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UNICORN

今日、昼。
ふと「UNICORNを改めて1stから聴いてみてはどうか」と思い、聴いた。1988年、NHKで放送されていたクリスマス番組の中で「ペケペケ」という曲を演奏していたバンドを観た瞬間「あ、好きです」と一瞬で虜になった小学校2年の冬。そこからUNICORNが解散する1993年までリアルタイムで唯一追いかけていたバンドだった。8歳から15歳までの時間を余すことなく使い夢中になっていた。全てのアルバム、シングル、雑誌、書籍、VHS、ツアー、あますことなくチェックしては購入、毎日聴く、観る、熟読、出向く。まぁ、一言でいえば狂っていた。UNICORNというバンドに。
今思うと、アルバムのクレジットをじっくり見るようになったきっかけも、楽器に興味を持つようになったのもこのバンドが最初だった。あと、ビジュアル。それからツアーごとの凝った演出。まぁ、簡潔に言うとコアなバンギャだったわけです。

当時の恥ずかしい程のあれこれよもやま話は酒の席で沢山してきたのでここではいいとして、今日、改めて1stから聴いて思ったのはバンドに主体性を持った人、すなわち音楽的なリーダーが皆無だったのではないかしらということを感じました。いや、実質的にバンドのリーダーとして西川さんがそうだと言われておりましたが(最後のアルババム「SPRINGMAN」の録音中にやめマンになったけどね)音楽的には後半に行けば行くほど、バンドをなんとか維持する如く、阿部Bが中心となり奮闘しているようなサウンドに聴こえます。今となっては。バンドとしての在り方、各々が目指すサウンドの理想、各メンバーの音楽性などに対し指針となる人、バンドの軸(コア)となる人間がいないというような、それが理由か、アルバム毎にヒリヒリとした聴き心地を初めて感じました。しかし、改めて思うのは(どのアルバムも)それでもいい、それがいいという感想。なんでしょうか。

個人的には笹路正徳氏(音楽プロデューサー、阿部B〔現在ABEDONという名前なのは承知ですがこっちの方がしっくりくる〕の師匠でもある)が携わっているアルバム3枚目『服部』までの作品がなければワタクシ、UNICORNをこんなに好きになることはなかったと思います。片田舎の小学生が夢中になるくらいわかりやすいサウンドだったのだと思います。この「わかりやすさ」は皮肉でもなんでもないです。最初からバンドとしての(サウンドに対する)強いこだわりを表現されていたならば8歳の私にはなんのこっちゃわからんかったという趣旨のものです(ちなみに笹路氏の名前でその後スピッツやイエモンを聞いたクチなのでプロデューサーでアルバムを聴いてみようと思ったことも初めてのことだったのです)4枚目「ケダモノの嵐」を聴いた時「ん?なんか変わった…なんだろう、音?曲?」と感じたことを思いだしました。このアルバムからセルフプロデュースになるんですが、当時は『服部』までのサウンドから一転、当時20代半ば、等身大のバンドサウンドという感触で、メンバー同士、バンドとしての理想の音、在り方をディスカッションをしつつ作っている感じがして、「バンドのアルバム」としてはとても好き。特に民生(敬称略当時25歳)の作詞作曲の楽曲が艶を増した時期だったと思います。(偉そうにすいません)このアルバムから民生の作詞に対する独自の視点が開花したというような、ユーモアとナンセンス、無意味と意味を内包したかのように感じさせるテクニック、また言葉に対して若干のメタファーの忍ばせ方、始まりを感じました。いやー、私、本当にUNICORNが大好きだったんだなと今、心の底から感じております。

この後月を置かず『おどる亀ヤプシ』『ハヴァナイスデー』というミニアルバムがリリースされ、私はこの2枚で「ヤバい、何かがUNICORNに起こっている…」と感じ、特に『おどる亀ヤプシ』は最初意味がわからなくて、学校を休み毎日聴いていました。曲に関しては阿部Bの作曲作品が自分は好きなんだなと意識するきっかけになった「ママと寝る人」は今も大好きです。「12歳」はテッシーの中でもマジいい曲。今聴くと、少しだけLewis Fureyを思わせるんです。テッシーはギタリストとしても最高ですがUNICORNの中でも派手ではなく、地味でもなく、平温な温度を保った作品を書ける人だなと思います。日常の尊さを感覚的に察知してる人という感じがします。「自転車泥棒」を聴けばよくわかると思いますです。
『ハヴァナイスデー』はプロデューサーがジョー・ブレイニーです。しかもNY録音です。ワタクシこのミニアルバムUNICORNの中で特に好きです。それは当時から変わらないんだなと今回聴いてみて改めて思いました。これはもう全曲、ミニアルバムとしてグッドバイブレーションなのでお時間あれば聴いて下さい(ちなみに民生のアルバムでも『FAILBOX』がダントツ好きです。こちらもプロデュースはジョー・ブレイニーです)
『ヒゲとボイン』リリース後、当時は大失敗という謳い文句が広告になっていた記憶があります。何が?と思ったのですがセールス的にということだったのでしょうか。しかしワタクシはこのアルバムが各メンバーの逡巡が結果バンドとして最高のクオリティを叩き出してくれた地味ながら最高のアルバムだと思っています。今回、聴きながら唸りました。「ターボ意味無し」から始まり「ヒゲとボイン」で終わるこの曲順も曲毎のアレンジ、リズム、歌唱も全部がマジで痺れる。時間を経て改めて理解できるようになることの幸せ。作品の凄み。当時から聴いていて本当によかったと思える作品のひとつです。出会ったタイミングに改めて感謝する始末。
そして最後のアルバム『SPRINGMAN』思い入れの方が強く本当に今日の今日まで聴くことをしておりませんでしたが、1曲目「与える男」のイントロギターで当時の空気が蘇り「ぎゃー!」と叫んでしまいました。最後の4946ツアーでは「金銀パールベイビー」皆んなジュリセンを振っていたね…。全曲解説したいくらいですが酒飲みすぎて無理なのでやめときます。どれも名曲。でも「アナマリア」は特に名曲。間奏のギターソロこの曲に必然、必要だし最高。
とかくですね、最後まで聴いて思ったんですが、UNICORNの音楽に、当時のメンバー、バンドに真剣であるからこその逡巡を大いに感じまして、それはつまり、私にも携わっているものだったりするわけです。影響があるのか私個人、資質の問題なのかそこはまぁわかりませんが、アルバム毎に違うアプローチを試み、毎回夢中にさせてくれたバンドがひとつでもあるって、幸せだなと今、噛み締めながら冒頭よりだいぶ酔って書いています。
再結成については一家言あるクチなので(いいじゃない、ファンなんだもの)
何も書くことがございませんのですが今も新曲を出し続けているということがとかく嬉しい。

UNICORNベストな10曲とか書きたい……と思ったんですが、ここはナンセンスな気がして、最後にこの曲を貼って終わりとしようと思います。

ササジーズ『アナコンダウーマン』(1991年)から「竜巻ジェーン」です。

笹路正徳氏が期間限定で結成していたササジーズの曲。ここで歌唱している民生の歌唱は唸るほど最高です。奥井香氏も歌っています。



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