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【小説】本当に死ねるその日まで(5)



※この小説は、ジャンププラス原作大賞に応募したシナリオを、小説の形に再編集したものです。ジャンププラス原作大賞への応募作は、こちらをご覧ください。



前回:【小説】本当に死ねるその日まで(4)





 傘井から再び呼び出されたのは、夜の七時を回った頃だった。

 ドアを開けると、机の前に立っている傘井がいた。これから犯人を突きとめるのに、よれよれのジャケットは何一つ変わっていない。

「本当に犯人が分かったんですね……?」

「ああ。一〇〇パーセント間違いねぇ」

 傘井は得意げな表情をしていて、僕はそういう場合かと思ったが、口にはしなかった。

「で、誰が犯人なんですか……?」

「まあ、そう焦んなよ。もうすぐ犯人自ら、おいでになる頃だぜ」

 そんな悠長なことを言っている場合か。そもそも警察に通報した方が早いだろ。

 そう思ったけれど、僕はまたしても言えなかった。言おうとする前に、ドアが引かれたからだ。

「さあ、犯人のお出ましだぜ」

 僕だけに聞こえる声で、傘井が囁く。ドアを開けて入ってきた人物を見て、僕は固まってしまう。

「叔母さん……?」

 そこに立っていたのは、確かに叔母さんだった。僕は目を疑いたくなったけれど、いくら見ても現実は揺るがない。

「な、何ですか。より詳しく聞きたいからって、私を呼び出して」

 叔母さんはドアも閉めずに、立ちつくしたままでいた。傘井がこっちに来いと手招きする。

 ドアを閉めた叔母さんは、おそるおそる僕たちのもとへと近づいてきた。少し怯えた足取りに、僕はああ本当なんだと悟ってしまう。

「回りくどい話をするのは趣味じゃねぇから、単刀直入に言わせてもらうわ。あんた、こいつの兄貴を殺したろ?」

 傘井は人の心がないのかと思うほど、はっきり言った。

 叔母さんは目を見開く。

 本当に驚いているのか、演技で驚いているのか。どちらなのか、僕にはうっすらと分かってしまった。

「急に呼び出したと思ったら、何を言ってるんですか。昼にも言いましたけど、わたしがやるわけないです」

「まあ焦んなよ。落ち着いて聞けって」

 そうたしなめる傘井をよそに、叔母さんは僕に目を向けてきた。無実だと訴えかけてくる瞳に、僕は応えられなかった。

「昼にあんたが言ったことが、ちょっと引っかかってたんだよな。会社の記録を見れば分かるって。なんで同僚に聞けば分かるって言わねぇのかなって」

 傘井は一度言葉を止める。まるで叔母さんの反応を窺うかのように。

「あんた、営業の仕事してるだろ。しかも、一昨日は一日中外回りだった」

「それがどうかしましたか? 私がきちんと営業をしてたのは、営業先の方に聞けば分かることです」

「その必要はねぇよ。あんた、午前中にこいつの家行ったろ。大方、営業と営業の合間に少し顔出すって言って」

 叔母さんは否定しなかった。否定してほしかったのに、否定しなかった。

「そこで毒を飲ませた。こいつの兄貴が好きな紅茶に混ぜてな」

「黙って聞いていれば、そんな根拠のない決めつけで、私を犯人にするつもりですか? 赤の他人のあなたが?」

「根拠ならあるぜ」

 「こいつだ」。傘井は顔を僕に向けた。叔母さんの目も、再び僕に向く。

 少しでも、いつの間にか敵対心を帯びていて悲しくなった。

「この子がどうかしたんですか?」

「こいつがな、見たんだよ。実際には見てねぇけど夢でな。兄貴と女がマグカップで、一緒に何かを飲んでるところを。それ、あんただろ」

「そんなのが根拠になりますか? いや違いますけど、どうしても私を犯人だと言いたいなら、物的証拠でも出して納得させてみたらどうですか?」

「物的証拠? そんなもんねぇよ」

 突き放したように言う傘井に、叔母さんは思わず「はぁ?」という声を出していた。

 僕も声は出さなかったものの、叔母さんに同感だ。てっきり確たる証拠を用意していると思ったのに。

 もしかして傘井は、無計画で叔母さんをここに呼んだのだろうか。

