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ケアとしての“霊性”という空間〜フェミニスト地理学における「両性具有的」転回〜

要旨

 本稿は3つの論点を持つ。

①三島由紀夫の発言「タテ糸が“創造(芸術)”だとすると横糸が“礼節”だ。その2つの交点に “霊性”が宿る。」の文面化を受けて、“霊性”“創造”“礼節”という3つのキーワードが何を意味しているかの検討・考察である。

②本稿においては“創造”を“父性”、“礼節”を“母性”として読み解き、ケアの倫理を参照して“父性”と“母性”が個人の内面に交わる「両性具有的な自己」に“霊性”が宿ること、それによって三島の「政治」と「文学」が接続されうることを明らかにした意味での、新しい三島由紀夫論である。

③フェミニスト地理学における、記号的なジェンダーではなく生身の「からだ」から空間を把握するロビン・ロングハーストの妊婦研究を参照し、この論理が“霊性”、すなわち「両性具有的な自己」を対象としても成り立つことを示した。「“霊性”の地理学」という新たな地理学分野を示唆するものである。

 三島の“霊性”発言の考察には、戦後社会論における“父性”と“母性”を仮説として設定した。“父性”は「切断する」原理であり、“母性”は「包含する」原理である。戦後社会論、ケアの倫理、ジェンダー学、ファシリテーション、南方熊楠の文献などを参照し、これらがそれぞれ“創造”と“礼節”に代替しうることを明らかにした。よって三島の“霊性”発言について、「「両性具有的な自己」に“霊性”が宿る」と言い換えられること、そしてそれが三島の「政治」と「文学」を新たに接続できることを示した。

 また、三島の“霊性”発言は、クリエイティブをつくる際の個人の心構えのようなものだった。“父性”と“母性”というジェンダーを両立した「(心理的)両性具有性」があって制作に“霊性”が宿るのであれば、“霊性”を介した「人と人、人とモノ」の関係性を問う学問の可能性が浮かび上がる。本稿においては、“霊性”と同じくジェンダーやセクシュアリティの問題を論じるフェミニスト地理学を参照し、その中でも“霊性”の宿る生身の「からだ」という主観を論じる点で一致する、ロビン・ロングハーストの妊婦研究との接続を行った。「人と人、人とモノ」という関係性を“霊性”と“両性具有性”から紐解く「“霊性”の地理学」が示唆され、後続の研究が望まれる。

キーワード:霊性、両性具有性、フェミニスト地理学、三島由紀夫、天皇、ファシリテーション、絶対矛盾的自己同一、民藝


〜ここから本編〜

卒業論文



ケアとしての“霊性”という空間

〜フェミニスト地理学における「両性具有的」転回〜


地域政策学部地域政策学科

提出日:12月21日





Ⅰ はじめに

 「タテ糸が“創造(芸術)”だとすると横糸が“礼節”だ。その2つの交点に “霊性”が宿る。」(三島由紀夫、引用は文藝春秋2019年9月号、164頁)


これは三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決の2日前、若き日の横尾忠則に対して遺した言葉とされる。約50年という歳月を経て文面化されたものである。


 “霊性”とは何か。そして三島の指した“創造”と“礼節”の本質はどこにあるのか。この問いは本稿において通奏される重要な錨となっている。“霊性”はロゴス的説明が難しい曖昧な概念であり「理論理性の限界」を超えている。西田幾多郎の言葉を借りればそれは「主客未分」で「絶対無の場所」にあり、かつ物質的には(おそらく)存在しない。仏教的に解釈すれば、真如という真実であり、離言真如であり、不可称・不可説・不可思議で言い表せないものだ。真如(仏)が“霊性”であるとも言える。色即是空空即是色、因縁果の道理からすれば、“霊性”すらも何かと何かが交わるところに宿らねばならない。しかし“霊性”はその「行為的直観」の有無に関わらず、私たちの日常そのものに最も近いものと言えるのではないだろうか。言い方を変えれば、むしろ近すぎて見えない「灯台下暗し」の状態にあるのではないだろうか。その存在は『健康と霊性』(宗教心理出版、2001)序文によれば、WHOが1998年に健康の定義を新しいものに改訂しようと考えた際に、身体性と精神性の他に“霊性”を加えようとしたほど重要なものだ。要約すれば、人間は身体性、精神性、さらに“霊性”という三つの要素からなっており、「いのちの本質は“霊性”」である。私たちは何か抑圧し、霊性を感じ取れない状態になっているのではないだろうか。

 一方、時にそういった“霊性”が目の前に立ち現れる瞬間を経験する人々も存在する。本稿の例で言えば「禅」「仏教」「死」などの経験が挙げられる。そして筆者が考えるもうひとつの概念がある。それは「セクシュアリティ」についてである。私は仮説として、“霊性”を宿らせる創造と礼節はそれぞれ“父性”と“母性”であると考える。私たちはこの世に生を受けた瞬間について、性自認に関して主客未分で区別のない状態でなければ「ならない」。しかし“過去”が“未来”を限定するというクロノス的(ロゴス/客観的)時間経過は、戦後日本社会において自身の生物学的性と対となる心性を押し殺し、生物学的男性なら社会的な男性性を、生物学的女性なら社会的な女性性を演じる必要性を迫る。これは言い換えれば、この世に生を受けた瞬間から自分の心に“嘘”をつくことを強いられるという決定的矛盾である。このような“嘘”と“矛盾”によって、“父性”と“母性”のうち、個人が自身の生物学的性と一致している方を選択して成立してきた戦後の日本人と日本社会だが、その変化の兆しとして、近年の多様化するジェンダー観によって二元的な性のあり方が、現在進行形で大衆段階において脱構築されてきたことが挙げられる。筆者はこの状況が、三島の文脈でいえば日本人に(再び)霊性を宿らせうると考える。クロノス的時間経過とは異なり“未来”が“過去”を限定しうる、包み込みうる、より主観的な「カイロス的時間」にセンターピンは存在しているのではないだろうか。

 本稿はこれら(創造、礼節、霊性)の正体について、“創造”と“礼節”をそれぞれ“父性”と“母性”に読み替え可能であると仮定し、三島自身の公的・政治的/私的・小説的な思想に加えて、吉本隆明や江藤淳、村上春樹らについての戦後社会論、ケアの倫理、西田幾多郎の哲学、鈴木大拙による禅と仏教思想、南方熊楠の粘菌研究、ファシリテーション、民藝についての文献などを用いて探る。そしてそれらに通底してみられる“霊性”をフェミニスト地理学と接続することで、「“霊性”という空間」が地理学における“ヒトとヒト”“ヒトとモノ”“モノとモノ”の関係性を問うという役割において、新しい探究を切り開くという示唆を行うものだ。よって本稿の論点を一言でまとめれば、三島由紀夫の“霊性”発言を紐解くことによる新しい「三島由紀夫論」であり、“霊性”と三島の「政治」・「文学」に見られるセクシュアリティの関係が、フェミニスト地理学の“霊性”への道を開くことを示唆するものである。“霊性”を最初に文面化したのは鈴木大拙らであるが、フェミニズム地理学との接続に関していえば、セクシュアリティのあり方を描いた三島由紀夫がその鍵を握る。

 本稿の構成は以下の通りである。「II 三島由紀夫と両性具有的なケアの倫理」においては、三島の述べる“創造”と“礼節”への考察が為される。(ⅰ)においては、戦後社会論において議論される“父性”と“母性”の共犯関係によって生み出されたエコーチェンバー的な心性である「母性の構造」を引用する。(ⅱ)では、戦後の日本社会を憂いた三島の「政治」観を整理する。(ⅲ)では、文学を「ケアの倫理」で読み解くことで浮上する「両性具有的で多孔的な自己」像を把握する。そして(ⅳ)にて、三島の政治的/公的な国家観と、文学的/私的な自己幻想が“霊性”によって結びつくこと、 “創造”と“礼節”がそれぞれ“父性”と“母性”に読み換え可能であることを示唆する。

 「Ⅲ 両性具有性に“霊性”は宿る」では、“霊性”についてイメージの把握を多面的に試みる。(ⅰ)では世界的に著名なファシリテーターであるアダム・カヘンやアーノルド・ミンデルらによるスピリット(“霊性”)についての言及を整理しながら、三島の国家観と比較をすることで、“霊性”を踏まえた新しい三島論を提示する。それらを踏まえた上で、(ⅱ)では三島が捉えていた霊性が前述の3つのそれらと同一であることを示していく。

 「Ⅳ フェミニスト地理学成立の経緯」においては、名古屋大学の久島桃代助教の論文を参考に議論を整理する。(ⅰ)フェミニスト地理学の歴史と変遷について整理し、続いて(ⅱ)ニュージーランドのフェミニスト地理学者であるロビン・ロングハーストの妊婦研究における、妊婦が日常生活で抱える問題を個人的なものとして済ませずに「からだ」から空間を捉えるあり方を整理する。フェミニスト地理学の中でも、ジェンダー偏重した鳥瞰的な分析を行う流れと、「からだ」というより主観的かつ生物学的性から空間を把握することを試みる流れがあることを整理する。


 「Ⅴ フェミニスト地理学と“霊性”の接続」では、フェミニスト地理学と“霊性(両性具有性)”との接続を試みる。ピュシスとしての「『からだ』という空間」に交差する様々な力の関係性から空間を紐解きながらも、フェミニスト地理学は生物学的な両性具有性を否定してきた。対して、心の性としての「両性具有的な自己」に“霊性”がより宿ることで、「人と人」の間における「“霊性”の地理学」の成立可能性を提示する。(ⅱ)においては“霊性”をより強く孕んだ「両性具有的な自己」と周辺、つまり「人とモノ」の関係性から想起される対象として、柳宗悦の「民藝」的な制作から滲み出す「生」の視点について述べる。終章「Ⅵ おわりに」でこれまでの議論をまとめ、結論と展望を述べる。


II 三島由紀夫と両性具有的なケアの倫理

 本稿においては、(ⅰ)まずは“霊性”の条件である“創造”と“礼節”が“父性”と“母性”であるという筆者の主張の基となる、戦後社会論における「母性の構造」を紹介する。その上で(ⅱ)三島由紀夫の公的/政治的な国家観と、私的/小説的な自己幻想について整理し、三島の文学に潜む両性具有的なケアの倫理について述べつつ、三島の両性具有性が“霊性”を指していたことを提示する。


(ⅰ)戦後日本を支配する「母性のディストピア」

 サブカルチャー評論家の宇野常寛は著書『母性のディストピア(2017,集英社)』において、戦後日本の「大人像」の本質が「矛盾から目を背けること」、その代表の例として「父性」と「母性」の共犯による「肥大化した母性」を挙げている。以下は、宇野の「父性」についての記述である。


 西洋的価値観を前提とした自由のある近代の国民国家は国民の「父」として成人男性の擬似人格で比喩され、これら国民国家を支える成熟した国民(市民)もまた家長としての「父」として比喩されてきた。国民国家下では、世界と個人、公と私の関係は「政治と文学」の関係でもあった。国民国家下において、(少なくともある時期までは確実に)成熟とは国民(市民)としての成熟であり、「父」になることとして比喩されてきた。そこで、徹底して私的であることが(逆説的に)公的であるという戦後民主主義の命題下にあった文学者たちは、この逆説によって発生したアイロニーを、「父」性というモチーフを用い反復してきた。

(省略)

 戦後的想像力における「成熟」像は二つのかたちが存在する。一つは偽善的に「父」であることを表面的には主張しながら実質的には断念すること(「普通の国」としての成熟を表明しながらも、アメリカへの追従を重ねること)、もう一つは偽善的に「父」であることを表面的には拒絶しながらも、実質的には主張すること(平和憲法の遵守を標榜しながら、一国平和主義的に血まみれの繁栄を謳歌すること)だ。(宇野常寛2017.『母性のディストピア』集英社、25-26頁)


 宇野は、戦後日本の二つの物語が、表面的な対立関係と実質的な共犯関係によって奇妙に歪んだ関係を結んでいたと指摘する。


【A】アメリカの核の傘に守られ、自らは一滴の血も流さずに平和を謳歌する「永遠の12歳」の国家・日本。今こそ私たちはその欺瞞を排し、「普通の国」として成熟するために、憲法9条を改「正」しなければならない。たとえそれがアメリカの暴力を肯定することに繋がっても、その罪と痛みを対等な立場で共有することでしか、倫理的であることはできないのだ。

【B】憲法九条が掲げる理想はたしかに偽善的かもしれない。しかし現実主義という名のイデオロギーを振り翳してなし崩し的に暴力を肯定する勢力が跋扈する現代において、この偽善をあえて選択することが最大の批判力となるのではないだろうか。憲法九条を死守することで、日本は自覚的に偽善を選択する国家として再出発すべきなのだ。(同、13-14頁)


 宇野によれば「【A】と【B】はそれぞれ戦後民主主義批判とその反批判として、半世紀以上反復され続けてきた」思考である。「現代においてこれらが政治的な実効性の観点からは空虚である」としつつ、「そのような現実と切断された物語がなぜ戦後日本において半世紀以上も支配力を保ち続けてきたのか、なぜそのような愚かさが必要とされたのかを考えることが重要だ」と宇野は述べる。

 「もはや戦後ではない」時代から「戦後レジームからの脱却」に至るまで、宇野曰く戦後とは「来るべき成熟した国家に移行するまでの「12歳の少年」に許された仮免許の時代」であり、それを終結させて大人になるのだという意識が共有されたまま、半世紀以上の時間が経過した時代だった。

 ここで宇野が注目するのは、【A】と【B】について「戦後日本がこの実質的な共犯関係によって、ある一つの決定的な成熟観に支配されていたこと」である。戦後民主主義批判とその反批判という二つの物語は、「ともにこの戦後という長すぎた偽りの時代を国家としての正しい成熟を持って終わらせるべきだ、という前提を共有している。そして、その前提の共有によって両者は実のところは全く同じ論理を持って成立している。その論理とは「あえて」偽善/偽悪を引き受けること」である。宇野はこの論理を『無垢なる状態から偽りを「あえて」引き受ける(ことが国家としての成熟に、戦後レジームの解体につながるという論理)』とも言い換えている(同、14-15頁)。

 ここで宇野は【A】と【B】を代表する文学者として、それぞれ江藤淳、村上春樹らを挙げている。これらを順に見ていく。

 【A】を代表する思想家であった江藤淳は、この両者の共犯関係を「ごっこ」というキーワードで批判する。「(江藤)曰く、保守の主張する対米従属による経済的繁栄とリベラルの主張する護憲による一国平和主義はともに対米従属の、アメリカの核の傘への依存によって初めて可能になる「ごっこ」にすぎない。したがって両者は表面的な対立関係とは裏腹に実は共犯関係にある、とする」。江頭はここで、「対米独立と自主防衛の必要性、その延長線上に改憲を、自主憲法の制定」を主張するが、「こうした対米自立論が当時(1970年)の冷戦下においては全くリアリティを伴わないものであった」と、彼の理想主義の側面を宇野は指摘する。宇野は「江藤はいわば、現実と切断されているが故に成立する理想主義」「まるで、彼の敵視するリベラル勢力が戦後民主主義のアメリカの核の傘に依存した一国平和主義を、現実のある部分を隠蔽することで世界平和と喧伝したように。」と述べている(同、16頁)。

 ここに出現しているのは、現実と切断された理想が、虚構の理想だけが真正な理想であるという逆説である。宇野はこれを「徹底して私的であることが逆説的に公的であるという戦後民主主義の精神の変奏」と言い換えて表現する。「喪失感の空洞のなかに湧いてくるこの「悪」を引き受けること」が、江藤の考える「成熟」の定義だ。宇野は「江藤の述べる「悪」とは、それが偽りであることを自覚した上で「あえて」という態度のことに他ならない。つまり江藤はこの成熟をもたらす喪失に、戦後日本の偽善/偽悪性を自覚的に引き受けることを見出していた。戦後社会の虚構性に自覚的であること、それこそ江藤が捉えた戦後的「成熟」の回路である」と述べている(同、16-17頁)。

 この論理でいえば、宇野曰く「戦後日本においては政治的(公的)には対立するものが、文学的(私的)には同質なものとして機能することになる」。江藤の戦後社会論は戦後民主主義批判【A】の立場から展開されたものだが、つまりは同様の論理を【B】の立場の主張から抽出することもできる。ここで宇野は、1991年の湾岸戦争勃発時に発表された柄谷行人、いとうせいこう、高橋源一郎、中上健次など「文学者」有志による「湾岸戦争に反対する文学者声明」の一部を引用する。


戦後日本の憲法には、「戦争の放棄」という項目がある。それは、他国からの強制ではなく、日本人の自発的な選択として保持されてきた。それは、第二次世界大戦を「最終戦争」として戦った日本人の反省、とりわけアジア諸国に対する加害への反省に基づいている。のみならず、この項目には、二つの世界大戦を経た西洋人自身の祈念が書き込まれているとわれわれは信じる。世界史の大きな転換機を迎えた今、われわれは現行憲法の「戦争の放棄」の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる。われわれは、直接的であれ間接的であれ、日本が戦争に加担することを望まない。他国がそれを強いることも望まない。われわれは、「戦争の放棄」の上であらゆる国際的貢献をなすべきであると考える。

 われわれは、日本が湾岸戦争および今後ありうべき一切の戦争に加担することに反対する。(「湾岸戦争に反対する文学者声明」、同、18頁)


 宇野はこの文章を通読し、「これがアメリカの核の傘の下で実現する一国平和主義に無自覚に依存しながら、自国の派兵拒否と世界平和を安易に同一視する愚劣で倫理を欠いたパフォーマンスだと受け取られることは避け難いだろう。しかし、ここで指摘したいのは当時から既に批判されていた「文学者」たちの愚劣さ(実効性のなさ)と非倫理(紛争地域の見殺し)ではなく、むしろ彼らがその愚劣さから目を背けるために、「あえて」偽善性を引き受けるという主張を採用していたことだ」と指摘する。

 そしてこの「声明」には原型となった草案があり、その草案には声明の発起人のうち川村湊、中上健次、島田雅彦による以下に引用する文章が添えられていた。


 こうして列挙してみると、いかにも白々しく、偽善的に響くので、思わず苦笑いしてしまった。いずれもすでに世界の至るところで起きてしまっていることを自分は認めないと宣言しているだけのことで、「反対する」の四文字は空虚に空しく響く。だからと言って、ニヒリストになってみても始まらない。(「湾岸戦争に反対する文学者声明」草案、同、18頁)


 宇野曰く「ここで彼らはその愚劣さ(運動の効果が見込めないこと)と非倫理性(事実上は一国平和主義に居直り紛争解決への努力を放棄しつつ、それが世界平和への発信であると驕ること)にある程度は自覚的であること、そして自覚的だからこそ、その現実から「あえて」目を逸らし、愚劣な振る舞いをすることに価値を見出している。ここでは現実的には無価値であることこそが、理念的な価値を生むというアイロニカルな態度が取られている。現実に接続し作用することではなく、切断され作用しないことこそが真正な理念の条件と、成熟の条件とされている。」

 これはかつて江藤が述べた成熟の条件、つまり「それは虚構に過ぎない。だからこそそれを自覚した上で演じよ」という論理形式において、江藤のそれと柄谷らのそれは同一のものであると宇野は論じる。日本にとっての戦後とは、「戦後的なアイロニーの内面化(成熟が偽りであることを自覚しながらも「あえて」引き受けること)」が成熟であると考えられてきた時代だったことが読み取れる。

 ここまで宇野の議論を通して、「あえて」偽善/偽悪を引き受けること、その虚構性を自覚しながらも演じること、こうしたアイロニーを通過することによって獲得されるものが、戦後の「成熟」であり、さらには「公的(政治的)/私的(文学的)」の関係であったことを参照してきた。これが「徹底して私的であることが逆説的に公的なものにつながる」という戦後民主主義そのものの命題だった。ここまでは「公的(政治的)」な部分について述べてきたと言えるだろう。

 そしてここからは「私的(文学的)」な部分について記述することで、「公的と私的」「政治と文学」の関係を確認していく。


私はかねがねこも問題について言ってゐるやうに、文学を生の原理、無倫理の原理、無責任の原理と規定し、行動を死の原理、責任の原理、道徳の原理として規定してゐる。芸術が生の原理であり、無責任の原理であり、無倫理の原理であるといふ点については、彼らと私との芸術館については相隔たるところはない。しかしながら、行動が死の原理であり、責任の原理であり、道徳の原理であるといふ点について、まさにその点についてこそ彼ら(東大全共闘の有志たち)とわれわれとの思想的対立があらはにされるのである。(三島由紀夫、同、20頁)


