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読書ノート 「哲学の起源」 柄谷行人

 「デモクラシーの理想とされるアテネの直接民主制は、実は自由故に平等であった古代イオニアのイソノミア(無支配)再建の企てであった。イオニアの自然哲学をイソノミアの記憶を保持するものとして読み解き、アテネ中心のデモクラシー神話を解体する。『世界史の構造』を経て、社会構成体の歴史の起源を刷新する野心的試み」

 ノートを取る。


  • 仏陀や老師は、自由思想家、イオニア地方の都市国家において出現した自由思想家を「模範的預言者」として見直す。

  • 実は、ギリシアに特徴的であると思われているものは、ほとんどすべてイオニアに始まっている。フェニキア文字の改良した表音文字(アルファベット)。ホメロスの作品もイオニア方言で書かれた。価格決定権を市場に任せた(民主制をもたらした要因の一つ)のもイオニアが始まり。通貨の鋳造も。

  • アジア的専制国家で発達したシステムのいくつか(官僚制、常備軍、傭兵)は決して受け入れなかった。

  • ポリスの原理も同様。

  • イオニアは、移民の都市。イオニアは、「氏族社会の原理を否定しながら、氏族社会に存する国家に抗する原理を高次元に回復するという出来事が生じた」

  • イオニアがなければ、アテネの文化や政治はなかった。


  • 「ギリシアにおける民主主義の進展といえば、アテネを中心として語られる。この見方は間違っている。イオニアから見るべきだからだ。しかし、ある意味で、そのような見方は正しい。というのは、イオニアにはデモクラシーなるものがなかったからだ。イオニアにあったのはデモクラシーではなくて、イソノミア(自由・無支配)である。イソノミアとデモクラシーは異なるものなのだが、ほとんど同一視されている。『歴史』において、イソノミアという概念を用いたヘロドトスも例外ではない。私の見るかぎり、この二つの概念を区別し、しかも、その差異に重要な意義を見ようとしたのは、ハンナ・アーレントだけである」

  • 「イソノミアはなぜイオニア諸都市に始まるのか。そこでは植民者たちがそれまでの氏族・部族的な伝統を一度切断し、それまでの拘束や特権を放棄して、新たな盟約共同体を創設したからである。それに比べると、アテネやスパルタのようなポリスは、氏族の盟約連合体として形成されたため、旧来の氏族的伝統を濃厚に留めたままであった。それがポリスの中の不平等、あるいは階級対立として残ったのである。そのような所でイソノミアを実現しようとすれば、デモクラシー、すなわち、多数決原理による支配しかない。

  • イオニアでは、人々は伝統的な支配関係から自由であった。しかし、そこでは、イソノミアはたんに抽象的な平等性を意味したのではない。人々は実際に経済的にも平等であった。そこでは貨幣経済が発達したが、それが貧富の格差をもたらす事がなかったのである。なぜそうなのかについては後述するが、ひとまず簡単に言っておくと、イオニアでは、土地をもたない者は他人の土地で働くかわりに、別の都市に移住した、そのため、大土地所有が成立しなかったのである。その意味で、「自由」が「平等」をもたらしたといえる。

  • それに対して、ギリシア本土のポリスでは、貨幣経済の発展は深刻な階級対立をもたらした。多くの市民が債務奴隷に転落したのである。それを阻止するために、スパルタでは、貨幣経済や交易を廃止し、経済的平等を徹底化した。その結果、「自由」が犠牲にされることになった。一方、アテネでは、市場経済と自由を保持したままで、多数者である貧困者階層が国家権力を通じて少数の富裕者から富の再分配を強制するようなシステムが創りだされた。それがアテネのデモクラシーである」


  • 「現在、自由ー民主主義は人類が到達した最終的な形態(歴史の終焉)であり、その限界に耐えつつ漸進して行くしかない、と考えられている。しかし、当然ながら、自由ー民主主義は最後の形態などではない。それを超える道はあるのだ。そして、そのための鍵を古代ギリシアに見出すことが可能である。が、それは決してアテネではない。アテネのデモクラシーを範とすることによって、近代の民主主義の問題を解決することはできはしない。むしろ、近代の民主主義に存する困難の原型をこそ、アテネに見出すべきなのだ。

