【小説】本当に死ねるその日まで(7)
※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。
傘井の予知夢通り、僕たちは日が落ちるまで、三丁目の児童公園で張りこみを続けた。
だけれど、トーマスが現れることは、ついぞなかった。傘井曰く「言ってなかったけど、俺の予知夢はいつの出来事かまでは分かんねぇんだわ」とのことらしい。
だったら最初からそう言えよと思ったが、今は傘井の予知夢を信じるしかない。
僕たちはまた明日も児童公園に居続けようと決めて、事務所に戻った。久しぶりに浴びる暖房の風が、この上なく暖かい。
アウターを脱いでソファに座る。傘井はどうか知らないけれど、僕は今日一日が徒労に終わったことに、少し不満を抱いていた。
「んじゃ、明日も九時集合な」
傘井は自分の椅子に座りながら、呑気に言った。焦りや危機感なんてまるでないかのように。
「いや、明日僕学校なんですけど」
「ああ、そうだったわ。つーことは、俺一人で待たなきゃなんねぇのか」
いかにも面倒くさいと言うように、傘井はため息をついていた。探す気はあるのだろうが、態度からしてそうは見えず、僕は不満を募らせてしまう。
「傘井さん、ここって屋上開いてますか?」
「ああ、開いてるぜ。ってお前、もしかしてまた死ぬ気かよ」
雑居ビルは四階建てだった。頭から落ちれば、確実に死ねるだろう。
「当然じゃないですか。だってこのままじゃ、明日だって見つかるか分かんないんですから」
「まあお前がそう言うんなら、俺は止めやしねぇけどよ」
「でも、大丈夫か?」。そう言った傘井に、僕は少し驚いてしまう。この男が、そんな気遣いをするようには見えなかった。
「大丈夫って何がですか?」
「いや、俺たちは死ねねぇけどよ、それは何も科学的に実証されてるわけじゃねぇんだ。もしかしたら今度ばかりは、本当に死ぬかもしれねぇぞ」
傘井の注意は、僕の心をぐらつかせた。そう分かっていながら、何度も僕を殺そうとしたのかと、疑問と恐ろしさが湧いてくる。
でも、僕は胸に生まれた恐怖を、何とか振り払おうとした。このままでは、いつトーマスを見つけられるか分からない。
「大丈夫ですよ、たぶん。いくら未来が見えてるとはいえ、このままだと埒が明かないでしょう」
声と目に力を込める。傘井も自分も納得するように。
傘井もじっと僕の目を見てくる。無言の会話。
少しして、傘井がまた一つ息を吐いた。
「分かったよ。いっちょ、死んでこい」
ネガティブな言葉が、僕の背中を押す。「はい」と確かめるように返事をして、僕は事務所を出た。
屋上への階段を上っている間、胸の高鳴りは収まらなかった。
縁に立って眼下を見つめる。夜と溶け合ったアスファルトの上を、何人かの人が歩いている。
頭上に星は出ていないから、見上げる必要もないのだろう。誰も屋上にいる僕には、気づいていなかった。
日の光がない分、風は昼よりもずっと冷たく、僕の肌を刺す。冷え切った空気に、これからすることの重大さが身に染みた。
真っすぐ地面を見ていると、心細さは感じずにはいられない。
傘井は、今度こそ死ぬかもしれないと言っていた。
恐怖は確かにある。だけれど、僕はもう何度も死んでいるのだ。お兄ちゃんがいなくなった時点で、僕の人生は終わったようなものだ。
いわば今は、生きのばされている状態。だとしたら、この体質は人のために使わなければならない。
誰も下を通っていないタイミングで、僕は意を決して身体を倒す。落下している感覚と、風を切っている感触。
僕は再び目を閉じた。何かがまぶたの裏に浮かぶことを、わずかな時間で祈った。
すると、暗闇の中にまた映像が現れた。
一人称視点で道路を歩いている。やけに目の高さが低く、トーマスが見ている景色だと気づく。
トーマスは道路の脇を歩いていきながら、とある家の前で足を止めた。玄関が開いて、誰かが出てくる。
