見出し画像

【小説】本当に死ねるその日まで(10)


※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。


前回:【小説】本当に死ねるその日まで(9)




 僕たちが事務所に戻ったときには、既に空は大分暗くなっていた。

 ノックをしてドアを開けると、傘井はソファに座り、僕たちに背を向けて新聞を読んでいた。

 「ただいま戻りました」と形だけの挨拶をする。「おう、お疲れ」と振り返った傘井は、そこで動きを止めた。

 意外そうに目を見開いている。無理もない。僕の隣には、外出着に着替えた日比谷紗が立っていたのだから。

「おい、お前そいつどうしたよ。まさか……」

「はい。こちらの方が今回の重要人物、日比谷紗さんです」

 日比谷紗は小さく頭を下げた。傘井は立ち上がって、僕たちのもとへと近づいてくる。

 面と向かい合うと、吐息からタバコの匂いがした。

「お前、どういうつもりだよ。俺はそいつをここに連れて来いなんて、言ってねぇぞ」

「それは日比谷さんが言ったんです。傘井探偵事務所に行きたい。傘井さんに会ってみたい、と」

 傘井の目が日比谷紗に向く。いくら僕より背が高いと言っても、傘井と比べると文字通り大人と子供だ。

 でも、日比谷紗は意を決して口を開いた。

「はい。あの、傘井さんでよろしいんですよね?」

「そうに決まってるだろ」

「一つ聞きたいことがあるんですけど、傘井さんもこちらの遠藤さんと同じく、死ねない体質なんですか……?」

 自信がなかったのか、語尾は消え入るようだったが、確かに日比谷紗は口にした。

 傘井は小さく笑う。僕には何がおかしいのか分からない。

「ああ、そうだよ。俺もこいつも、そしてお前も死ねない体質の人間だ。嘘じゃねぇ。何だったら、今屋上が開いてるから試してみるか?」

「いえ、それは遠慮させてもらいます。あの、もう一つ聞きたいことがあるんですけど、お二人のような死ねない体質の人には、他にもプラスアルファで能力があるっていうのは、本当なんですか?」

 傘井が「お前、そこまで言ったのかよ」と言いたそうな目で見てきたから、僕は頷いて素直に認めた。

 日比谷紗だって感じていることだ。隠してもしょうがない。

「ああ、そうだよ。こいつは走馬灯で過去が見える。俺は予知夢で未来が見える。まあお互い制限はあるけどな。お前はどうなんだよ?」

「……たぶん、私は気を失っている間だけ、別の場所で起こってることが見えるんだと思います。まるで空を飛ぶ鳥が、地上を見下ろすように」

「なるほどな。さしずめお前の能力は、『鳥瞰』ってところか。失神してるのは一日のうち一分だけって聞いてるぜ。使い勝手がよさそうで、そうでもない能力だな」

 そう言い放った傘井に、日比谷紗は目を伏せてしまった。傘井の正直さが、今は毒と化している。

 「ちょっと」とたしなめる僕にも、傘井は悪びれる様子はなかった。

 日比谷紗の気持ちを考えていないかのような振る舞いに、僕の倍以上の年を重ねているとは思えない。

「まあ日比谷さん、あまり気にすることないですよ。確かに代償もありますけど、それは他の人にはない、日比谷さんだけの能力なんですから」

 僕のフォローにも日比谷紗は頷くだけだった。

 事務所には僕たちが入ってきてからずっと微妙な空気が流れている。お互いに腹の内を探り合っているかのような。

 僕は少しひりついたものを感じてしまう。

「あの……、で、どうするんですか……?」

「どうするって何がだよ」

「私を学校に連れていくんですか?」

「まあ依頼人からはそう頼まれてっけど、それを決めるのは俺じゃねぇな」

 傘井の目が僕に向く。やはり今回の件は、どこまでも僕に任せる気らしい。

「確かに依頼内容からすれば、日比谷さんを学校に行かせるのが正解なんでしょうけど、正直僕には判断がつきません。別に学校だけが、人生や世界じゃないですし。日比谷さんは、どうしたいと思ってるんですか?」

「……私は、こんなこと言うのはよくないって分かってるんですけど、まだ学校には行きたくないです。だって私は今でも毎日、正午に気を失ってるんですよ。それが治らない限り、学校に行ってもまた迷惑をかけたり、からかわれるだけだと思います」

