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育てた後進のスピードが上がってくれたら

俺はnoteを含むSNSなど、多くの人の目に触れる可能性がある場で仕事に関することや仕事論のようなことはほとんど発信してません。
理由はシンプルで、自分が仕事ができる人間だと思っていないし、大した仕事をしてきた自認もないからです。

もし出世が早かったり、所属している会社でゴリゴリに評価されていたら、仕事に関する考え方や業務で出会ったダメな人への苦言などを偉そうに豪語する人間になっていた可能性は(そのルートを通っていない以上)ゼロとは言えません。

そうなると、ただの嫌なヤツとして認識されることも増えると思うので、そう思うと我が人生としては今の状態でベターだったのだと思っておきます。

まぁ、そんな話は(自分から勝手に吐露しだしたものの)置いといて、仕事の中でも後輩・若手の指導の面で、ぼんやりと考えていたことが何となく言語化されてきた気がするので、ここに書いてみます。

根底として、後輩に何かを教えるにあたって、その範囲においてはできるかぎり俺(教える側)と同じレベルまで引き上げたいと思っています。

細かく説明すると、俺が5年目で修得したことを1年目の新人にできるようになってもらえるようにしたいし、10年目で経験したノウハウを3・4年目の若手が身につけて欲しいのです。

それが実現できれば、その後輩が10年のキャリアを積んだ時、10年のキャリアを経た俺よりも、実力のある人間になれるはずだし、その水準の教育を他の先輩・上司たちからも受けていれば、その成長はさらに確固たるものとなるのではないか。

こういった気概での教育が実れば、チームや会社としては能力の底上げに繋がりますし、それを続けていかないと組織として成長・拡大していかないのでは?と感じるわけで、そのため個人ではなく全体を考えた時には後輩の指導・育成の重要度は爆上がりしてきます。

会社だけでなくどんな組織も、地域や国の単位でもきっとそうで、子供や若い人の育成や教育に時間と手間(もしくはお金も)をかけることで、先細ることのない未来が形成されるのかもしれません。

そう考えると、大人がやるべきこととして「後進の指導・育成」の優先度はかなり高くなるのではないでしょうか。

という、いつそこに至ったのか定かでない考えが極まったのか、正直なところ個人的には教育に時間をかけた結果として後輩が俺よりも成果を出すようになったとしても問題ないと思ってます。問題ないどころか、大歓迎くらいの心持ちでいます。

もちろん、自分の能力を向上させるための研鑽はすべきですし、自身も先輩や上司から吸収できることはしていくべきなのですが、指導によって後輩の成長が早まり猛スピードで自分を抜き去っていったのなら、それは指導する側としては1つの成功ではないかと思うのです。

後身が自分を上回ったと判断した時、かつての貴乃花に負けて自身の限界を悟った千代の富士のようにそのステージから降りる決意ができれば楽なのかもしれませんが、会社員や並の仕事人がそんなFIREを達成することは容易じゃないので、自分のピークが去ったとしてもその世界(もしくは違う世界であっても似たような評価軸の世界)で生き続けなければいけないことが、人によってはツラいかもしれません。

しかし、人というのは能力やタイミングが変われば最適な立場や役目が変わることもあるもの。
あるポジションでのピークが終わったと思うなら、また別の輝けるポジションを見つけだすこともまた、優秀な仕事人としての能力なのかもしれません。

……と。
毎度の如く、話の落とし所が見えてこないので締めに入りますが……この精神で後輩・部下・子供に様々な観点での知識・ノウハウを伝授しまくって、我々の周りから少しづつ少しづつ、良い未来を創れれば…そこまでできずとも材料作りができればいいなと思う昨今です。
だらだらとした文章にお付き合いいただきありがとうございました。

それじゃ、また。

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