 これは三島由紀夫が、東大全共闘との有志と交わした議論を経て、その総括として自ら書き残したものの中の一節であり、宇野も引用している。ここでいう「彼ら」とは三島と議論したその東大全共闘の有志たちのことで、三島に対した学生たちはこのとき、「三島がその小説で用いる天皇というモチーフは作品内でこそ三島の文学を支える回路として存在しうるものの、作品外においては戦前の国家主義と結果的に結びつくものとしてしか機能しないのではないか」と投げかけた(同、20頁)。

 ここでの「行動」は公的なこと、つまり政治的なことを指す。「政治と文学」の問題とは「個人が世界の中に自分をどう位置づけるのか」という問題、つまり「世界と個人」「公と私」との関係性の問題のことを指している。そして「20世紀半ばの日本は、敗戦によってこの「政治と文学」の関係性が大きく変化した時代でもあった」と宇野は述べる(同、21頁)。なお、筆者の考えとして、敗戦によって天皇が「人間宣言」をしたことが三島に大きな影響を与えているが、こちらについては後述されたい。

 宇野の解釈によれば、「このとき東大全共闘の学生たちは、(好意的に解釈すれば)三島の陥った「政治と文学」の断絶を批判している」(同、21頁)。言い換えればそれは「政治」から遊離した「文学」の脆弱さを指摘したものでもあった。「政治(公的なもの)」と断絶した「文学(私的なもの)」は表現それ自体としての強度を持ち得るのか、という問題を、宇野は抽出する。

 そして、三島は自分にとっての「政治と文学」の関係は、学生たちの考えるような単純なものではない、と主張する。


したがつて彼らが私の行動の矛盾を衝くことは不可能であつて、私にとつて生の原理と死の原理が一体化し、そして一連のものとして、かつ相表裏するものとして私の中で私の肉体と精神に溶け合つてゐるならば、彼らもそのやうな矛盾を自己の内部に包摂するところに行動原理を見つけ出してゐるのでなければならない。この二つの原理がお互ひに行動の根本動機になるのであるとすれば、われわれは同じ行動様式によつて反対側の戦線で闘つてゐるといはなければならないのである。(同、22頁)


 ここで三島は「文学」と「政治」は異なる原理を持って存在するもの(生の原理/死の原理)だとしながらも、その原理的に相容れないはずの二つのものが否応なく結びついてしまうという矛盾が、自分のあらゆる活動を支えるものなのだと述べている。三島にとって「政治」と「文学」はそれ単体では成立せず、<二つの原理がお互ひに行動の根本動機になる>ものだった。原理的に断絶しているはずの「政治」と「文学」が結びついてしまう感覚、少なくともそれを結びつけることへの「欲望」が、拭い去れないものとして存在する。宇野は三島について「戦後民主主義の精神が「徹底して私(文学)的である」という逆説によって成り立っていることに起因することを考えれば、三島もその自覚よりも深いレベルで「戦後」の文学者だった」と述べる。

 宇野の戦後についての議論をまとめれば、戦後とは、「文学」的(私的)であることを通して逆説的に「政治」的(公的)である、という論理的に成立し得ないはずの命題を、さも成立し得るかのように振る舞い演じることが要求された時代である。そしてその虚構性に自覚的であることが成熟(江藤淳)、芸術(三島由紀夫)の成立条件として機能した。さらに、政治的(表面的)には対立する二つの運動が、文学的(実質的)には同一の構造によって成立していた時代である。文学レベルでの同一性を隠蔽しつつ、さも政治的には対立するかのように振る舞うことで成立していたのが戦後の日本社会だった。

 そしてこのような不毛な演技が反復される構造を、“父性”と“母性”の共犯関係による母子相姦的な「母性のディストピア」と宇野は表現する(同、33頁)。これは宇野曰く「戦後日本における「政治と文学」のアイロニカルな関係が、性的なモチーフを用いて表現されたもの」である。【A】と【B】の例として、先述した江藤淳と、村上春樹が例に挙げられている。これらを順に見ていく。

 宇野によれば「【A】の例である江藤淳は『成熟と喪失』において、<戦後における>成熟のかたちを示している。江藤は前近代を「母」のゆりかごに包まれたユートピアとして、そして近代を誰もが「父」になるという呪縛に囚われたディストピアとして描写する。<母の「圧しつけがましさ」は、流動性のある社会、あるいは誰でもが「騎兵」になる可能性を与えられている社会に生きる母の心に生じる動揺の表現である>と定義する江藤にとって「母」とは前近代の運命論を、「父」とは近代の自己決定論をそれぞれ象徴している。」

 江藤によれば、「前近代において「母」の使命は獣医の子を獣医として再生産することだった。しかし、近代の到来は、獣医であった夫の子が騎兵にも学者にもなり得る世界を意味した。「母」の役目は獣医である夫を恥じてその子を騎兵に育て上げることとなり、更には彼女たち自身が騎兵にも大学教授にもなれる自由、つまり「母」であることを拒否する自由をも手にした。その結果として「母」は「圧しつけがましさ」を持つようになる。「母」は自己決定論が支配する近代に怯え、運命論に支配された前近代へ回帰しようとする。あるいは、過剰に適応すべく夫を過度に恥じるようになる」(同、26頁)。それらを述べた上で江藤は成熟の条件について、「母」の崩壊による喪失とする。それは裏を返せば、「同時に江藤の考える「治者」としての成熟には崩壊すべき「母」が必要とされることを意味した」と宇野は指摘する(同、26頁)。「治者」であること、すなわち政治的・公的なものが二重にも三重にも虚構であることを自覚した上で演じるというアイロニーを抱え込むことを、江藤は戦後的成熟像として示していた。

 江藤は私生活において、依存対象である妻を失うと自らを形骸と断じ、自ら命を絶った。宇野は江藤について「その虚構性に自覚的でありながらも、あえて「政治」が成立しているかのように振る舞うこと、治者として振る舞うことによる戦後的成熟を生きた批評家だった」と総括する。そしてこの治者としての矜持は江藤の極めて私(文学)的な領域に支えられており、妻を失った1年後に自死した(西尾雅裕2000.「江藤淳の「自殺」とその意味」、日本文學誌要61巻. 37-44頁)。宇野曰く「この戦後的成熟像の虚構性に自覚的な者も含めて、その破綻は反復し摩耗されてきた」(宇野常寛『母性のディストピア』、29頁)。

 次に【B】の例である村上春樹の戦後的成熟の定義を確認する。宇野によればそれは「「父」であることを急ぎすぎた人々の過ち」、具体例を挙げれば「先の大戦のもたらした大量死と、マルクス主義の帰結の一つとしての連合赤軍事件」に根ざしている。宇野によると、「20世紀的なイデオロギーからの、近代的な「大きな物語」からの「父」を演じることからの「デタッチメント」を時代への回答として選択した村上春樹は、この時置き去りにされる正義の問題に回答するべく時代への「コミットメント」像を模索し始めた」(同、29頁)。

 宇野曰く「大きな物語が衰微し、消費社会が浸透し、価値相対主義が前面化すると、そこから解き放たれた人々は「何が正しいか/価値があるか」わからない宙吊り状態に耐えられず「自分の信じたいものを信じる」ようになり、その決断を相対化の視線から守るために小さな共同体に引き篭もることになる。そして、その小さな共同体を守るために暴力性を発揮することになる。その端的な例が「発泡スチロールのシヴァ神」を信じる共同体を守るために、被害妄想的にテロに及んでいったオウム真理教である(村上春樹が回答しようとした正義の問題も、オウム真理教による地下鉄サリン事件が契機となった)。それまでデタッチメントを倫理としてきた村上に対し、地下鉄サリン事件が象徴する彼の想像力を超えた悪の出現は、具体的なコミットメントの「モデル」を提示することを彼に要求した。」(同、29-30頁)

 ここで村上がその新しい「コミットメント」として提示するのが、「江藤のそれと酷似した女性に依存したモデル」であったと宇野は指摘する。これは『ねじまき鳥クロニクル』に確認できる。宇野の意見をまとめると、『ねじまき鳥クロニクル』以前の村上はそれまで、欠落を、傷を抱えた女性が「僕」を無条件に求め、その要求に応えることでの受動的なコミットメントの成就を積極的に反復してきた。それが「デタッチメント」を堅持したままの「コミットメント」のかたちだった。しかし時代は村上にさらに一歩踏み込んだ能動的なコミットメントを求めた。傷を抱えた女性、つまり「他者性なき他者」を用いた受動的なコミットメントは、受動的な主人公の男性のナルシシズムを満たしてはくれるが、正義を執行し世界を変えることはない。そこで『ねじまき鳥クロニクル』以降は一歩踏み込み新しい「コミットメント」=新しい「虚構としての戦後的成熟を形成するための新しい対峙法」が提示されることになる。それは、男性主人公のナルシシズムの補完のために導入された「他者性なき他者」としての女性が、ついに男性主人公に代わって「悪」を誅殺するに至ることだった。その結果、男性主人公=オカダトオルは「悪」を滅ぼす自己実現を手にする一方で、実際に「手を汚した」妻クミコは闇の世界に失踪したまま帰還しない。よって宇野は「明確に夫のコミットメントの「コスト」を妻が代わりに負っている」と指摘する(同、30-31頁)。

 宇野の指摘はつまり、「「父」になることなく近代的な主体であることは可能か、つまりデタッチメントからコミットメントへ、と村上の語るアイロニズムの記述もまた、江藤のそれと同じように成熟のコストを家庭内の被差別階級としての女性(妻=「母」)に転嫁することで成立している」というものだ。村上のそれは、妻=「母」に武器を預けることで、妻は夫=「父」に代わりコミットメントを代替する。夫は自らの手を汚すことなく、コミットメントの「手応え」を享受する。ここにおいて「江藤の「治者」と村上の「デタッチメントからコミットメントへ」の構造は完全に一致している」と宇野は指摘する(同、31頁)。それは吉本隆明『共同幻想論』を踏まえれば、「「悪」を演じることのコストを、性的に閉じた関係性を構成する想像力(対幻想)のレベルで処理(転嫁)している点」(同、31頁)で一致している。

 江藤/村上の根底にある意識は、自分たちは「父」になれない、武器は持てないという諦念だ。そのため、「どちらも自分が偽物であることを自覚することで成熟する、という形式をとり、どちらも性差別的な構造に依存している」と宇野は指摘する(同、31頁)。前者は「彼が「父」を演じるために自分の代わりに自分を無条件で肯定してくれる誰か(象徴としての母、妻、娘)が犠牲になってナルシシズムを下支えする」ものであり、後者は「彼が「父」としての自己実現を実質的に得ながらも表面的には「父」にならない、と主張し得るために同様に女性が代わりに手を汚し「父」としての責務を果たす」ものである。

 自分たちは父になれない、不能である、父権的な権力性を拒否する、と主張することは容易であるが、宇野は「人間は社会に否応なく接続されてしまう存在でもある。(中略)民主主義を、資本主義を、社会的動物としての人間を生きるとは、不可避に「父」として機能することだ」(同、32頁)と述べる。宇野の問題提起は、江藤淳的であれ、村上春樹的であれ、私たちは父になれないのだと宣言することは「父」であることを深く、柔軟に受け止めることにはつながらず、むしろその責任を被差別階級に転嫁しているだけなのではないかというものだった。言い換えれば、「「彼」に無条件の承認を与え、そして「彼」がその共同体の外部に対峙するために市民(治者/戦後民主主義者)を演じるためのコストを内部に置いて被虐的に代替する」、あるいは「「彼」に代わって武器を取り、その外部に対峙し社会的自己実現の成果と快楽を持ち帰り、与え、そのコストはやはり被虐的に代替する」存在。それは彼らにとっての「妻」だが、「事実上それは「母」的な存在に他ならない」と宇野は主張する(同、32頁)。偽悪と偽善、二つの戦後を支えた精神性はともに、妻を対等なパートナーではなく「母」と錯覚することで、さらにその「母」的なものへの依存と責任転嫁によって成立していた。世界と個人、公と私、政治と文学を結ぶものがない状態で、結ばれたふりをすることでしか「父、市民、戦後的成熟」を演じることはできなかったが、その「ふり」をするために彼らが必要としたのは「母」的な存在だった。これが宇野の主張する、妻を「母」と錯誤する母子相姦的想像力「母性のディストピア」である(同、33頁)。

 「政治と文学」のアイロニカルな関係において、戦後民主主義者/治者を目指す者は無条件に自分を承認してくれる「母」的な存在に庇護されることで、初めて世界と個人、公と私、政治と文学が接続され「父」になることができる。しかしその接続は虚構のものであり、それは「父」になることを渇望する「12歳の少年」に甘い夢を見せるために、必要以上に肥大化を要求される「母」は崩壊することになる。戦後日本における成熟とは、この虚構性に自覚的でありながら、それに気づかないふりをして演じることを意味するようになったのである。

 そして「母性のディストピア」は現代社会においても、解体されるどころか延命し、肥大していると宇野は指摘する。


 敵を名指しして、拒否することで思考を放棄し、楽になること。それによって共同性を担保すること。それが情報社会下におけるかつて戦後中流と呼ばれる人々の国民的なライフスタイルとして定着しつつあると言えるだろう。

 このような情況を生んだものは何か。それはこの国の情報社会だ。江藤の考える「母」とは子の成熟を拒否し、子が自分のテリトリーの外部に脱出することを拒否し、政治と文学を切断する存在だった。だとすると、今はこの国は情報技術の(恐らくは甚だしく間違った運用が)生んだ新しい「母」に支配されている。かつての戦後的な「ごっこ」遊びに必要とされたアイロニカルな内面はもはや必要とされない。情報技術の支援によって、今や誰もが(内面を描いた)江藤/村上的矮小な「父」として振る舞うことができる。もはや、この国の人々は戦後の文学者たちの反復してきたようなアイロニカルな物語を経ることはなく、「父」になる夢をみることができる。(同、36頁)


宇野が主張するように、江藤/村上的な「父」(歪だがかろうじて戦後的成熟という形を取ろうとしていた虚構の「父」)は、そのような形を取らない状態で、より醜悪な形で、SNSによる情報社会におけるエコーチェンバー的な心性となって現れている。エコーチェンバー的な心性は「母性」にあたるが、その根拠は臨床心理学者の河合隼雄の論述を参照されたい。


 母性の原理は『包含する』機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこんでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。」「かくて、母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に到らしめる面をもっている。」「これに対して、父性原理は『切断する』機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子供をその能力や個性に応じて類別する。」「父性原理は、このようにして強いものをつくりあげてゆく建設的な面と、また逆に切断の力が強すぎて破壊に到る面と、両面をそなえている。(河合隼雄1976.『母性社会日本の病理』中央公論新社、9頁)


河合によれば、父性は“創造”と“破壊”的な側面を持ち、“切断”によってそれらを可能にする。母性は任意の対象に平等に接する“優しさ”や“包容力”を持ち、“包含する”機能によってそれらを可能にする。つまり、その構図に「妻」は介在しないが、「母」的な存在、つまり母性のエコーチェンバー的な心性が、「彼」にとって都合の悪い情報を“包含する”こと、見えざるものとすることで、「彼」を包み込みつつ矮小な「父」へ育成する夢を見させると言える。


 以上、宇野常寛の述べる「母性の構造」について整理してきた。これらは現代においては、SNSにおけるエコーチェンバー的な心性へと形を変えて現代社会を覆っている。次節においては、三島由紀夫が戦後社会をどのように捉えていたのか、そして三島の小説において描かれた自己のあり方とは如何なるものだったかについて、ケアの倫理を用いながら整理する。つまり、三島における「否応なく結びついてしまう」ような「行動(政治)」と「文学」の関係性についての考察である。


(ⅱ)三島由紀夫の「政治」観

 本節では、三島の政治と文学の関係性における三島の「政治」観について整理したい。


二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。(三島由紀夫「果たし得てゐない約束―私の中の二十五年」(『決定版 三島由紀夫全集36』新潮社、2003))


これは三島由紀夫がその自決の前に遺した遺言的なエッセイからの抜粋である。先述の『母性のディストピア』冒頭にも登場する。換言すれば、このままでは経済的には豊かでありながらも、コンセプトなき虚しさ(からつぽ)を感じる日本になることを予言しつつ憂いていたと言える。

 そして、このエッセイには前文がある。


 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。(同)


ここに、三島が「母性の構造」に悲観的であったことが見てとれる。「戦後民主主義とそこから生ずる偽善」について、「空虚」であり「鼻をつまみながら通りすぎた」と断じている。前節でも述べたように、戦後という時代は、政治的(表面的)には対立する二つの運動が、文学的(実質的)には同一の構造によって成立していた時代である。政治レベルでは自民党と野党が、文学レベルでの同一性を隠蔽しつつ、さも政治的には対立するかのように振る舞うことで成立していたのが戦後の日本社会だった。それによって「父」になろうと夢見ていた時代でもある。

 一方、社会学者の宮台真司は、三島の考えた国家観とその矛盾を次のように指摘している。


 さて、国家が道具としての機関(state)に過ぎないなら、道具の使い勝手が悪ければ放棄して、移住すれば良いことになる。日本で言えば、アメリカの51番目の州になるとか、漢字文化圏として中国に併呑されるとか。だが自分たちという意識を可能にするものが国民共同体(nation)だ。

 だから「社会が国家を道具とする」近代では国民国家(nation-state)の形が必然だ。国民共同体(nation)への価値コミットメントは、自制的だろうが注入的だろうが事実的な歴史であるほかなく、論理的な正当化だけでは済まない。例えば日本における維新後の近代では、天皇という表象が国民共同体(nation)の事実的な形成に使われた。だが、ここに矛盾がある。

 三島由紀夫は矛盾を意識していた。確かに三島は天皇絶対主義を説いた。ところが、三島は日本が天皇絶対主義を必要とする理由を理路整然と述べた文章をしたためた。しかじかの機能があるから絶対的存在たる天皇が不可欠だと。これはおかしい。機能が存在理由ならば、天皇は入替え可能だ。等価な機能を果たせば天皇でなくてもいいという話になるからである。

 この矛盾は近代天皇制の宿痾だ。機能的理由を根拠に天皇絶対主義を説く。つまり相対的理由で絶対主義を置く。この構えは岩倉使節団系に由来し、戦前戦中にも田中智學の國柱會に先鋭的な形で見られた。現に岩倉使節団系にも國柱會にも真の天皇主義者はいなかった。とはいえ、これらにおいては天皇はエリートが民を操縦する手段だから、まだ矛盾が小さい。

 だが、矛盾は消えはしない。民を国民共同体に所属させる手段が天皇なのは良いとしても、エリート自身がなぜ国民共同体に貢献しようとするのかが、謎として残らざるを得ないからだ。エリートに、国民共同体への貢献動機の代わりに、単なる蓄財動機しかないのなら、謎は全くない。西郷隆盛が大久保利通の単純欧化政策を疑ったのは、この点においてだった。

 こうした似非エリートを取り除くには、真に国民共同体への貢献動機を持つエリートが存在する必要がある。そして、かかるエリートをもたらすには、エリート自身が天皇絶対主義に帰依する必要がある。だが「必要がある」というのは機能的思考だ。こうして、相対主義的な機能的思考の延長線上に、天皇絶対主義的エリートの存在が要求されることにならざるを得ない。

 これが三島の機能的思考だった。現に三島は東大全共闘との討論会で全共闘エリートが国民共同体への貢献動機を持つかどうか疑い、天皇陛下への帰依を要求した。だが、機能的理由で「エリート自身の」天皇への絶対的帰依を要求するのは、絶対性の相対化であって、矛盾である。矛盾を橋川文三に突かれた三島はあっさり認める。当初から矛盾を自覚していたのだろう。

 この橋川との応酬で、三島は自らが今上天皇に絶対的に帰依するという事実性を示すに止めた。だが、三島はこの事実性を「所詮はどうとでも言える文筆」で示すことに飽き足りず、最終的には自衛隊市ヶ谷駐屯地での切腹を以て示すに至った。ことほどさように、三島の言動は、巷間の理解とは違い、意外に筋が通っている。それを見逃してはならない。(宮台真司2014.『社会はどこから来てどこへ行くのか』幻冬社文庫. 11-13頁)