  • 現代の民主主義が自由主義と民主主義という、相反するものの結合であることを洞察したのは、カール・シュミットであった。今日では、民主主義は議会制民主主義と同一視されているが、議会制がなくても、民主主義は可能である。議会制は民主主義に固有のものではなくて、自由主義にも属するものだ、とシュミットはいう。《民主主義の本質をなすものは、第一に、同質性ということであり、第二に、必要な場合には、異質的なものの排除ないし絶滅ということである》。したがって、次のように述べる。《ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的ではあるが、しかし必ずしも反民主主義的であるわけではない》。

  • 古代ギリシアでいえば、スパルタは国家社会主義的であり、アテネは自由ー民主主義的なのである。個人性を犠牲にして経済的平等を実現したスパルタと対象的に、アテネは市場経済を認め言論の自由を認めたが、その分、不平等、階級分解という事態に直面せざるをえなかった。アテネの民主主義とは、富の再分配によって平等化をはかるものである。他方で、アテネの民主主義は成員の「同質性」にもとづいている。それは異質な者を排除する。そのような体制は、先に述べたように、アテネ民主政の黄金期とされるペリクレスの時代に強化されたものである。

  • さらに、アテネの民主主義は奴隷や寄留外国人を搾取することだけでなく、他のポリスを支配することによって実現された。…つまり、アテネの「直接民主主義」は、帝国主義的な膨張によって可能となったのである。それは大衆を扇動する民衆指導者(デマゴーグ)を生み出すこととなった。こう見ると、現代の民主主義の諸問題をアテネに見出すことは可能だとしても、その解決への鍵をアテネに見出そうとするのは明らかに的はずれである」


  • 民主主義とは権力の集中を通過することによって実現される「支配」の一形態なのだ。

  • イオリアの植民の連続(氏族社会から切れ、盟約はアポロンの神々の下で行なわれた)が、氏族社会の伝統を無化した。


  • 人類学者テスタールは、次のように述べている。

  • 「誘導狩猟採集民では、社会組織の柔軟性、集団分裂のたやすさ、可動性などが、皆の許容範囲の限界をこえた搾取を許さなかった。そんなことになれば、非搾取者はどこかよそへいって住み、集団は分裂したからである。したがって、集団の決定は全員一致でしかおこなわれなかった。定住生活の状況では、住民や備蓄の固定構造が人々の自由な移動をさまたげる要因となる。不満な人々が出てゆけないので、搾取が深刻になるわけである」

  • 交換様式という観点から見ると、イオニアでは、交換様式Aおよび交換様式Bが交換様式Cによって越えられ、その上で、交換様式Aの根源にある遊動性が高次元で回復されたのである。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアはそれを越えるようなシステムの鍵となるはずである。


  • アイルランド、アメリカのタウンシップ

  • 遊動性が平等をもたらすが、それを保持するために、遊動性を可能にする空間を拡張しなければならない。ここにイソノミア=タウンシップがはらむディレンマがある。


  • ハイデガーの見方は基本的に、ソクラテス以後の哲学が主知主義的となり本能的な直観や悲劇的感受性を失ったことを批判したニーチェの見方を受け継ぐものである。ニーチェは「ソクラテス以前の」思想家たちについて語らなかったが、彼らがいかに深くイオニア的なものとつながっているかを考えなかった。ニーチェがソクラテス以後のアテネに失われたと見たのは、イオニア的なものではなく、むしろアテネの戦士=農民共同体の伝統であった。そのような見方は、彼と同時代のロマン主義的観点をギリシアに投射することにしかならない。


  • イオニアの思想家は自然について考えたが、倫理や自己の問題について考えなかった、というのは曲解。

  • イオニアの思想家は、倫理あるいは人間についての認識を「自然学」の観点から語ったのである。それは、人間と世界を一貫して自然として見ることである。彼らはそのような普遍的視点を初めて提起したのだ。かかる態度こそを、私は「自然哲学」と呼びたい。私の考えでは、それはイオニアの政治(イソノミア)と切り離すことができないのである。

