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【小説】本当に死ねるその日まで(9)


※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。


前回:【小説】本当に死ねるその日まで(8)




 乾いた冬の匂いが、辺りに漂う。耳を澄まさなくても、通りを歩く人の話し声が聞こえてくる。僕たちが事務所に戻った時にはもうすっかり日は暮れていて、完全な夜になっていた。

 眼下を見下ろす。様々な人が様々な思惑を持って、ぽつぽつと行き交っている。

 僕は家に帰ることなく、また屋上の縁に立っていた。どれだけ考えてみても、持田からの限られた情報ではいい方法は思いつかず、僕は再び走馬灯に縋ろうとしていた。

 飛び降りることしか考えられない自分が恥ずかしいけれど、能力はただ持っているだけでは意味がない。使ってこそ価値があると自分に言い聞かせて、僕はゆっくりと身体を倒した。

 着々と迫ってくる地面が、何度経験しても怖くて、僕は目を瞑った。

 走馬灯が見られますようにではない。ただただ死にたいと強く願っていた。



 インターフォンを押す。だけれど、人は出てこない。

 しばらく経っても反応がなかったから、僕はもう一度インターフォンを押した。すると、今度は「どちら様ですか?」との声が聞こえてきた。昨日聞いたのと同じ声だ。

 翌日、学校が終わるとすぐに、僕は日比谷紗が暮らす八号棟の一室に向かっていた。曲がりなりにも傘井から解決を任されたのなら、責任は果たさなければならないだろう。

 声の主はおそらく日比谷紗だ。刺激しないように、僕は穏やかな声色を心掛けた。

「昨日に続いてすいません。僕は傘井探偵事務所の遠藤と言います」

 逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと口にする。正直、傘井の名前を出した時点で、立ち去られてもおかしくない。

 だけれど、日比谷紗は「また、あなたですか」と返事をしてきた。もしかしたら、自分と同年代の男子と思しき声に、少しだけ警戒を緩めているのかもしれない。

 僕は「はい。何度もすみません。あっ、でも昨日大声を出した所長の傘井は、今日は来ていないので安心してくださいね」と、前置きしてから切り出した。

「日比谷さん、昨日も言いましたけれど、僕はあなたの友人から、あなたが学校へ行けるようにしてほしいと依頼を受けています」

 「でも」僕は言葉に力を込めた。日比谷紗を呼び止めるために。

「僕は、無理をしてまで学校に行く必要はないと思います。何十人、何百人と学生がいる中で、相性が悪かったり合わない人がいるのは当たり前ですから。今日は日比谷さんと、ただお話がしたくて来たんです」

「話……ですか……?」

「はい。日比谷さんって、趣味は何かおありですか? 僕はテレビのバラエティ番組を見ることなんですけど」

「あの、私はたまに映画を見ています」

「そうなんですか。どんな映画をご覧になるんですか?」

「『リング』とか『呪怨』とか、そういう系の映画をよく見ますね」

 「へぇー、そうなんですか」と相槌を打ったはいいものの、僕には映画の知識は皆無だった。

 素証も知らない相手に挙げるような映画だから、きっと有名作品なのだろう。でも、僕はそれがどんなジャンルんお映画なのかも分からなかった。

 「面白いんですか?」とか「今度見てみようと思います」とか言ってみても、会話はあまり弾まない。

 思えば僕は、持田から日比谷紗のことをほとんど聞かされていなかった。

「あの、遠藤さん。今日ってわざわざ世間話をしにきたんじゃないですよね」

「と言いますと?」

「私に何か話したいことがあって、来たんですよね。いいから本題を言ってくださいよ」
 
 煮え切らない会話を続けていると、しびれを切らしたように日比谷紗が言った。結構せっかちな性格なのかもしれない。

 だけれど、どうやって切り出したらいいか迷っている僕に、本題に入るよう急かす日比谷紗の態度は、むしろありがたかった。

「あの、日比谷さん。これから僕が言うことを、驚かないで聞いてくださいね」

 日比谷紗は返事をよこさなかった。きっと僕が言うことを、そっと待っているのだろう。

「日比谷さんは最近暮らしている中で、おかしいなって思ったことはありますか……?」

「そんなの毎日ですよ。ここ最近、同じ時間に気を失うんです。どう対策をとっていいのかもわからず、気づけば自然に」

 「ってこんな話、嘘だと思いますよね」。そう日比谷紗が自嘲気味に呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。「いいえ」と見えてもいないのに、かぶりを振る。