 三島は天皇主義者であった。宮台は「天皇が絶対的ではなく機能的に必要ならば、それは天皇でなくてもよい。絶対性の相対化である」と矛盾を指摘しているが、コンテクストを紐解けば、それは三島が直接述べたかったことではない。「日本人であることの必然性」、「からつぽ」に対置する「入替え不能性」を、当時や未来(現代)の日本人が有することができるのか?という点を憂いての、自決も含めた言動であったと考えられる(いいだもも2020.『1970・11・25三島由紀夫』明月堂書店、14頁)。学生時代を戦時中に過ごし、昭和天皇から銀時計を直接手渡された三島にとっては、自らが日本人である必然性を示す対象が「偶然にも」天皇だった。三島は自決と、天皇陛下への忠誠という手段をとって、自らの内に刻印された日本人であることの必然性、入替え不能性という目的を果たしたといえる。

 それでは、三島は天皇におけるどの側面に機能的な必要性を訴えていたのだろうか。思想家の内田樹は以下の三島の発言を引用する。


「これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。(笑)これは私はふざけて言っているんじゃない。常々言っていることである。なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在いわれている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。その共通要素は何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結するということを夢見ている。この夢見ていることは一度もかなえられなかったから、戦前のクーデターはみな失敗した。しかしながら、これには天皇という二字が戦前ついていた。それがいまはつかないのは、つけてもしようがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなければならぬと私は信じている。それがくっついた時には、成功しないものも成功するかもしれないのだ。」(三島由紀夫・東大全学共闘会議駒場共闘焚祭委員会1969.『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』、新潮社、64~65頁)


内田はこの発言を参照して次のように述べる。「この発言から私たちが知れるのは、三島が日本の政治過程において本質的なことは、綱領の生合成でも、政治組織の堅牢さでもなく、民衆の政治的エネルギーを爆発的に解発する「レバレッジ」を見いだすことだと考えていたことである。そして、その「レバレッジ」は三島たちの世代においては、しばしば「天皇」という「二字」に集約されたのである」(内田樹2017.「日本人にとって「天皇制」とは何を意味するのか―「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー」東洋経済オンライン)。

 内田の言葉で噛み砕けば、三島の考えた天皇の機能的な存在意義とは「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」、つまり民衆の政治的エネルギーを解放する「レバレッジ」としての機能だった。中間的な権力構造とはつまり「間接民主主義」「議会制民主主義」などを指しているが、これが本来発揮されうる民衆の政治的エネルギーを阻害する要因となっていたこと、それを乗り越えるためには「天皇」という神性が必要であったことを読み取ることができる。


 以上が本稿で引用した三島の国家観であり、それは日本における「母性の構造(父性と母性の共犯関係)」の批判と、日本人としての必然性・入替え不可能性を取り戻すことへの想いがあった。かつ、天皇に求める機能的な側面として、末端の日本人にエネルギーを取り戻すための「レバレッジ」としての役割を期待していたと言える。


(ⅲ)「ケアの倫理」と「両性具有性」について

 次に、「ケアの倫理」とその条件における「両性具有性」について確認する。

 岡野(2015)によれば、ケアの倫理は規範倫理学の学説の一つであり、アメリカの発達心理学者のキャロル・ギリガンの著書『もうひとつの声』に由来する。宮内(2008)によれば、「ケアの倫理は“正義の倫理”との対比で登場するものであり、その差異は倫理が立ち上げられる根底にある「自然的欲求」にある。ケアの倫理は人間関係の維持を重視し、傷つけることを避けようとするが、その根底にあるのは「安全への欲求」と言える。これに対し正義の倫理は、権利を主張し他者の介入や他者への介入を避けようとする。ここで働いているのは「自由への欲求」である。そして双方とも、自己中心性やエゴイズムを倫理的でないとする」。これらはギリガン自身が、カント的な道徳をモデルとした発達過程を理論化したコールバーグの発達モデルを正義の倫理と名づけ、それとの対比の中で自ら発見した倫理をケアの倫理と名づけたことに由来している(岡野2015)。

 そして本稿の主題と関係するケアの倫理の重要な点として、小川公代の著書『ケアの倫理とエンパワメント』によれば、ケアの倫理は人文学、とりわけ文学の領域で論じられてきた“自己や主体のイメージ”あるいは“自己と他者の関係性をどう捉えるか”という問題に結びついている。より具体的には、「両性具有的で多孔的な自己」「ネガティヴ・ケイパビリティ」「カイロス的時間」といった諸概念が、潜在的に深いところで「ケアの倫理」と通じている(小川公代2021.『ケアの倫理とエンパワメント』講談社、189頁、以下「小川2021.」で略)。

 ヴァージニア・ウルフは、家庭のケア労働がなくてはならないことを訴えた英国のモダニズム文学作家であるが、精神医学者にしてヴァージニア・ウルフの研究者、神谷美恵子は「大ていの人は大人になると何らかの出来合いのイデオロギーで説明し去るか、あるいは一切考えるのをやめるほうが多い」と述べ、「考えること」を一生やめなかったウルフの言葉から豊かな示唆を得られることを伝えている(神谷美恵子『V・ウルフの病跡』、94頁)。小川(2021)によると「人間には、連続的進行の「クロノス的時間」とは別の「カイロス的」時間が流れている」(小川2021.16頁)。クロノス的時間が“客観”的な時間であれば、カイロス的時間は“主観”的な時間と言えるだろう。「カイロス的時間」は言い換えれば、経験に基づいた想像世界が育まれる時間である。ウルフの心を突き動かしたのは、「日常生活の表面的な現象の背後に、何かもっと本当のもの、真の現実というべきものがあるのではないか」(神谷美恵子『V・ウルフの病跡』、88頁)という内面に関する問いであった。小川(2021)によれば「「自分は何者だろうか」といった問いに向き合い、ひたすら「人生とは何か」「人間とは」「愛とは」「時間とは」について考え続けたウルフのカイロス的な時間感覚は<ケア>の営為とも関係する。ウルフの文学作品はケア精神で貫かれていたが、子育て、看護、介護といった物理的な「ケア労働」の背後にある内面世界を包括しようとするのが、ウルフにとってのケアだった」(小川2021.16頁)。

 このように、ウルフは日常生活での現象について客観(論理性、クロノス的時間)よりも主観(感情、心で感じる能力、カイロス的時間)を高く評価していた。そしてウルフの著書『自分ひとりの部屋』には、「文学の傑作はかならず両性具有的な性質を備えている」と書かれている。小川(2021)はその理由として、男性であっても、女性的な視点を備えている文豪たちは「多孔的な自己」(porous self)のイメージを持っていることを述べている(小川2021.17頁)。ウルフはシェイクスピアを両性具有的だとし、さらに、ジョン・キーツ、ローレンス・スターン、ウィリアム・クーパー、チャールズ・ラム、サミュエル・テイラー・コウルリッジ、パーシー・B・シェリーの名前を挙げている。「とにかくその種の混合がなければ知性ばかりが支配的になり、心の他の能力は硬化して不毛になるのですから」とウルフは述べている(ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』、178-179頁)。なお、ここでいう「知性」は本稿における“父性”と呼応し、「多孔的な自己」に加えて“父性”だけではなく“母性”も持ち合わせた「両性具有的な自己」が必要であると暗示されている。ウルフの小説『オーランドー』は、生まれたときは男性であったが人生半ばで女性に変貌するという、いわば両性具有者の物語であり、このように「クィアな芸術家は両性具有性とスピリチュアリティを結びつけて考える傾向があった」。(小川2021.84頁)

 「多孔的な自己」とは、小川によれば「他者に開かれたもの」だ(小川2021.21頁)。そして、他者に開かれたスピリチュアルな自己こそ世俗の時代に求められる自己像であると論じている、カナダの宗教社会学者チャールズ・テイラー(Charles Taylor,1931-)を小川は引用する(チャールズ・テイラー2020.『世俗の時代』(上)名古屋大学出版会.47頁)。小川(2021)曰く、近代社会におけるリベラルな思想のもとで長いこと評価されてきたのは「緩衝材に覆われた自己」(buffered self)であり、啓蒙期以降の多孔質でない「自立した個」の比喩としても用いられてきた。その一方、「多孔的な自己」は、より緩やかな輪郭をもつ、近代では希薄になりつつある存在で、「他者の内面に入り込むほどの想像力を有する自己像」である。「自他二元論が支配するような世界から一度切り離されて、内的世界と外的世界とを行き来するような、スピリチュアルで他者への想像力が及ぶ自己」のあり方である(小川2021.21-22頁)。

 そして両性具有的な精神を持つジョン・キーツ(John Keats,1795-1821)の「ネガティヴ・ケイパビリティ」(negative capability)という概念は、「共感力をもつ自己像を表している」と小川は述べる。キーツのこの概念は、共感力をもつ自己像を表しているといえる。知性や論理的思考によって問題を解決してしまう/したと思うことではなく、そういう状態に心を導くことをあえて留保することを指している。相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない「宙吊り」の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力であると述べられている(小川2021.18頁)。

 小川は作家で精神科医の帚木蓬生の文を引用して、「人はどのようにして、他の人の内なる体験に接近し始められるだろうか」という問いに言及する。


共感を持った探索をするには、探究者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならない。(中略)体験の核心に迫ろうとするキーツの探究は、想像を通じて共感に至る道を照らしてくれる。(中略)さまざまな社会的状況や自然現象、病気や苦悩に、私たちがいろいろな意味づけをして「理解」し、「分かった」つもりになろうとするのも、そうした脳の傾向が下地になっています。(帚木蓬生2017.『ネガティブ・ケイパヴィリティ 答えの出ない事態に耐える力』朝日新聞出版、5-8頁)


小川(2021)は「キーツのネガティヴ・ケイパビリティとって、想像力は他者との共感に至る道筋であり、このような<ケア>の営為には、あえて留保する力が必要である」と述べる(小川2021.19頁)。そして帚木によれば、ヒトの脳には「分かろう」とする生物としての方向性が備わっている。この文脈における「意味づけをして「分かろう」としてしまう傾向」は、本稿における“父性”と重なる。対して「キーツにとって他者に開かれた「多孔的な自己」は、「感覚」(sensation)と「想像力」(imagination)の働きによって支えられていた」(同、19-20頁)。

 以上が「ケアの倫理」についての紹介でありつつ、本稿の結論に関わる部分として、これらは前述の父性と母性に読み替えられるのではないだろうかと考える。前述の父性原理と母性原理に照らし合わせてみれば、父性は「切断する」機能にその特性を示す。自他二元論が支配する西洋的な『緩衝材に覆われた自己』のあり方は、対象を二元論で「切断」して意味づけし、理解し、分かったつもりになる。そのようなあり方にウルフは批判的であった。「とにかくその種の混合がなければ知性ばかりが支配的になり、心の他の能力は硬化して不毛になるのですから」という発言から読み取れるように、父性に加えて母性の「包含する」機能を併せ持つ、より共感的な自己のあり方を彼女は主張した。前段落における「感覚」(sensation)や「想像力」(imagination)の働きである。これすなわち「両性具有的な自己」であり、「多孔的な自己」や「ネガティヴ・ケイパビリティ」を可能にするのである。

 そしてここからは「両性具有性」について、高井・岡野(2009)を参考に整理していく。少々長くなるが、重要な論点がまとまっており、以下に引用する。


 「男らしさ」や「女らしさ」という概念は、生物学的な性(sex)としての男性、女性に対応するものとして受け取られてきた。男性には男らしさが、女性には女らしさが当然のように求められた時代もある。そして、人びとが認識する男らしさや女らしさから逸脱する言動は、男らしくない、女らしくないと批判の対象となってきた。しかし、日常の行動様式や思考、服装、色や食べ物の好み、その他、あらゆる側面で、男性と女性の文化的区別はそう簡単なものではない。ボーヴォワールは、その著書『第二の性』において、「人は女に生まれない。女になるのだ」と述べ、さまざまな女性論を踏まえ、実存主義の立場から女性の生き方について歴史的側面、社会的側面、哲学的側面、性的側面など多角的に検討している。また、Mead(1935)による文化人類学の知見は、男女の役割の差は文化によって形作られるものであり、固定的なものではないことを示している。「男らしさ」や「女らしさ」と言われるものは、社会が生物学的な性(sex)としての男女それぞれに期待する役割としての性格特性や行動様式の側面を持つ。性役割(sex role)とほぼ同義であるとされるジェンダー(gender)は、生物学的な性(sex)と異なり、男性、女性について社会的に定められた性とされる。非言語的行動も含む行動様式、服装、社会的役割、職業など、社会が男女を区別するのに用いるあらゆる非生物学的な特性を含むものとされる(Lippa,1990)。社会が期待する「男らしさ」や「女らしさ」と、「自分らしさ」が異なると葛藤が生じる。特に、女性は男性に比べて、自らの性役割を受容することに困難を感じ、性役割葛藤が大きいという報告もなされている(伊藤・秋津1983.)。

 性差研究が本格的になったのは、フェミニズム運動が勃興してからのことであるとされるが、女性解放運動が活発になる中で、1970年代前半では伝統的な性役割ステレオタイプの存在と性の二重基準が、現代女性の多くの内的葛藤をもたらしたとされる(Broverman,et al.1972.)。1970年代後半では、2次元モデルとしてのアンドロジニー(androgyny:両性具有性)という概念が提唱された(Bem,1974)。心理的両性具有性(psychological androgyny)とは、個人における男性性と女性性の統合であるとされる。「社会において男性的とされるパーソナリティ特性を自己概念として持ち(男性性)、かつ、女性的とされるパーソナリティ特性も自己概念として持つ(女性性)こと」であり、「男女にかかわらず、本来人間として備えるべき人格特性を幅広く自己概念として具有することを意味する」(土肥1996)。それまでは、ある個人の男性性が高いと女性性は低いといった両極性の単一次元で考えられてきた。しかし、アンドロジニーの考え方では、男性性と女性性を持つことは相反するものではなく、独立した2次元として考えられるようになった。Bem(1974,1975)は、男性性と女性性を兼ね備えた心理的両性具有群は、男性性のみが高い群や女性性のみが高い群、男性性も女性性も低い未分化群に比して、心理的に最も適応的で健康的であるとしている。Bem(1974,1977)が、心理的両性性を測定する尺度である「Bem Sex Role Inventory(BSRI)」を開発して以降、ジェンダーに関するさまざまな尺度が開発され、心理的両性具有性(psychological androgyny)の実証研究も進んできた。土肥・広沢・田中(1990)は、土肥(1988)の作成したアンドロジニー・スケールに修正を加えたものを用いて、大卒の女性を対象として、ジェンダー・タイプと役割達成感(妻役割、母役割、就業者役割)との関連を検討している。両性具有型の女性は、伝統的に「男性的」な就業者役割においても、また、「女性的」な妻・母役割といった役割においても、役割達成感が高いという結果を見出している。女性性優位型の女性は、妻・母役割といった伝統的に「女性的」とされる役割達成感は高いが、就業者役割での役割達成感は、両性具有型の女性よりも低いことも示されている。これらの結果から、土肥らは、妻・母役割は、伝統的に女性的な社会的役割であるため、女性性優位型の女性は、自己の性(sex)と社会的役割のジェンダーが一致すると高い達成感が得られるが、異性的な役割へ従事する場合には、この矛盾が心理的な葛藤を生じさせるのではないかとしている。それに対して両性具有型の女性は、ジェンダー・アイデンティティの働きにより、どのような役割従事にも深く自己関与し、達成感が高まったのではないかとしている。

 また、「男らしさ」や「女らしさ」と表現される性別役割意識は、親の養育態度の影響も強く受けるものであろう。ステレオタイプとは、「ある特定の社会的カテゴリーに属する人びとについての極端な一般化」(Basow,1992)とされるが、男性や女性に対して人びとが共有する、構造化された思い込みはジェンダー・ステレオタイプと呼ばれている(Lippa,1990)。体重や身長などに違いのない新生児に対して、女の子は男の子よりもデリケートで女らしいと両親から判断されたり(Karraker,Vogel,& Lake,1995)、子どもがジェンダー・ステレオタイプに沿った行動をとった場合(e.g.,女の子が人形遊びをする)は、親も褒めたりするが、ステレオタイプに反する行動をとった場合(e.g.,男の子が人形遊びをする)、親は叱ったりするといったように、子どもの性別によって親の言動が異なることも報告されている(Lytton & Romney,1991)。(高井範子、岡野孝治2009.「ジェンダー意識に関する検討―男性性・女性性を中心にして―」太成学院大学紀要11巻、61-73頁.)


 この引用が示す論点の中で、筆者が重要と考える点を6つ述べる。

① 社会が期待する「男らしさ(“父性”)」や「女らしさ(“母性”)」と、「自分らしさ」が異なると葛藤が生じる点。伝統的な性役割ステレオタイプの存在と性の二重基準が、特に現代女性に関して多くの内的葛藤をもたらしたとされる。

② 心理的両性具有性(psychological androgyny)という概念が提唱されている点。社会における男性性(“父性”)と女性性(“母性”)が統合されている状態を指す。生物学的性としての男女にかかわらず、本来人間として備えるべき人格特性を幅広く自己概念として具有することを意味する。

③ 心理的両性性を測定する尺度が存在している点。

④ 心理的両性具有者は、心理的に最も適応的で健康的である点。

⑤ 心理的両性具有者は、自身の生物学的性と異なる性役割においても深く自己関与でき、高い達成感を有する点。

⑥ 性別役割意識は、親の養育態度の影響も強く受ける点。


「心理的両性具有者」は、従来のジェンダーロールに縛られ、自身の心に「嘘」をついて葛藤を抱えながら生きる自己像とは大きく異なる。ここに「多孔的な自己」や「ネガティヴ・ケイパビリティ」といった「ケアの倫理」が宿りうることを踏まえると、心理的に最も適応的で健康的な心理的両性具有者だからこそ、他者のケアのみならず、自身のセルフケアも可能であると考えることができる。また、心に余裕があるからこそ、他者に対して深く共感する力(多孔的な自己)と、任意の状況で焦って二項対立的な解を選ばない(ネガティヴ・ケイパビリティ)と考えることもできるのだ。

 そして(ⅰ)において、戦後の日本社会では「戦後的なアイロニーの内面化(成熟が偽りであることを自覚しながらも「あえて」引き受けること)」が成熟であると考えられてきたこと、つまり家父長的な “父性”と“母性”の共犯関係が形成されてきたことを述べた。このあり方では「心理的両性具有者」が生まれる絶対数は少なくなることが読み取れる。心理的に適応的でも健康的でもない、それが戦後日本における「文学的/私的」な「成熟像」であったのである。それは「政治的/公的」にもアメリカの核の傘という「肥大化した母性」によって矮小な「父」とならざるを得なかった戦後日本の国体と重なっている。ここに「政治」と「文学」が否応なく繋がるのだ。


(ⅳ)三島由紀夫の「文学」にみられる「ケアの倫理」

 (ⅰ)〜(ⅲ)を踏まえた上で、三島由紀夫の「文学」観に見られるケアの倫理について整理していく。主に小川公代2021.『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)を参照する(以下、小川2021.として省略)。

 小川(2021)によれば「男女二元論、ヘテロノーマティヴが行き渡る社会では、性の逸脱と考えられる行為への社会的制裁が現在より大きい。三島由紀夫や、彼が敬愛したオスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)はそのような時代に生きつつも、自らの同性愛的傾向を胸底に秘めていた」(小川2021.79頁)。そして、作家の平野啓一郎によれば「同性愛は、抑圧されつつ、作品の至るところに偽装されたかたちで忍び込むこととな」った(平野啓一郎2020.「『豊穣の海』論」、『新潮』2020年12月号(新潮社)、63頁)。ワイルドはヘテロノーマティヴな家族生活を送っていたが、同性愛関係があった事実を暴かれ、精神的にも肉体的にも追い込まれた。三島も、セクシュアリティをめぐる葛藤が主題の作品『仮面の告白』(1949)と『金閣寺』(1956)を発表している。『金閣寺』までの三島は、同性愛と美というテーマを真摯に、あるいは切実に追い求めていたが、それ以降は自分が同性愛である可能性を示唆する言葉は「表向きの実生活からも作品からも姿を消」してしまった(同.62-63頁)。

