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【小説】本当に死ねるその日まで(8)


※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。


前回:【小説】本当に死ねるその日まで(7)





「それで、今日はいったいどうされたんですか?」

 目の前に座る相手に、僕は問いかける。

 相手は僕が出したお茶にも手をつけずに、膝に手を置いたまま、僕のことを縋るような目で見ている。着ている学生服は、僕の通う学校とは違うものだ。

「あの、ここは依頼すれば、何でも引き受けてくれるんですよね?」

「そ、そうですね。内容にもよりますけど、できる限り前向きに検討したいと思います」

 事務的な返事をした僕にも怯むことなく、持田玲と名乗ったその女子は、思い切ったように口にした。

「今は学校に来ていない友達を、再び学校に来れるようにしてほしいんです」

 想像もしなかった依頼に、僕は一瞬面喰ってしまう。でも、持田の目はいたって真剣だ。

 「そんなの学校の先生か、スクールカウンセラーに頼めばいいだろ」と空気を読まずに、後ろの机に座った傘井が口を挟んでくる。「同年代なんだから、お前対応しろ」と言ってきたのは、傘井だというのに。

「もちろん私も、まずはその人たちに相談しました。でも一月経っても二月経っても、何も改善しないんです。私はあの子と再び学校で会いたい。そう思って依頼するのは、いけないことですか?」

「いや、別に悪ぃことじゃねぇけどよ。何で俺たちが、ガキの問題を解決しなきゃなんねぇんだよ」

 僕と初めて会ったときには「どんな依頼でも引き受ける」と言っていたのに、傘井は明らかに面倒くさそうにしていた。ここ一ヶ月で依頼はあのペット探しの一件しかないのに、危機感はないのだろうか。

 僕は振り返って目線で「ちょっと静かにしてください」というメッセージを送る。持田にも「あの人の言うことは気にしなくていいですからね」と、フォローを入れる。

 傘井は「何だその言い方。所長と呼べ、所長と」と不満げに言っていたが、僕はそれをやんわりと無視した。

 ポケットからメモ帳とシャープペンシルを取り出す。

「そうですか。では、まずはその今は登校していないというご友人について、お聞かせいただけますか?」

「はい。名前は日比谷紗といって、私と同じクラスの高校二年生です。部活は美術部に入ってましたけど、今は休部中で、去年の一一月ぐらいからずっと学校に来てません」

「なるほど。その日比谷さんが登校していない理由について、持田さんは何か心当たりはありますか?」

「そうですね……。紗は目立つタイプの子ではなかったんですけど、勉強もできて部活にも精力的に取り組んでました。でも、学校に来なくなった心当たりが、全くないと言ったら嘘になります」

「それはどういうことでしょうか……?」

「去年の一〇月ぐらいからのことなんですけど、あの子、失神するようになったんです」

「失神、ですか?」

「はい。それも正午からの一分間、毎日。誰も表立って茶化すことはしてなかったんですけど、あまりにも毎日繰り返すもんだから、少し教室に居づらかったのかもしれません」

 持田の説明に、僕は異常の匂いを感じ取った。毎日同じ時間に失神するなんて、そんな話聞いたことがない。

「それは何か原因があったりするんでしょうか? 例えば貧血とか」

「いえ、病院には行ったみたいですけど、どこにも異常はなかったらしいです。でもその後も、紗は毎日失神を繰り返していて。自分でもどうしたらいいか分からず、追い詰められていたようでした」

「なるほど。それは大変そうですね」

「はい。だから例えば、その時間帯は保健室で誰にも見られないようにして過ごすとかすれば、あの子の負担も少しは軽くなると思うんです。どうか紗を学校に来れるようにしてあげてください。お願いします」

