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第二十四回「愛と誠」(その4)(2017年6月号より本文のみ再録)

 単行本売り上げ7百万部、劇場用映画3作、テレビ&ラジオドラマ化、イラスト集、写真集…。あの時代に『愛と誠』はなぜあれほどまでに読者を魅了し、大ヒットしたのだろうか?これについて、梶原本人は後に次のように述懐している。
 「当時、世の中はインスタント・ラブが横行し、連れ込みホテルにはディスコから直行する若者が増えていた。(中略)若者達の間に広がりつつあったインスタントな愛、安易な性意識に対して“男と女が愛し合うというのは、そんなチャチィことではないゾ”と意地悪おじさんのように苦言を呈したのだ」(梶原一騎著/ワニブックス刊『反逆世代への遺言』より)
 つまり、梶原があえて狙った、当時の風潮に対するアンチテーゼが、逆に若者の心をつかんだのだと分析しているわけだ。
 だが、本作のメイン読者層であった中・高校生や我々昭和40年男を含む小学校高学年の子供たちは、恋愛事には未成熟で、梶原の分析が当てはまっていたとは言い難い。筆者を含むそうしたティーンたちが『愛と誠』に魅了された要因は、ながやすのすばらしい画力で描かれる早乙女愛の美しさや太賀誠の格好よさ!そして梶原による、熱くてクサい台詞や半ば強引とも言える怒涛の展開の数々。このふたつの要素が絶妙な相乗効果となり、続きを読みたいと思わせてしまう有無をいわさぬ魅力を放っていたのだと思う。
 そして、ここでもうひとつの推測を披露したい。これは筆者が本作を読んでいて密かに抱えていた“未成熟な何かを刺激するムズムズ”するような感覚であり、後年、梶原作品を研究して気づいた推測である。
 『愛と誠』は少年マンガの皮を被った成人マンガである!
 我々は、少年誌掲載作品でありながらも、作品を通じてなぜか感じてしまう。“背徳感”に無意識のうちに魅了されていたのではないだろうか?無論、梶原にその意図はなかったと思うが、結果としてそうなったことは“偶然”ではない。少年誌を舞台に活躍してきた梶原が、70年代から進出した成年誌への執筆による“必然”であったのだ。

※『愛と誠』の作品データとあらすじ


好敵手の存在による成年向け劇画路線進出

 70年以前、梶原は成年誌向けの劇画には手を染めていなかった。もちろんヒットメーカーとして少年誌の仕事だけで多忙を極めていたし、児童読者に対する配慮もあったのだろう。だが、成年誌で『子連れ狼』(※1)をヒットさせて世に一大ブームを巻き起こした原作者・小池一夫(当時は一雄名義)への対抗心が、梶原を成年誌執筆を決意させた。71年にオトナ向け劇画第1作『斬殺者』(※2)を連載、以降成年誌の分野でも数々の作品を手掛けていくことになる。少年誌では表現を和らげなければならない過激な暴力描写やアダルトな場面が盛り込める成年誌掲載作品に、当時35歳・男盛りの梶原は嬉々として取り組んだことだろう。
 ここで、少年誌の枠組みからの解放という“禁断の果実”を味わってしまった梶原は、劇画原作者としても青年からオトナへと成長を遂げたのだ。成人誌執筆で培ったテクニックやノウハウが同時に抱えた少年誌の仕事にも無意識にフィードバックされてしまうことは十分に想像がつく。特にスポ根路線とは全く異なる、男女の純愛をテーマにした『愛と誠』であるからこそ、そうした要素を無意識のうちに反映してしまったのではないだろうか。
 このことを思いながら読み返してみると、別の解釈も見えてくる。自らの贖罪に苦しみ、誠のいたぶりに耐え、それでも健気に尽くそうと行動する愛の姿にも、半裸姿でスケ番グループの女番長からベルトで鞭打たれ傷つき苦悶する誠の姿にも、それをどこか進んで受け入れているようなマゾヒズムとも言えるものが見え隠れしているのだ。こうしたテイストは、ブルジョアの学園を舞台にした初期よりも不良たちの巣窟を舞台にした“花園実業高校編”に強く現れている。再読してもらえれば、きっと筆者の推測(妄想?)に納得していただけると思う。原作者としてひと皮むけた梶原が、少年誌という枠の限界ギリギリに挑んだ怒涛の展開を、ながやすの端正な画力で堪能できるはずだ。(次号へ続く)

※1 画・小島剛夕『漫画アクション』1970年9/10号〜76年4/1号連載。テレビドラマや映画化され、橋幸夫の歌う主題歌もヒットした。
※2 画・小島剛夕『週刊漫画ゴラク』1971年8/19号〜72年9/7号連載。

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【ミニコラム・その24】

『愛と誠』キャラクター裏話
 連載終了からしばらく後に、雑誌のインタビューで太賀誠と早乙女愛というキャラクターについてながやすは「敬愛するちばてつやの描く『あしたのジョー』を教科書にちばの絵をより劇画チックにして描いた」と語っている。また後年ちばと会った際にそのことを伝えたが、笑って信じてもらえなかったというエピソードも。あの特徴的な前髪(笑)は再現されなかったが「太賀誠」の原型は「矢吹丈」であり、「早乙女愛」は「白木葉子」でもあったのだ。ながやすのペンで描かれたふたりを初めて見た時、梶原はその出来映えを大変気に入っていたという...。

第二十一回「愛と誠」(その1)を読む

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