「では、気絶癖が治ったら、また学校に行きたいと思いますか?」

 僕の質問に、日比谷紗は言葉を詰まらせていた。苦い反応に、僕もこれ以上踏みこめない。

 傘井は一応僕たちを見ているが、視線からしてあまり興味を持っているようには思えなかった。

「あの……、ちなみに私にまた学校に来てほしいと依頼したのは、誰なんでしょうか……?」

「……持田玲さんという方です。同じ高校ですよね?」

 その瞬間、日比谷紗はあからさまに顔をしかめた。

「そんな。あの子がそんなこと言うわけありません。だってあの子はクラスや学年問わず友達がたくさんいて、いつも楽しそうにしてるんですよ。あの子の学校生活に、私が必要なわけありません」

「いえ、でも持田さんは、本心から日比谷さんに学校に来てほしい様子でしたけど……」

「それは軽蔑する対象がほしいからだと思います。勉強はできても、友達が少ない。おまけに毎日気を失って周囲に迷惑をかける私を見て、笑いたいからだと思います。そうして自分の心の安定を図る。私の知っているあの子は、そういう人間です」

「ずいぶんな言い方だな。本人の口からそう聞いたのか?」

「いえ、でも私が学校に行けない間も、あの子は友達と楽しそうに笑っていました。私のことなんて全く気にしていないかのように、大口を開けて。あの子にとって私は、安心してバカにできる存在でしかないんです」

「まるで見てきたかのように言うんだな」

「はい。私は気を失っている間に見たんです。あの子が笑顔で、友達と昼食を食べているところを。何度も何度も」

 訴えかける日比谷紗の目は、「信じてください」とでも言いたげで、僕は下手に否定できなかった。傘井に初めて走馬灯のことを話したときの僕と同じような気持ちを抱いていることが分かって、小さく首を縦に振る。

 どのみち僕には、日比谷紗の言うことが本当だと感じるだけの材料があった。

「分かりました。日比谷さんの言うことや、見たものを信じます。日比谷さんの気持ちも、十分に受け取りました。持田さんには僕から話しておきますから、どうぞ安心して家にいてください」