「今回、お話したいのはそのことなんです」

 そう僕が言うと、日比谷紗はまたしても黙った。不測の事態に戸惑っているのだろう。

 僕はそれを見越して「どうか落ち着いて聞いてください」と呼びかけた。自分にも言い聞かせるかのように。

「僕と日比谷さんは、もしかしたら同じ体質の持ち主かもしれません」

「……どういうことですか?」

「手短に言います。僕と日比谷さんはおそらく、お互いに死にたいと思っていても、死ねない体質だと思われます」

 僕が言ったが最後、ドアの前にはしんとした空気が流れた。冗談を言っていると思われたのかもしれない。

 しばしドアを見つめていても何も起こらず、今日はダメかと諦めて帰ろうとした矢先だった。

 踵を返した瞬間に、小さな音とともにドアが開けられた。

 僕は振り返る。そこに立っていたのは、まだ一〇代と思しき少女。おそらく日比谷紗である可能性が高い。

「それって本当なの?」

「はい。そうでもないと説明がつきません」

 日比谷紗が僕を見つめてきたから、僕も嘘をついていないと証明するために、目を合わせた。無言の会話に、試されていると感じる。

 一瞬が何分間にも感じる中、日比谷紗は僕を見たまま、小さく口を開いた。

「入って」

 言われた通り、部屋の中に入る。玄関にはいくつもの靴が並べられていて、横の棚にはスノードームが置かれている。日比谷紗の奥には、整然としたリビングが広がっているのが見えて、かすかに柑橘系のいい匂いが香ってきていた。

「……あんたも死のうとしたことあるの?」

 慎重に呟かれたその一言だけで、僕は日比谷紗の事情をそれとなく察した。はっきりと頷く。

 「そう……」と言葉少な気な日比谷紗。僕よりも少し高い身長に、肩のあたりまで伸びた髪が、表情も相まって大人びた印象だ。

「はい。でも、死ねませんでした。実は所長の傘井も同じ体質で、言われて知ったんです。僕たちみたいな体質の人間が、この世界にはごくまれにいるって」

 初めて知らされる事実にも、日比谷紗はそこまで驚いた様子を見せなかった。ただ、目をわずかに下げて、「そっか……。私だけじゃなかったんだ……」と言っている。

 それが死ねない人間がいるという驚きなのか、自分一人じゃなかったという安堵なのか、僕には分からない。

 今僕にできることは、なるべく冷静に事情を説明するだけだった。

「はい。それでこれも信じられないかもしれないですけど、死ねない人間にはその体質以外に、プラスアルファで、〝能力〟と呼ばれるものがあるんです」

 日比谷紗が視線を上げる。まるっきり疑っている様子はない。思い当たる節があるのだろう。

「僕の場合は走馬灯といって、死ぬ前に過去の光景が見えるんです。日比谷さん、あなたも気を失っている間、何かが見えたりしていませんか?」

 少し迷ってから、日比谷紗は小さく頷いた。だから、僕が抱いていた推測は確信へと変わる。

 死ねない人間は、僕が思っていたよりも珍しい存在ではないのかもしれない。

「近くの河川敷を散歩している人とか、行ったことのある公園で遊んでる親子連れとか、見えたことがある。でも、かと思えば全然行ったことのない海外の街並みや、木が生い茂るジャングルの光景も見えたりして。まったく意味が分からない」

「なるほど、そうですか。つまり日比谷さんは気を失っている間に、別の場所が見える。そういった能力をお持ちなんですね」

「そんなもんなのかな……。ちょっと非現実的すぎてついてけないけど……」

「まあいきなり言われても、そう簡単には信じられないですよね。僕だって理解するのには、少し時間がかかりましたから」

 そう語りかけてみても、日比谷紗はまだ完全には理解できていないようだった。

 僕たちが今いるのは、団地の五階だ。その気になれば、傘井がやったように窓から飛び降りることもできるし、包丁やカッターナイフで、日比谷紗の手首を傷つけることだってできる。

 だけれど、そのどちらも僕は気が進まない。目の前でこんがらがっている日比谷紗に、これ以上のショックを与えたくはなかった。

「では、僕はこのへんでお暇したいと思います」

「何……、もう行くの……?」

「はい。もう今日伝えたいことは伝えましたし、これ以上ここにいるのは、日比谷さんにもちょっと迷惑かなと」

 突き放すような言い方になってしまったけれど、僕にはもう玄関にいる理由がない。まだ日比谷紗は受け入れられていないようだし、ここは日を改めるのが得策だろう。

 「では、また今度」。そう言って、僕が振り返ろうとしたときだった。日比谷紗が「待って」と、僕を呼び止めたのだ。

 思いもよらなかった展開に、僕は固まる。日比谷紗の目は、何かに縋るかのようだった。

「私も、あんたんとこの事務所に連れてって」


(続く)


次回:【小説】本当に死ねるその日まで(10)


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