「証拠もなしに決めつけるなんて、そんなの妄想と変わりないじゃないですか。よくもそれで、私のことを犯人だと言えましたね」

「まあそう言われればそうなんだけどよ。でも、お前本当に自分が犯人じゃないって言えんのか?」

「当然ですよ」

「こいつの目をしっかり見ても、同じことが言えんのかよ」

 叔母さんは口をつぐんだ。今一度じっと僕の目を見てくる。

 僕も叔母さんから目を離さない。犯人じゃないよねと、縋るような思いで見つめる。

 しばらく僕たちは、目だけで会話をした。見ているだけなのに、叔母さんの瞳が徐々に潤んでいく。

 やがて叔母さんが静かにこぼした。

「……言えません。私は犯人じゃないって、この子の目を見ながら言えるわけがありません」

 叔母さんは、もうほとんど泣きそうだった。

「それはつまり、あんたがやったってことでいいんだな?」

「……はい。私がこの子の兄を死なせました」

 ついに叔母さんは認めた。犯人が明らかになった。

 この瞬間を僕は待ち望んでいたはずなのに、抉られたように胸が痛くなる。頭を埋め尽くす思いは、言葉となって表出した。

「ねぇ、叔母さん。嘘だよね。叔母さんがやるわけないよね」

「ううん、本当よ。私が海を手にかけたの」

「そんな……」

 叔母さんの目からは、涙がこぼれていた。僕もそんな叔母さんを、歪んだ視界で捉えていた。

「私は、あなたのことが心配だったの。このまま子供二人だけの生活を続けていたら、幸せな人生は送れないと思った。もう働いている海は別として、せめてあなただけでも、お金に不自由しない暮らしを送ってほしかったの」

「それがお兄ちゃんを殺した理由なの……? 僕を引き取るためには、お兄ちゃんは邪魔でしかなかったの……?」

「ええ。あなたのために、海には死んでもらうしかないと思ってた。今なら、話し合いで解決できたかもしれないって思うのに。そのときの私はどうかしてた。本当にごめんなさい」

 涙ながらに語る叔母さんにも、僕は少しも感情を寄せなかった。むしろ叔母さんの言葉を聞けば聞くほど、気持ちが離れていく。

 それが怒りに変わるのに時間はかからなかった。

「いいよ! 謝らなくて! いくら謝ったところで、お兄ちゃんはもう帰ってこないんだから!」

 声を荒らげる※僕にも、叔母さんは驚かない。ただ僕の言葉を受け入れようとしていた。

「もうこっから出てってよ! それで警察に、自分がやりましたって出頭してよ! 言っとくけど、僕は叔母さんのこと一生許さないからね! 援助も仕送りもいらない! バッサリ縁を切って、二度と僕の前に姿を見せないで!」

 僕の言葉は、確実に叔母さんを傷つけていたことだろう。でも、僕だって同じぐらい傷ついている。

 お兄ちゃんと一緒にいる未来は、もうない。そのことが、耐えられないぐらい辛かった。

「うん、今から警察に行ってくる。ごめんね。本当にごめんね」

 叔母さんは泣きながら、事務所から出ていった。叔母さんがこれから取る行動は不確かだけれど、最後に言ったことを僕は信じるしかない。

 僕たちは、二人取り残される。急に外の雑踏が耳に入ってきて、こんなにうるさかったのかと気づいた。

「よし。色々あったけど、ひとまずはこれで事件解決だな」

 傘井が机に寄りかかりながら口にする。確かに事件としては、これで一区切りがついたのかもしれない。

 だけれど、僕の人生は続いてしまう。お兄ちゃんが側にいない人生が。

「これで本当によかったんでしょうか……?」

「何言ってんだよ。犯人を見つけてほしいって、頼んできたのはお前だろ。望みが叶ったんだから、万々歳じゃねぇか」

「いや、でもここまで近しい人が犯人だとは思わなかったので、余計ショックというか……。ていうか、万々歳ってなんですか? こっちは実の兄を亡くしてるんですよ? 人が一人死んでるのに、よくそんなことが言えますね」

「何だよ。お前の気持ち分かるよとでも言ってほしいのか? 残念だけど、俺にはお前の気持ちを全て理解するのは不可能だ。だってどこまでいっても結局は、違う人間なんだからな」

