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受験とは

今回、受験において、多くの学校が、履修すべき単元が終了しない可能性がある、もしくはギリギリになる可能性がある。

こんな時だから、ある程度問題は範囲が狭まる、あるいは多少簡素になると想像してしまう者もいるかもしれない。
この時期にのんびりコロナ禍を家で楽しんで、ワイドショーばかり気にしているものも多いのではないか。

今年の傾向

ハッキリ言う。

昨年同様全く変わらない。

むしろ体感的には難化したと感じるはずだ。
何を期待しているのかわからないが、大学が欲しい人材は、それなりに優秀な者だ。それを、今年の状況を踏まえて忖度するなどと考えること自体間違いである。
忖度されると考える者は正直大学は要らない。
どんな状況であれ欲しい者は一定の基準を超えた者だけだ。それに忖度などしている暇とゆとりは大学にはない。

何かの優遇があるのでは?

これも全くない。
全員が同じ状況であるためだ。
受験というのは全く持って公平である。勉強をするという事について貧富の差はない。完全に公平な人生で最後の試験なのである。
確かに地方によっては、予備校などがなく、そのような受験専門の教室がないところもままある。それでも東大に行く奴はいる。
どんなに条件の揃っている、首都圏であっても受からない者もかなり多い。

どういう奴が合格するか。

変な話だが、今まで見てきて、合格するものには匂いというか雰囲気がある。高校三年生の春はうすぽんやりした顔から、夏以降に顔つきが変わる奴は大体第二志望迄で止まる。
多くの生徒を見てその言動、雰囲気などを近くで見てこいつは合格すると確信できる。
いや落ちるわけがないと思えるようになる。これは個別指導という生徒と密着しているからこそ分かるので、恐らくは一斉形式の授業であればそこまでの確信は持てない。
問題は、実力以上の大学に逆転合格をする奴だ。2パターンある。まず天然なタイプだ。批判が来ることはわかるが、あえて言う、これはアホだ。そして根明な奴が多い。良い意味で楽天的、そして本当に素直な奴でいい奴が多い。
素直であるゆえ、余計な事をあまり考えていない、素直に問題に対面し、無駄な予断なく問題に取り組む。
もう一つは、いわゆる秀才タイプである。人生は勉強、それ以外はただの無駄な事と考える者だ。このタイプは、少し考え過ぎてしまう。そのため深読みをしすぎると事故を起こす。

この二つのタイプの共通点は、放置をする事、これが最も効果的なのである。

但し、純粋な意味での放置ではない。上手く言葉では説明ができないが、意図的な放置というしかない。部分においては徹底的に指導するところがある。意識である。

その意識のもって行き方は数十通りあるが、結果としては同じになる。そこは我ながらプロだなと思う。

意識とは

受験においては目的と計画の立て方である。
具体的な事はここでは書かないが、実例をいくつか紹介したい。
中学生の時、スポーツしかできない者がいた。受験期になり、今までの精神的な間違いをとにかく直して、半年でトップになった。その後、高校受験には第一希望は落ちたが!それが彼にとって良かった。高校では常にトップ3以内を維持、慶應の法学部に合格をした。
次に、女の子で、最初からよくできた子であった、学年では2位か、1位。しかし公立校のトップの多くは、実際の模擬試験を受けても大して偏差値は高くない。思ったのと違う成績で、落ち込んだ所を意識的にいじった。結果的に筑波大附属に合格、ちなみに、埼玉の北辰テストで、最初63だった、この学校に合格するのに、75で合格率50%でも一月の段階で落ちるわけがないと確信した。

ある意味ちゃんと精神的に良い方向に引っ張ってあげれば、高校に入ってもトップ10にはいられる。少なくとも、私のところの中学部に所蔵していた生徒のうち、3割超はそうである。これはただ、受験のためだけに勉強を矯正させるとそうはならない。中学生は高校に入ると平均的に、偏差値が10ぐらい下がる。

意識のもって行き方は次第でそれも防げるのだ。そして、スタートダッシュができると後は楽だ。

学習法

受験において最も重要な事は、学習法ではないこの世の中にある学習法」メゾットと言われるものは全て同じである。全く特殊なものはない。若干アクセスの方法が違うだけで行為は同じなのである、とにかく問題を繰り返す事、これに尽きる。
これ以外の方法は脳の機能の上で全く無意味である。
確かに特殊な暗記法はある。それは勉強ではない。脳の機能を利用しただけであり、問題の根本解決にはなり得ない。
それに、暗記法も繰り返す事を注視をしている。なんだかんだで、結局は同じことを繰り返すのが受験勉強の本当の姿なのだ。
その意味で、受験勉強ができる者は頭が良いと言うわけではない。頭の良さはそれとは違う概念だからである。
純粋に頭が良いというのは今は日本の教育では否定されているIQで数値化ができる。
テストの点数が良くても記憶に頼った事しかできないマニュアル人間はごまんといる。
どんなに優れた記憶法でもコンピューターには勝てない。受験というのは制度がなければ、本当に頭の良い人間がたくさん生まれるのだはないか。
ただ、その方法は現在アメリカにしかない。