【小説】本当に死ねるその日まで(3)
※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。
辿り着いた雑居ビルは、僕の家よりは駅に近いけれど、それでもまだ少し閑散とした街の一角にあった。
目指す探偵事務所は三階にあったけれど、何の目印もなく、埃の匂いがしそうな暗い階段を上っていかなければならない。
手書きの看板がかけられたドアを、僕はノックする。明かりは点いているのに、反応はない。
もう一度ノックしてみても、やはり誰も出てこなかった。
僕はドアノブに触る。捻ってみると、ドアノブはその通りに動いた。
勝手に人の事務所に入るのは、どうなのだろう。良心が働いて、僕はいったん家に帰ろうとする。
でも、振り向いた瞬間、後ろに立っている傘井に気づいて、思わず声を出してしまう。
「怯えなくてもいいのに」と傘井は言っていたが、一八〇センチメートルはある男に音もなく後ろに立たれたら、驚かない人間の方が少ないだろう。
手にコンビニの袋を持った傘井は「まあ、入れよ」と言って、僕を事務所の中に迎えた。
僕も「お邪魔します……」と言いながら入っていく。
部屋の中にあったのは、テーブルを挟んでソファが二脚、窓際に傘井のものと思しき机。そして、壁際に金属の棚。それくらいだった。
想像以上の殺風景さに、僕は少し面喰らう。「金がねぇんだよ」と、僕の心を見透かしたように傘井が言い、ソファにドカッと座った。
顎で促されたので、僕もおそるおそるソファに座る。暖房がついていても、カーテンのない部屋は暖かいとは言えなかった。
「で、どうしたんだよ。何か気になることでもあったのか?」
そんなの気になることだらけだ。どうして僕は死ねないのか。傘井はどうやって僕の学校に入ったのか。僕のこの体質には、何か意味があるのか。
上げていったらキリがないが、僕には何よりも優先すべきことがあった。
様々な疑問を飲みこみ、ゆっくりと口にする。
「あの、傘井さんって探偵なんですよね……?」
「まあ一応な、一応。それがどうかしたかよ」
「一つ、力を貸してほしいことがあるんですけど……」
「おお、なんだ。人探しか? 浮気調査か? 俺は頼まれれば何でもやるぜ。仕事は選んでられないしな」
身を乗り出す傘井。興味深そうな目に、僕は少し怯んでしまう。
でも、言おうと思ってここに来たはずだ。
僕は一つ息を吐いてから、思い切って口を開く。
「お兄ちゃんを殺した奴を、見つけてほしいんです」
僕の言葉に傘井は一瞬固まった。顔に、何を言っているのか分からないと書いてある。
「は? 殺した?」と聞き返してくる傘井に、僕は続けた。
「はい。昨日帰ってきたら、一緒に暮らしているお兄ちゃんが倒れていたんです。警察は自殺と他殺の両方で捜査していますけど、お兄ちゃんが自殺するなんて絶対にありえません。どこかにお兄ちゃんを殺した奴がいるはずなんです」
「つまり、そいつを俺に探し出してほしいと」
僕は頷く。どうして傘井に縋ろうと思ったのかは分からない。
もしかしたら「探偵」という言葉の響きに、頼りたくなったからかもしれない。
傘井は一度僕から視線を外して、ため息をついた。
「気分を悪くしねぇように、先に謝っとくわ。すまん」
今度は、僕が「は?」と思う。こっちは警察以外には、傘井しか頼める相手がいないのに。
「殺人事件の調査は、俺の何でもの中には入ってねぇんだわ。どれくらいかかるかは分かんねぇけどよ、いつかは警察が真相を明らかにしてくれんだろ」
「それがいつになるか分からないから、こうして頼んでるんじゃないんですか。本当にお願いします。僕には傘井さんしか頼れる人がいないんです」
「うーん……、そう言われてもなぁ。こっちにも生活ってもんがあるからなぁ。見たところお前、全然金持ってそうじゃねぇし」
「そんな、お金の多い少ないで決めるんですか?」
「そりゃ俺も食べてかなきゃいけねぇからな。いくら死なねぇとはいえ、餓死っていうのはあまり気持ちいいもんじゃねぇし」
いつの間にか、傘井はソファの背もたれに背中をつけていた。
それは僕の話に興味を失くしたことを意味していて、少し腹立たしい気持ちが湧いてくる。こっちは必死なのに。
足さえ開いてしまっている傘井の興味をどうにかつなぎ止めようと、僕はまだ混乱している頭を何とか回す。
「あの、どうして僕が死ねないか、帰ってから僕なりに考えたんです」
僕が小さく言うと、傘井は再び背もたれから背中を離した。「どうしてだよ?」と聞かれて、畳みかけるチャンスはここしかないと感じる。
「僕が死ねないのは、まだこの世に心残りがあるからだと思うんです。成仏できない幽霊じゃないですけど、まだ未練が残ってるからなんじゃないかって」
「それが、お前の兄貴を殺した犯人を知るってことか」
