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第二十三回「愛と誠」(その3)(2017年4月号より本文のみ再録)

 「そもそもオレが芸能界と接触するようになったキッカケは、昭和四十八年、スポ根漫画にいき詰まり、『愛と誠』という作品を書いてからだ。(中略)映画界とは、原作者として深いつながりがあったが、まだビジターで、芸能界との中枢とはほど遠かった。それが『愛と誠』が松竹で映画化されたことによって、芸能界のヒノキ舞台へとオレは出て行くことになる」(こだま出版刊『わが懺悔録』より)
 
『愛と誠』が劇画原作者・梶原一騎に及ぼした功罪とは何か。筆者はこれまで2回にわたり、その“功”について語ってきたが、今回は“罪”について触れたい。
 冒頭の引用で述べていたように、梶原は本作の成功を契機に芸能界からやがて映画界へと進出を果たし、活躍の場を広げていった。このことは、梶原に多くのメリットを与えたが、その一方でデメリットももたらす結果となる。梶原の評伝本『夕やけを見ていた男』で、著者の斎藤貴男はこう書いている。
 「もしもこの映画界進出なかりせば、梶原は晩年、あれほどまでに悪名を轟かせることもなかったに違いない」
 『愛と誠』は、梶原にとっていい意味だけでなく、悪い意味でもエポックでもあった…。

※『愛と誠』の作品データとあらすじ


マガジンの事情と梶原一騎の事情

 『愛と誠』の連載が始まった1973年という年は、『週刊少年マガジン』にとっても重要な時期であった。発行部数百万部突破を牽引した2大看板『巨人の星』の完結、『あしたのジョー』の長期休載を契機に部数減少をたどる『マガジン』が誌面を刷新し、ようやく軌道に乗ってきた時期である。さまざまなメディアミックスを用いて『愛と誠』の人気をさらにあおっていくことは、それを推し進めることでもある。その意味で映画を興行的に成功させることは、『マガジン』にとって重要事項だった。メディア業界のなかで映画界の力がまだ強かった当時、出来上がった準備稿にも編集長は容赦なく書き直しを要求したという。
 一方、そうしたなかで必然的に梶原も原作者として表舞台に立たざるを得なくなる。一般公募となった早乙女愛役のオーディションでは編集長と共に審査員を務め、映画監督やプロデューサーの反対を押し切り、自身が推す女性を選んだ。
 「それだけ『愛と誠』を大事にしていた。スポコン変じて初のメロドラマだから不安があったし、なまじ主演が天下の人気者ヒデキゆえにコケると目立つし、とにかく原作、単行本、映画、すべてにおいて成功させておきたかった」(毎日新聞社刊『劇画一代』より)
 初めの動機は自身の作品成功のためではあっただろう。しかし、華やかなメディアの場に進出してゆくことは元来根強く抱いていた自身の仕事に対するコンプレックスを晴らすと同時に、新たな野心を芽生えさせるキッカケになっていったのではないかと筆者は推測する。そしてそれは映画の成功によって、梶原が得た名声や富に群がる周辺の取り巻きからあおられる形で実現へと進んでゆく。

芸能界・映画界への進出 やがて狂気の時代へ

 この後テレビドラマ版『愛と誠』で、早乙女愛役を演じた池上季実子を自身のプロダクションに引き抜き芸能部を設立、数年後にはかねてより親交の深かった極真空手の記録映画製作のために三協映画を設立する。梶原の活動は劇画原作者の範疇を越えて拡大していくが、事業経営や管理者としては素人ゆえに、結果として自身の多忙にさらなる多忙を重ねることになる。
 そのしわ寄せが原作執筆にも現れたと思しきエピソードが伝えられている。マンガ家を呼び出して口頭で展開を告げて描かせたり、「今週と来週は試合、適当に」とだけの原稿を渡すことさえあったという。原稿の質が荒れれば人気にも悪影響を及ぼすのは必然。以降ヒット作にも恵まれず、連載も短命が続いてしまう。進出した芸能界でも映画界でも、当初の勢いだけでは経営は成り立たない。しかも一度成功の旨味を知った梶原にはそれをやめることもできない。その苦悩と困惑、いら立ちがプライベートでの酒や暴力、女性問題につながり、後に語られる“狂気の時代”へと突入していくのである。
 筆者も時々妄想する。もしも梶原の異業種進出がなければ…売れっ子の大物原作者だけのままでいてくれたなら、と。『愛と誠』以降手掛けた新連載の、意図に反して短命に終わったり、テーマ性を失った作品群を完遂したものとして読めたかもしれない、と考えてしまうのだ。(次号に続く)

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【ミニコラム・その23】

劇場版『愛と誠』アレコレ
 太賀誠役を当時のスーパーアイドル・西城秀樹が演じただけでなく、早乙女愛役を一般公募で選ぶオーディションも話題となり、全国から4万人に及ぶ応募が寄せられた。秀樹ファン、新人女優への興味、原作ファンなどが多数劇場に押し寄せて映画は配給収入9億円の大ヒットを記録。これに気をよくした松竹はヒットシリーズ『男はつらいよ』のように秀樹主演でシリーズ化しようとの構想もあったが、公開が7月13日でクランクインが前月1日という今ではあり得ない超ハードな撮影スケジュールだったため、秀樹サイドの多忙がゆえに断念。代わって次作で誠役を演じた新人・南条弘二がその時苗字を改名しているが、これは“西”城にあやかって“南”条にしたとのこと。

第二十一回「愛と誠」(その1)を読む

第二十二回「愛と誠」(その2)を読む

第二十四回「愛と誠」(その4)を読む

第二十五回「愛と誠」(その5)を読む

第二十六回「愛と誠」(その6)を読む

第二十七回「愛と誠」(その7)を読む

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