 三島の戯曲『サド侯爵夫人』(1965)では、主人公ルネや彼女の夫・サド侯爵が、性愛のかたちを正常化、規範化する社会やモラルに対して抗い続ける。「法・社会・モラル」に挑戦したルネと厳格なモラル規範の体現者である母モントルイユ夫人の対立構造は、三島にとっても重要な思想表明であった(平野啓一郎2020.「解説」、三島由紀夫『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮文庫、244頁)。高山秀三によれば、三島にとって「男性性と女性性、そして生活と芸術は最後までうまく折り合うことがなかった」(高山秀三2011.『マンと三島 ナルシスの愛』鳥影社、182頁)が、それでも彼は「女性的であると同時に男性的であり、精神的であると同時に官能的であり、共感的であると同時に自閉的」であるという二極のものが合わさった性質を持っていた(同、199-200頁)。小川(2021)曰く「たしかに、『サド侯爵夫人』のルネは、母モントルイユ夫人が体現する伝統的権力に屈することなく、言葉で反抗し続ける強さも見せている」(小川2021.80頁)。ワイルド同様、結婚して家庭を持った三島は、「「内的」には相当に平均から逸脱した性的傾向を持ちながら、「異端者」となることを恐れて「正常」を演ずる二重生活を営んでいた」(高山秀三2011.『マンと三島 ナルシスの愛』鳥影社、11頁)。また小川曰く、ヘテロノーマティヴな規範から外れているがために、不安なまま現在進行形の“今”を生きるしかなかった芸術家たちの共感やケアの連鎖によって文学作品が生み出されてきたことを考えると、三島が『金閣寺』を執筆する数年前に「(オスカー・)ワイルドの名が、永いあいだ私の関心からは立ち去って行かなかった」(三島由紀夫「オスカア・ワイルド論」、『決定版 三島由紀夫全集 27』新潮社、2003年、284頁)と書いていたことが、三島の残した同性愛作品を紐解く上では極めて重要なことである(小川2021.80頁)。

 三島が『オスカア・ワイルド論』を書いた数年後に発表された『金閣寺』と、三島自身が愛着を持っていたと言われている『美しい星』は、ワイルドも含めてある特徴が類似している。それは小川曰く「彫像、人魚、侏儒(こびと)、打ち上げ花火、肖像、金閣寺、宇宙人といった非人間的存在のアレゴリーを用いながら、クィア性(同性愛、両性具有などを含む「変態」)を浮かび上がらせていることだ」。加えて小川によればこれらは「クィアへの共感のまなざしを作品に反映している」(小川2021.111頁)。

 『美しい星』は、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代人の不安を描いた小説として知られている。小川によれば「視点人物たちが異星人であることを考えると、ワイルド的、あるいはアンデルセン的な「人間と非人間」の関係性を描いた小説ともいえる」(小川2021.101頁)。イギリス文学者の北村紗衣は、この小説が「変わり種」とみなされてきた理由が「人類の危機」を描いているからだけではない点をクィア性という主題に見出している。北村によれば、自分たちが異なる星からやってきたことに大杉家のメンバーが目覚めるとき、「家族という閉じた共同体の薄気味悪さ」が浮かび上がる(北村紗衣2020.「地球人には家族は手に追えない―クィアSFとしての『美しい星』」、『彼女たちの三島由紀夫』、48-50頁)。つまり、異化されることによって、当たり前のものとして受け入れられている「家族」を問い直す視点があるという。

 そして小川は、ケアの倫理学者のひとりであるジョアン・C・トロント(Joan Claire Tronto,1952-)を引用し、『美しい国』と『金閣寺』を接続する。トロントによれば、近代社会で世帯が小さくなるに従い、「より多くのケアが、市場で職業化されるようにな」った。多くの場合、「ケアを受け取れるかは、お金をもっているかどうかに左右され」る。つまり、職業化されたもの以外の「ケア」がすべて「家族」に集約されてしまう現代社会の問題を打開すべきであるとトロントは主張している(ジョアン・C・トロント『ケアするのは誰か?』、43-44頁)。この議論を思い出すなら、「三島の『美しい星』と初期の同性愛を主題とした『金閣寺』との連続性を考えてみるべきだろう」と小川は述べる(小川2021.102頁)。異性愛中心的な「生/性」、あるいは家族の「生殖」の営み「死/美」の世界との対立が『金閣寺』では描き出されていたが、『美しい星』でも同様の葛藤が描かれているのである。

 『金閣寺』は、実際に起きた「金閣寺放火事件」から着想を得た三島が、独自の人物造形や、彼の美の観念を加えて構想した作品だ。主人公の溝口は、最上の美として思い描いていた「金閣」の観念が、しばしば女性と自分とのあいだに立ち現れて「生」を無化してしまうことに思い悩んでいる。また、幼い頃からの虚弱体質や吃音といったコンプレックスを抱えている。これらが邪魔をして、溝口が「生」を全うしようと、苦手意識のある女性と性行為に及ぼうとしても、必ず「金閣自らがそういう瞬間に化身して」しまう(三島由紀夫1960.『金閣寺』新潮文庫、135頁)。「美」と「生」はそれぞれ「観念/精神」と「異性との性行為/肉体」の寓意として読め、互いに断絶し合っていると小川は指摘する(小川2021.102頁)(なお小川は「同性愛的傾向があった三島にとっては、小説における芸術的表現にとどまっていたのか、あるいは実人生でも同様の葛藤を抱えていたのか明言はできないが、多少なりともパラレルの関係にあったことは想像ができよう。」と注釈を付け加えている)。美しい金閣が滅びると無力である一方、「生ある」モータルな人間が滅びても復元力があるという対照が描かれる。人間は、「繁殖する」ため、金閣のように厳密な一回性を持っていない。「そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂って」くる(『金閣寺』、207-208頁)。この点について小川(2021)は、ワイルドの『幸福な王子』を彷彿とさせる対比であるとしている。小川曰く「生身の人間であった幸福な王子は彫像として蘇生するが、ひとたび美しいモノとなった後に溶鉱炉で溶かされると、そこには滅びしかなく、「金閣」と同様の一回性が象徴されている」(小川2021.103頁)。

 金閣に火をつけた後、溝口は咄嗟に「金色の小部屋」を探し求めて火に包まれながら死のうとする。しかし小部屋への戸が開かず、「拒まれているという確実な意識」が生まれる(『金閣寺』、276-277頁)。つまり、「死」に締め出されたという意識だ。その直後、燃え盛る建物の戸外に出た溝口の心に浮かぶ最後の言葉「生きようと私は思った」で物語は締めくくられる。「美(死)の倫理」に締め出され生き残った溝口に与えられた選択肢は、「生」を拒絶し続ける、もしくは伝統的な家父長制による「家族」と子どもを儲けることだったはずだ。そこには彼が拒絶し続けた性の営みもある。しかしそれでも「生きようと思った」という点に小川は希望を見出し「三島はヘテロノーマティヴな価値観を深く内面化し、「男らしさ」を強調する軍服と肉体を身につけていながらも、日本の悪しき家父長制文化に対して両義的な感情を抱いていたようだ」と述べている(小川2021.104頁)。平野啓一郎によれば、三島は「日本人」と「人類」という分類について考えており、日本人を「“人類”というカテゴリーへと還元しようとする」考え方に「徹底して否定的だった」。しかし実は未完の『日本文学小史』(1972)において三島は「ヒトというサブスタンスに基づく「底辺の国際主義」(ここでいう「底辺」とは、末端の民衆という意味合いであると思われる)がある」と考えていた(平野啓一郎「『豊饒の海』論」、69頁)。平野曰く「ここには、人生を終わらせようとしていた三島ではなく、現在進行形で思索し続けている三島の姿がある」(同、67頁)「日本及び日本人という「一貫した統一した」イメージからは乖離した多様性が提示され」ている(同、70頁)。そして『金閣寺』で主人公が最後に言った言葉を引き取って、『美しい星』はクィア性への道をつけていくと小川(2021)は指摘する(小川2021.105頁)。

 『美しい星』は、埼玉県飯能市に住む大杉家の家族4人がそれぞれ円盤を見て別の星からやってきた宇宙人であるという意識に目覚める物語である。日本の家父長的文化から距離を置きながらも、人間の肉体を持つが故に危うさを保持する「宇宙人」の視点から描かれる。

 『美しい星』では、「生」に関わる人間の肉体や生殖からかけ離れた「美の倫理」(三島由紀夫1967.『美しい星』新潮文庫、81頁)というものを、竹宮という宇宙人(金星人)に具現させている。小川は彼の描写に『金閣寺』との近接性を指摘している。「女性を忌避し、「生」を享受できない自己像は、『美しい星』では竹宮が象徴している」のだ(小川2021.105頁)。竹宮は溝口と同じように「生」を拒絶させる美の観念に取り憑かれ、「あるべきだと考えるものは、決してこの世に存在しない」(『美しい星』、81頁)。「世界に少しも知られずに、埃だらけの美の中に埋没してしまうこと」(同、80頁)を受け入れる竹宮は、性的な官能からは程遠いキャラクターでありながらも、死に限りなく近い美の体現者である。竹宮は同じ金星から来た大杉暁子と出会うが、竹宮との間に性交渉がないにも関わらず、暁子は妊娠する。「あの人と私は、接吻はおろか、手を握り合ったこともないんです」(同、189頁)と彼女がいうとおり、2人は生殖に関わる行為には及んでいない。このことから分かるように「2人の関係性は逆説的に<女性との没交渉>や<生の否定>というモチーフを際立たせている」と小川は述べる(小川2021.106頁)。そして、お腹の子どもの父親である竹宮は途中で姿を消してしまい、子どもが生まれた後にどのような「家族」が構成され、誰が子どもをケアするのかは読者の想像力に委ねられている。

 『美しい星』はまさに矛盾に満ちた小説であるが、小川曰く「俯瞰的な視点を獲得した「異星人」の大杉家4人が地球を救うために様々な努力を重ねる点で、『幸福な王子』のアダプテーションとして読めなくもない。幸福な王子は高い見地からしか哀れな町の人々の困難を見渡すことができなかったからだ。皮肉なことに、幸福な王子は人間として死んだ後に彫像になり、他者をケアするという“人間性”が与えられた。三島にとっても、死は人間の生に意味を与える概念であった」(小川2021.106頁)。そして三島の述べる「死生観」を、小川は引用する。


小林秀雄が言ってますけど、人間は死んだとき初めて人間になる。人間の形をとると言うんです。なぜかというと、運命がヘルプしますから。運命がなければ、人間は人間の形をとれないんです。ところが、生きているうちは、その人間の運命が何かわからないんですよ、預言者でなければ。(三島由紀夫『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』講談社文庫、2019年、42頁)


ワイルドと比較したとき、「死」が契機となって人間性を獲得した『幸福な王子』とよく似ていると小川は続ける。それは、「『美しい星』が「宇宙人」の霊魂が生身の肉体に宿っただけの「人間」の物語としても読める」からである(小川2021.107頁)。小説の結末では父親である重一郎の迫り来る「死」が両義的に描かれている。重一郎が癌で危篤状態になるとき、実際に宇宙から円盤が現れたのか、あるいは円盤に現れてほしいと願う暁子たちの想いが見せた幻なのか判然としない。円盤が現れなければ、危篤の重一郎は間も無くモータルな存在と化すのだが、小川(2021)曰く「彼の存在の弱々しさからはそちらの結末の方がリアリティがあるように感じられる」(小川2021.107頁)。「宇宙人の鳥瞰的な目」(『美しい星』、107頁)を持つ不死性を象徴する存在であった重一郎が、最後に突如として「死」を意識するのだ。

 小川(2021)曰く「『金閣寺』は、「生」と「美」の激しい相克が決着をみないまま、主人公が「美」に締め出され、「生」のなかに放り出されたような終わり方をしている。「家族」を作るという肉の活動、あるいは生殖の営みに向き合うことができたのかどうか宙づりのままである」(小川2021.107頁)。この部分は小川が三島の「ネガティヴ・ケイパビリティ」を暗示しているものと思われる。重一郎は、人間たちの歌を「考えられるかぎり猥褻で、又すずやかなその旋律」といくらか侮蔑的に形容し、「こんなものを愛することができようか?」と呟く(『美しい星』、348頁)。小川曰く「クィアな芸術家が「美」を理解しない凡庸な人間から距離を取るような態度は、竹宮の「美の倫理」を映し出しているようにも思える」(小川2021.108頁)が、次の重一郎の言葉からは「緩衝材に覆われた自己」とは対照的な、多孔的な自己像が映し出される。それは「底辺の国際主義」とも感じられる。


生きてゆく人間たちの、はかない、しかし輝かしい肉を夢みた。一寸傷つけただけでも血を流すくせに、太陽を映す鏡面ともなるつややかな肉。あの肉の外側へ一ミリでも出ることができないのが人間の宿命だった。しかし同時に、人間はその肉体の縁を、広大な宇宙空間の海と、等しく広大な内面の陸との、傷つきやすく揺れやすい「明るい汀」にしたのだ。(『美しい星』、349頁)。


 重一郎は、宇宙人の意識をもちながらも人間として癌を患い「死」が迫り来る経験をしている。ちょうどそのとき、鳥瞰的な視点から全人類的な視野をもちつつも、竹宮のように完全に距離をとるのではなく、自分の内にある人間の「はかなさ」や「一寸傷つけただけで血を流す」ような弱さを「広大な宇宙空間の海」の「明るい汀」に喩えながら、“自分事”としてその傷つきやすさに深く共感している。ここに、「三島の真の全人類的な視座がある」(小川2021.108-109頁)。つまり、小川はここに三島の「多孔的な自己」像を見出している。

 そして、このような視座を獲得するために、三島にとっての「生」の体験が必要であったと小川は指摘する。『金閣寺』刊行の1956年、三島は既に肉体改造を始めていたが、「竹宮のように人間の肉体が関与する生の活動を遠くから眺める傍観者然とした生き方は、三島の幼少期の肉体面での劣等感を想起させる」(小川2021.109頁)。ヘテロノーマティヴな文化に身を置きながら、虚弱体質によって「男らしい」活動に関与することを許されなかった三島にとって、「肉体改造は「男らしさ」に近づける手段だったのであろう」(同、105頁)。三島は「「肉体のあけぼの」と呼んでいるところの、肉体の激しい講師と死なんばかりの疲労の果てに訪れるあの淡紅色の目眩を知るに至ってから」、言葉と世界の関係性が変わったと述べる。


力の行使、その疲労、その汗、その涙、その血が、神輿担ぎの等しく仰ぐ、動揺常なき神聖な青空を私の目に見せ、「私は皆と同じだ」という栄光の源をなすことに気づいたとき、すでに私は、言葉があのように私を押し込めていた個性の閾を踏み越えて、集団の意味に目ざめる日の来ることを、はるかに予見していたのかもしれない。(中略)演説は演説者の、スローガンは煽動者の、戯曲の台詞は俳優の、それぞれの肉体によりかかっている。紙に書かれようと、叫ばれようと、集団の言葉は終局的に肉体的表現にその帰結を見出す。(中略)集団こそは、言葉という媒体を終局的に拒否するところの、いうにいわれぬ「同苦」の概念にちがいなかった。(三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』中公文庫、2020年、90-91頁)


『太陽と鉄』の一節における、集団の「同苦」は互いに痛みを共有するという点で、スピリチュアルな「多孔的な自己」を小川は見出しているのである。「それぞれの肉体によりかかっている」と書かれている「肉体」とは、俳優が演じることで芸術的に表現し、作り出してゆく流動的で「多孔的な自己」である(小川2021.110頁)。


その同苦によって、はじめて個人によっては達しえない或る肉の高い水位に達する筈であった。そこで神聖が垣間見られる水位にまで溢れるためには、個性の液化が必要だった。」(『太陽と鉄』、91頁)


この文脈は、小川((2021)曰く「ニーチェの悲劇的芸術の議論におけるディオニュソス的陶酔を暗示している」が(小川2021.111頁)、そうであったとしても、同性愛的傾向や虚弱体質などのクィアな個性を「液化」させ、「緩衝材に覆われた自己」あるいは「男らしさ」である「肉体」へと譲歩させた三島は、流動的で共感力に優れた「多孔的な自己」を内在させていたと言える。

 以上、三島の「行動(政治)」と「文学」について整理してきた。「政治」において三島は、戦後の日本社会を覆っている、“父性”と“母性”の共犯によって形成される母子相姦的な「母性の構造」に批判的な立場をとった。天皇の存在意義を機能的に語ったが、それは宮台曰く「日本人であることの必然性、入替え不能性」を求めるものであり、内田に言わせればその存在意義は、底辺(末端)の日本人にまで(政治的)エネルギーをもたらす「レバレッジ」としての役割であった。一方三島の「文学」においては、自身の同性愛的なクィア性の葛藤が至る所に散りばめられ、ケアの倫理で鍵を握る「両性具有的」かつ「多孔的な自己」像、クィアへの共感のまなざしを確認することができた。

 本稿の最初の問いに戻る。三島は“霊性”について、“創造”と“礼節”の交わったところに宿るものだと横尾忠則に対して述べている。ここでいう“創造”と“礼節”とは何を意味していたのだろうか。

 「政治(公的)」において三島は、戦後民主主義を「偽善」と断じた。その戦後民主主義のあり方と言えば、空虚な玉座を守ろうとした「父性」が矮小化し、「母性」が肥大化してエコーチェンバー的に構造の矛盾に目を瞑ってきた「母性のディストピア」である。“父性”とは「切断する」機能であり、対象を二項対立的に切断することで意味づけ、そのような知性を以てして創造する。“母性”とは「包含する」機能であり、対象の線引きを曖昧にして感性で捉え、そこでは全てのものが絶対的な平等性をもつ。そして三島は末端の日本人にまでエネルギーが行き渡る内発的なあり方を願い、天皇にその機能的な必要性(レバレッジ)があると唱えた。

 これらを踏まえると、“創造”は“父性”、“礼節”は“母性”に読み替えるという可能性が浮かび上がらないだろうか。つまり「“父性”と“母性”の交わったところに“霊性”は宿る」とも言い換えることはできないだろうか。三島の「文学(私的)」とケアの倫理でいえば、両性具有性とは“父性”(男性性/知性)と“母性”(女性性/感性)が自己の中で交わっている状態であり、三島自身も「両性具有的で多孔的な自己」の体現者であった。その一方で戦後の日本社会における“父性”と“母性”は、生物学的性とそれが一致した状態(「“父性”=社会的男性性」は生物学的男性が担い、「“母性”=社会的女性性」は生物学的女性が担うもの)であり、三島自身はそのヘテロノーマティヴなライフスタイルに違和感を覚えて「文学」を書き残すとともに、戦後の日本社会が陥った「母性の構造」に見られるヘテロノーマティヴな矛盾だらけの「政治」、この「政治」と「文学」両方に見られるヘテロノーマティヴなあり方への違和感と批判において、日本人の“霊性”がこのままでは失われてしまうのではないか、という危機感を訴えたかったのではないだろうか。

 “創造”=“父性”であることは言うまでもないが、“母性”=“礼節”であることは少し解釈が必要なように思える。“礼節”とは語感から「マナー」や「モラル」のことだと理解することができる。より噛み砕けば「相手の立場を想像しながら、相手を敬う。しかるべき態度で接する」といったところだ。ここで参考にしたいのが、三島が敬愛したオスカー・ワイルドによる「魂」についての記述だ。ワイルドは『獄中記』のなかで、「他者」のために物を与えたり、奉仕したりするのではなく、すべては自らの「魂」のためにするのだと説いている(同、103頁)。ここから分かるのは、ワイルドのケアの倫理は「他者」を媒介して「多孔的な自己」を見出していくというものだ。「他者」の立場を想像しながら相手を敬う行為が、自らの「魂」、すなわち“霊性”の解発に繋がっているのである。筆者はこの点が“母性”=“礼節”の成り立つ根拠であると考える。

 これらのことに関して三島が意図的・自覚的であったかは不明であるが、構造的に奇妙な一致を見せていることは明らかである。また、WHOが健康の定義に“霊性”を加えようとしたこと、「心理的両性具有性」が心理的に最も適応的で健康的であることを踏まえれば、三島が心理的両性具有に自身の快を見出し、戦後日本社会のヘテロノーマティヴな「政治(公)」と「文学(私)」に違和感を覚えた直観が窺える。

 そして筆者は三島が天皇に対して機能的な必然性、すなわち末端の日本人にまでエネルギーが行き渡る「レバレッジ」を求めていたことと、“霊性”は関係があると考える。先述の通り、三島は天皇親政と直接民主主義についてほとんど政治概念上の区別がないとしつつ、一つの共通要素として「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」と述べていた。ここで筆者が注目したいのは、現代の著名なファシリテーターたちの主張である。そして“霊性”即是“両性具有”である鍵を握るのが、南方熊楠の粘菌研究についてである。これらについて次章で詳しく紐解いていく。


