松下 明 (MATSUSHITA Akira )

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松下 明 (MATSUSHITA Akira )

noteを使ってブログを始めました。よろしくお願いいたします。 He empezado a bloguear usando note. Saludos cordiales.

最近の記事

フィルムの中のパナマ      Panamá en la película

子どもたちと街の物語(1991~94) Historias de niños y ciudad . ¡Hola!  1991年から3年間、「パナマ運河」で有名な、中米のパナマで大切な時間を過ごしました。 フィルムに収めたのは、当時の街の風景と、元気いっぱいの子どもたちの生き生きとした姿。時が流れ、パナマは大きく変わりましたが、あの懐かしい瞬間を皆さんと一緒に旅したいと思います。 私の撮影した写真を通じて、パナマの魅力を再発見し、その心温まる物語をお届けします! 画質は

    • 江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 最終話

      5.サムライたちが教えてくれたこと 江戸の遣米使節団とパナマ地峡の物語が幕を閉じる  1860年4月21日、コスタリカ沖でポーハタン号が発見されました。乗っていたのは、江戸から派遣された70数名の遣米使節たち。そして、そこから始まった「デジタル追跡の旅」は、4月28日にカリブ海で彼らを見送り、物語は終わりを告げます。最後に、1860年4月30日のLa estrella de Panamá紙の記事には、「Que tengan un feliz viaje! (よい旅を!)」と

      • 江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第七話

        ④パナマ地峡鉄道の旅 アスピンウオール駅到着 サンパブロ駅での休憩と昼食を終えた使節団は、再び特別列車に乗り込みカリブ海側の港町、アスピンウオール駅(現在のコロン市)を目指してパナマ地峡横断の旅を続けていったのです。 村垣範正の「遣米使節日記」によると、「パナマからここまで見送ってくれた人々はここで下車したので、列車の中ではくつろぐことができた」と、記しています。そして、「やがて川を渡ると、向こうに人家がたくさん見えた。客車の左右に切り通しになった高い山見える。車外に丘陵見

        • 江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第六話

          ③  パナマ地峡鉄道の旅 湖の底に沈んだサンパブロ駅                (Google Earthも使って)  今回は、使節団一行が蒸気車に乗り、アスピンウオールに向かう途中で休憩したサンパブロ駅からお話を始めましょう。 まず、下の地図をご覧下さい。  1861年のパナマ地峡鉄道の路線図です。パナマ(太平洋側)からアスピンウオール(カリブ海側)までの総全長約78kmの鉄路です。  使節団一行はパナマを出発して1時間ほどすると、サンパブロ(San Pablo)駅

        フィルムの中のパナマ      Panamá en la película

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第五話

          ②  パナマ地峡鉄道の旅 驚愕の蒸気機関車 (Facebookの活用)  パナマ地峡鉄道は、1855年に開通しています。ちなみに、アメリカ合衆国内での大陸横断鉄道の開通は、1869年のことです。アメリカの広大な大地、1861年~1865年の南北戦争の勃発等の事情を考えると、1869年の開通は致しかたないことなのかもしれません。どちらにしても、1849年のカリフオルニアでのいわゆる“ゴールドラッシュ”に力を発揮したのは、パナマ地峡鉄道でしょう。黄金を夢見る猛者たちが地峡鉄道を

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第五話

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第四話

          4.パナマ地峡鉄道 アマチュア研究者との情報交換から(Facebookの活用)  第一話でご紹介したように、この趣味の歴史研究のきっかけは1992年の パナマ日本人学校での学習発表会がきっかけでした。その事前調査に6年生児童3名と一緒に校外学習で訪れた、「パナマ歴史博物館」  ここの展示資料からお話しをスタートしましょう。 館内の「パナマ地峡鉄道コーナー」の展示物です。許可を得て撮影しまた。  学習発表会では、①パナマ地峡鉄道の古いレールであろう。②当時のパナマ駅の様子

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第四話

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第三話

          3.Google Earthを利用して江戸使節団の足跡をマッピングする  1860年に遣米使節団の一員としてパナマ地峡をわたったサムライの中に、木村鉄太敬直(きむら てつた よしなお)という、熊本肥後藩士がいました。彼は、自ら進んで小栗豊後守の従者通弁役として参加し、旅行中見聞にふれる異国の事物を、自由な眼で細大もらさず「航米記」という日記に書きとめたのでした。  彼の残した「航米記」は、昭和49年3月に熊本市の青潮社より「肥後国史料叢書 第二巻」として発行されました。この