 持田は頭を下げた。同じ年頃の子のことだし、依頼を引き受けたい気持ちはある。だけれど、これは僕の一存だけではどうにもならない。

 僕は傘井を振り返った。

 一人は頭を下げて、もう一人は頼みこむような目を向けている状況に、さすがの傘井も少しはほだされたらしい。頭を掻きながら「しょうがねぇなぁ」と言う。

 持田が「本当ですか?」と、縋りつくような声を出したのが聞こえた。

「ああ。ただし、こっちも慈善事業でやってるわけじゃねぇんだから、ちゃんと貰うもんは貰うぜ。お前学生だろ? だから今回は特別に二万で勘弁してやるよ」

 それは傘井からしてみれば、良心的な価格なのだろう。

 だけれど、僕は思わず「ちょっと、傘井さん」と口にしていた。大人の二万円と子供の二万円は、価値も重みも全く違う。

「分かりました。それくらいなら私バイトしてますし、なんとかなると思います」

 持田は淡々と言っていて、僕はわずかに驚いてしまう。僕にとっては二万円は、今まで手にしたことのない金額だったからだ。

 傘井も持田の懐具合を勘案したのか、「今すぐ払え」とは言わなかった。代わりに、ニコッと口角を持ち上げてみせる。

「そうか。じゃあ、お前の依頼受けるわ」

「本当ですか?」

「本当だって。俺たちに任せとけ。な?」

 僕も頷く。会ったばかりだけれど、目の前の持田、そして学校に来られない日比谷の力になりたいと思っていた。



 次から次へと現れる縦にも横にも長い建物に、感じたことのない心地を抱く。

 初めて訪れた団地は一軒家、そしてアパートに暮らしていた僕には、まるで違う世界のように新鮮に見えた。

 持田に住所を教えられて、そのまま僕たちは、日比谷のもとに向かっていた。傘井とともに団地を突っ切る。

 傘井は慣れているのか、特に反応も示さず、足早に日比谷の部屋がある一番奥の建物へと向かっていた。

 日比谷の部屋は四階にあった。両親と暮らしているらしいから、いきなり日比谷に会える可能性は低いだろう。

 僕たちはインターフォンを押した。乾いた音が、辺りに広がって消える。

「どちら様ですか?」

 声の主はドアを開けることもなく、聞いてきた。

 何と切り出そうか迷っている僕をよそに、傘井はポケットに手を入れたまま答える。

「傘井探偵事務所・所長の傘井だ。日比谷紗って奴に、少し話がある」

 傘井は突っ立っている風貌そのまま、高圧的な態度で告げていた。

 ドアの向こうの相手は押し黙る。当然だ。いきなりドアの向こうから、低い大人の男の声が聞こえてきたら、僕だってそうする。

 フォローするように「あの、すいません。日比谷紗さんの部屋は、こちらで間違いないですか?」と僕は言う。物腰柔らかな口調で、敵ではないことを伝えようとした。

「はい。そうですけど、今紗はいません。少し外に出かけて行っています」

 答える声は女性のものだった。しかもまだ若いように感じられる。

 傘井がくいっと顎を動かす。僕が喋れという合図だ。

「そうですか。じゃあそちらにいるのはお母様か、ご姉妹の方ですか?」

 反応がないことが何よりの根拠になる。おそらくドアの向こうにいるのは、日比谷紗だ。

「では、紗さんに伝えておいてもらえませんか。僕たちは紗さんのご友人から依頼を受けて、ここに来ていると。そのご友人は、紗さんがまた学校に来ることを望んでいると」

「はい、分かりました」。そう返ってくるまでに、少なくない時間があった。もし家族ならためらう理由はないはずだから、僕はやはりドアの向こうにいるのは、日比谷紗だと確信する。