  • ハムラビ法典「目には目を」は、報復の勧めではなく、逆に、報復の増幅を禁止することを意味する。

  • 倫理とは、個人がどう生きるかにかかわることである。だが、共同体に内属する状態では、真の意味での個人は存在しない。そこから出た時に初めて、ひとは個人となる。

  • アテネは多数氏族間の契約だが、イオニアは、個人間の契約であった。イオニアは、最初から「個人」が存在した。


  • ペリクレス

  • アナクサゴラス

  • ソクラテスの本領はプラトンよりもむしろ、ソクラテスの直弟子でキュニコス派を創始したアンティステネスやその弟子ディオゲネスのような個人主義でコスモポリタンな思想家に継承されている。

  • ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

  • タレスは自然学者以前に、技術者、数学者、政治家などとして多様な活動をした。

  • アナクシマンドロス

  • ヘカタイオス

  • エピクロス

  • デモクリトス「多くの人びとは、ロゴスの何たるかを学んだことはなくても、ロゴスに従って生きている」

  • ヒポクラテス 医者としての倫理性

  • アルクマイオン 均衡は健康を維持する

  • アルキダマス「神は万人を自由の身とした。されば、自然は何人をも奴隷にしたことはない」

  • アンティフォン

  • ヘロドトス 『歴史』自民族中心主義はない それはイオニア的環境からくるもの

  • イオニアは、ギリシアであるとともにアジアであり、また、そのどちらでもなかった。

  • ミレトスのヘカタイオス ヘロドトスの先駆者 散文による歴史

  • オタネス ペルシアの7長老

  • メビュゾス

  • ダレイオス


  • (ヘロドトスが記した内容として)説明を加えると、ペルシア人マルドニオスが、僭主政の下にあったイオニアの各都市で独裁者を排除して民主制を敷いた、というのである。ヘロドトスがこのようなことを書いたのは、いうまでもなく、ギリシアは民主的でペルシアは専制的という、当時アテネに存在し現在にいたるまで連綿と続いている、固定観念を揺さぶるためであった。  

  • ホメロスやヘシオドスの詩作

  • オリンポスの神々はアジアから導入されたが、アジアには残らなかった。

  • 創造神は、ウェーバーが指摘したように、自然界を根本的に作り変えるような大規模な灌漑農業に由来する。

  • ポリスには自分たちの連帯のためにオリンポスの神々が必要だったが、ポリスの内部、あるいは個人に深く根ざすことができないという弱点のため、消滅しだす。

  • 神々の消滅の始まりは、擬人化こそがその第一歩である。

  • 人間や神々は争う。では、何が人間と神をそうさせているのか。それは敵対的な互酬性である。それはとめどなく増幅される血讐の連鎖となる。

  • ホメロス叙事詩は、英雄たちの武勲詩であるにもかかわらず、それに対する否定に充ち満ちている。ここには、ギリシア本土の戦いの絶え間ない過酷な状態が投影されている。

  • 敵対的な互酬性(交換様式A)は、専制国家(支配者と被支配者との社会契約・交換様式B)によって克服される。

  • 法による支配 ハンムラビ法典「目には目を」は、報復のすすめではなく、逆に、報復の増幅を禁止することを意味する。

  • ヘシオドス『神統記』は世界の生成を次のように整理した。最初にカオス《空虚》がある。それからガイア(大地)、タルタロス、エロスなどが生まれる。ガイアからウラノス(天空)、ポントス(海)などが生まれる。

  • ゼウス(クロノスとその姉レアの子)が天空を、ポセイドンが海を、ハデスが冥界を統治する。

  • ゼウスはエロスとクロノスに支配されている。また、ガイアが最も根本的なものとして上位に置かれる。つまり、人間の神格化であるゼウスは自然の神格化である神々の下にある。こうしてヘシオドスは、人間に由来する神々を自然の諸力の下においたのである。


