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断片 想像力の世界 -ワナビ小説講座-

 小説は芸術に分類されるものだ。芸術、といって何も偉ぶったものではない。何かを表したものであればそれが芸術だ。表現といいかえてもいい。その芸術または表現には何が最も必要であるか、と考えてみれば、たぶん想像力がいちばん大切なものなのだろう。想像力は人間の能力のうちわりとポピュラーな、使用頻度の高いものである。金井はあんまり空気を読めないが、読もうとするならば想像力を使うことになる。対人の場において相手がどう思うかを考えて話す。考え、言葉を選ぶ。日常の会話からしてそうなのだから、ぶつかり合いのような芸術、表現の領域においてはなおのこと大切である。受け手がどう思うか、どう感じるかを想像力でコントロールできれば、こんなに名誉なことはない。そして、あなたが大好きな何らかの作品を思い返して、それがなぜあなたにとってすばらしいのか、と考えれば何かわかるかもしれない。あなたはなぜ感動したのか?

 承前。あなたに感動を与えた芸術作品はあなた自身を暴くヒントになる。感動したのはあなたなのだ。「なんか知らんけどよかった」で済ませてはもったいない。なぜ感動したのか。もっといえば、その作品が生んだ想像力の磁場、そしてそれにあなたの感性が反応したこと、この両者の関係性には絶対に何かがある。あなたの感性も想像力があってこそ持てるものだ。つまり作品の想像力とあなたの想像力が出会った、そのことで感動が発生した、そういうようにはいえないだろうか。作品は、といってこれは小説に限ってのことだが、作家は言葉を持ちより、読者は意味を持ちよるピクニックだ、という言い方がある。小説はただ書かれただけでは何物でもない。眠ったままだ。読まれるときに初めて目覚め、多くをあなたに語って聞かせる。作家が書に封じた想像力があなたを捉える。あなたも想像力によって応じる。その豊かな作業は世界の謎をひとつふたつと解く。もちろんあなた自身の謎も解く。世界と自己の、充足と不足についてが解かれる。

 承前。想像力は思考力に近いかもしれない。イメージで考えるのかロジックで考えるのかの違いはあるが、どちらも何かの解決へ向けてのエネルギーだ。その点では同じく頭の働きであろう。想像力で謎に挑む者を芸術家といい、思考力で謎に挑む者を学者という、そう区分けしてもいいかもしれない。あとは環境や素質の違いだ。その個人の想像力と思考力のどちらが強いのか、大人になってみればそのへんははっきりと現れてくるものだ。思考力が強いのならば一般社会でうまくやれることだろう。だが想像力が優る場合、もっといえばそれしかない場合なら、芸術で勝負する他はないのかもしれない。私のやっているような勝負だ。想像力の世界。丸腰ではとてもゆかれぬ。だから準備、仕込み、勉強をいま私はやっている。刀を交える相手はこの先多かろう。私の話はどうでもいいが、ともあれ、想像力の話でした。

 ショパンコンクールの音源がリリースの予告に入っていて、いやこれまでもリウやガジェヴのものは発売されていたのだが、最近になって小林愛実、反田恭平と、そのあたりの発売の予定が出てきている。楽しみであるのう。サブスクで聴くかディスクを買っちまうか。そこ悩ましいですね。記念品としての価値があるものだから。

 書くことに夢中であまり読んでおらぬ。この記事も楽しく書いちゃってるからね、読書そっちのけであったこと。スケジュールを考えればまだ余裕はあるから、といっていると後半泣くことになるのでコツコツやっていこうのいまであります。読まないとね。書けないからね。キャンベルやっときゃ十分だよ。



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