Ⅲ 両性具有性に“霊性”は宿る

(ⅰ)三島由紀夫と“ファシリテーション”

 本節では、著名な2人のファシリテーターの理論を参考にして、三島の述べた天皇の「レバレッジ」的な機能の必要性と“霊性”との共通項を整理していく。結論から言えば、三島の主張した天皇の機能的な必要性は、その「レバレッジ」を通して末端の日本人の「霊性」を解発するとも言えるのではないか、ということである。

 まずはアダム・カヘンについてだ。彼は互いに理解や同意、信頼がない関係者でも、最も困難な課題に対して前進できるようなプロセスを設計、ファシリテーション、ガイドする、国際的な社会的企業レオス・パートナーズ社の取締役だ。彼は「変容型ファシリテーション」を提唱しており、その本質として次のように述べる。


「変容型ファシリテーション」の本質は、参加者に一緒に取り組んでもらうことではなく、彼らが一緒に取り組む上での障害を取り除く支援をすることなのである。小川の水を掻き出したところで流れをつくることはできないが、障害物を取り除けば、勝手に流れていく。この気づきによって、私のファシリテーションに対する理解は一変した。(アダム・カヘン2023.『共に変容するファシリテーション』英治出版、33頁)


つまり、彼の提唱する「変容型ファシリテーション」の本質は、人々がワークショップに取り組む上での「障害を取り除く」ことにある。これは、三島が述べた「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」と構造的にほぼ同列である。カヘンのいう「障害」とは、三島のいう「中間的な権力構造の媒介物」にあたる。それらを取り除くことがカヘンによればファシリテーションの本質であり、三島によれば天皇親政と直接民主主義の本質なのである。

 そもそも「変容型ファシリテーション」とは、ある二項対立の「あいだ」に見出しうるものである。それは「垂直型ファシリテーション」と「水平型ファシリテーション」だ。この両者それぞれについて、垂直型は“父性”的、水平型は“母性”的な性質を孕んでいることがわかるのである。両者の定義については省略するが、例えば垂直型の特徴として、プラス面では「専門知識と決断力」、「権威と方向性の合致」、「客観性」、マイナス面では「硬直と支配」、「服従と不服従」、「冷淡さと放棄」など、“父性”の「(対象を)切断する」機能と関連のあるワードが示されている。一方で水平型の特徴として、プラス面では「多様性の包摂」や「柔軟性」、マイナス面では「不協和音と優柔不断」や「近視眼(主観性)」など、“母性”の「包含する」機能と関連のあるワードが示されている。前述の通り、「変容型ファシリテーション」は垂直型と水平型の「あいだ」で揺れ動くものであるが、カヘンは次のように述べている。


垂直の構造が行き過ぎて、グループが硬直と支配によって身動きが取れなくなり始めたら、ファシリテーターは水平型である自主性と選択の多彩さに向かうように、多面性に重点を置く。過剰な水平の構造によってグループが分裂と行き詰まりに陥り始めたら、ファシリテーターは垂直型である協調と団結に向かうために統一性に重点を置く。このようにきめ細かな一連の選択によって、垂直型アプローチと水平型アプローチの間で(無限のシンボルないし連珠系を描くように)必要な交互性が維持される。このリズムの要諦は、ファシリテーターが自分の垂直型または水平型ファシリテーションが、マイナス面に陥り始めることに気づいたら、その時点で、対極のアプローチのプラス方面に方向転換しなければならない、ということだ。片方のファシリテーションのマイナス面が最後まで振り切ってしまうと、二極化と膠着による悪循環スパイラルに陥るだろう。垂直型ファシリテーションと水平型ファシリテーションの間を行き来して循環することで、グループが共に前に進むことができる好循環スパイラルが生まれるのだ。このアプローチは線型には進まず、決して一筋縄にはいかない。(同、72頁)


以上のように、垂直型ファシリテーションという“父性”と、水平型ファシリテーションという“母性”の交わる両性具有的な境地に、「変容型ファシリテーション」は確かに存在している。また、カヘンが「変容型ファシリテーション」の「拡散・創発・収束の3段階モデル」において、参加者たちが何について合意が必要であり、何について合意が不必要かについて見極めることの重要性にキーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」を引用していることからも、「ケアの倫理」における「両性具有的で多孔的な自己」との関連性が感じ取られる(同、162頁)。また「小川の水」という表現は「霊性」と近しいものであると考えられるが、カヘンの著書において「霊性」という単語を確認することはできなかった。

 一方で、プロセスワークとワールドワークの創始者であるファシリテーターのアーノルド・ミンデルは、「霊(スピリット)」を著書において多用している。例えば、ミンデルはワールド・ワークと夢の関係について論じており、プロセス・ワークでは霊を「集団に存在する微細なシグナル、表現されていない気持ち、動静や傾向」と定義している。


個人の自己をコミュニティの自己と切り離すことはできない。それは一体の霊(スピリット)なのだ。関係性における癒やしとは、最も深い場所に到達し、私たちが体験しているものはコミュニティへの所属だと感じるということだ。霊(スピリット)は、未知の方法で私たちを動かし、怖れさせ、怒らせ、また穏やかにもするものだ。(アーノルド・ミンデル2022.『対立の炎にとどまる』英治出版、270頁)


このように、ミンデルはワークショップにおける参加者の「霊(スピリット)」に言及する。彼は道教(老荘思想)に影響を受けたことを明言しており、霊に注目することの重要性を説く。


 集団の微細なシグナル、表現されていない気持ち、動静や傾向を、先住民ならば「霊(スピリット)」と呼ぶだろう。この霊という考え方は「esprit de corps」というフランス語にも見られ、文字通りの意味は「身体の霊(spirit of the body)」、あるいは集団の精神だ。

 今日、こうした霊を扱うことはシャーマンだけの責務だけではない。その時々に現れる霊を結びつけ、それぞれの力の間に生じる緊張を、家庭はもちろん、商店街や街角においても有益なものに変えることは、すべての人の仕事だ。人々が何を言っているかに注目することは必要だが、それだけに注目し、集団の霊――愛、嫉妬、敵意、あるいは希望の霊――にアプローチしなければ、これまでの世界の歴史を繰り返して行き詰まるだけだろう。持続可能な平和を実現するために、私たちは新しいレベルのコミュニケーションを必要としているのだ。(同、40頁)


現在に至るまで、ほとんどのリーダー、ファシリテーター、心理療法家や組織開発の専門家は、世界の問題は愉快なものではないと言ってきた。その通り、対立を扱うのは難しい。抑圧に関して楽しいことなど何もない。しかし、対立が起こることに反発してしまえば、もっと苦しむことになるだろう。ただ今ここにあり、アウェアネスをも保ち、人を評価しないようにすれば、文化が対立と呼ぶものは、あなたを導く「霊(スピリット)」になるのだ。(同、319頁)


カヘンと三島の文脈も踏まえて述べるとすれば、その時々に現れる「霊(スピリット)」を結びつけることで、「一緒に取り組む上での障害を取り除く支援をする」ことができると言えるだろう。「身体の霊」を結びつける際には緊張が生じるが、それこそがミンデルにおいては「あなた」を、三島にとっては「底辺の民衆」の政治エネルギーを、有益なものに変えていくと読み解けることがわかる。

 以上、アダム・カヘンやアーノルド・ミンデルといった著名なファシリテーターの記述をもとに、三島の思想との接続を図ってきた。ミンデルの提唱する「変容型ファシリテーション」の本質は、人々がワークショップに取り組む上での「障害を取り除く」ことにある。これは、三島が述べた「国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結する」と構造的にほぼ同じことを述べており、カヘンのいう「障害」とは、三島のいう「中間的な権力構造の媒介物」である。それらを取り除くことがカヘンによればファシリテーションの本質であり、三島によれば天皇親政と直接民主主義の本質である。そしてミンデルは「霊(スピリット)」に着目し、「身体の霊」を結びつけることで、三島にとって「底辺の民衆」の政治エネルギーを有益なものに変えていくことと同義であると理解することができた。三島が述べたかったことを現代のファシリテーターたちの理論に照らせば、「底辺の民衆の“霊性”(ここでは政治エネルギー)を国家の意思と直結させるためには、天皇もしくは直接民主制のみがその目的達成を可能にするのであり、間接民主制はその「障害」となり得る」と読み解くことができるのだ。この点が本稿において、三島が「政治」において述べたかったことの霊性的な読み解きであり、三島は優れたファシリテーターとしての思考を兼ね備えていたとも言えるだろう。

 また、ケアの倫理とミンデルのワールドワークには「夢」という共通点がある。次に引用する(一部は再掲となる)。


 ワイルドがインスピレーションを受けたロマン主義の詩人たちは、「人間の最も内面的なものintimus」、最も奥底にあるものを対象として「内面の日記journal intime」を書いた。サミュエル・テイラー・コウルリッジが残した膨大な『備忘録』(The Notebooks)は日々の生活で彼に起こったことの記録であるだけでなく、彼の想像力で生み出した比喩などで溢れている。理性の力から解放された無意識が自由に闊歩する場としての夢の記憶を辿ったり、彼が心を寄せる女性に対する情念も綴られている。コウルリッジのこのような深い内省の結果生ずる詩的な閃きも、覚え書きとして残されている。キリスト教の伝統によればこのような記述は「霊的生活の分野のこと」で、「「魂の内的動き」の記録」でもある(アラン・コルバン編『感情の歴史』、265頁)。ワイルドにとってそのような記録が『獄中記』であるなら、三島にとっては『太陽と鉄』だろう。文学作品はそのような魂に服を着せたようなものなのかもしれない。(小川公代2021.123頁)


 ワールドワークは、集団の身体感覚の中にある、無意識の夢のようなプロセスも扱う。プロセスワークでは、個人の身体が発するシグナルや集団の動静を夢のようなものだと見なしている。なぜなら、それらは夢にも現れるからだ。例えば、あなたは自分の姿勢に気づいていないかもしれないが、身のこなし方の背後に潜むあなたの感情は、あなたが夢で見る映像にも現れている。言い換えれば、身体は夢を見ているのだ。 集団の微細なシグナル、表現されていない気持ち、動静や傾向を、先住民ならば「霊(スピリット)」と呼ぶだろう。この霊という考え方は「esprit de corps」というフランス語にも見られ、文字通りの意味は「身体の霊(spirit of the body)」、あるいは集団の精神だ。

 今日、こうした霊を扱うことはシャーマンだけの責務だけではない。その時々に現れる霊を結びつけ、それぞれの力の間に生じる緊張を、家庭はもちろん、商店街や街角においても有益なものに変えることは、すべての人の仕事だ。人々が何を言っているかに注目することは必要だが、それだけに注目し、集団の霊――愛、嫉妬、敵意、あるいは希望の霊――にアプローチしなければ、これまでの世界の歴史を繰り返して行き詰まるだけだろう。持続可能な平和を実現するために、私たちは新しいレベルのコミュニケーションを必要としているのだ。(アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』、40頁)


このように、両者の論理は「夢」で共通している。それ即ち「理性の力から解放された無意識が自由に闊歩する場」「霊的生活の分野のこと」「「魂の内的動き」の記録」「身体の霊」となる。三島でこれに該当するものを小川は『太陽と鉄』だとしており、前述の通りその一節における、集団の「同苦」は互いに痛みを共有するという点で、三島文学におけるワイルドの「魂」についての記述と近しい「多孔的な自己」を小川は見出しているのである。


 これらを踏まえた上で、もうひとつ三島が述べようとしていた隠れたメッセージとして筆者が考えるのが、「底辺の民衆」における“霊性”を解発することができれば、間接民主制という「障害」を乗り越えて国家の意思に反映することができるのではないかということである。であれば、三島が「文学」において散りばめた「ケアの倫理」との整合性が浮かび上がるのである。そしてその鍵を筆者は“父性”と“母性”が個人の中で交わり両立された「両性具有的な自己」に見出す。つまり仮説としての“霊性”=「両性具有性」ということである。原理的に断絶しているはずの政治と文学が、三島にとって「にもかかわらず」否応なく結びついてしまい、<二つの原理がお互ひに行動の根本動機になる>ものである所以の可能性を、次節においては「両性具有的な自己」から紐解いていく。そこで参照されたいのが、次節の南方熊楠による、粘菌(生命)と霊性の関係である。


(ⅱ)生命と霊性〜南方熊楠と鈴木大拙・西田幾多郎〜

 “霊性”と聞くと、「禅」を世界に広め『日本的霊性』を著した鈴木大拙を思い浮かべる方が多いかもしれない。だが本節では本稿の結論に迫るために、南方熊楠の思想に主軸を置く。そして鈴木大拙に大きな影響を与えた哲学者・西田幾多郎の思想と接続することによって、三島や鈴木大拙の述べた「霊性」と南方熊楠の「粘菌」の関係性が垣間見える。

 議論に移る前に、西田幾多郎の哲学概念について解説したい。なぜなら西田の「絶対矛盾的自己同一」が、生命の本質である「霊性」と、同じく生命の本質である「粘菌」を接続するからである。西田は、東洋的思想の地盤の上で西洋哲学を摂取し、「西田哲学」と呼ばれる独自の哲学を築き上げた。その哲学は、近代日本における最初の独創的な哲学と評される。西田の哲学思想は、従来の論理によっては捉えることのできない「根本的」な事実を、真に具体的に捉えることのできる「論理」として構想されたものだ。「絶対矛盾的自己同一(=逆対応=逆限定)」「行為的直観」「純粋経験」「絶対無の場所」といった概念を論じたが、批評家の安藤礼二によれば、これらは大拙が用いている宗教的に超越した「霊性」概念の哲学的な読み直しである(安藤礼二2020.『熊楠 生命と霊性』、134-135頁、以下「安藤2020.」と省略)。霊性について大拙は次のように定義している。


 精神または心を物(物質)に退治させた考えの中には、精神を物質に入れ、物質を精神に入れることが出来ない。精神と物質との奥に、今一つ何かを見なければならぬのである。二つのものが対峙する限り、矛盾・闘争・相克・相殺などいうことは免れない。それでは人間はどうしても生きて行くわけにいかない。何か二つの物を包んで、二つのものが畢竟ずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。今までの二元的世界が相克し相殺しないで、互譲し、交驩(こうかん)し、相即相入するようになるのは、人間霊性の覚醒にまつより外ないのである。言わば、精神と物質の世界の裏に今一つの世界が開けて、前者と後者とが、互いに矛盾しながら、しかも映発するようにならなければならぬのである。これは霊性的直覚または自覚によりて可能になる。(同、134頁. 原文は鈴木大拙『日本的霊性』)


安藤(2020)によれば、「大拙は「霊性」について、現実の認識を成り立たせている様々な二項対立(精神と物質、主観と客観、無限と有限等々)を一つに止揚してしまう働きと捉える。『日本的霊性』のなかで大拙は『金剛経』(『金剛般若経』)から抽出してきた「即非の論理」を提出している。「霊性」は「AはAではない、故に、AはAである」という絶対矛盾の体験を、そのあるがままに肯定し、可能とする」(同、134-135頁)。ゆえに「即非の論理」は「絶対矛盾的自己同一」の言い換えであり、その逆もまた真となる。そしてその両者の基盤には「霊性」が存在する。この点を踏まえると、本稿における「父性」と「母性」、つまり絶対矛盾の二項対立が「絶対矛盾的自己同一」の関係にあって「霊性」が生まれるという「即非の論理」が成り立つことがわかる。なお安藤は、“霊性”というコンセプトには「妊娠」という意味もあったと述べている。「妊娠」=「両性具有性」=「霊性」を思わせる部分であるが、その出典は不明であった(安藤礼二『熊楠 生命と霊性』145頁)。

 安藤(2020)によれば、「霊性」という言葉を初めて使ったのは大拙ではない(同、135頁)。「大乗仏教」がアメリカに上陸した明治26年の万国宗教会議において、臨済宗を代表して参加した大拙の生涯の師である釈宗演と、真言宗を代表して参加したのが熊楠の生涯の師である土宜法龍であった。彼らは「大乗仏教」とは一体何であるかを定義し、それが現代社会においてもつ可能性を、英語を用いて説明しなければならなかった。彼らは、まさに大拙が使っている意味での“霊性”を、さまざまな対立を無化(本稿の“母性”と呼応する)し、さまざまなものをそこから生み出す(“父性”と呼応する)大文字の「心」(Mind)と定義していた。ここに、精神と物質の分化、主観と客観の分化、これらは「心」から生み落とされる。また同時に、この「心」を介して、有限の人間(あるいは森羅万象)は無限の如来(仏陀)と合一することが可能になる。如来(仏陀)となるためには「心」を持っていなければならない。そしてその「心」(“霊性”)は、人間のみならず森羅万象あらゆるものに内在している。大拙の師たちが「心」(“霊性”)を、本稿における“父性”と“母性”の水源と定義していたことは非常に興味深い点でありつつ、そのような意味で万国宗教会議は、「霊性」という概念を現代的に再興する試みであり、近代日本哲学はここから生まれていった。

 安藤(2020)曰く、極東の仏教においては、歴史的な個人である覚者(覚りをひらいた人すなわち仏陀)ゴータマ・シッダッタの存在よりも、超歴史的で超個人的な仏陀というべき「法身(ほっしん)」(大宇宙すべてのものを統べる原理にして大宇宙そのものでもある存在)の方がより重視された。万国宗教会議において大拙の師たちは、欧州の仏教文献学者から発せられた「始祖ではなく「法身」に重きを置く大乗仏教は仏教ではない」という問いに応答する必要があったため、大拙の師たちは「法身」を、ヨーロッパ的つまりは一神教的な、万物に超越する存在ではなく、万物に内在する存在として捉え直した。そして「法身」は森羅万象あらゆるものがもつ「心」(“霊性”)に内在している。森羅万象あらゆるものは「心」のなかに仏陀(如来)となる可能性(「仏性」)を、種子や胎児のように孕んでいる。これを「如来蔵」という(同、137-138頁)。

 「法身」は色も形ももたず、まさに「空」(シッダッタは、全ては幻想であり、ただ「空」と諸要素の関係性しか存在しないと喝破した)であり、宇宙そのものと等しい(宇宙という「法」そのものを身体とする)。それ以外には何も存在しないという意味で、「法身」は絶対的に「一」なる、無限のものである。「空」にして「一」なる「法身」、すなわち「心」(“霊性”)から、無限の変化可能性をもった潜在的で多様な色と形が生まれ出てくる。その有り様を表現したのが、無数の如来(仏)、無数の菩薩(如来となる途上にある者)の群れとしてあらわされる無数の光輝くイメージであり、そのそれぞれが「報身」と名付けられた(「法」がそれぞれの反響にして反映である「報」として生み出された身体)。さらにその上、それら「報身」が変様し、具体的な色と形をもつに至ったものが「応身」である(「報」が「応」じた、つまりは具現化した身体)。「心」としての「法身」に近づいていく方法には、能動的なもの(「自力」)もあり、受動的なもの(「他力」)もある。前者を聖道門、後者を浄土門という。大拙の師たちは「東方仏教」の諸原理を、そのように整理していった(同、138-139頁)。

 そして、万国宗教会議において配布された『大乗仏教大意』に、「霊性」という言葉が頻出する。安藤(2021)によれば、これは浄土宗学本校校長であった黒田真洞によって著されたが、『大乗仏教大意』が英語でまとめられつつ「改訂増補版」のような役割をもつ『大乗仏教概論』(1907年)は、大拙によって著されたものだった(ステファン・P・グレイスによれば、内容、構成、文体、レイアウトに至るまで非常に多くの共通点をもつ)。よって両者は要約と本文のような関係性にあるが、大拙の著作よりも前に黒田は『大乗仏教概論』において“霊性”という理念を日本語と英語で記していた。そして大拙はこれを所持していた。この『大乗仏教大意』には全体の内容がコンパクトにまとめられており、その教義の中心と思われる箇所に、「霊性」という言葉が頻出する。


 然るに因果の理法は、万法に貫通し、其境界無限なりと雖とも、悉く自己一心の霊性海(the sea of man's mysterious mind)より顕現したる波動なり。天下何れの所か天然の仏、自然の神あらん、故に深く自心の霊性(the mysterious nature of mind)を信じ、曠劫無限の時を究め、十方無窮の虚空際を尽し、誓て万善を勤修して以て自己の霊性(its true essence)を開発すべし。釈迦仏等過去の諸物、既に皆如是にして正覚を成し給へり、我等自心の霊性(the wonderful essence of our mind)亦仏陀と異なる所なし、宜しく仏陀の聖跡を逐ひ大覚を成就すべし。故に第五に万法唯心の弦旨を宜ふ。(『大乗仏教大意』の冒頭「諸言」、引用は安藤『熊楠 生命と霊性』141-142頁)