  • 自然史的生成→人間社会の生成→火(技術)や労働→パンドラの箱が開く→労働と希望→鉄の時代、専制的な貢納制国家

  • 勤勉な労働=希望とヘシオドスは見出す

  • 労働=希望の考えは、イオニア地方の植民者の考え。

  • イオニア人はアテネ人とは対象的に、技術を重視した。

  • アテネ人は労働(手仕事)を軽蔑するからこそ、奴隷制に向かったのである。手仕事への軽蔑はアテネ人に限らず、遊牧民や戦士的な人々はそうである。古代において労働を肯定し技術を高く評価するような社会は稀有なのだ。たぶん、イオニア以外にはない。もしウェーバーのように、近代資本主義を支えた労働論理を宗教改革に見出すなら、イオニアにおける商工業の発展の陰に一種の「宗教改革」を見るべきである。

  • イオニアでは、閑暇を持て余すような祭司や貴族は存在しなかった。イオニアの思想家は、すでにヘシオドスの時期に、狭い共同体を超える視点をもっていた。たとえば、ヘシオドスは「正義」を一国に限定することなく考えていた。正義は普遍的な正義でなければならない。したがって正義の国は諸国家の「永遠平和」(カント)において実現される。このような見方はまさにイオニア的なものである。


  • イオニア自然哲学の特質

  • タレス アルケー(始原物質)への問い 水だ!

  • アナクシマンドロスは始原物質は「無限定なもの(ト・アペイロン)」、これは単一、カオス(空虚)の言い換え

  • 「無限定なもの」から、「水」「空気」「土」などが生じた

  • これらは自ら運動する。物質と運動は不可分である。

  • アナクシマンドロスの弟子のアナクシマンドロスは、「空気」が始原物質だという。

  • ヘラクレイトスは「火」これらは、タレスにもどる考え、神話にもどってしまう

  • プラトンも「神」=製作者

  • アリストテレスは自然哲学を受け継ぎ、物質の運動性を認めた。原因内在論。

  • アリストテレスのいう目的因においては、ミレトス派が追い出した神々が戻っている。運動の究極的原因としての「神」を見出した。かくして「第一の哲学(形而上学)は「神学」となった。

  • そのような神学が優位を確立した後に、タレスからデモクリトスにいたるまでの自然哲学は葬り去られた。それが復活したのはヨーロッパのルネサンス時代である。それを可能にしたのは、イスラム圏でイオニア自然哲学が保持されてきたこと、さらにイタリアの都市に、イオニアの都市に似た状況が生まれたことである。


  • エルンスト・ブロッホ 

  • ジョルダーノ・ブルーノ

  • コペルニクス

  • スピノザ

  • クセノファネス

  • ポイエシス(制作)と生成

  • ファリントン

  • シチリアのエンペドクレス

  • シチリアのディオドロス

  • アテネの哲学はキリスト教の神学のなかで生き延びた。

  • ダーウィン以前の進化論 ライプニッツ

  • 進化(エボルーション evolution)

  • マルクス『デモクリトスとエピクロスの差異』彼の真の標的は、アリストテレス

  • 懐疑論者のデモクリトス

  • 目的論的なアリストテレス

  • 唯物論的、両者の間のエピクロス


  • さまざまな点で、イオニア派の思想は今も活力をもっている。先に指摘したように、一般に、質量と運動を分離しないイオニアの考えは「魔術的」なものだと見なされる。実際、近代のフィジックス(物理学)はそれらを分離する事によって成立した。しかし、このような分離はデカルトが示したように、「神」あるいは神のような視点を前提している。つまり、その点で、アリストテレス的メタフィジックス=神学を受け継いでいる。このような観点を決定的に粉砕したのが量子力学であった。量子力学は、質量と運動は不可分離だというイオニア派の考えを、ある意味回復したからだ。すなわち、量子(光や電子のような微粒子)は、粒子(質量)であると同時に波動(運動)である。

