪んだ薄い唇だけが空間に浮かんで蠢いているように錯覚し、鬼男は思わず口角を落とした。
「だったらとことんやればいい。好きなようにやればいい。私はもう知らない」虚子は目隠しの奥から、鬼男を、鬼男を通じて視える千里先を、醜悪で腹立たしい現世を、ぎろりと睨んだ。「おまえら全員、消えてなくなれ」

目を覚ますと、知らない天井が拡がっていた。何故気を失っていたのかさえ判然としない刺青は、とにかく今置かれている状況を探ろうと、視覚の次に耳朶の機能も取り戻し、感触的に枕であろう物に沈んでいる自身の頭のすぐ横で、何者かが容器の中で複数の金属物を掻き回している、という現象を把握した。その現象がひとまず、刺青の神経と外界を接続させるものとなった。その最中で刺青の鼻腔に吸い込まれていく匂いが、人間が本能で拒絶する部類の匂い(刺青はそれが嫌いではなかった)が、現在居る場所が一体何処なのかを明確に示してくれた。最後にようやく身体を動かすことも可能となり、刺青はゆっくりと頭を傾けて、金属物を漁っている正体を確認する。ふたつ縛りにちぐはぐな服装、後ろ姿からでも分かるアイデンティティに溢れた愛くるしい容姿を、刺青は眠気覚ましにぼんやりと眺めた。
「ぐりる」
起き抜けの声は掠れて軟弱であったが、目の前の少女を振り向かすのには充分だった。ぐりるは両手に握っていた医療器具を放り、よろこびの鳴き声を発しながら手術台に寝かせていた刺青に飛びつく。ぐりる特有の甘ったるい匂いは、この場所が手術室だという未だ受け入れ切れてない事実を一瞬ばかり霧散させた。
「どういう状況なの、これ。病院だよね、ここ」
「うん、中央病院」
ふと、刺青は鈍痛を感じ、額のあたりに触れた途端、記憶がじわりと蘇った。
「ぐりるてめえ、あたしに頭突き喰らわしたろ」
沸々と湧き上がる怒りを抑えきれず、刺青は、抱きついていたぐりるの胸ぐらを掴んで引き剥がす。ぐりるは、ぎえーーー!と憐れな奇声を発する。
「まってまって刺青ちゃん!今はそれどころじゃ無いんだよ!刺身さん、刺身さんを探さなくちゃ」
あ、と一言漏らして刺青はぐりるを掴んでいた手を離す。直後、ひんやりとしたビニル素材の床に突っ伏したぐりるに、またも掴みかかり言い迫る。
「姉ちゃん、どこだよ、どこにいるんだよ」
「おち、落ち着いて刺青ちゃん、さっき地図を見たら産婦人科病棟はここからケッコー距離あるんだよ」
「だったら早く行かないと!産まれちゃう!あたしがそばにいてあげないと!」
「それが、たいへんなんだよ」
「なにがたいへんなんだよ!」
「あいつらがあたしらをここに素直に運んでくれたのは、あいつらもここに用があったからなんだ」
「用?なに用って」
「仕事だよ。この病院に、標的が潜んでるって。そいつらを殺すって息巻いてた」
「あの二人だけでか」
「んーん。あと4台ワゴンが合流してた」
「最低でも10人…まじかよ。相手は何者なの」
「レイノーしゃ、だって」
「れいのうシャあ?」
「とにかくヤバいんだってさ!」
「そんなの姉ちゃん危ないじゃんかあ!あいつらの戦いに巻き込まれたらタダじゃ済まねえ!最悪だ!どうしようぐりる!」
「わかってる、わかってるよ、だからさ」
ぐりるは不安と焦燥により興奮状態に陥った刺青をなんとか振り切って、床に落ちているメスを二本拾い、強く握り締めた。
「あたしが絶対に刺青ちゃんを、刺身さんのとこに連れてってあげる」
「ぐりる…あたしも」
「ああん、刺青ちゃんはだめ!元気な姿で会わないと!ひさしぶりの再会なんだから。それに、かわいいかわいい赤ちゃんにも会うんだから!ね」
ぐりるは、純粋無垢な瞳を刺青に向けて、自慢の犬歯を剥き出し、大きい口で微笑んだ。刺青は、その微笑みに託したくなる想いと同時に、呆れすらも覚えた。
「まったく、しょうがないな」刺青は大袈裟にかぶりを振ってから、ぐりるの瞳をじっと見据えて言い放つ。「じゃあ頼むよ、ぐりる」
ぐりるは、他ならぬ刺青の言葉に身体を振るわせて、二本のメスを、キンキンと、リズミカルに打ち鳴らした。
「あたし、がんばっちゃうゾ!」


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