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死ぬ事は手段

あまりも毎日辛くて、苦しくて、死ぬ事を長い間考えてた。

ある時、お母さんは私が死んだら悲しんでくれ
るかな?って思った。
一番心配をかけてきて大変な思いをさせたから、
悲しんではくれないかもな……。

 じゃあどう思うだろう。とその時の母の気持ちを考えてみた。

「今まで何やってきたんだろう。」って自分のやってきた事を後悔するなって、それだけは確信できた。
(母は7年程シングルマザーで、必死に一人で子育てをした後、再婚してやっと少し生活が楽になって来た頃だった)

私は、強烈に「それだけは絶対嫌だ」と感じた。

私は、それまで嫌な事の連続で生きてきたけど、唯一私の中での良い事は、母の娘に産まれて来れた事だとずっと思って来た。
だから母が自分のやって来た事を後悔するのは、絶対嫌だった。

じゃあ私どうすればいいの?
私は一刻も早くこの苦しみから開放されたいだけなのに。

!。そうか、私ずっと死にたいってばかり考えていたから、いつの間にか死ぬ事が目的にすり替わってた。
目的は、この苦しみから開放される事。
その為の手段が、死ぬ事。

私が心の底から望んでいたのは、死ぬ事ではなくて、早く楽になる事だったと、この時初めて冷静に理解できた。

死んでしまったら、「母が後悔する」という一番私が望まない結果になるところだった。
死ぬ前に気付けて良かったし、死ぬ瞬間に気付いていたら成仏できなくて、結局死んだ後も苦しむところだった。

もう一つわかった事がある。

 仮に私が死んだとしても、苦しみは無くならない。
「母の後悔」とゆうものに形を変えて、私の事を大事にしてきた母が苦しむ。

「死ぬ」という手段は、選択肢として間違っていて、もっと別な方法がきっとある。

もちろんそんなに簡単に見つかるなら苦労はしない。

でも、私はこの先どんな事があっても自らの命を断つ事は選ばないだろう。と強く思った。

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