 傘井の言葉は冷たかったけれど、僕はショックで睨むことさえできていなかった。

 それに安易に同情もされたくない。血を分けた兄弟を失った悲しみは、しょせん傘井には分からないのだ。

 「分かるよ」とでも言われて、肩に手を置かれていたら、僕は間違いなくその手を振り払っていただろう。

「で、どうだよ。事件の真相が分かってみて。ちょっとはすっきりしたんじゃねぇか?」

「……そんな。すっきりするわけないじゃないですか。親戚が犯人だったショックと、真相が明らかになったところでお兄ちゃんは戻ってこない現実とで、余計に死にたいぐらいですよ」

「まあ、それは否定しねぇよ。でも、よかったじゃねぇか。犯人が分かったのは、お前が夢を見たおかげなんだからさ」

 一応は人の心はあるらしい。傘井は慰めるように言っていた。

 悲しみに溢れた僕の頭に、一つの疑問が生まれる。

「あの、どうして僕は夢を見たんでしょうか……?」

「ああ、それな。たぶんお前が見たのは夢じゃなくて、走馬灯だよ。死ぬ前に見ると言われてる。お前だってそれくらいは知ってるだろ?」

 頷く。そんなの常識の範囲内だ。

「これは俺の推測なんだけどよ、お前が死にたいって強く願ったからこそ、走馬灯は見えたんじゃねぇかな」

「……そんなもんですか?」

「そんなもんだよ。つまりはお前の死にたいって気持ちが、事件を解決に導いたんだ。お前の死にたい気持ちは誰かの、何かの役に立てるんだよ」

 僕は返事ができなかった。こんなネガティブな気持ち、持っていてはダメだと思っていたからだ。

 傘井がしゃがんで、初めて僕たちは目の高さが合う。傘井の目は鋭いなかに、どこか不器用さを持っていた。

「どうだ? お前、俺のもとで働いてみる気はねぇか?」

 考えもしなかった展開に、僕は目を見開いてしまう。「えっ」という声に、傘井は小さく笑った。

「いや俺な、ずっと助手がほしいと思ってたんだよな。今はこうだけどこの先仕事が増えたら、一人で回すにも限界があるし」

「いや、でも僕学校が……」

「別に学校をやめろって言ってんじゃねぇよ。放課後とか休みの日とか、空いてるときにここに来てくれればそれでいい。それとも何か? お前は今回の俺への依頼料を、踏み倒すつもりか?」

 そう言われたら、なす術がない。傘井にも生活がある。それを無視することは、僕にはできなかった。

「……分かりました。来れるときに来て、仕事があったら働いて、少しずつ依頼料をお支払いしたいと思います」

「じゃあ、決まりだな。改めてだけど、ようこそ。傘井探偵事務所へ。お前は記念すべき職員第一号だ。歓迎するぜ」

 そう言って傘井は手を広げていたけれど、僕は満足のいく返事ができなかった。急展開に頭が追いついていなかったのかもしれない。

 そんな僕を見て、傘井は手を閉じていた。少し不思議そうな顔をしている。

「何だよ。不安でもあるのか?」

「そりゃそうですよ。だって僕は、何の特徴もないただの高校生なんですよ」

「あのな。お前には死ねないっていう体質があって、走馬灯が見れるっていう能力があるだろ。それはお前にしかない特別なものなんだよ。だから、俺のもとで何度でも安心して死ねばいい。いつか本当に死ねるその日までな」

「そんな日が、いつか来るんでしょうか……?」

「それは俺にも分かんねぇよ。でも何事も、信じてみなきゃ始まらないだろ?」

 傘井の言うことにも一理あると僕は思ってしまう。確かにこの体質は、僕に課せられた使命なのかもしれない。人のために使えと、神様が言っているのかもしれない。

 僕は頷いた。死にたいという本当の気持ちを打ち消す必要がない場所は、ここしかないと思った。

「あっ、そうだ。まだ、お前の名前を聞いてなかったな。お前、何ていうんだ?」

 今さら聞いてくる傘井。僕は恥じずに、しっかりと目を見て答えた。

「遠藤。遠藤陸です」


(続く)


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