「おい、いいのかよ。そんなこと言って。それじゃ依頼が果たせなくなっちまうじゃねぇか」

「傘井さん、この件は僕に任せてくださるんじゃなかったんですか? だったら傘井さんが、持田さんと話しますか?」

 僕から思わぬ反撃を受けて、傘井は口をつぐんでしまった。持田よりも、日比谷紗の肩を持とうと思ってくれたのかもしれない。

 口を挟んでこなくなった傘井をよそに、僕は日比谷紗に再び声をかける。

 日比谷紗は、まだ不安そうな表情をしていた。

「最後に、もう一つだけ教えてもらっていいですか」

 頷く日比谷紗。こんなこと人にあまり聞いたことはなかったけれど、僕は確信をもって告げた。



「どうしたの? って聞くまでもないか。私を呼んだってことは、話したいことは一つだもんね」

 数日ぶりに会った持田は、いつの間にか僕にタメ口を利くようになっていた。無理もない。今事務所にいるのは僕たち二人だけだ。

 傘井には、同じ年代だからこそ話せることもあると理屈をつけて、席を外してもらっている。

 後ろ盾がない状態では少し心細くも感じるが、それでも僕は引くわけにはいかなかった。

「はい。持田さん、今日はお察しの通り、日比谷さんについて報告があって、呼ばせてもらいました」

「だろうね。ラインや電話じゃなくて、わざわざ会って話したいってことは、それなりに重要な話なんでしょ?」

 持田の表情は自信に満ち溢れていて、まるで僕が次に何を言うのか分かっているようだった。

 僕も持田が待っている言葉は、はっきりと分かる。

 だけれど、その言葉を僕は口にできなかった。嘘をつくことになるからだ。

「ええ。単刀直入に言います。日比谷さんは、まだ学校には行きたくないそうです」

 持田が表情を変えることはなかった。織りこみ済みかのように、「ふうん」と口にしてみせる。依頼してきたときとは大違いだ。

「まあ、そうだろうね。じゃなきゃ不登校しないだろうし。で、遠藤くんだっけ? 君たちはどうやって日比谷を学校に連れ出してくれるの?」

「いえ、僕はこのままでいいと思っています。日比谷さんが、耐えられないほどの嫌な思いをしてまで、学校に行く理由はありません」

 「はぁ!?」と、分かりやすく不満げな声が持田から漏れた。飾らない態度に、初めて来たときにはそれなりに猫を被っていたのだと感じる。

「何それ? 私は日比谷を学校に連れ出してって、頼んだんだよ? 君たちも了承したよね? それを反故にする気? 契約不履行じゃん」

 言葉でぐいぐいと迫ってくる持田。

 だけれど、僕は毅然とした態度で向き合った。僕はなんら恥ずべきことを言っていない。

「確かにそうです。だからお代はもう要りません。これからは日比谷さんを気にかけるのは、心の中だけにしておいてください」

「いや、何で? クラスに不登校の子がいるのって、なんか嫌じゃん。その子を連れ戻したいと思うのは、そんなに悪いことなの?」

「本当ですか? 本当に心の底から、そう思ってるんですか?」

「当たり前じゃん。私は日比谷にも、楽しい学校生活を送ってほしいと思ってるよ」

 純粋に見える持田の態度に、僕はため息をつきたくなった。混じり気がないように見えているのは表面だけで、中身は溶岩のようにドロドロとしている。

「持田さん、よくそんなことが言えますね。日比谷さんにあんなことしてたのに」

「あんなことって何よ」

「日比谷さんに暴言を吐いたり、髪の毛を掴んだりしてたじゃないですか。本人が嫌がってるのに、数人の仲間とヘラヘラ笑いながら」

 日比谷紗と初めて言葉を交わした後、屋上から飛び降りた僕が見たのは、地面に座り込む日比谷紗と、それを見下ろす数人の女子たちだった。

 「キモイんだよ」とか「学校来んな」とか心にもないことを言い、最終的には髪の毛を掴んで無理やり顔を上げさせていた。今思い出しても胸糞が悪い。

 顔は見えなかったけれど、その主犯格が持田であることは、声を聞いてすぐに分かった。それは高校に入ってから僕が初めて見た、いじめの光景だった。

「何それ。日比谷からそう聞いたの?」

「いえ、聞いてません。でも調査を進めるうちに分かったんです。あなたが、日比谷さんを精神的に追い込んでいたことが。そんなことされたら、誰だって学校に行きたくなくなりますよ」

 「それ、誰から聞いたの?」と尋ねる持田の顔が、僕には般若のお面にさえ見えてしまう。

 僕に話を漏らした人間(そんなのいないが)を、次のいじめのターゲットにしようとしているのは明らかだった。

「それは言えません。だって言ったら持田さん、その人のことを攻撃するでしょう?」

「あのさ、私がそういう人間に見える?」

 ここで頷くのはあからさますぎたから、僕は持田の目をじっと見た。嘘をついているのは分かっていると、視線に込める。

 僕の意図を察したのか、持田はわずかに目を逸らしていた。後ろめたいことがある証拠だ。

「何、じろじろ見てんの? そんなに私のことが信用できない?」

「はい。少なくとも、日比谷さんよりはずっと」

 僕がそう言うと、持田は頭を掻いていた。でも、整髪料で整えられた髪は、そう簡単には崩れない。

「持田さん。改めて言います。僕は、日比谷さんをまた学校に行かせようとは思えません。いえ、今の状況では行かせることができません。なので、もうお引き取りください。そして、友達とヘラヘラ笑う学校生活を続けてください。日比谷さんが負った心の傷から、目を背け続けながら」

 ドアに視線を向ける。もう話すことはない。

 なのに、持田は小さく笑っていた。人を小バカにしたような笑みに、本性が垣間見える。

「あーあ、先生もスクールカウンセラーの人も、私の言うことを分かってくれたのになぁ。どうして君は分かってくれないんだろ?」

「それは、持田さんが本当のことを言ってないからですよ。大人は騙せたからって、同じように子供も騙せるとは思わないでください」

「君、つまんないね。超面白みに欠けるよ」

 持田は一つ息を吐いた。事務所を見回していて、カメラがないか、誰かに見られていないか確認しているようだった。

 再び僕に向き合った目は、肉食獣のように鋭い。もう演技をするのはやめたようだ。

「そうだよ。日比谷紗を学校に来れないようにしたのは、私だよ」


(続く)


次回:【小説】本当に死ねるその日まで(11)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?