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅 第三話

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第二話

          2.La estrella de Panamá社の1860年4月30日の記事の読み込みと翻訳作業  来年の3月には日本帰国という1993年末頃に、パナマの主要新聞社である「La estrella de Panamá社」から江戸の遣米使節団の記事が掲載されている1860年4月30日発行のバックナンバーの閲覧と写真撮影の許可がおりました。さっそく、接写レンズと一眼レフのフィルムカメラを持って、「La estrella de Panamá社」の書庫に出かけました。  そもそも、

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第二話

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第一話       

          はじめに 趣味の歴史研究の発表に入る前に、まずは歴史クイズで頭をほぐしてみましょう。   レベル1 Q1: 江戸時代末期、万延元年(1860年)に太平洋を渡ってサンフランシスコに到着した「咸臨丸」の代表的な乗組員を三名挙げてください。 A1: 勝海舟(艦長)、福沢諭吉、ジョン万次郎(通訳)など   レベル2 Q2: 江戸時代末期のペリー提督来港に端を発して、日米間で1854年に結ばれた初めての条約は「日米和親条約」です。これに続く1858年に結ばれた条約は何でしょう?

          江戸使節団のデジタル追跡 パナマ地峡を渡ったサムライたちの旅  第一話       

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (最終回)

          この記事は、下記の記事の続きです。 いよいよ“モラ”の紹介 最終回となりました。 モラギャラリー いかがでしたでしょうか? “モラ”のふるさと パナマ共和国 カリブ海側 のサンブラス諸島。 モラ 一枚一枚にカリブの自然の豊かさと、クナ族の女性のしなやかな発想 に魅力を感じます。 (今回紹介したモラは、1991年~94年にかけてパナマで収集した物でした。)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (最終回)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その5)

          この記事は、下記の記事の続きです。 モラの由来モラの刺繍はシャーマニズムからくるボディ・ペインティングに由来すると いわれています。 現在はその図柄や色も多岐にわたり、クナの女性のおしゃれとして、そして 観光の貴重な現金収入源となっています。クナの女性がていねいに縫いあげ たモラは、赤や黒オレンジを基調とした布のなかに南国らしい原色が独特の 模様とともにおどり、カリブの海に輝く太陽とともにサンブラスの真白な 砂、エメラルドグリーンの透き通った海にうまくとけあって

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その5)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その4)

          この記事は、下記の記事の続きです。 モラ ギャラリー今回は、ひたすらモラ・コレクションを紹介します。 まだ 続きますが、今回はここまで。

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その4)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その3)

          この記事は、下記の記事の続きです。 モラ(mola)は、中米パナマの先住民族であるクナ族が独自に生み出した多重アップリケの布です。クナ族の女性たちが民族衣装の飾り付けとして伝統的に用いています。 モラは、色の違う布を重ねて縫い、模様の形にくりぬいて作られます。赤、青、オレンジなど鮮やかな色彩の布で太陽、動植物などをモチーフにした図柄が特徴です。 モラの模様のモチーフは身の回りの物から先祖代々受け継がれてきたデザインで、それぞれに願いや意味が込められています。前後で柄を揃

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その3)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その2)

          この記事は、下記の記事の続きです。 サンブラス諸島には個人による土地(島)の所有権はありませんが、ココヤシの木の持ち主は決まっているそうです。パナマ政府はこのサンブラス諸島を保護区として認めており、クナ族はパナマ政府に対して土地所有権と沿岸への利権を持ち、治外法権を確保しています。 このように民族としての意識が強く、特に女性は民族の血を誇るかのように、首都パナマ市内でもモラの民族衣装と独特の化粧姿で、誰はばかることなく通りを歩いています。男性にはこのような民族的な衣装等は

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その2)

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その1)

            パナマの北東部のカリブ海に 368の島々からなるサンブラス諸島があります。 その島々には、クナ族といわれるコロンブス時代から今に変わらぬ生活様式を維持している原住民のインディオが住んでおり、カリブの海とともに実に素朴な生活をおくっています。  人口約3万人のクナ族は、インディオといわれるだけあって、どことなく我々東洋人と同じような面影が顔にあらわれていて、体つきも小柄でがっしりとしていて、なんとなく親近感をおぼえます。男性は主として漁労・農業(とうもろこし・ユカいも

          パナマ共和国 サンブラス諸島の民族手芸“モラ”の紹介 (その1)