  • 物質と運動が切り離せないように、諸個人が存在することと移動することは切り離せない。

  • ポリスの原理(個人の同意と契約によって形成される)は、植民地であるイオニアによって始まり、ギリシア本土に広がった。

  • フロンティアがなくなると、ポリスの内部に富の格差、支配関係が生じるように。

  • ピタゴラスの思想は、イオニアでの経験から切り離され、もっぱらアジアに由来するものとみなされる。

  • 輪廻転生、解脱するには、魂は知恵を求めなければならない、と。


  • ディオゲネス・ラエルティオス

  • オルフェウス教 守護神はディオニソス ピタゴラス派の教団の守護神はアポロン

  • ピタゴラスが目指したのは、全員が経済的に平等であり、また、男女も平等であるような共産主義的な社会。このため、教団と国家の間に確執が生じ、最終的に教団は弾圧され、各地に散らばり、秘密結社となって存続した。

  • ピタゴラスが南イタリアで創った教団組織のあり方は、彼がイオニアでの経験からいかなる教訓を引き出したかを示している。一つは、大衆の自由な意思に任せてはならないということである。それは結果的に、大衆の自由を抑圧する独裁制に帰結するからだ。

  • もう一つは、指導者が「肉体」(感性)の束縛を越えた「哲学者」でなければならないということである。さもなければ、指導者はたんなる独裁者になってしまうからだ。


  • ピタゴラスは万物のアルケーを数に見出した。ピタゴラスが見出したアルケーは、もはやフィシスではなかった。彼は数を実在としてみた。数は「関係」であり、個物が在るように在るのではない。しかるに、関係を実在として見ること、そして、それを万物の始原物質として見出すことは、観念的実在を真の実在とすることだ。ピタゴラスにおいて、イオニアの自然哲学は、事実上、観念論的哲学に転化したのである。

  • ピタゴラスのプラトン的な二重世界(感覚的な仮像の世界と、理性的な永遠の真理の世界)という見方を、ヘラクレイトスは否定した。

  • ヘラクレイトスのいう「火」は、物質であるとともに運動である。

  • ヘラクレイトスの「万物は流転する」は、特にユニークではない。むしろ、そこから出てくる認識が重要なのだ。ヘラクレイトスがいう「一」とは、世界(コスモス)にほかならない。「万物が一から生じ、一から万物が生じる」という考えにおいてである。くりかえすが、ここで彼がいう「一」は、万物の多様な外見の彼岸に、本質としての同一性が隠れているというような考えとは異なる。ヘラクレイトスにおいては、万物の「一」性は、物質性や運動性を越えてあるのではなく、むしろ、後者において実現されるのである。
    ヘラクレイトスは、貨幣(黄金)が万物に対してあるように、火が万物に対してある、という。しかし、彼が強調したいのは、火が万物と異なる特別なものだということではない。火もまた万物の一つである。にもかかわらず、火が万物を越えたものとなるのは、万物との社会的「交換」を通すことによってである。これは、マルクスが『資本論』で述べたことと同じである。つまり、黄金が貨幣であるのは、それが黄金だからではなく、万物との交換を通して一般的等価形態の位置に置かれるからである。


  • パルメニデス「物がある。そして、あるものに関わらぬ思惟はない。ただ、思惟において整合的でないならば、思惟される対象は存在し得ない」

  • イオニア派、エレア派

  • エレア派は、イオニア自然哲学を取り戻そうとした。

  • エンペドクレスは多元論者

  • アナクシマンドロスは、「無限定なもの」を見出した。

  • アナクシメネスは、「空気」

  • アナクサゴラスは、元素は無数にある。一切のうちに一切がある

  • メリッソスは「もし事物が多であるならば、それらは一者(有るもの)と同じ本性のものでなければならない。

  • レオキッポス「原子」ゼノンの弟子。空虚を充実体とみなす。


  • 僭主制とデモクラシーとの関係はそう単純なものではない。たとえば僭主ペイシストラトスは、貴族階級の特権を抑えるものとして大多数の無産者階層に歓迎された。もしデモクラシーが「多数者支配」であるなら、それは僭主制というかたちで実現されたのである。