大宇宙の運行を司る因果の法則はすべて、人間のもつ神秘的な「心」という霊性の海から顕れ出でる。霊性とは「心」のもつ不可思議な本性(自然)であり、万物のもつ真の本質(真髄)である。有限の私がもつ「心」という霊性は、無限の仏陀がもつ「心」という霊性とまったく異なるところはない。それゆえ、私もまた「心」を通して仏陀のような覚りの境地(正覚にして大覚)にまで到達することができる。つまり、「心」(霊性)を介することで、有限の存在と無限の存在(あるいは精神と物質、永遠と刹那、善と悪等々)は合一することが可能になるということだ。

 そして「霊性」の論理は、『大乗仏教大意』第5章の「万法唯心」においてより詳細に展開される。著者の黒田はこのタイトル「万法唯心」を、「すべてのものは「心」以外のなにものでもない」(All Things are Nothing but Mind)と表現し、さらにサブタイトルとして「あらゆる存在がもつ真実の本性」(The true Nature of all Existence)を付している。これらの宣言は『大乗仏教大意』のあらゆる箇所で反復されていくが、黒田は「心」(「霊性」)とは「主観(主体)」と「客観(客体)」という区別を無化してしまうものだとも記している。これは前述した大拙の「霊性」の定義の原型であり、矛盾同一の関係も確認できる。(安藤2020.142-143頁)

 そしてこの第5章で、「霊性」としての「心」にもう一つの名称「真如」が与えられる。安藤によれば、黒田は「真如」という概念に「永遠のリアリティ」(permanent reality)という訳語を与えている。アメリカに渡った大拙が最初に成し遂げた仕事の一つが、同じく「真如」というこの概念を全面展開した『大乗起信論』を英訳することであったが、その際に大拙は「真如」を「あるがまま」(Suchness)という訳語を与えた。「真如」「心」「霊性」を「あるがまま」と訳すこの姿勢は、『大乗仏教概論』が刊行されたちょうど半世紀のちに刊行された大拙最晩年の英文著作『神秘主義 キリスト教と仏教』(1957年)まで貫徹されている。大拙は「あるがまま」としての真如、「あるがまま」としての心、「あるがまま」としての霊性を探究した思想家であった。

 安藤(2020)によれば、黒田は“霊性”としての「真如」を、次のように説明していた。「心性は離念相平等の理体、万法に貫通し、本性清浄にして、変易あることなし」(The essence of mind is the entity without ideas and without phenomena, and is always the same. It pervades all things, and is pure and unchanging)。あるいは「森羅の諸法は一心の当体なり」(All things in the universe, therefore, are mind itself)。“霊性”すなわち「真如」とは、森羅万象あらゆるものに浸透し、しかしそれ自体は変化することなく純粋(清浄)である。それゆえ、森羅万象あらゆるものは「心」(“霊性”としての「真如」)そのものである。(安藤2020、144-145頁)

 ここまで大拙と黒田における“霊性”の定義を確認したが、次は南方熊楠の「粘菌」から、“霊性”に徐々に迫っていく。安藤(2020)によれば、万国宗教会議において真言宗を代表して参加したのが、熊楠の生涯の師である土宜法龍だった。彼は『大日経』から、「法身」大日如来が自ら語ったとされる「私こそがすべてのものの起源であり、それゆえ、私こそが大宇宙の基盤なのである」(I am the first origin of all, and am called the base of the Universe)という一節を引く。しかし、ここで語っている如来は一神教的な創造主ではない。如来(仏陀)には、始まりも終わりもないことを述べたかった法龍は「永遠にして無限の円環」という喩えを出す。それは「一」なるものにして、そこには森羅万象すべての同一性と差異性が含まれている。そして、東方の大乗仏教では、有情のものも非情のものも(草木も国土も)、この「一」にして永遠なる「仏陀」としての本質、つまりは「仏性」をもっていると述べる。(安藤2020、146頁)

 安藤(2020)によれば、南方熊楠はこのように語る法龍から、「法身」という概念を学んでいたと考えられる。森羅万象あらゆるものは根源としての「一」なるものから生まれ、それゆえ、根源としての「一」なるものを孕んでいる。最もミクロな存在(「如来蔵」、熊楠でいう「粘菌」)のなかにこそ、最もマクロな存在(大宇宙としての大日如来の働き)が秘められている。そしてそこから精神と物質が分化し流出してくるのだ(安藤2021、146頁)。そして、熊楠は「粘菌」の本質である「曼荼羅」の中心に、「大日」(法身)としての「心」を据え、その「心」から「心界」と「物界」が分化・流出してくると考えていたのだった。

 安藤は熊楠の思想の源泉として、次の3冊を挙げている。


 第一に、アメリカに生まれた古生物学者、エドワード・ドリンカー・コープの『最適者の起源』。次いで、ロシアに生まれ、近代的な総合宗教でもある神智学を創出したオカルティスト、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァッキーの全二冊からなる『ヴェールを剥がされたイシス』。最後に、イギリスに生まれた心霊学者、フレデリック・ウィリアム・マイヤーズの、これもまた全二冊からなる『人間の人格とその死後の存在』である。」
「熊楠が粘菌を見出すためにはコープの『最適者』』が、曼荼羅を見出すためにはブラヴァッキーの『イシス』が、潜在意識を見出すためにはマイヤーズの『人間の人格』が、それぞれ、重要な源泉となったと推定される。あえて断るまでもないが、私は「重要な源泉」と言っているだけであって、「唯一の源泉」などと考えているわけではない。粘菌について、熊楠は、生物学的な研究と実践的な採集を積み重ね、曼荼羅や潜在意識についても、真言宗の僧侶、後にその宗団の頂点(高野山真言宗管長)にまで登り詰める土宜法龍との対話を積み重ねて、独自の生命観、宇宙観にまで高めている。しかし、その起源において、この三人の著書と三つの著作は、熊楠に、決して無視することのできない、大きな影響を与えたと推測される。
 それだけではない。古生物学、神智学、心霊学と、一見すると、相互に何の関係ももたないと思われるこの三つの書物は、一つの共通する潮流のなかで形づくられたものだった。それは、一つの特異な進化論である。熊楠が自他ともにそこから受けた甚大な影響を認めているハーバート・スペンサーやチャールズ・ダーウィンに由来はするが、スペンサーやダーウィンのものとは根本から異なった進化論である。進化のなかに退化を含み、退化のなかに進化を含み、根源的な物質にして根源的な精神(「細胞=魂」cell-soulにして「魂=細胞」soul-cell)から森羅万象あらゆるものの発生にして産出を説く進化論である。」(安藤2021、7-8頁)


熊楠は、コープの『最適者の起源』によって粘菌を見出し、ブラヴァッキーの『ヴェールを剥がされたイシス』によって曼荼羅を見出し、マイヤーズの『人間の人格とその死後の存在』によって潜在意識を見出したという。

 これらの書物との関係から、粘菌とは精神の起源、つまりは「意志」や「潜在意識」の起源でもあったと安藤は述べる。熊楠は岩田準一への書簡『男色談義』で次のように綴っている。


 外国にあった日も熊野におった夜も、かの死に失せたる二人のことを片時忘れず、自分の亡父母とこの二人の姿が昼も夜も身を離れず見える。言語を発せざれど、いわゆる以心伝心でいろいろのことを暗示す。その通りの処へ往って見ると、大抵その通りの珍物を発見す。それを頼みに五、六年幽邃極まる山谷の間に僑居せり。これはいわゆる潜在識が四境のさびしきままに自在に活動して、あるいは逆光せる文字となり、あるいは物象を現じなどして、思いもうけぬ発見をなす。(安藤2021.14頁、原文は『男色談義』、14頁)


最も近しい死者によって発動され、あらわになった潜在意識においては、生者と死者、精神と物質、生命と非生命、動物と植物、その他、ありとあらゆる対立が消滅してしまう。続いて熊楠は粘菌について綴っていく。安藤(2021)曰く、熊楠にとって潜在意識によってはじめて見出される、潜在意識そのものを体現したような存在が、粘菌そのものであった。


 故に、人が見て原形体といい、無形のつまらぬ痰様の半流動体と蔑視さるるその原形体が活物で、後日蕃殖の胞子を護るだけの粘菌は実は死物なり。死物を見て粘菌が生えたと言って活物と見、活物を見て何の分職もなきゆえ、原形体は死物同然と思う人間の見解がまるで間違いおる。すなわち人が鏡下にながめて、それ原形体が胞子を生じた、それ胞壁を生じた、それ茎を生じたと悦ぶは、実は活動する原形体が死んで胞子や胞壁に固まり化するので、一旦、胞子、胞壁に固まらんとしかけた原形体が、またお流れとなって原形体に戻るは、粘菌が死んだと見えて実は原形体となって活動を始めたのだ。(安藤2020.14頁、原文は『男色談義』、58-59頁)


 安藤(2021)によれば、「粘菌とは、太古から存続する原型的な生命体であり、そこから動物と植物が分かれ出てきたものである。その原初の生命体である粘菌は、熊楠が研究を続けた40年の間に、曼荼羅となり、潜在意識の構造を体現するものとなっていった。熊楠は、粘菌が持つ「多」として展開される胞子(植物)としての側面ではなく、その中に無限の分化と変化の可能性を孕んだ「一」なる原形体(動物)として活動を続ける側面を重視していた。原形体とは「原形生物」(protozoa)であり、その名の通り、森羅万象あらゆるものの産出の母胎となる根源的な物質にして根源的な精神、生ける「原形質」(protoplasm)のようなものであった。物質の根源に到達するためには精神の根源、精神の「原形質」にたどり着かなければならない。その時、はじめて人は、粘菌としての潜在意識を通じて、粘菌としての曼荼羅と一体化することができる。粘菌=曼荼羅に「直入」し、粘菌=曼荼羅と「合一」することができる。それが熊楠思想の到達点である。そして熊楠は曼荼羅論を共に深めていった土宜法龍に宛てて何度も、意志(will)から森羅万象すべてが生まれ、意志こそが森羅万象すべての基盤になっていると説いていた」(『熊楠 生命と霊性』、14-15頁)。この分析を行なった唐澤太輔は、熊楠が一貫して探究したのは「夢」であると論じており(唐澤太輔2014.『南方熊楠の見た夢』勉誠出版.)、ケアの倫理やファシリテーションにおける「夢」との関係は興味深い一致点である。

 安藤自身は、粘菌の研究に生涯を投じた南方熊楠について、熊楠の三つのエコロジー、生命・精神・意味の発生を粘菌・曼荼羅・潜在意識に探究する三つのエコロジーに通底し、共有されているのは「神秘」の感覚であると述べている(安藤2020.213頁)。その例として熊楠の『南方二書』からの一部を引用する。


 プラトンは、ちょっとしたギリシアの母を犯したり、妹を強姦したり、ガニメデスの肛門を掘ったり、アフロジテに夜這いしたり、そんな卑猥な伝話ある諸神を、心底から崇めし人にあらず。しかれども、秘密儀mysteryを讃して秘密儀なるかな、といえり。秘密とてむりに物をかくすということにあらざるべく、すなわち何の教にも顕密の二事ありて、言語文章論議もて言いあらわし伝え化し得ぬところを、在来の威儀によって不言不筆、たちまちにして頭から足の底まで感化忘るる能わざらしむるものをいいしなるべし。(安藤2020.213-214頁、原文は南方熊楠『南方二書』)


ここでいう「秘密(神秘)」とは、熊楠が研究した粘菌に通底するものである。そして、このような「神秘」を生きる(あるいは生きざるを得ない)主体について、安藤は「両性具有者」であると述べる(安藤2020.214頁)。それは粘菌のように相反する二つの性質を自らのうちで一つに結び合わせている人々であり、性に「秘密」(「神秘」)を持った人々である。加える根拠として安藤は、熊楠が遺した『性に関する世界各国の伝説』というサブタイトルを付した論考『鳥を食うて王になった話』に、様々な両性具有者が集大成されていることを紹介する。このことから「神秘」の感覚=「潜在意識」の本質を、安藤は次の文章のように「両性具有性」に見出した。


 粘菌としての生命が分裂と生成を繰り返し、多重人格としての潜在意識が分裂と生成を繰り返しているように、両性具有としての身体すなわち性もまた分裂と生成を繰り返している。「胎児」のように、「胚」のように、両性を具有した存在。しかし、彼らにして彼女らこそがわれわれの原型であり、「幼生」だったのだ。(安藤2020.214-215頁)


補足であるが、前述したようにこの「神秘の感覚」=「潜在意識」は「夢」であり「意志」である。それは粘菌と曼荼羅の本質である。潜在意識については如来蔵的な「アーラヤ識」と呼ばれる、現代における分人主義的な様相を熊楠は「曼荼羅」から読み取っていた。それは先述した心霊学者・マイヤーズから影響を受けており、同じくマイヤーズから影響を受け自身の芸術論を始めたのが、Ⅴにて後述する「民藝」を唱えた柳宗悦であった。

 安藤(2020)の結論を引用すると、南方熊楠は「一」なる動物の生態と「多」なる植物の生態を繰り返す特異な生命体である「粘菌」に、「曼荼羅」という伝統的な宗教概念と同一の構造を見出した。そして熊楠はその「曼荼羅」の中心に「大日」(法身)としての「心」を据え、その「心」から「心界」と「物界」が分化・流出してくると考えていた(1903年12月6日の日記――『日記』2・387)。「大日」(法身)から精神(霊魂)の源、物質の源が分化・流出するとは、それ以前に土宜法龍に宛てた書簡でも繰り返し説かれていたことであるが、この構造は大拙が“霊性”という言葉を用いて説明しようとしていた事態そのものだった(安藤2020.136頁)。

 以上、鈴木大拙の「霊性」と南方熊楠の「粘菌」における関係性について整理してきた。論理関係が複雑かつ長大になるため、より詳細な因果関係については引用した安藤礼二『熊楠 生命と霊性』を参考されたい。前述したように、「心」は“霊性”の言い換えであるから、「曼荼羅」の中心、すなわち「粘菌」の本質は「“霊性”(大日如来)」となる。そして熊楠が“霊性”をより解発した人間のあり方として注目していたのが「両性具有者」たちであった事実と、そこに“霊性”「粘菌」と同様に見られる「絶対矛盾的自己同一」の関係をもって、“霊性”=「絶対矛盾的自己同一」=「両性具有的な自己」であることを筆者は主張したい。

 三島の冒頭の発言における“創造”と“礼節”は、本節においてそれぞれ“父性”と“母性”に置換可能であることを示すことができた。そして三島の「政治」と「文学」は、“霊性”=「両性具有性」という観念のもとに、奇妙な接続を見せる。天皇の存在を機能的に「底辺の民衆の“霊性”を国家意思に反映させるため」と考えていたとも捉えられる三島だが、民衆の“霊性”を爆発的に解発する「レバレッジ」としての天皇ではない、もうひとつの方法が考えられる。それは「底辺の民衆が両性具有的な精神を持つことができれば、日本人の“霊性”が解発され、障害(中間的な権力構造の媒介物)を乗り越えて国家意思と直結可能である」ということではないだろうか。三島がそれに関して自覚的であったかは確かめようもないが、内田樹は次のようにも述べている。


 「民衆の爆発的なエネルギーと触れ合うことのない政治は無力だ」という実感は、三島由紀夫も吉本隆明も、あるいは江藤淳も大江健三郎も鶴見俊輔も持っていたと思う。(中略)この世代の人々は、おのれ自身の少年時代において、その「爆発的なエネルギー」のうちに巻き込まれて死ぬことを特に理不尽なことだと思っていなかったからである。「国家意思と直結した仕方で死ぬ私」という先取りされた死の実感をこの世代の人たちはその少年時代に原体験として有していた。(内田樹2017.「日本人にとって「天皇制」とは何を意味するのか―「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー」東洋経済オンライン)


「先取りされた死の実感」とは、まさに西田の「逆限定」の考え方である。それは「過去」が「未来」を限定するのみならず、「未来」が「過去」を限定する方向性もあることを示す。すなわち「未来」における「死の実感」が先取りされてこそ、初めて「未来」と「過去」が「絶対矛盾的自己同一」の関係となる。言い換えれば、これによって初めて底辺の民衆は「今を生きる」ことができ、そこには“霊性”がより強く宿る。三島は「両性具有性」が“霊性”を宿らせると考えたのかは不明だが、少なくともそれらが同一の関係にあり、それによって三島の「政治」と「文学」を接続でき、三島に日本人の「霊性」をより強く解発させようというニュアンスの意志があったことは認められる。

 そして次章においては、フェミニスト地理学における<からだ>という空間の議論を整理しつつ、“霊性”の本質が「両性具有的な自己」にあるという事実が、フェミニスト地理学にどう影響を与えうるかについて見ていく。三島と同じく「セクシュアリティ」を扱うフェミニスト地理学は、鳥瞰的で客観的な分析を行う分野と、“からだ”という主観から空間を分析する分野に分かれている。本稿においては後者に注目する。“からだ”とは、“霊性”の宿る如来蔵なのである。


Ⅳ フェミニスト地理学成立の経緯

 本章では「フェミニスト地理学」における“からだ”を巡る議論が、どのような仕方で為されたかを紹介する。三島由紀夫が横尾忠則に対して述べた冒頭の“霊性”についての発言は、噛み砕けば“創造”と“礼節”を併せ持つことが、“霊性”のこもる素晴らしいクリエイティブを可能にするということであった。そして本稿においては、これまでに“霊性”が“父性”と“母性”によって成り立つことを示してきた。三島の発言をもう一度言い換えれば、それは「両性具有的な自己」を抱える身体と制作物には“霊性”を通じた何らかの関係性があるという示唆だ。久島(2017)によれば、「人と人、人とモノ、モノとモノの関係性」、すなわち空間を問うのは地理学という学問であり、その中でもセクシュアリティについて扱うジェンダー系の地理学研究と“霊性”との親和性が高いと筆者は考えた。その中でもフェミニスト地理学の一部において「身体(主観)」から空間を把握する流れにつながる。なぜなら“霊性”の集まった「応身」こそ、私たちの生身の「からだ」だからである。


(ⅰ)フェミニスト地理学の変遷

 フェミニスト地理学の一部においては、「からだ」のような女性的かつ身近な空間に主体が置かれた議論がこれまで為されてきている。従来の地理学においてその主体は男性性的かつ空間であったが、この議論がどのように形成されてきたのかを確認する。

 本節では久島(2017)の議論を参考にする。久島(2017)曰く、1970年代に地理学で芽生えたフェミニズムは、1980年代を通じて開花した。初期のフェミニスト地理学は、女性地理学者の立場の確立と地理学的研究における女性問題の可視化に注力した。1980年代中頃になると、地理学に根強い性差別主義を取り除くことに限界があることを悟るフェミニストたちが現れるようになった。久島(2017)曰く「これまでの地理学が、女性の経験を欠落させた男性の経験による学問であったとするならば、そこにはそうした見方、考え方を正当化する論理があったはずである。そのような論理を根本から問い直さない限り、女性に関する研究がどれほど増えたとしても、地理学の男性中心主義を変革することはできないと考えられるようになった」。

 そして1970年代以降、「ジェンダー」という概念が登場する。久島(2017)によると、それまで自然で自明なものとして捉えられてきた性差が、セックス(生物学的差異に基づく生得的な性差)とジェンダー(セックスに基づいて構築された社会的性差)の二つの次元に分けられた。そして、性差を根拠に自然化されてきた性別役割(女の仕事/男の仕事)が、女性の男性に対する服従を正当化するための都合の良い性差の解釈の結果(=ジェンダー)に過ぎないことを告発した。

