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漂流教室【フィクション】

 マスクをつけていると、鼻息でメガネがくもった。教室の隅で女子が僕を横目にクスクス笑っている。僕はさっきから、開いた英単語帳の同じところをじっと見ている。マスクが蒸れて口がかゆい。

僕は顔がよくないし運動もできない。必然的に勉強しか残っていない。けれど、上には上がいて、そのことを直視できずに逃げている。

僕は利用価値の高い人間になりたい。それが自分の価値を測る尺度だ。このまえのテストは学年で6位だった。

昨日の夜はストレスで眠れず、自慰行為にふけっていると、洗濯物を持った母が部屋に入ってきた。母はそのとき、何を思ったんだろう。

evidence。エビデンス。名詞。証拠、根拠。ブツブツと英単語を声に出す。また女子が笑った。

僕は僕でいることが嫌だ。

次の授業は理科の実験だった。同じ班の女子が学校に来ていないので、女子と2人きりになった。僕と2人きりでごめんなさい、と思うがそれを伝えるのも変なので言わない。先生にバレない角度で女子はスマホをずっと触っている。全部僕にやらせるつもりだ。授業がおわる。ひとりでビーカーを洗う。僕は女子のスマホのフリック入力をじっと見ていた。ふと目が合って気まずかった。

「 とぷ見たんですけど、お話ししませんか??」 「 いいですよ 」

「 本人さんですか???」 「 そうですよ~」

僕には顔がふたつある。現実世界の顔と、出会い系サイトの顔。悪用している。SNSをあさって、フォロワーが少ないイケメンの自撮りを大量にストックしている。たまにバレるが、またアカウントを作り直せばいい。イケメンは良い。自分が存在して居るだけで、話しかけるだけで、誰かが喜ぶ。

アプリで1人の女の子を見つけた。何の気なしにプロフィールを開いた。ニックネームは「あああ」だったので、あーちゃんと僕は呼んでいる。あーちゃんのアイコンはプリクラで、目のところは隠してある。ブスでも無いし、特別可愛い訳でもない。本人かどうかなんて分からないけど。本人のような気がした。

自己紹介のところには「 漂流教室 」と書いてあって、それは僕の好きな楳図かずお先生の漫画のタイトルだった。軽い気持ちで話しかけた。

「 楳図かずお?」 「 ん????」

「 漂流教室…!」 「 銀杏BOYZや 」

あーちゃんから動画のリンクが送られてきた。イヤホンできくと、すごくうるさくてびっくりした。ボーカルの人( ミネタカズノブと言うらしい )は全然ちゃんと歌わないし。よく分からなかった。

「 名曲やろ? 」 「 うん、ボーカルがいい味出してるね 」

あーちゃんから返信はなかった。僕は気にせず他の女の子と、2時間くらい電話した。

1週間後の深夜にあーちゃんから動画のリンクが送られてきた。ボーカルの人が大勢の人の前でマイクを頭にガンガンぶつけて、叫んでいた。僕はなぜか何回もその動画を見た。見終わって、歩くと頭がフラフラした。

「 叫びたくなったわ 」 「 せやろ 」

それからあーちゃんと話すようになった。

あーちゃんの彼氏はバンドのボーカルをやっているらしい。どんなバンドなのか教えてくれなかったけれど、あーちゃんはあんまり好きそうじゃなかった。休み時間に音楽を聴くことが楽しみになった。

あーちゃんとチャットではなく、次第に電話をするようになった。

親に自慰行為を見られたこと、コンタクトをつけて学校に行ったら鼻で笑われたこと。自分の辛かったことをあーちゃんに話すと心がスッキリした。

あーちゃんはいっぱい笑ってくれた。

ある日、あーちゃんのプロフィールのひとことが変わっていた。

たった三文字、

つ ら い

「 あーちゃんつらいのん?」 「 あー、ひとこと?あんま気にせんとって 」

「 言いたくなったら教えてな 」 「 ありがとう、一生言わんとおもうけど 」

僕は銀杏BOYZの動画のリンクと、ミネタの写真を送った。

あーちゃんは「 ありがと 」と言って、それからずっと返信はなかった。

3ヶ月経ってあーちゃんから通知がきた。また深夜だった。アプリを開くと、女子高生が下着姿でいいねをねだっている写真だった。

「 これウチの裏垢 」 「 お金くれたらもっとみしてあげんで 」

あーちゃんがつらい、と書いたことと何か関係があると思った。

「 何万あげれば見してくれんの 」 「 10万 」

「 10万で何かすんの?」 「 んー、特にないけどな。何がええと思う?」

「 うまい棒全味コンプは? 」 「 それおもろいな、アリ。」

数秒沈黙があった。

「 ウチな、こどもできてん。」

あーちゃんはバンドマンの彼氏の子どもを妊娠していた。

彼氏と連絡が取れず、あーちゃんは1人で悩んでいた。何を伝えればいいんだろう。わからない。僕は持ってたスマホを頭にガンガン打ち付けた。

俺はミネタカズノブだ。 俺はミネタカズノブだ…。

「 俺、トプ画悪用してんねん」 「しってる 」

「 それ、うちの彼氏の顔やもん 」

声が出なかった。あーちゃんは知っていた。どんな気持ちだったんだろう。僕は「 やっぱり? 」と訳の分からない返信をした。

あーちゃんに本当の顔を送った。あーちゃんも本当の顔を送ってくれた。あーちゃんはすごく可愛かった。それからお互いの話をした。驚いたことに、あーちゃんと僕は同じ高校だった。すごい確率やんな、と2人で笑った。

あーちゃんと笑っていると楽しかったが、同じくらい悲しくなった。多分あーちゃんは僕に合わせて笑っているだけなんだと思う。僕はあーちゃんにお金を渡したいと思った。このまえの補助金で10万円をもらったし、欲しいものもなかったから、あーちゃんに使って欲しいと思った。

「 明日4時間目おわったら、渡しに行くよ 」 「 金?」

「 なんやその言い方」 「ありがとう。えろいことしてあげるわ 」

「 そんなんせんでええよ 」

次の日、財布に10万円を入れた。カバンの中に入れるのは怖かったので、ズボンのポケットに忍ばせた。体育の授業が終わって、更衣室に戻るとズボンのポケットから10万円がなかった。きっとあーちゃんだと思った。

あーちゃんに会わなくて良かったと思った。

着替えて教室に戻って授業を受けた。家庭科の調理実習だった。先生の話は入ってこなかった。

なぜか僕はあーちゃんにはもうずっと会えないんだと思った。

学校が終わって自転車をかっ飛ばしたらこけた。

膝から血が出て、手もすりむいた。

「 アホやん、何してんねん 」

あーちゃんが見たら、笑ってくれると思った。

僕は泣いた。

僕はあーちゃんのミネタカズノブになれなかった。

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