傍観する、ひと
幸せになる勇気 No55 いざ、共に踊らん
「運命とは、自らの手でつくり上げるもの」その言葉に、青年は、「…!!」と、ハッとします。
哲人は、ここぞとばかりに畳み掛けます。
「運命の下僕になってはいけない。運命の主人であらねばならない。」
青年は、身を乗り出して、尋ねます。
「でも、具体的にどうしろと!?」
踊るのです。
お、踊る。そう、踊る!!
「“いま”をダンスする」哲人は、言います。
「ただひたすら、目の前のパートナーと」
愛と結婚は、ふたりで踊るダンスである…
青年は、感嘆します。
「アドラーは、ダンスのことを“ふたりの人間が共同の仕事に参加する遊び”だとして、子どもたちにも広く推進していました」
と哲人は、解説します。
「お互いの手を取り合い、今日という日の幸せを、いまという瞬間だけを直視して、くるくると踊り続ける」
「長いダンスを踊りきった軌跡のことを、人は“運命”と呼ぶでしょう」
そして、今の青年を、
「人生というダンスホールの壁際に立って、ただ踊る人たちを傍観している」と例えます。
「これ以上みじめな思いをしないように、自分を嫌いにならないように、歯を食いしばって精いっぱいに自分を守っている」
青年は、静かに、しかし、真剣に聞いています。真剣に。
やるべきことはひとつ。
「そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精いっぱいのダンスを踊ってみる」
そして、哲人は言います。
「運命は、そこからはじまるのです」
ある時、街中で老夫婦に言われたことがあるのです。
「今は大変でしょうけど、良い思い出になりますよ」と。いつかを懐かしむ、とっても優しい目で、そう言われました。
なんだか、スゥっと胸が晴れるような気がしました。
ダンス、ダンス、ダンス!!
では、また。
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