 ジェンダーという概念を手に入れたフェミニスト地理学は、大きく分けて二種類の研究へと向かっていった。一つは、「男性中心主義を維持していくために、地理学が性差の問題をどのように意味づけてきたのか、つまり「地理学のジェンダー」を明らかにするものである」(久島2017)。久島(2017)曰く「ジリアン・ローズの『フェミニズムと地理学;地理学的知の限界』(2001)をはじめ、地理学のジェンダーを扱った研究は①地理学において性差がどのように捉えられたのか、②それがいかにして地理学の男性中心主義(女性の締め出し)へと結びついていったのかについて指摘してきた。ローズによれば、デカルト以降の合理主義という知の形態では、合理性、徹底性、普遍性ことが求められるべき「真実」の条件となる。そして、自己の身体、感情、価値観、経験などから自分自身を切り離せる主体=男性こそが、そうした真実を追求するに値する主体として想定される(ローズ2001)。つまり、研究という活動にはかなりストイックな姿勢が求められ、それは男性によって可能になると考えられた」。先述の通り、筆者は本稿においてこのような論理性や合理性などの「切断する」ことによってなされる男性性的側面を“父性”と読み替えているが、これらは“父性”と呼応している。「このように、身体を理性と対置して低く置き、その身体と女性とを結びつける女性蔑視的な性別観が、合理性、徹底性、普遍性を追求する地理学の中で、男性中心主義を正当化させてきた」(久島2017)。このように女性性を見えないものとする“父性”のあり方は、本稿の文脈でいえば肥大化した“母性”のエコーチェンバー的な心性によって排除されてしまっているとも言える。

 また、男性中心主義的な地理学では世界を二項対立的にみる考え方が基本となる。久島(2017)曰く「この二項対立は「男らしい」概念と「女らしい」概念に分けられ、どちらにも当てはまらないようなあいまいな存在は排除される。また「女らしい」としてジェンダー化された概念もまた、合理性、徹底性、普遍性を追求する知にそぐわないとして、無視されたり、価値のないものとして顧みられてこなかったりした。それが、身体であり、自然であり、女性等であった」。女性だけでなく「あいまいな存在」、つまりクィアな両性具有者もまた、二項対立から溢れるものとして排除されてきたのだ。

 ジェンダーという概念を手にしたフェミニスト地理学者たちが着手したもう一つの研究は、久島(2017)によれば「空間がジェンダーの構築にいかなる役割を果たしているのかを見極めるものであった」。これらの研究は、「「男性であること」「女性であること」の意味を空間から読み取ろうとする試みであるのと同時に、空間が、こうした男性らしさ・女性らしさの再生産、つまりジェンダーの再生産にどのように関与しているのかを見極める作業であった」(久島2017)。空間を社会の秩序の維持に積極的に関与するものとして問い直していくこのような動きは「文化論的展開」と呼ばれている。

 久島(2017)曰く、「ジェンダーの構築の上で空間が果たす役割が明らかになるにつれ、空間と性差という、以前であればいずれも自然で自明なものとして捉えられてきた存在が、実際には社会と不可分に関わりながら構築されるものであることが認識されるようになった。そして、身体を国家や地域のような一種の「空間」として捉える見方が、1990年代を通じて地理学者の間で受け入れられていった」。そしてジェンダー研究者と同様、「障がい」という切り口から身体にアプローチする地理学者たちも、個人的なものだと考えられてきた身体が、実際には個人と社会との利害がぶつかり合う最も日常的な空間に他ならないとの認識を深めていった(Butler and Parr eds.1999)」。

 身体に対するこのような認識は、社会全般から見れば決して新しいものではなかった。久島(2017)によれば「1960年代後半から1970年代にかけて、アメリカや日本でのフェミニズム運動の中で広がった「女の健康運動」は、生殖の問題が法律や医師たちの管理下に置かれていることに対する女性たちの異議申し立てであり(荻野2014)、「私の身体に歴史と政治がクロスする生々しい実感」(米津1999:111)を運動に参加する女性の多くが持っていたと考えられる。類似のことは、障がい者運動にも当てはまる。つまり、身体が個人的なものであるのと同時に非常に政治的、社会的なものであるという見方は、1990年代にはすでに社会に浸透していたと思われ」る。これらは本稿の議論と比較すれば、三島の「政治(社会)」と「文学(身体)」が、セクシュアリティと“霊性”発言の観点において一致を見せつつ接続されてしまうことと呼応する。「私の身体に歴史と政治がクロスする生々しい実感」において、縦糸は「政治」であり横糸は「歴史」と言えるが、日本において「歴史」は天皇が機能的に代替していたとも言えることであり、その天皇が人間宣言をしたことにより「歴史」が失われ「政治」のみになってしまったこと、そしてその「政治」すらも虚構であったために、「歴史と政治がクロスする生々しい実感」は戦後日本の成熟像では感じることができないはずだ。戦後の日本においては、このような着眼点は成立し得なかったと思われる。いずれにせよ、こうして地理学はそれまで自然科学の領域に押しやってきた身体を、他の空間と同じく政治や社会と相互に関わる問題として論じる手立てを見出していった。


(ⅱ)「“からだ”という空間」研究について

 本節でも久島の論文を参考にする。前節のような身体をテーマとした地理学の文脈で重要なのが、ニュージーランド北島にあるワイカト大学で教鞭をとる社会・文化地理学者のロビン・ロングハーストである。久島によると彼女は、フェミニズム、ジェンダー、セクシャリティ、からだに関する研究を専門とする地理学者だ。

 久島(2017)によれば、ロングハーストがからだと地理学に関する論文を学術雑誌に投稿し始めたのは,1994年 の「いちばん身近な地理からにしよう―からだから: 受胎能力の政治学」(Australian Geographical Studies 誌32巻)と、「フェミニスト地理学に対する反省と展望」(New Zealand Geographer誌50巻)からである。 さらに翌年には、「身体(the body)と地理学」(Gender, Place and Culture誌2巻)、「妊娠女性のスポーツ参加に対する言説的制約」(New Zealand Geographer誌51巻)を発表している。 翌1996年には「フォーカスグループ再検討: ニュージーランド・ハミルトンにおける妊娠女性の地理的経験」(Area誌28巻)のようなフィールドワークの方法論に関する論考を,1997年には「(脱)身体化された((dis)embodied)地理学」(Progress in Human Geography誌21巻)と題して,近年の地理学で盛んとなっている身体をめぐる議論を展望している。同年には,「『ゴーイング・ナッツ』:妊娠女性を再現前する」(New Zealand Geographer誌53巻)も発表している。そして2000年に実証的研究である「妊娠に関する肉体記述(corporeographies):ビキニを着たかわいこちゃん」(Environment and Planning D誌 18巻) と,地理学とジェンダーの問題を男性性と男性のアイデンティティに着目して論じた,「地理学とジェンダー:男性性,男性のアイデンティティ,男性」(Progress in Human Geography誌24巻)を発表している。さらに2001年にはRoutledge社から刊行されている『批判的地理学』シリーズの第11巻として,『からだ:流動的境界』を出版した。このほか同年には、 前年の「地理学とジェンダー」の続編として、「地理学とジェンダー:これまでとこれから」(Progress in Human Geography誌25巻)も発表している。

 ここまで、ジェンダーという概念を手がかりに、女性の男性に対する従属の根拠となっていた性差が、実は社会的、文化的につくられたフィクションに過ぎないことをフェミニスト地理学が顕にしたことを提示した。しかし久島によれば、1990年代を境に急増したジェンダー研究に対しては、早くからフェミニスト地理学の内部で批判が存在した。ロングハーストのからだ研究も、こうした研究の延長線上にある。

 久島によると、そのようなジェンダー重視の傾向に注意を促す研究の一つに、同じくワイカト大学地理学部のルイーズ・ジョンソン(Loise Johnson)の議論がある。彼女は、ジェンダーの問題が重視された結果、生物学的な性差(セックス)が、検討を要しない自明な存在として置かれたことを批判する。彼女は、生物学的な性差にも政治や社会が入り込んでいるという見方を持っていた。また、生物学的性差を無視して男女の平等を目指すジェンダーの議論では、結局のところ現実には存在するはずのない、当てはまる者など誰もいない「両性具有(androgyn)」の人間をモデル化することになりかねないと批判した(Johnson 1990)。

 また、久島曰く「男性中心主義のなかで、女性と共に低く見られてきた肉体としての身体に、地理学を刷新する可能性をみた者たちもいた。例えばマクドウェル(2002)は、生理や妊娠や分娩や授乳といった女性の肉体的経験が、空間性、境界、コミュニティといった既成の地理学概念にいかなる変革をもたらすのかに着目した。このほか、育児やケアといった「女性ならでは」の経験が、フィールドワークの認識論や方法論にどのような刷新をもたらすのかに着目する論文(Nast 1994)もある」。

 久島によると、肉体としての身体は、男女の肉体的差異の強調を性差別の正当化と重ねてみる立場の研究者からは忌避されてきたテーマであった中で、エルソン&ピアソン(2002)は、若年女性が低賃金でしかも不安的な雇用環境に置かれている状況は、彼女たちの生身のからだを抜きに語れないと主張する。社会的性差は、まさに生身のからだの具体的な機能や経験に由来している(Johnson 1990)。

 また、「フェミニズム運動や障がい者運動の軌跡を思い出す時、コンシャスネス・レイジングと呼ばれる活動を引用して、当事者たちが味わった生身の経験こそがこれらの運動を支える原動力となり、またその輪が広がっていく力を与えていたのではないか」と久島は指摘する。ここには、生身のからだから発せられる声や悲鳴を脇に置いて抑圧されている女性の経験を考えることは、その本質を見失いかねず「きれいごと」で問題を片付けかねないのではという問題意識がある。それらと同様の問題意識を、ロングハーストも持っていた。


「(英国で開催された)二つの会議では,『身体』や『身体化』という言葉こそ使用されていたが,そこでしばしば引き合いに出されたのは,猥雑なところが少しもない何らかの類の物質的身体であった。『身体』という言葉を地理学者たちは使用していたけれども,それは大抵,性的指向性も,ジェンダーも,障害の有無も,年齢も,肌の色も,エスニシティや人種もない,具体的特徴を欠いた身体であった。」

(Longhurst 2001:4)


 ロングハーストは、地理学で語られてきた身体を、筋肉の重さや皮膚の体温や、汗の臭いも感じさせないような「不自然なほど小綺麗な」何者か(Longhurst 2001;4)であると批判している。彼女にとってはフェミニスト地理学を含め、英語圏地理学で語られた身体は、からだが本来備えているはずのあらゆる特徴を欠いた具体性に欠けるものだった。また、このような生身のからだへのこだわりには、妊娠・出産・子育てをめぐる彼女自身の経験が大きく関係している。肉体の変化がいかに人と場所との関係性を揺るがし、その人の世界に対する感じ方に影響を与えるのかを彼女は生々しく伝えている(Longhurst2001)。

 ここからロングハーストの研究内容に入る。久島(2001)によれば、彼女の研究の最大の特徴は「プライベートな存在であるとしてこれまでの地理学で見落とされてきた身体という空間の中に、社会や政治が入り込んでいること、そしてこの問題を、妊婦のからだという肉体の次元から明らかにした点」である。前節で述べたように、男性中心的な地理学では、人間の理性や合理性から溢れ出る存在について、ことごとく考察対象から外してきた。その対象には、病気や障害や生殖といった、生身のからだがもつリスクを伴った変化や、生理現象なども含まれる。これに対してロングハーストは、久島曰く「そのような地理学の中で他者化されてきた生身のからだに積極的に着目することで、妊婦のからだになど思いが行き届くはずもない、西洋社会を貫く男性中心的な考え方や、それが体現されている公共空間のありようを炙り出そうとした」。初めて学術雑誌に発表した論文のタイトルに、アドリエンヌ・リッチの「いちばん身近な地理からにしよう-からだから-」という言葉を持ってきたところに、からだを地理学的な視点から真剣に考えなければならないという、彼女の強い決意が伺えると久島は述べる。

 ロングハーストは、妊娠した女性たちがからだの変化が増すにつれて、徐々に公共の場から追いやられ家庭の中へと閉じ込められていく過程を、様々な女性の声から拾い上げた。例えば、妊娠初期と後期の妊婦には頻尿がつきものだが、ショッピングモールにおける妊婦たちの経験に光を当てたLonghurst(1994a)によれば、ショッピングモールに設置されているトイレは数が少ない、個室が狭くて妊婦には使用しづらい、といった不便さが生じる。そのため、妊婦の中には買い物時間を短縮したり、トイレの周辺で買い物を済ませるようにしたり、外出そのものを控えたりするケースが見られた。また、転倒の恐れがあるにも関わらずエスカレーターや階段にもっぱら頼らざるを得ない環境なども、妊婦たちには危険なものと認識されていた。

 では、妊婦たちが利用しやすいよう、施設の構造を細やかに改善すれば彼女たちの問題は解決するわけではないとロングハーストは述べる。久島曰く、「彼女は、そうした施設の構造の背後にある、公共空間を支配する社会秩序にまで踏み込む必要がある、と考える。妊婦たちが公共空間で「居心地の悪さ」を覚える理由は、彼女たちのからだを排除しようとする空気が、言い換えれば秩序のようなものが、空間の中に充満しているからではないかとロングハーストは考えた」(これらは本稿において、心理的にも両性具有者であったワイルドや三島の苦しみにも通じるところがある。両性具有的な精神をもつ人々もまた、当時の社会においては排除されるためにそれを隠して生きなければならなかった)。

 久島(2017)によれば、「ある特定のからだを持つ人々に、居心地の悪さを感じさせる秩序についてロングハーストが参考にするのが、秩序と無秩序の関係を「汚れ(けがれ)」の考察から論じた文化人類学者のメアリ・ダグラス(Mary Douglas)、ダグラスの議論をもとに、自己と他者の境界を錯乱し人間の心に不安を与える「アブジェクシオン」の問題を論じた、精神分析フェミニストのジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)、そして、クリステヴァの議論をもとに身体性と空間の関わりについて論じた理論家、エリザベス・グロスツ(Elizabeth Grosz)等であった(Longhurst 2001)。これらの研究者たちによれば、西洋社会の現実は言葉によって通常切り取られ、分類(カテゴリー化)されている。しかしその結果、そのような体系的秩序づけと分類の中にすっきりとおさまらない、曖昧な存在が当然出てくる。それらは、秩序を乱す「不浄」(ダグラス)、自己と他者との境界を曖昧なものにする「アブジェクシオン」(=「嫌悪すべき悍ましいもの」の意、クリステヴァ)と名付けられ、環境を組織するために積極的に排除されるという。しかし、排除されたはずの曖昧な存在はことあるごとに現れ、秩序を撹乱しては私たちの不安や嫌悪感を呼び起こすのである。さらにグロスツは、ダグラスの不浄とクリステヴァのアブジェクシオンを私たちの生身のからだに引きつけて議論する。そして、生身のからだの内側から外側へと流れ出る様々な物質(bodily fluid)が、いかにからだの内と外との境界を揺るがし、自分とそうでないもの(他者)との境界を揺るがすものなのか、それゆえ、言語による秩序体系が確立された西洋社会でいかに忌避され、無視されてきたのかを論じてきた」(久島2017)。

 以上の議論を元にすると、輪郭に大きな変化が生じる妊婦のからだや、そこから自分の自由意志を問わず外へと放出される様々な物質(尿、破水による羊水、吐瀉物、胎児)は,自/他の境界を流動的なものにし、自律的な自己という存在を脅かすものとなる。その一方で、西洋社会はこうした人間のコントロールが及ばない生身の肉体に対して、正面から扱うことを避けてきた社会である。こうして長い間公共空間は、妊婦を含め健常者ではない人々を阻害する空間であり続けた。予測がつかないからだをもった妊婦は徐々に家庭の中へとひきこもるようになり、医師ら専門家をはじめ、家族や恋人などの周囲の人々の管理下に置かれるようになる(Longhurst 2000)。

 久島(2001)曰く、「私たちと空間との関係は、抽象の次元だけで考えていると生身のからだの経験をとり逃してしまうし、逆にからだだけみていても空間に深く根差しているものに気づくことができない。このことをロングハーストは、妊婦の経験という、地理学からみてもおそらく社会科学の領域全体からみてもユニークな題材を通して、冷静に導き出すことに成功したといえる」。

 以上のように、男性中心主義的な地理学の再構築を目指して出発したフェミニスト地理学は、ジェンダーという概念を武器に、それまで自然で自明なものとして捉えられてきた身体の社会的・空間的構築性をあらわにした。しかしジェンダー研究が増加する一方で、生物学的性差であるセックスの問題は棚上げにされる傾向にあり、この研究の空白を埋めたのがロングハーストの研究だったといえる。生身のからだにこだわるという独特の研究視点と、妊婦というこれまでの地理学で全く取り上げられることのなかった研究テーマを持つロングハーストは、からだを通して妊婦たちが公共空間で感じるよそよそしさや不便が彼女たちを公共空間から家庭空間へと追いやり、彼女たちと空間との関係を決定する重要な要因となりえていることを具体的に明らかにしていった。


Ⅴ フェミニスト地理学と“霊性”の接続

 前章においては、フェミニスト地理学におけるロングハーストのからだについての研究内容について整理してきた。そしてこれらは本稿における“霊性”や「両性具有性」と接続される論理が、多分に含まれているのではないだろうかと筆者は考える。筆者は“霊性”「両性具有性」と、フェミニスト地理学における論理を接続し、いわば「霊性の地理学」が立ち上がる可能性について考えたい。


(ⅰ)両性具有的転回による「“霊性”という空間」

 フェミニスト地理学におけるロングハーストの「からだ」研究がユニークであった点は、既存のフェミニスト地理学が鳥瞰的で客観的な分析を行ったのに対して、「からだ」という主観から、空間という客観を分析した点にあった。ここに西田の「絶対矛盾的自己同一」の関係がある。主観と客観、両者の視点が合一して初めて、ロングハーストの「からだ」研究は成立する。抽象の次元だけで考えていると生身のからだの経験をとり逃してしまうし、逆に「からだ」だけみていても空間に深く根差しているものに気づくことができない。これは地理学における他のジェンダー研究では成立しないものであり、からだという主観と空間という客観の両義性を備える「両性具有的な学問」が、ロングハーストの「からだ」研究である。そして「からだ」とは生命を宿す存在である。生物学者の福岡伸一は、生命の本質は「動的平衡」であり、それは西田の「絶対矛盾的自己同一」と一致するとしている(池田善昭、福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む―生命をめぐる思索の旅』)。西田の矛盾同一の概念は“霊性”の本質であるから、つまり生命の本質は“霊性”である(南方熊楠の章においても記述した)。ロングハーストの「からだ」という生命を対象とした地理学研究は、その対象を個人の抱える“霊性”に置き換え可能なのだ。

 かつ、“霊性”の本質である「両性具有性」と同じく、セクシュアリティについて論じる学問でもある。“父性”(社会における男性性)と“母性”(社会における女性性)という一見矛盾する内的働きも、生物学的な性に関わらず、本来は人間の心のうちに潜むものである。それらは「からだ」のような実存ではないものの、多くの生物学的男性は“父性”を、生物学的女性は“母性”を深く内面化し、自身の性と対になる心性を、社会の要請により押し殺しながら成人してきた。「心」(“霊性”)は“父性”と“母性”が合一して立ち昇るものであるにも関わらず、である。その「心」の矛盾、「心」に嘘をつくことが、個人のありのままの“霊性”を立ち上らせなくなる現状を、三島は誰よりも憂いていたのかもしれない。

 一方、現代においてはセクシュアリティやジェンダーに関わる議論が活発化し、その価値観は多様になっている。LGBTQをはじめ、「心」の性に関して寛容さや、家父長制への批判の世論が、少しずつながらも形成されつつある。三島の「文学」における願いが、徐々に現実のものとなっているのだ。この状況において、ケアの倫理における「両性具有的で多孔的な自己」、すなわち“霊性”に着目した地理学のあり方の可能性が立ち上がらないだろうか。ロングハーストは妊婦という「からだ」に着目したが、私は「両性具有的で多孔的な自己」、つまり、ありのままの“霊性”(「心」)を体現した「からだ」に着目する地理学のあり方を提示したい。先述したように、心理的両性具有者たちは測定によって判別することができる。ここでいう「からだ」は、“霊性”から流れ出る「法身」を、純度の高い状態で精神的に具有している「応身」とも言い換えられるし、フェミニスト地理学の論理で言えば「私の身体に“父性”と“母性”が交差する生々しい実感」とも言える。