  • デモクラシーはイソノミア(無支配)ではなく、あくまで支配(クラシー)の一形態である。


  • アーレントは帝国と帝国主義を次のように区別した。帝国は多民族を統治する原理を持っているのに対して、帝国主義は、国民国家あるいはポリスが、そのような原理をもたずに、自らを拡張する時に生じる。

  • たとえば、ナポレオンが目指したヨーロッパ帝国は国民国家の延長としての帝国主義であり、それは逆に、多数の国民国家をもたらす結果に終わったのである。

  • むろんアーレントは帝国主義を近代の資本主義の問題として考えたのだが、ある意味で、彼女の考察はペリクレス時代のアテネにもあてはまる。そこでは、排他的な遅延的一体性が強調された。それは氏族社会以来の血縁的関係や対立を越えるものであり、ある意味で“ネーション”の形成として見ることができるのである。

  • アテネの直接民主主義は、他のポリスを支配し収奪することに依存していたのである。またその発展は、奴隷制生産の発展と不可分である。


  • カリクレス「強者の正義」

  • ヒッピアス「フィシスとノモス」

  • アルキビアデス、帝国主義的となったアテネ社会そのものの「堕落」から生まれた。


  • ソクラテスの謎は、公人となることなく、政治的に「正義の為に戦う」という、彼の姿勢にある。これは背理である。私人であることは、非政治的であることだから。ソクラテスはこの背理を生きた。それが彼の生き方あるいは死に方を謎めいたものにしたのである。

  • プラトン・アリストテレス・クセノフォン…大ソクラテス派

  • アンティステネス、ディオゲネス…小ソクラテス派、キュニコス派、ソクラテスは小ソクラテス派のほうに似ている。

  • 私人であることを、公人=政治的なものに優先させること。

  • ディオゲネス「おれは世界市民だ」

  • エピクロス、ストア派のゼノン、個人主義的な哲学

  • プラトンは真の国制(ポリテイア〕について考えようとした。

  • だが、ソクラテスの立場は、ディオゲネスとプラトンの立場のいずれとも違っていた。ソクラテスがいうのは、煎じつめれば、私人でありつつ公的であれ、ということである。この観点からいえば、それは、ポリスの中にありつつコスモポリタンであれ、ということである。この点で、ソクラテスはキュニコス派に比べてポリス的であり、プラトンに比べてコスモポリス的であった。

  • カント『啓蒙とはなにか』「各人が国家の中にありつつ、世界市民として判断し行動せよ」カントによる公私の価値転倒は、プラトン的でもディオゲネス的でもない、ソクラテス的なものである。

  • マルクス的にいえば、人々が市民社会において「類的存在」であるならば、市民社会の上にあるような政治的国家はもはや必要ではなくなる。いいかえれば、市民社会の中で階級的な対立が解消されるならば、政治的国家は揚棄される、というのである。

  • ソクラテスは、当時自明であった公私の区別や価値づけを絶えず疑問に付したのである。

  • ソクラテスは、公人と私人の区別、およびそれと結びついた身分的な価値づけを否定する。

  • ソクラテスを告発したものも擁護した者も、ソクラテスが何を考えているのかよくわからなかった。なぜなら、ソクラテス自身にもそれがよくわかっていなかったからだ。「ダイモン(精霊〕からの合図」に従ってそのように行動した、と彼はいう。

  • 「わたしが、私交のかたちでは、いまお話したようなことを勧告してまわり、よけいなおせっかいをしていながら、公けには、大衆の前にあらわれて、諸君のなすべきことの審議に参加し、これを、国家社会(ポリス)に提議勧告することをあえてしないのは、奇妙だと思われるかもしれない。しかしこれには、わけがあるのです。それはわたしから、諸君がたびたびその話を聞かれたでしょうが、わたしには、何か神からの知らせとか、鬼神からの合図といったようなものが、よく起こるのです。それはメレトスも、訴状のなかに、茶化して書いておいたものです。これはわたしには、子供の時から始まったもので、一種の声となってあらわれるのでして、それがあらわれる時は、いつでも、私が何かをしようとしている時に、それをさし止めるのでして、何かをなせとすすめることは、どんな場合にもないのです。そしてまさにこのものが、私に対して、国家社会(ポリス)のことをするのに、反対しているわけなのです。」


