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はすとレンコンと我が家の夕飯の話

火曜日の夕飯は結構好きで、母の料理を母と私と祖母といれば弟で囲んで食べる。父は絶対仕事でいない。

基本的に話題を提供するのは私一人で、母が合いの手を入れて、弟が黙々と食べながら正しくても間違っていても「うん」というだけ。私と祖母が時々笑って、母と弟がビールを飲んでいる。

今日の夕飯は、かぶのお味噌汁とたこの酢の物ともやしのナムルと鶏肉の焼いたのとそれからはすが出た。

はすの皮を向いて、輪切りにして、焼いたものにお醤油をかけて食べるのに私が最近はまっていると母にいったからかもしれない。大好きなかぶの味噌汁と一緒にはすがでてきた。しゃりしゃりとしたはすを噛んでいるのが楽しくて、それからなんとなく秋を感じるのがいい。

「はすだね」と私が言うと、母が「若い子はレンコンっていうのよ。はすっていうのは多分お年寄り」と祖母の顔を見ていった。祖母は「そうかしらねーわたしははすねえ」なんていいながら笑って、弟は黙々と食べていた。確かにわたしは祖母のよく作る料理が「はすのきんぴら」だったから、はすと言っているような気がした。

ただそれだけのことが、とても楽しい。弟の食べる速さはかなり早くて、つられていつもみんな食べるのが早くなって、私だけ一人給食の時間が終わっても食べ続ける人みたいになって、いつの間にか夕飯の時間が終わる。

母が早く洗い物持ってきて―と叫ぶ。祖母はのろのろと何往復もする。デイサービスの人に言われているように、出来ることはするのだ。それを見送って、私はお風呂を洗いに行く。弟はいつの間にか消えている。

帰ってくると母がお菓子を食べている。ぱりぱりの薄焼きせんべいサラダ味。ずっと母が好きなお菓子。

「はすっていうのはどうやら東京の方言みたい」とネットで一番上に出てきた記事を何となく私が読み上げた。「そうなの?」「レンコンだと全国区っぽい」話す時に信ぴょう性とかそういうことを気にしなくていい。だって、どうであっても害がないから。すごく当たり前に流れて当たり前に忘れるこの時間が最近どうにも愛おしい。

私は食べることにあまりエネルギーを掛けられない人なので、だいたいどんなものでも食べられる。でも食卓っていうのはそういうことじゃないなと最近思うのだ。結局のところ一緒に食べる人が食事のおいしさを決めているなと思う。

それとはまた別の軸で、母の手料理はおいしい。美味しいとありがとうは余ってしまうぐらい伝えるようにしている。





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