 三島由紀夫が芸術家の横尾忠則に対して述べた冒頭の発言は、“創造”と“礼節”がなければ、“霊性”の立ち昇るクリエイティブは作れない、という文脈のものだったが、ここから伺えるのは、人とモノの間に、“霊性”を通じた関係性があることだ。つまり、“霊性”の解発された個人になって初めて、モノづくりに“霊性”が宿る、他者を魅了するモノを制作できるのだろうかという点だ。よってこれらはLGBTQの人々に対象が限定されない。小川公代はケアの倫理について、「近代社会が頑迷に守ってきた異性愛中心の家族形成を抑圧だと感じる人、あるいは今の常識にあてはまらない生き方を選ぶ人へのケア」であると述べている(小川2021.124頁)。クリステヴァが「アブジェクシオン」として表現したような、環境を組織するために排除されてしまう曖昧な自己を抱え、生きづらさを抱いていたり、「心」に嘘をつきたくない、ありのままで生きたいと願っている人々に対しても「“霊性”の地理学」の対象となる可能性は開かれていると考える。つまり、両性具有的な“霊性”を抱える当事者にとって、任意の空間では如何なる生きづらさが、もしくは心理的両性具有者の健康な心身として、如何なる力強さがそれぞれ存在し、当事者と空間にどのような相互作用を与えているのか。「“霊性”の地理学」は、そのような問いを可能にする。ジリアン・ローズは「両性具有」をモデル化することを批判したが、ありのままの「心」つまり“霊性”を解発した多様な個人が誕生しうる現代の日本社会において、本当の意味における「主観」から空間を分析する地理学のあり方は、「両性具有的で多孔的な自己」によって可能になる。

 

(ⅱ)“霊性”と、民藝に見られるケアの視点

 地理学はそもそも、久島(2017)が述べるように「人と人、人とモノ、モノとモノのつながりを探り当てる」学問である。本稿では「両性具有性」から“霊性”を論じたが、“霊性”が宿る瞬間はそれ以外にも存在する。抽象的に言えば、それは「絶対矛盾的自己同一」がみられる状態の、自己や空間についてだ。そこで筆者が注目したいのが、柳宗悦の「民藝」という概念である。

 民藝は柳宗悦らによって1925年に、「雑器」や「下手物」に変わるものとして考案された「民衆的工藝」の略語である。「民藝」とは何かを定義することは難しいが、初期の柳が書いた次の一文は「民藝」の精神の実相を示している。


 自からは美を知らざるもの、我に無心なるもの、名に奢らないもの、自然のままに凡てを委ねるもの、必然に生れしもの、それらのものから異常な美が出るとは、如何に深き教えであろう。凡てを神の御名においてのみ行う信徒の深さと、同じものがそこに潜むではないか。「心の貧しきもの」、「自からへり下るもの」、「雑具」と呼びなされたそれらの器こそは、「幸あるもの」、「光あるもの」と呼ばるべきであろう。天は、美は、既にそれらのものの所有である。(柳宗悦『雑器の美』、参照は若松英輔『霊性の哲学』第三章 平和と美の形而上学 柳宗悦の悲願)


無私なる営みが実現するとき、「天は、美は、既にそれらのものの所有である」。と柳は述べる。「天」は人間を超えたものを意味している。「自然のままに凡てを委ねる」ところから「異常な美が出る」とも述べられており、これらは大拙が「真如」(「心」、“霊性”)を「あるがまま」と訳したことと重なる。歴史的にも世間的にも顧みられることのない、「雑」や「下手」という扱いをされていた生活道具のうちに、現代的意義がひそむことを確信すればこその命名でもあった。哲学者の鞍田崇(2021)によれば、彼らにとって民藝とは「最も自然な健全な、それ故最も生命に充ちると信ずるもの」(『日本民藝美術館設立趣意書』、1926)であり、そこに「活ける生命の美が見える」(柳宗悦『何を「下手もの」から學び得るか』、1928)ことへの喜びが、彼らの確信をより堅固なものとしていった(鞍田崇2021.「生きる意味の応答―民藝と<ムジナの庭>をめぐって」)。また、柳は『美の浄土』と題する講演の記録において、「霊性」と思われる「浄土」について言及している。


 この知的時代に「浄土」などと申しますと、笑い出す方さえあるかも知れません。しかしそれはそれとして、私は美の浄土のことを考えないわけにゆかなくなりましたので、ともかくこの頃、脳裡を往き来している事柄を書き記してゆきたいと思います。(中略)

 実は興味深いことに、仏教で浄土が語られましてから二千年余りにもなるでありましょうが、浄土の存在の有無はしかく問題になった事がないのであります。もっとも浄土の相を形容した言葉はむしろ多過ぎるほどあるのでありますが、その「存在の有無」は大した中心問題ではなかったのであります。何故ならそれは現下の浄土であって、ただ遠方の国ではなかったからであります。(柳宗悦「美の浄土」、参照は若松英輔『霊性の哲学』第三章 平和と美の形而上学 柳宗悦の悲願)


浄土が語り始められて二千年ほどが経過して、仏教には浄土を詳論する記述は山ほど残されている。しかし、よく考えてみると、浄土自体の有無が問われたことはほとんどない。なぜなら、改めて問い返すまでもなく、いにしえの人々によってまざまざと認識されていたからだ。はっきりと経験されていることの有無を、どうして改めて論ずる必要があろうか、と柳は述べる。若松(2015)によれば、この「美」にも浄土があり、その浄土は絶対美の世界であった。柳の「美」は“霊性”から立ち現れるものであったのだ。このように、草創期より民藝をめぐる言説において「生」は重要なキーワードであり、その本質は“霊性”であると言える。

 また、柳は「用」をめぐる議論に言及している。鞍田によれば「用」とは「生」であることに他ならない。「民藝とは何か」と問えば多くの場合「用の美」というフレーズで説明され、その目するところは「実用性」「機能性」といったふうに解されている。しかし、民藝が注目した「用」はそれらにとどまらない。そこには3つ目の「用」が隠されている。


「だが私は注意深く言ひ添へておきませう。茲に用と云ふのは、單に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。ものは只使ふのではなく、目に見、手に觸れて使ふのです。若し心に逆らふならば、如何に用をそぐでせう。丁度あの食物がきたなく盛られる時、食慾を減じ從つて營養をも減ずるのと同じなのです。用とは單に物的な謂のみではないのです。若し功利的な義でのみ解するなら、私達は形を選ばず色を用ゐず模様をも棄てゝいゝでせう。だがかゝるものを眞の用と呼ぶことは出來ないのです。心に仕へない時、物にも半(なかば)仕へてゐないのだと知らねばなりません。なぜなら物心の二は常に結ばれてゐるからです。模様も形も色も皆用のなくてならぬ一部なのです。美もこゝでは用なのです。用を助ける意味に於て美の價値が增してきます」(柳宗悦『民藝とは何か』、1941年)


鞍田(2021)によると、器を例にとるなら、「物への用」は機能性を指し、「心への用」は美的要素などデザイン性を指す。両者が相まって、器の用をなしている。重要な点として、これらはそれぞれ“父性”と“母性”の定義に合致している。しかし、柳はさらに深いレベルからこの「用」を見る眼差しを有していた。次の引用において、柳は明確に「用」とは「生活」そのもののことであると述べる。


「或はここで『用』といふ言葉を『生活』といふ言葉に置き換へる方が更によいかも知れぬ。生活は物心の生活である。凡ての工藝は生活工藝でなければならぬ。従つて生活の幅や廣さや深さは、やがて用ゐる品物にもそれに適ふ幅や廣さや深さを求めてくる。生活と工藝とは分つことが出来ぬ。一體となつてこそ完き生活がある。」(柳宗悦『用と美』、1941年)


鞍田はこの引用について、「生活」つまり「生」そのものを見通せばこそ、「用」という事象が解き分けられることにもなったと言うべきだろうと総括する。これが民藝の創意の要点であった。

 柳が“父性”と“母性”に対して着目していたと思われる文章がある。柳が日本民藝館を開設する前、彼は当時日韓併合中であった朝鮮の皿や壺に「用の美」を見出した。以下に引用する。


 この頃日に日に貴方がたと私たちは離れてゆく。近づきたいと思う人情が、離れたいと思う憎しみに還るとは、如何に不自然な出来事であろう。何ものかの心がここに出て、かかる憎しみを自然な愛に戻さねばならぬ。力の日本がかかる和合を齎らし得ない事を私は知っている。しかし情の日本はそれを成し遂げ得ないであろうか。力強い威圧ではない。涙もろい人情のみがこの世に平和を齎らすのである。(柳宗悦『朝鮮の友に贈る書』、参照は若松英輔『霊性の哲学』第三章 平和と美の形而上学 柳宗悦の悲願)


「力の日本」と言う表現には、きわめて重要な働きを失った、暴走する列車のようなイメージがあると若松は述べる。これは暴走した“父性”とも言い換えられ、「情の日本」すなわち“母性”はそれを食い止めようとするが、それは成し遂げ得ないことと述べている。三島が戦後(第二次世界大戦後)の日本社会を憂いていたよりも昔、戦前の日本において、そのバランスは戦後と逆転していながらも、“父性”と“母性”の両立を「政治」においても訴えている柳の姿がここには見てとれる。

 以上をまとめると、民藝における「用の美」の本質は「生」“霊性”にある。言い換えれば、「物への用」(機能性)という“父性”、「心への用」(デザイン性)という“母性”が相まって、両性具有的な「霊性」の籠るところに民藝品は位置しているのだ。

 これらを踏まえると、「“霊性”の地理学」には「人と人」だけでなく、このような「人とモノ」の関係性の可能性がある。フェミニスト地理学においてロングハーストが妊婦の「からだ」から議論を展開したように、「両性具有的で多孔的な自己」をもつことでより「ありのままの“霊性”」を体現した人が、他者やモノとの関係性、つまり空間において、どのような相互作用を引き起こしているのか?任意の空間はどのように見えているのか?そのようなことを問う学問が、「“霊性”の地理学」として成立するのではないか。

 「両性具有的な自己」の一例として、柳宗悦とともに民藝の概念を確立した陶芸家・河井寛次郎の言葉を持って、本稿を終えよう。彼の発言として「仕事が仕事をしている仕事」という有名なものがある。このトートロジーのような言葉を鞍田は「民藝にとどまらず民具の世界をも表す言葉なのではないか」と述べる(鞍田2023.「「民藝」の思想的意義―「インティマシー」から考える」遅いインターネット.)。


「たとえば昭和村で苧麻から繊維を取るとなると、ひたすら地道な作業を繰り返すことになります。せいぜい1メートル程度の苧麻の茎から取った繊維を、ひたすら手作業で繋いで糸をつくっていく。初めて見たときはあまりの愚直さに僕自身も驚いたのですが、考えてみれば当然のことで、現代のような工業繊維でもない限り、人の手の営みとして当たり前のように行われてきたわけです。こうした作業を指して『仕事が仕事をしているような仕事』と言っている。こういう世界が、奥会津にはまだ残っているんです」(同)


 さらに、この言葉を生み出したと言われている河井寛次郎は他にもたくさんの印象深い言葉を残していることでも知られており、とりわけ有名な言葉に「暮らしが仕事、仕事が暮らし」というものがあるという(同)。


 「かつては都市部であったとしても、仕事の場と生活の場は決して分断されてはいなかった。仕事の場の中で暮らしが、暮らしの場の中で仕事が営まれるような、そういう環境だからこそつくられてきたものが、彼らの注目した民具や民藝だったわけです。そう考えると『仕事が仕事をしている仕事』を『暮らしが暮らしをしている暮らし』と言い換えてもいいのではないでしょうか。人がどこか後退して背景に沈んでいって、暮らしや仕事が前景化する。それらが同時に起こる振舞いと言ってもいいと思います。

したがって、『仕事が仕事をしている仕事』という言葉の主語が誰なのかというと、『暮らし』なのではないでしょうか。もちろん人ではあるのですが、それは暮らしを営んでいる人、と言い換えられると思うんです。仕事ということを考えるにあたって、河合寛次郎はおそらく、このような『暮らしに根差した仕事』ということが言いたかったのだと思います」(同)


 鞍田が昭和村の人々にワークショップで糸づくりの実演をしてもらった際、お客の1人から「この作業にどれぐらいの時間をかけると、一反の着物ができるだけの糸がつくれるんですか」という質問があった。その時に村の人々がきょとんとして、「そんなことは考えたこともない」という表情をしていたことが、鞍田の思考を深めたという(同)。


 「僕らは『仕事』というと作業時間を時給に換算して考えますが、『生きること』や『生活すること』に対して、たとえば『今日は8時間生きた』などとは考えないわけですよね。昭和村の糸づくりに限らず、時間や貨幣に換算する以前の発想で営まれるものが『民衆の生活に即して生まれてくるもの』という、柳のあの言葉に体現されたのかなというふうに思います。

 そもそも柳をはじめとする民藝運動にかかわる面々は、ものづくりのあり方を、『つくる』のではなく『生まれる』、というフレーズで表現してきました。とりわけ僕が大好きなのが、河井寛次郎が1944年に書いた『部落の総体』という、彼が拠点にしていた京都近辺の農村を訪ねたときのエッセイにある一節です。河井はその農村の風景の美しさに感動して『化け物のような喜びにとらわれた』と言います。あたかも自然の一コマのように生活が営まれている姿に、歓喜しているわけです。柳たちのまなざしが向かった先は、こういう仕事が営まれる生活だったのだと思います」(同)


ここにも、ありのままの“霊性”の本質である「絶対矛盾的自己同一」が見られる。「過去」と「未来」という二つの矛盾した概念に分かれる前、主客未分の境地に至ることによって(時間を忘れて没頭するという方が優しい表現かもしれない)、奥会津の人々の生活は「今を生きる」ことができている。そのような「生活」、つまり“霊性”とともに生きる人々の作り出す品々に、“霊性”が宿っていると考えることはできないだろうか。柳が心惹かれた民藝、「最も自然な健全な、それ故最も生命に充ちると信ずるもの」(『日本民藝美術館設立趣意書』、一九二六)、そこに「活ける生命の美が見える」(柳宗悦「何を『下手もの』から學び得るか」、一九二八)ことへの喜びとは、このような時間における「逆限定」「絶対矛盾的自己同一」の中での「両性具有性」、つまり生命の本質である“霊性”の知覚だったのではないだろうか。これはケアの倫理における「カイロス的時間」とも呼応する。客観的な時間ではなく、より主観的な時間の流れの中に没頭することで、“霊性”の籠った制作は可能になるのではないか。このような“霊性”の関係性を捉える地理学、例えるならば、“霊性”の要素をもつと考えられる個人から生まれる制作には、霊性が籠りうるのか?という三島の着眼点から、空間を分析するあり方の可能性も見えてくる。


Ⅵ おわりに

 本稿においては、三島由紀夫の“霊性”についての言及を“父性”と“母性”から紐解くことで、三島の「政治」と「文学」の新しい関係性について述べた。そして“霊性”の本質が「両性具有性」にあること、そしてそのセクシュアリティに着目し、フェミニスト地理学におけるロビン・ロングハーストの妊婦研究における論理と接続することで、「“霊性”の地理学」という可能性を提示した。“霊性”と「両性具有性」というある種の東洋的でスピリチュアルな視点をもつことで、既存の社会科学でこぼれ落ちてしまう対象に光を当てることができる。想定されるのは、両性具有的な“霊性”の傾向が強い当事者にとって、任意の空間では三島のように如何なる生きづらさがあるのか、もしくは「ありのままの“霊性”」という、強さも弱さも包含した言わば「しなやかな強さ」(心理的両性具有者の心理的に健康な状態)があり、当事者と他者にどのような相互作用を与えているのか?という「人と人」の関係性と、「両性具有的で多孔的な自己」をもちながらより強い“霊性”を孕んだ人が、他者やモノとの関係性、空間において、どのような相互作用を引き起こしているのか?任意の空間はどのように見えているのか?という「人とモノ」の関係性についてだ。地理学だけでなく、社会学や心理学、哲学、文化人類学など、人文社会科学の垣根を超えた、学際的な研究が求められる。

 本稿では字数の都合上において掲載しなかったが、例えば精神分析の世界においてフロイトは、人間が両性の性質(bisexuality)をもつことに注目して、性対象倒錯(インヴァージオン、inversion)を心的半陰陽(psychical hermaphroditism)の表現として理解した。心理的両性具有性ではなく性的対象についての議論ではあるが、今後接続される可能性がある(中野明徳2013.「S・フロイトの性欲論―幼児性欲と転移の発見―」福島大学総合教育研究センター紀要14号、23-32頁)。他にも金菱清『呼び覚まされる霊性の震災学』では、「死」を隠す日本のエコーチェンバー的な心性や、「共感の反作用」「感情労働としての葬儀業」、「「決めない」という合理的選択」など、“母性”の性質やケアの倫理、ネガティヴ・ケイパビリティと接続されうる要素が多く掲載されている。

 以上のような“霊性”に関する記述は、日本という場で生活しながら地理学について考える私たちに、「民藝」よりも現代的で具体的な、どのような事例を提示するのだろうか。「民藝」の内容で引用した鞍田崇の妻・愛希子氏の営む就労支援施設「ムジナの庭」はその事例となりうると筆者は考えるが、こちらは元となる文献を参照されたい(鞍田2021)。ここでは三島の憂いを踏まえて考えてみたい。

 天皇が「現人神」として存在した戦前・戦時中を生きた人々は、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結し、“霊性”が循環するための障害物を乗り越えられていたためにエンパワメントされていたと考えられる。そのような人々の中でも、当時青年であった世代の人々は、戦後の高度経済成長を支え、駆け抜けた。彼らが定年を迎える1985年前後はバブル経済の絶頂期であり、日本の製品が世界を席巻していた時代だった。そこには“霊性”を知る人々が制作したものが確かにあった。

 しかし彼らは定年を迎える。日本を支える労働者に、天皇の齎らす“霊性”の感覚を知るものは退場した。するとバブル経済はたちまち崩壊を迎え、そこから30年間以上に至るまで、世界を魅了しつつ日本経済を支える新たな制作は生まれることはなかった。経済的に豊かであるにも関わらず虚しさを覚えた人々は、オウム真理教のような共同体に包摂されてしまい、村上春樹はそこからデタッチメントをするための反復を描くしかなかった。

 強いて述べれば、アニメやゲームといったコンテンツは世界を魅了した。それらの世界は現実ではない「虚構」の世界である。現実の社会で「父」になれないからこそ、「虚構」における想像力は“霊性”を獲得したのではないだろうか。宇野常寛は『母性のディストピア』で次のように述べる。


 もう一度断言する。いまのこの国に本当の意味で語るに値する現実は一つも存在しない。この国の現実に想像力の必要な仕事は一つもない。

 だからこの本では徹底して虚構について考える。サブカルチャーについて、アニメについて考える。この国の戦後という時代の中で奇形的な発展を見せた商業アニメーションの想像力を通じて考えることから全てを始める。

 アニメーションという純度100パーセントの虚構の世界にこそ結果的に露呈していた時代の本質を拾い上げること。そして、戦後アニメーションを牽引してきた天才たちがその本質にいかに対峙したかを論じること。これらの作業を通して、初めて私たちは現代の、本当の問題に接続することができるのだ。(宇野常寛『母性のディストピア』、10頁)


この国の現実で「父」になれないからこそ、アニメやゲーム、小説などといったカルチャーシーンは私たち「矮小な父」にとっての「逃げ場」のような存在であった。虚構の世界であれば、たしかに私たちは「父」になることができる。製作者とプレイヤーは過去も未来も忘れ没頭し、“霊性”に触れることができる。

 このような日本の現状をよそに、Apple社の創業者であるスティーブ・ジョブズは禅と仏教に出会う。彼が制作を指揮したiPhoneは、その機能性(物への用)とデザイン性(心への用)を携えて世界中で大ヒットした。何より、そのシェア率が最も高いのは日本市場である。そしてこれは筆者の主観的な感想であるが、そこには柳の述べた「生」の感覚が立ち上っているように思われる。少なくとも言えるのは、日本の携帯電話はそれに太刀打ちできなかったことだ。それは日本人に天皇や両性具有性からもたらされる“霊性”の直観が現実の世界において感じられず、それを天皇によって知る世代が退場してしまったからではないだろうか。そのような仮説を立てることができる。

 以上のことを踏まえると、“霊性”について地理学的な考察を深めることは、ものづくりのみならず、日本の未来の「あり方」を考える点においても非常に有意義な視点である。日本の経済を支えるクリエイティブを担当している人々(応身)に、“霊性”が解発される構造はあるのか。言い換えれば、「ありのまま」に生きられる構造はあるのか。言動と“霊性”が一致できるのか。現時点において、それはマクロな視点では存在しない。しかしミクロな視点では、現代において「両性具有的で多孔的な自己」というケアの倫理の可能性が残されている。現状では生きづらさを抱えやすい環境にある彼ら彼女らの“霊性”が解発される未来を願って、本稿を終了する。


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