顔はまたしても分からなかったけれど、その人物はしゃがんで、トーマスの頭を撫でた……。
目を開いた瞬間には、僕はまたしても屋上の縁に立ったままだった。あのときと同じように、時間が巻き戻ったらしい。
今度は走馬灯が見えた。肝心の家の表札や人物の顔は見えなかったけれど、それでもはっきりと見えた。
僕は踵を返して、出入り口へと戻る。するべきことは一つしかなかった。
玄関のチャイムを傘井が押す。モニター越しに中の女性と会話している傘井は、見たことのないよそ行きの笑顔だ。モニターには僕も映っているだろうから、なるべく穏やかな表情を心がける。
「ちょっと待ってください」と、モニターを切る女性。僕たちはしばし、凍えるような屋外で待たされる。
飛び降りている間に見えた走馬灯を傘井に報告したのは、事務所に戻ってすぐのことだった。僕の話を聞くやいなや傘井は「じゃあ、一回そこに行ってみるか」とジャケットを羽織る。
信じたのかどうか聞くと、「だってお前が嘘をつく理由がないだろ」と言われた。
トーマスの視点からの走馬灯でも、電柱に書かれた住所はなんとか見えたので、僕たちはそれを頼りに近辺を探して、一軒の家に行き着いた。二階建ての瓦屋根が特徴の、どこにでもある一軒家だった。
少しすると、モニターに映っていた女性が、部屋着姿のまま出てきた。白い息を吐いている僕たちを、女性は家の中に迎え入れてくれる。
開けっぱなしのままだと寒いからというのが理由だろうが、それでも端から、僕たちを怪しい人物だと決めてかかってはいないみたいだった。
「私たちに何かご用ですか?」
「ああ。あんた、この辺りで犬を見なかったか?」
「犬ですか?」
「はい。茶色のミニチュアダックスフンドで、名前はトーマスと言います。何か知りませんか?」
僕たちが尋ねると、女性は「ああ」と頷き、「ちょっと待っててくださいね」と、いったんリビングへと戻っていった。
数十秒もしないうちに、再び僕たちのもとに現れた女性は、手に犬を抱えていた。
小柄で茶色いミニチュアダックスフンド。少し折れ曲がった右耳。
僕たちが探していたトーマスに違いない。
「もしかして、この子のことですか?」
「そうだよ。そいつだよ」
「あの、どうしてその子、トーマスくんって言うんですけど、がそこにいるんですか?」
「ああ、名前は知ってます。迷子札にローマ字で書いてありましたから。一昨日ですかね、外から鳴き声がして、玄関を開けてみたらいたんです。誰かの飼い犬なんだろうとはすぐに思ったんですけど、迷子札の裏面に書かれていた電話番号に電話してみても繋がらなくて。しばらくは私が預かるしかないなと」
「それであなたたちは誰なんですか?」。女性が今さらながらに聞いてきて、僕は曖昧に微笑んだ。
「俺たちは探偵だよ。この近くで事務所も構えさせてもらってる。傘井探偵事務所って聞いたことないか?」
首を横に振る女性に、傘井はかすかにショックを受けていた。僕が何回か事務所を訪れた間も、依頼人は一人も来なかったから、知られていなくて当然だろう。
僕は傘井を見上げる。微妙な笑みでごまかそうとしていて、今は名刺を持っていないようだった。
「本当ですか? 適当なこと言ってるわけじゃないですよね」
「ああ、本当だよ。実は飼い犬が迷子になったから探してほしいって依頼が、昨日来てな。その迷い犬っていうのが、今お前が抱いてるトーマスなんだよ」
「おい、遠藤」。傘井は、僕に目を向けた。「依頼主に見つかったって連絡しろ」と言われて、僕は女性に断っていったん外に出る。
電話口の依頼主の男性はたいそう驚いて、それでも嬉しそうに「今すぐ向かいます!」と言っていた。何度も「ありがとうございます」と言われながらも、僕はなんとか電話を切った。
再び玄関の中に戻る。女性と傘井はまだ話している。信用はされていないみたいだったけれど、傘井の態度を思えば、それも当然だと思った。
依頼主が女性の家にやってきたのは、一〇分後のことだった。
