【小説】本当に死ねるその日まで(11)
※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。
「そうだよ。日比谷紗を学校に来れないようにしたのは、私だよ」
事務所に僕たち二人しかいないことを確認した持田は、軽く嘲笑うように言った。顔に笑顔が張りついていて、怖くさえ感じる。
「だってあの子、なんか気持ち悪いじゃん。喋り方もボソボソしてるし、動きも少しどんくさいし。何より、友達と呼べる友達が全然いない。学校に来てて楽しいのかなって思うよ」
「……だからって、それがいじめていい理由になるんですか?」
「何言ってんの。私はいじめてないよ。ちょっとからかってあげてるだけ。友達のいないあの子に、積極的にコミュニケーションを取ってあげようとしてるだけじゃん。それの何が悪いの?」
「じゃあ、また学校に行けるようにしてほしいって依頼したのも……」
「まあ、コミュニケーションが取りたかったからだね。だってあの子がいないと、つまんないんだもん。学校生活にもハリがないっていうかさ」
「では、どうしてもまた来てほしいってわけでは、なかったんですね?」
「うん。まあ、来なかったら来なかったでそれもいいかなって。でも、学級委員ってけっこう大変なんだよ? 不登校の生徒がいたら、学級の運営の仕方に問題があったんじゃないかって、矛先向けられて。そんなの先生たちの問題なのにね。たかだが一生徒に、何をそんなに期待してんだか」
持田の言っていることを、僕は一つも分かりたくはなかった。大きな声で怒鳴ってやりたいくらいだ。
でも、僕は「分かりました」と口にしていた。それは場を収めるためではなく、次に進むために必要な工程だった。
僕は、スマートフォンを取り出す。そして、耳元に当てて呟いた。
「だそうです。日比谷さん」
持田の方を向いたまま僕は口にしたので、持田は「ちょっと君、何やってんの?」と、少し慌て始めた。
スマートフォンのスピーカーを通して、「はい、確かに聞きました」という日比谷紗の声が、室内に浮かび上がる。
持田は驚いたまま、動けていない。
「すいません。聞きたくもないことを、お聞かせしてしまって」
「いえ、おかげで決心がつきました。私は持田を許せません。持田がいる限り、あの教室には二度と通いません」
「それはこの先も、学校に行くことはないということですか?」
「はい。学校に行ったとしても、また私の体質をバカにされることは目に見えてますから。転校したり、定時制高校に入り直したりとか、そういった選択肢も含めて、じっくり考えていきたいと思います」
通話をする僕の横で、持田は「ちょっとやめなさいよ」と、盛んに言ってくる。もう今回の目的は果たせたから、僕としても電話を続ける理由はあまりない。
だから、ここは持田の言う通りにしてやろうと思った。
「分かりました。では最後に、持田さんに何か伝えておきたいことはありますか?」
「はい。もう二度と私に関わらないでください。先生たちへの印象をよくするために、家に来たりもしなくていいです。私がいなくても、何ら支障のない学校生活を送れることは分かっているので。せいぜい元気に過ごしてろ。そう伝えてください」
「はい。伝えておきます。日比谷さん、今回はありがとうございました」
「いえ、私の方こそありがとうございました」
「だそうです」。電話を切ってから、僕は持田に改めて告げた。
持田の顔からは余裕の笑みは消え去っていて、煮えたぎるような怒りが迸っていた。
「君、何してんの? これじゃ、日比谷が学校に来ることは当分なくなったじゃん!」
「いえ、当分ではなく、持田さんがいる間はずっとです」
「はぁ!? 何言ってんの!? 言っとくけどね、百歩譲って私が引き下がったとしても、先生やスクールカウンセラーの人はこれからも日比谷のこと尋ねて、しつこく学校に来いって言い続けるよ!」
「その場合は、今回の通話内容を再生して聴かせますよ。言ってませんでしたっけ? この電話は録音もされてたんですよ」
「何それ! 今すぐ消してよ!」
「無駄ですよ。もう日比谷さんのスマホにも送りましたから」
食い下がってくる持田にも、僕は落ち着いて対処できた。今この場で、僕は完全に優位に立っていた。
「……もしかして、私を脅す気なの?」
「いえ、そんな気はありません。持田さんにも立場ってものがあるでしょうし、僕からは言わないでおきます」
「ただ、日比谷さんがどうするかは分かりませんけどね」。そう僕が言うと、持田もようやく自分の立場が分かったのか、それ以上食い下がらなかった。
苦虫を嚙み潰したような表情をしている持田に、僕はもう一度冷静に告げる。
