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3/12 広告ってなんだろう。(「日本の広告費」と”あるブログ”が教えてくれたこと)

電通から「日本の広告費(2019年)」が公開されました。

この時期を「待ってました!」と迎える関係者と、憂鬱な心持ちで迎えた関係者がいたことと思います。詳細を知りたい方はリンク先を確認して頂きたいのだが、簡潔に言うと「インターネット広告が”ようやく数字的根拠をもって”テレビ広告を抜いた」と言うことでしょう。ほんとそれだけ。何となくデジタルの売り上げの方が大きくなってるよねという感覚値は以前からあったけど、ようやく数字として証明された。余りにもその点ばかりを報じるメディアが多くて(ネットメディアだけだけど)、結構辟易する。

私はこの事態を好意的にも悲観的にも思ってなく、ただ単なるいち事象でしかないと思うが、いわゆる4マス(新雑ラテ)から不遇な?扱いを受けていたと(勝手に思ってる)インターネット界隈がようやく我が世の春を謳歌しているのは揶揄が過ぎるだろうか。しかしながら、それらネット界隈の関係者は「それみろ!」と中指を立てて喜んでいるのではないかと思う(言い過ぎか)

そんな中、Twitterで上田豪氏が以下のブログを紹介していました。日本の広告費の発表とこのブログが同日に公開されていたことに、少なからぬ縁があると思ったため、(私が勝手に)思ったことを書きました。

正直なところブログの内容は広告関係者(クライアントも含む)にしか刺さらない内容だと思うけど、もっと正直に言うと広告関係者であっても「刺さる人」「全く刺さらない人」がいると思う。そこに分断があるんだろうなぁ、、、という悲しみと共にこの先を書いて行こうと思う。

ひとつブログから一部抜粋させて頂く。

たとえば、広告のコスト効率が高い広告をつくる。コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である。そういうわけから、WEB広告代理店では撮影や外注を行わない広告制作が奨励されている。ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。※当該ブログからの引用(太字は筆者追記)

これは嘘みたいなホントの話である。私もそれを体験して正直頭を鈍器で殴られた気分がしたし、自分が古い体制側の人間なのかな?と心底心配になった点でもある。「撮影なんてしませんよ」と、いかにクリエイティブを安く作るかを説明してくれた自称クリエイターが何をクリエイトしているのか聞いてみたかった。(お金を掛ければ良いものを作れるとは思わないけど、お金を掛けたものを「無駄」と一言切り捨てるのだけはやめて欲しい)

先に述べた「分断」というのはいわゆる4マスをベースにこれまで仕事をしてきた広告関係者とインターネット専業の広告関係者の分断だ。そして、どちらかというと私は前者寄りの人間であることもお察し頂けたと思う。以前こんな記事も書いていたのを思い出した。

いわゆる総合広告代理店には広告が好きな人が集まってきていると思う(少なくともそう思いたい)。昔、「広告批評」という雑誌があったことを覚えているだろうか?私はテレビやら新聞やらメディアというものが大好きだったので、自然と広告にも興味を持ち始めて高校生くらいからこの「広告批評」を読んでいた。よく分からないながらも読み続けていると、ブログ筆者が仰る「広告は文化」と言いたくなる気持ちがよく分かる。「批評」ってアートとか映画とか漫画とか文化(カルチャー)に対してするものだし、それが広告に対しても行われていることから、「広告って文化だよね」ということは自然なこととして受け容れられていたように思う。

しかし、広告は文化であってもアートでは無い。その点は、しっかりと認識しているつもりだ。だから広告賞ばかり狙ってしまうこととか、広告を自分の作品と呼んでしまうことには若干の違和感を覚える。

別に喧嘩を売る意図は全く無いことを先に断っておきますが、インターネット広告を生業とする業界にはまだ文化というものが根付いていない気がしている。まだ出来たばかりの領域ということもあって仕方ないと思うが、やはり文化は作ろうという意識がなければ作れないとも思う訳です。

現状を見ていると、文化を作っているのはGAFAはじめプラットフォーマーの方であって、ネット広告代理店はマージンを稼ぐだけの中間業者でしかないと思っている。だから、これまでいわゆる”広告”に長く携わってきた方々にとってはそれが奇異に映るし、(既存の領域を侵食しているという意識はあると思うが)知らず知らずのうちに広告文化までも実は侵食(強い表現だけど”破壊”)していることが許せないという心持ちなのかなと思う。

冒頭で引用した上田豪さんは自身のことを広告屋と称している。これまた昔、銀行という業種が花形だった時代に証券会社の人たちは「株屋」と揶揄され下に見られていたと聞く。そういった経緯もあって「○○屋」という表現はどこか侮蔑を内包する言い方であるが、上田さんは自ら「広告屋」と名乗っている。直接伺ったことは無いので勝手な想像であるが、ご自分がやっていることをどこか冷めた目で見ている風もあるし、それが逆に広告仕事に対する強い矜持を備えた姿勢として私には映っていたりする。あくまで想像ですが、、

インターネット広告のプレイヤー達というのは優秀な人が多いし尊敬できる人もいる。しかし、経営者とかではなく現場のプレイヤーである皆さんにとってまだ「何故その仕事をするのか?」という問いかけに対して「単に儲かるから」以外の答えが無かったりするんじゃなかろうか。「いや、あるよ!」と絶対反論されると思うが、それがあるのならば、是非とも文化として根付くように仕向けていって欲しい。いや、我々と一緒に作ってい来ましょう。

いきなりあのブログを読んだら確かにウザ絡みしたくなってしまうのかもしれないけど(ゴミとか言われたら確かにね、ちなみに上田さんに絡むのは確実に間違いだよ)、そんなに怒りを覚えたのなら、ご自身の仕事に矜持を持っているのであれば、それを文化にしていけばいいんではなかろうか。今どき切磋琢磨とか言うのもなんだけど、同じ業界なんだからねぇ、頑張ろうよ!ってね。

しかしまぁ、こういったブログが「日本の広告費」のリリースと同時に公開されるのをブログ筆者は意図していたのかどうか分からないけど、考える良いきっかけを頂きましたので、この場を借りて御礼申し上げます。WEB広告代理店でのお仕事、お疲れ様でした。

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あと以降は完全に蛇足ですが、ブログ筆者の仰ることに完全に同意できないのは「ゴミ」という表現をしている点だけかな。我々の仕事は受注産業であるから、クライアントから預かった広告費でもって様々な広告を制作している。だから、たとえそのアウトプットに納得していなくても「ゴミ」と表現してしまうのは、クライアントをも侮辱してしまうことになるので、その点だけは受け容れ難いポイントだったかな。

もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。