春、うつくしき。
春は、出逢いと別れの季節で、そのふたつは表裏一体となって混じり合いながらそこにあるのだ。
と、割とありがちな感情になったりする。
私はそんな、春という季節が好きだ。
合唱曲としても知られる、森山直太朗の「虹」という歌に、そんなありふれた気持ちを美しく表した一節がある。
“僕らの別れを誰かが出会いと呼んだ”
ある人との別れを決意したその瞬間、その人は新しい出会いに向かってひた走るし、その逆もまた然り。
私たちは大人になっても尚、そんな季節の訪れを繰り返している。
桜の花を薄桃色にした地球は、偉大だと思う。
桜の花によって、単なる通過地点として春を認識するのではなく、誰もが持つ共通のイメージを分かち合うことが出来ると思うからだ。
毎年春になって、ふと窓の向こうに目をやると、薄桃色の花々が目立って季節の訪れを告げてくれる。
一人瞼の裏で別れの時間を思い出したり、今傍にいる人と一緒に満開の花を分かちあったり。
桜の花によって、時の流れの早さとその儚さを実感したりする。
次雨が降ったらその時、桜の見頃は終わりを迎えるから、早く見に行かなくちゃ。
そういう風にして、満開の花を今年もこの人と見に来れてよかったと重々に受け止めたりもするのだ。
大切な人の隣にあって、その幸せをいつもより強く噛み締められる。
そんな春の訪れが好き、桜の花が、私は好き。
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