「持田さん、改めて言います。もうお引き取りください。これ以上話しても何にもならないのは、持田さんも分かっているでしょう?」
持田は僕を強く睨みつけてから、踵を返して、事務所から去っていった。持田がこれからどこに行くのかは、僕には分からない。
だけれど人のために、日比谷紗のためになることをしたという実感は、確かに芽生えていた。
持田と話をつけた翌日、僕は久しぶりに、いい気分で学校に行くことができていた。
歩いているだけで太陽は輝き、風が幸せの香りを運んでくるように思える。小出くんや堀内くんとの話も弾み、学校にいていいという実感が持てていた。
いつになく学校が楽しく、僕はすっかり浮かれ気分になっていた。依頼は完了できなかったけれど、探偵としての仕事も悪くないなと思い始めていた。
「こんにちはー」
ノックを二回してから、僕は事務所のドアを開ける。事務所に行くのも、いつの間にか苦ではなくなっていた。
「おう、遅いぞ」と、机に座った傘井が迎える。それはいつも通りだったが、この日の僕はドアを開けた瞬間、固まってしまう。
ソファに、橙色のセーターを着た日比谷紗が座っていたからだ。
「日比谷さん、どうしてここにいるんですか?」
「いやな、俺が昼過ぎに事務所に行ってみたら、既にこいつがドアの前に立ってたんだよ」
傘井に説明されても、日比谷紗が小さく頭を下げていても、僕は依然状況が飲みこめなかった。頭が混乱して軽くパニックを起こしそうだ。
困惑している僕を見て、日比谷紗はソファから立ち上がる。今度は深く頭を下げていて、僕も思わず頭を下げ返した。
「遠藤さん、昨日は本当にありがとうございました。大げさじゃなく、私は救われました。感謝してもしきれません」
「いや、それはありがたいんですけど……。えっ、もしかしてわざわざ事務所までお礼に来てくださったんですか?」
「いえ、違います。次にどうするか決まるまで、ここにお世話になりたいなと思って、今日は来ました」
「えっ、いや、言ってる意味が……」
「だから、日比谷はここでバイトしたいんだとよ。俺たちに恩返しがしたいとかなんとか言ってな」
傘井の説明にも、僕の理解は追いつかなかった。そんな展開まったく想像もしていなかった。
未だ表情に疑問符を浮かべる僕に、日比谷紗が落ち着いた口調で言う。
「はい。家にいてもそんなにやることないですし、だったら遠藤さんや傘井さんのもとでお世話になって、少しでも人のお役に立てたらいいなと思いまして」
「それは僕もいいと思いますけど、いささか急すぎませんか?」
「いえ、もう両親にも話はしてあります。もちろん来れるときに来る形ですけど。それに死ねない、毎日必ず気を失う体質になってしまった私を受け入れてくれるのは、現時点ではここしかないと思ったんです。同じく死ねない体質を持つお二人なら、私の悩みも分かってくれるかなって」
日比谷紗は、僕たちに親近感を覚えているようだ。純粋な目で見られると、無下にはしにくい。
僕はちらりと傘井を見た。
「いいんですか? 傘井さん。日比谷さん、こう言ってますけど」
「いやな、俺も何度も説得しようとしたんだけど、こいつ全然聞かないんだわ。何でも、今回入るはずだった依頼料が入らなかったことの、罪滅ぼしをしたいんだと」
「そんな、罪滅ぼしだなんて。僕は日比谷さんのためを思って、行動したまでですよ。日比谷さんが気にする必要なんてありません」
「いえ、そこまで私を理解してくれる遠藤さんと傘井さんがいるから、私はここに来たいんです。お願いします。少しの間だけでいいから、私にバイトをさせてください」
日比谷紗は頭を下げた。「俺は違ぇんだけどな」と言っている傘井を、僕は軽くたしなめる。
必死にお願いをしている日比谷紗を見ていると、僕はいとも簡単にほだされた。
「分かったよ。お前が満足いくような給料は出せねぇけど、それでもいいか?」
「はい、ぜひお願いします」
「そっか。じゃあ、お前採用な。これからは俺たちじゃなくて、依頼人のために誠心誠意働けよ」
「はい!」
明るい返事をした日比谷紗を見て、僕はもう後戻りができないと悟る。
「遠藤さん、改めてよろしくお願いします!」と言われれば、僕も「よろしくお願いします」と答えるしかない。
傘井探偵事務所に職員が、アルバイトだが一人増えた。これで僕の負担も少しは減るだろうし、空いている時間で話すのも、どことなく楽しそうだ。
僕は前向きに物事を考えた。もしかしたら、日比谷紗の熱意に当てられたのかもしれなかった。
(完)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?