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忘れちゃならない。

(2020年3月30日(月)記)

 片田舎で暮らす小娘にとってテレビは社会の窓だった。
特に、1983年から1996年の13年間、本当に毎日テレビを観ていたと思う。
ブラウン管の前、オープニング曲を録音しようとラジカセをテレビのスピーカーに押し当て、正座をした兄の横同じ姿勢でまんじりともせずに観ていたのは「西遊記」の再放送だったか。兄に話しかけるとゲンコツが飛んできた。当時、我が家には1台のテレビが茶の間に鎮座しており、兄が観たいもの、私が観たいもの、何を見るかで喧嘩ばかりしていた。チャンネルの奪い合い。最終的に延髄蹴りを受け四の地固めでギブアップ。
「強くなければ勝ち取れない!」毎日の兄弟喧嘩から憶えたのは自己主張するばかりではダメで、知恵をつけなければということだった。

それからしばらくして、父方の実家で暮らすことになった兄と私はお爺ちゃんの部屋にテレビが1台、叔父さんの部屋にテレビが1台、計2台在ることに狂喜乱舞した。夕飯が済むと兄と私は叔父さんの部屋でテレビを観ているのだが、土曜日の夜8時「俺たちひょうきん族」が始まると、私は静かにお爺ちゃんの部屋に移動する。「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が観たいがためだ。加トちゃんけんちゃん……の前は確か「八時だヨ!全員集合」で、この辺りの記憶はおぼろげなのだが、「日本昔ばなし」の後に「クイズダービー」を観て、「八時だヨ!……」をしっかり観るためにトイレにいって準備をしていたことを憶えている。

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