何気ない一言への拒絶は、私が思い出を書き続ける理由となった

その昔、男性とみなとみらいでデートをしたことがある。

私は女性だ。でも、限りなく性的嗜好が曖昧で恋愛と憧憬もすぐに混同するし、好きかもしれないという気持ちを抱く対象の性別も自分でよく分かっていない。人間は好きだけど、嫌い。

珍しくその男性のことは好きだった。ちゃんと好きだったという言い方は滅茶苦茶かもしれないけれど、ちゃんと好きだったとしか表現のしようがないのだから仕方があるまい。表現が繊細な人だった。造形というより感性が好きだった。

更にその昔、私は女子校で育って、親友と恋人の狭間のような女性Kと出会った。世の中の恋愛事情を見回してしまうと、私の中で彼女を何と呼んで形容するのが一番いいのかよく分からないのだ。

でも私はある時Kと別れた。親友と喧嘩して、恋人に失恋したようなダブルパンチを喰らって、もう数年が経過している。

好きな人を前にしてどうしてその話をしようと思ったのか今でも自分に問いたいところはあるのだが、夜の光に揺れる観覧車を見ながらKの話をした。馬鹿正直にしたわけではなくて、仲たがいをしてしまった大親友とかそんな言い方をした。

「生きていたらいいのだけれど」

心の底からそう思っていたし、今でもそう思っている。そうしたらその男性は言ったのだ。

「案外子供を産んで、元気にお母さんをしているかもよ」

その瞬間に私の心は氷点下に達してしまって、もう駄目だった。その時は「そうかもね」なんて言ったけれど、そんなことあっちゃいけない。

いや、彼女の人生だ、考え方が変わることぐらいいくらでもあったらいいのだけれど、それを他人に表現されたことがもう駄目だったのだ。

Kの何が分かるんだ?みたいなぶつけようのない怒りとKが、人を産まれさせることへの畏怖を私と共有したKが勝手にどこかにいってしまうなんて耐えられない気持ちとそんな未来がありうるのかもしれないと思っている自分の全てが衝突して、現実を受け入れられなくなったのだ。

私たちの、私とKの何が分かるんだ?

別にその男性が喧嘩を売ってきたわけでも何でもないことは分かっている。ただその人からみた当たり前の世界の話をしただけ。私から一番想像できないKの仮の姿を口にしただけ。というか悲しい思い出を引き摺らないようにと親身になってくれたに違いない。

それでも私は思ってしまったのだ。私たちのことだけは誰にも語らせてなるものか。他人の入り込む隙を与えてはいけない、と。

だから私は今日も書くことと向き合っている。誰にも邪魔されない世界があるとしたら、それは私の過去を取り出して語るしか方法がない。

私の感性のどこかはKで出来ている。私たちは自我を一緒に芽生えさせたのだから。その割合が私が死ぬまでにどんなに狭くなったとしても、やっぱりどこかにKは生きている、と思っている。だから私は書き続ける。Kが作った私の部分に触れあうために。

ちなみにその男性とはその後一度会ったか会わないかで終わって、とっくに過去のフォルダに入れられている。私の胸はまったく痛んでいない。何がきっかけでそういう結末になったのか考えてみると、やっぱりこの言葉のせいという気がしてならない。

グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。