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一言目:エモいが嫌い。

私は言葉をあまり知らない。
あんまり知らないわたしでさえ、あんまり好きじゃない言葉がある。
今日から少しずつ、私だけの感覚で、偏見を交えながら好きじゃない言葉をぽつらぽつら書いていこうと思う。

一言目:タイトル通り、エモいって言葉が嫌いだ。

英語+い の組み合わせにしたら、なんとなく言葉ばかりが若返ってしまう気がするし、エモいは、特定の対象物に対して、十人十色で抱くはずの感情をまるっと言い表しちゃう言葉であるからだ。
emotionalは、感情とか情緒という意味なのだから、エモいって言っただけじゃどんな感情なのか全く見当もつかないはずなのに、最近はなんとなく分かってしまうのが嫌だ。
ちなみに私だって言っちゃう時あるし。
人それぞれ、エモいのニュアンスが違うのも嫌だ。

夕焼け見てもエモいと言うし、卒アル見てもエモいと言う。友達と深夜、すっぴんパジャマでベンチに座って星を見たとしてもエモい。ライブハウスにネオンライトが煌々と光っている。それだけでエモい。おじいちゃんの背中が映っているだけのフィルムを見せたらエモい。宇多田ヒカルもエモい。

エモいがどこでどう生まれたのか全く知らないけれど、エモいは色んな人の手に渡り、意味の拡大を繰り返して、いつの間にかヤバいと同等の立ち位置にある俗語となった。
ちなみに皆さんお分かりのとおり、ヤバいの利便性は本当に外国人を困らせるくらいヤバいものである。
だから、これ以上エモいの意味が拡大してしまったら、それこそ人間はヤバいと最近思ってしまう。
最近、驚愕のサイトを見つけた。

【「ヤバい」の言い換え例は?代わりの言葉・丁寧な言葉で言うと?】

元はと言えば、「ヤバい」が色々な言葉の言い換えであるはずなのに、ここでは「ヤバい」が主体になっている。これこそ本当に「ヤバい」。
ヤバいを別の言葉に言い換えることができなくなったらそれこそ本当に私たちは学がなくなってしまうような気もするし、確かに世界は毎日目まぐるしく進化しているけれど、繊細な言葉の表現がこんなにも沢山ある国で、言葉の簡略化が行われてしまったらわたしはとても悲しい。
わたしたちは「ヤバい」にただでさえ言語を蝕まれているのに、「エモい」が定着してしまったら私は私の生まれた国の言語に置いていかれてしまうような気持ちになる。お爺ちゃんお婆ちゃんが将来使ってたら、本当に無理。お爺ちゃんお婆ちゃんには永遠に清少納言のような言葉遣いでいてほしい。

だからこそエモいは10年後、死語になっていてほしいと常々思う。

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