「そうです。動機なんてどうでもいい。そんなことしてもお兄ちゃんは戻ってこないから、犯人に復讐しようとも思わない。僕はただ、誰がお兄ちゃんを殺したのかを知りたいだけなんです」
それは今の僕の本心であり、全てだった。
じっと傘井の目を見る。しばらく目が合った後に、傘井はふっと笑みをこぼした。
何がおかしいのかは分からないけれど、呆れられているようではなさそうだった。
「分かったよ。お前の依頼、引き受ける」
態度を翻した傘井に、僕は目を瞬かせてしまう。
「でも、お代はあとでちゃんといただくからな」とからかうように言う傘井を、まだ信用はできなかったけれど、それでも真相に一歩近づいた予感がした。
「よし。じゃあ、お前もう帰れ」
そう言い放った傘井に、思わず「えっ?」という声が漏れてしまう。真相究明のためには、僕の話を聞いて然るべきだと思うのだが。
「だから、俺だって色々準備しなくちゃなんねぇの。分かるだろ?」
正直よく分からなかったが、僕はおずおずと頷いた。
「また明日、学校行く前にここ来いよ」と言われ、半ば追い出される形で事務所を後にする。外では電灯の明かりが、ちかちかと瞬いていた。
翌朝、僕が再び傘井探偵事務所を訪れたのは、朝の七時半だった。
ドアを開けると、傘井がソファで毛布を被って寝ていた。こんな寒い中で、よく寝られるなと感じる。
ざっと見たところ、部屋は昨日から何も変化がない。準備とはなんだったのだろうか。
僕はソファに向かい、傘井を起こしにかかった。「んー、なんだよー」と言っている傘井の身体を執拗に揺らす。
起き出した傘井は僕を見るなり、「なんだお前か」と言う。ぞんざいな扱いに少し腹が立ったけれど、口には出さなかった。
「で、どうしたんですか。準備の方は?」
暖房をつけてからソファに座り、大きなあくびをした傘井に尋ねる。真剣な顔の僕にも、傘井はまだ眠そうに頭を掻いていた。
「うーん、とりあえず一晩寝てみれば、頭もしゃきっとしてなんか分かると思ったけど、全然そんなことなかったわ。つーか、お前の兄貴のことまだ全然聞いてないのに、考えるの無理あったな」
傘井は小さく笑う。
笑い事じゃないと目に力をこめながら、僕はスクールバッグから一冊のノートを取り出した。
「あの、そう思って僕、お兄ちゃんの事件のことや怪しいと思われる人物を、ノートに書いてきたんですけど」
「えっ、マジで。準備いいじゃん」
調子よさそうに言う傘井をよそに、僕はノートの一ページ目を開く。
「倒れているお兄ちゃんを僕が発見したのは、一昨日の午後四時頃。警察によると亡くなったのは、そのおよそ二時間前。死因は亜ヒ酸の過剰摂取による急性腎不全のようです」
感情を押し殺しながら口にする僕の顔を、傘井は覗きこんでいる。不思議でしょうがないといった様子だ。
「どうしたんですか?」
「いや、やけに淡々と言うなって思って。だってお前、飛び降りようとまでしたんだろ? 悲しくないのかよ」
「そんなの悲しいに決まってるじゃないですか。まだ死にたいくらいですよ。でも、悲しみに暮れてても何も進まないから、今は平気なように振る舞ってるだけで」
「なるほどなぁ」
「何がなるほどなんですか。続けますよ」
僕はページを一枚捲った。二人の人物の名前が書かれている。
「お兄ちゃんに友達や知り合いは数多くいますけど、その中でも僕が怪しいと思うのは、この二人です」
「佐々木加奈に、渡邊千春か。誰だ、これ?」
「加奈さんはお兄ちゃんの彼女だった人で、千春さんは僕たちの叔母に当たる人です」
「えっ、お前の兄貴、彼女いたの!?」
どこで引っかかってるんだと思ったけれど、話に関係ないから言わない。
「はい。お兄ちゃんの知り合いの中でも、僕たちの家の合鍵を持っている人は、この二人しかいません。なので、僕はこの二人が特別怪しいと思うんですけど……」
ノートから顔を上げる。
傘井は顎に手を当てて考えていたけれど、すぐに閃いたように口を開いた。
「なるほどな。じゃあ、犯人はこの佐々木加奈ってやつだ」
早すぎる断定に、僕は「どうしてですか?」と聞く。傘井は得意げに鼻を鳴らした。
「こういうのはな、痴情のもつれが原因って、相場が決まってるんだよ。ほら、そうと決まれば行くぞ」
「どこにですか?」
「バカ、佐々木加奈のところだよ。話の流れで分かんねぇのか」
傘井の見解は、推理とはとても呼べない一方的な決めつけだった。本当に殺人事件の捜査は専門外なんだと、僕は少し落胆する。
でも、ジャケットを羽織って外に出ようとする傘井に、僕はついていくしかなかった。もしかしたら、万が一があり得るかもしれないと思った。
(続く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?