女性に依頼主は感謝しっぱなしで、救世主でも崇めるかのようだった。僕たちにもそこまでしなくてもいいのにという感謝をしていて、むず痒い感じはしたけれど、それでも確かに嬉しかった。
トーマスを抱いて帰っていく依頼主を、僕たちはその姿が見えなくなるまで見送る。
人の役に立てたことに、僕は自分でも驚くほどの手応えを感じていた。
「よし、今回の依頼もひとまずは完了だな」
ソファにどっかり腰を下ろしてから、傘井が言う。足を大きく広げて、すっかりだらけている。
初日以外は児童公園でずっと待っていただけなのに、やり切った感を出していた。
「そうですね。依頼主さんもとても喜んでて、僕としてもよかったです」
「ああ。正直、探してるのも待ってるのも面倒くさかったから、二度と脱走しないよう願うよ」
あけすけな傘井の態度に、僕は小さく笑った。傘井が本当に面倒くさそうにしていたのは、言葉や表情からひしひしと感じていた。
「傘井さんの予知夢が当たらなかったときは、どうなるかと思いましたけどね」
「お前、失礼だな。改めて言っとくけど、俺の予知夢は的中率百パーセントなんだからな。いつ当たるか分かんないだけで」
「分かってますよ」。そう言って僕も、傘井とは反対側のソファに座った。
「まあでもさ、今回のお前には感謝してるよ」
「何ですか? いきなり」
「いや、お前が死ぬ前に走馬灯を見なかったら、俺は明日もあの児童公園で待ち続けてただろうからな」
「そうですけど、どうしたんですか? 柄にもない」
「何だよ、お前は感謝されんのが嫌なのかよ」
「いや、嫌ってわけじゃないですけど、傘井さんの口からそういう言葉が出てくるの、少し意外だなって」
「何だよ、お前。俺だって感謝の言葉ぐらい言うっつうの。本当よく死んでくれたな。マジでありがてぇと思ってるよ」
傘井がここまで人のことを労う人間だとは思わなかったから、僕は恥ずかしさと戸惑いを同時に感じてしまう。
「まあ、それくらいしかできることありませんからね」と照れ隠しをしても、傘井は終始穏やかな目をしていた。
大分暖まってきたせいか、事務所には和やかな雰囲気が流れている。
今なら何でも聞けそうだと思い、僕は少し踏みこんだことを口にしてみた。
「傘井さん、一つ聞いていいですか?」
「何だよ」
「デリケートな話なんで、答えたくなければ答えなくてもいいんですけど、傘井さんはどうして自分が死ねないって分かったんですか?」
そう訊いた瞬間、傘井の目から笑みが消えたので、僕は踏みこみすぎたかと軽く後悔してしまう。
背もたれから背中を離す傘井。膝の上に肘を乗せていて、辺りには剣呑な空気が立ちこめた。
「あのさ、みなまで言わねぇとダメか? お前だって分かんだろ、そんくらい」
釘を刺すように言った傘井に、僕は言葉を返せなかった。
分かっている。傘井が死ねないと気づいたのは、殺されそうになった経験があるか、もしくは自殺を試みたことがあるか、どちらかだ。どちらにしても、あまり気分がよくなるような話ではない。
だから、僕は「そうですね……。すいませんでした。変なことを聞いてしまって」と話を引っこめる。
まだパーソナルな話をするには、僕と傘井の関係は浅かった。
「まあ、いいよ。気になるのは当然のことだと思うし。そんな気に病む必要はねぇって」
嫌な思いをしているはずの傘井にフォローをさせてしまって、僕はバツが悪い気分になる。
聞かなければよかった。
そんな後ろめたさがあったから、傘井に「お前、もうそろそろ帰れば? ここにいてもすることねぇだろ」と言われると、素直に従わざるを得ない。
僕はコートを手に取って、「じゃあ、また今度、何かあったらよろしくお願いします」と、事務所を後にする。
「おう」と返した傘井の表情には、どこか暗い雲のようなものが浮き出ていた。
(続く)
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