  • 私(柄谷)の考えでは、ソクラテスにダイモンの合図として到来したのは、「抑圧されたものの回帰」(フロイト)である。この場合、「抑圧されたもの」とは何か。いうまでもなく、イオニアにあったイソノミアあるいは交換様式Dである。したがって、それが「意識的・自覚的」なものでありえないのは当然である。それはソクラテスにとって強迫的であった。このような人物によって、イオニア哲学の根源にあったものが「回帰」したのである。

  • ソクラテスはアゴラ(広場)に行った。アテネでは、アゴラにしかイソノミアはありえなかった、といってもよい。

  • ソクラテスの対話、問答は他者との対話ではない。問答は一定の終わりに向かって進む。これは自己対話、内省的、自己完結的、転移や抵抗が起こる。対話の関係の非対称性、産婆術、精神分析の分析医と患者の関係に似る。


  • ディオゲネス「奴隷の仕事として何ができるか」「人々を支配することだ」!


  • ソクラテスの功績は、イオニアで発達した自然哲学に対して、哲学の重心を倫理的かつ内省的な次元に移したことにあると見られている。しかし、ソクラテスがおこなったのは、そのようなことではない。彼がアテネに持ち込んだのは、新しい哲学というより新しい政治である。それはデモクラシー(デモスの支配)にもとづく政治ではなく、それを斥けるものであった。私の考えでは、それはかつてイオニアで自然哲学が栄えた時代にあった「イソノミア」(無支配)を取り戻すことにほかならなかった。

  • 交換様式の観点から見ると、ダイモンは「原始時代」にあった交換様式A(互酬交換)とつながるものであり、それがソクラテスを通して、様式Dとして回帰したといってよい。それは、自然哲学が隆盛した時期のイオニアにあったイソノミアをアテネにおいて回復する企てにほかならなかった。その結果として、ソクラテスは処刑された。したがって、私がここで「哲学の起源」と呼んだ出来事は、狭義の哲学の問題として考えられるようなものではない。そこで、本書の英語版では『イソノミアと哲学の起源』と改題した…

  • プラトンは『ティマイオス』で、イオニア的な無神論・唯物論に対決することを宣言している。しかし、先に述べたように、イオニアの自然哲学者は無神論者ではない。彼らは一つの神=自然が存在すると考えていたからだ。彼らが否定したのは、擬人的な神々に過ぎない。彼らは始原に、運動する物質を見出した。擬人的な神々とは、そのような物質の運動を事後的に見て、そこに目的を仮定することから見いだされる。ゆえに、擬人的な神々の否定は、目的論的な世界観の否定なのである。

  • プラトンは、アテネにデモクラシーをもたらしたイオニアの精神を駆逐することを生涯の課題とした。それはイオニア派が神々の批判によって見出した運動する物質という考えを否定し、魂による物質の支配という考えを確立することである。それは正に「神学」の構築である。しかも、彼はそのような仕事を一貫して“ソクラテス”の名において果たした。その結果、プラトン以来、「哲学の起源」はソクラテスにあると見なされるにいたった。ゆえにまた、ニーチェ以来、プラトンを批判する者はソクラテスを攻撃し、それを越える鍵を「ソクラテス以前」の思考に求めてきた。しかし「ソクラテス以前」というのであれば、ソクラテスその人をそこに含めるのでなければならない。ソクラテスはイオニアの思想と政治を回復しようとした最後の人である。プラトン的な形而上学・神学を否定するためには、ほかならぬソクラテスこそが必要なのである。


 イオニアの自然哲学者たちが信じる「一つの神=自然」は、老荘思想における「道」だ。ここに西洋と東洋思想の共通の起源を見ることができるのではないだろうか。「物質は運動する」から、「万物は流転する」が導き出されている。
 とりあえず、プラトンはくせ者でした。


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