 でも、無理やりにでもドアノブに触れることはしない。こんなところで、いらない恐怖を与えるべきではない。

「では、また来ます。今度はお互い、顔を見た状態で話ができるといいですね」

 僕は小さく頭を下げて、ドアの前から立ち去ろうとした。

 だけれど、傘井はその場から動こうとはしていない。「どうしたんですか? 行きましょうよ」と言っても、じっとドアを見つめるだけだった。

「おーい! お前、日比谷紗だろー!」

 建物中に聞こえそうな声で、傘井はドアに向かって呼びかけていた。僕が「ちょっと」とたしなめるのも聞かず、さらに言葉を続ける。

「最後に一つだけ聞いていいかー! お前、リストカットってしたことあるかー!」

 口にした言葉が唐突すぎて、失礼すぎて、僕は傘井のジャケットの裾を引っ張ってまで、ドアの前から離したくなった。

 でも、いくら僕が引っ張ったところで、傘井は微動だにしなさそうだ。

 ドアの向こうから反応はない。もしかしたら、大人の男の大きな声に怯えているのかもしれない。

「でも、ことごとくうまくいかなかったろー! 気がついたら、手首は切る前の状態に戻っててー! 違うかー!」

 傘井が何を確かめようとしているのか、僕にはうっすらと分かった。

 ドアの向こうから、足音が聞こえる。おそらく日比谷紗が玄関から離れていった音だ。

 これ以上ここにいても意味はないだろう。

 僕は、「ほら、傘井さん行きましょうよ」と声をかける。

 でも、傘井はじっと向こう側を見通すように、銀色のドアを見ていた。



「傘井さん、何やってんですか。あんな大きい声出して。中にいる人が怯えてたらどうすんですか」

 八号棟から離れていくなかで、僕は傘井にそれとなく注意する。空は太陽が沈んで、薄暗くなり始めていた。

「別にいいだろ。そんくらいの声じゃなきゃ、聞こえなかっただろうし」

「いや、僕ぐらいの声でも十分聞こえてましたよ」

 僕のつっこみも、傘井は意に介していないように鷹揚に歩いていく。

「でもよ、おかげで分かっただろ」

「何がですか?」

「日比谷紗が、俺たちと同じ体質の持ち主だってことだよ」

 いとも簡単に言ってのける傘井。

 にわかには信じられなくて、僕は思わず「どうしてですか?」と聞いてしまう。そんなにたくさん、僕たちと同じ不死者がいるとは思えなかった。

「バカ。リスカについて聞いたときの反応が、全てだろ。傷がつかないってことは、傷つける前の状態に巻き戻ったってことなんだよ」

「そうですかね」

「そうだよ。じゃなかったらあんな脈絡もない話、適当に聞き流せばいいだけの話だろ。わざわざ逃げる必要なんてねぇ」

 確かに日比谷紗(推定)の反応は、不自然だった。足音を立ててまで、玄関から離れる意味があったのか。

 そう思うと、傘井の予想も現実味を帯びてくる。

「もしそうだとしたら、これからどうしましょうか? まずどうやって日比谷紗と、直に会うかですよね」

「ああ、そのことなんだけど今回の件、お前に任せるわ」

 そんな言葉が傘井の口から出るとは思わなかったから、僕は思わず立ち止まってしまう。

 「どうした?」と聞いてくる傘井は、まったく不思議に思っていないようだ。

「いや、何で僕に任せるんですか? これは傘井探偵事務所への依頼でしょう?」

「あのな、俺だって色々やることあんだよ。これでも一応経営者だぞ? それにガキの相手はガキに、じゃなかった、同じ年頃の方が、分かることも多いだろうと思ってな」

「もしかして、職務放棄ですか? 僕にだけ大変な部分を押しつけて、楽しようとしてません?」

「バッカ。適材適所だよ」

 何が適材適所だ。結局面倒くさいだけじゃないか。そうは思っても、口にしたら堂々巡りになるだけなので、僕は何も言わなかった。

 団地の入り口にあるバス停に着くと、すぐに最寄り駅へ向かうバスはやってきて、僕たちは何の疑問も持たず乗る。

 車窓を見ながら、僕はどうすれば日比谷紗を説得できるか、頭を必死に回していた。


(続く)


次回:【小説】本当に死ねるその日まで(9)


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