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38年間のミステリー 2

ホテルマン 

高校3年生になり、
夢も、これと言ってしたい事も無かった私ですが、
学校に貼り出された
就職案内を眺めていました。
もう一つの選択肢としての
大学進学はそもそも考えてもいなかったです。
勉強嫌いでしたからね〰︎ずーと。

聞いた事ある企業もありましたが、
他にも沢山あって
就職案内を見てもピンとくるものが
正直無かったです。

何を選んだか覚えていないが、
何個か選んだ中に「ホテル」がありました。
選んだ理由は「カッコ良さそう」
ただそれだけの理由でした。

「さぁ!何処に絞ろうか?」
パッと思いついたのが、
六角鉛筆の面の部分に
就職先を書いて
ゴロゴロと転がす事でした。

「よし!これでいこう」
「オイオイ適当過ぎるだろう!」

そして、
転がして止まったところが「ホテル」でした。
相変わらず何も考えていない
適当な私だったが運良く採用され、
いよいよ社会人のスタートとなりました。

そう言えば
採用試験の昼食に出された昼食が、
ピラフだった事を今でも覚えています。
「ホテルで出しているピラフと同じなんだろうな」
明らかに今まで食べたピラフとは
何か違っていました。美味しかったですね。
幸福と優雅さを感じるおもてなしに感動しました。
もう一度言いますが、
採用試験の昼食に出されたピラフの話ですよ。
凄くないですか?
お弁当ではないんですよ。
ホテルって凄いなって思いました。

これからどんな人間模様の
ドラマが始まるのか?
不安と期待でドキドキワクワクでした。

ここで改めて、
学生時代までの私を
ご紹介させて頂きたいと思います。

中・高と軟式テニス部で
練習に明け暮れ
普通の真面目な学生だったと思います。
特に良くも悪くも
目立つ存在でもなく、
ごくごく普通のテニスボーイ。
ちょっと不良っぽい(見た目だけ)
喧嘩もした事がない
平和主義者。
人間関係は良好だったと思います。

性格を整理したいと思います。
AB型の蟹座で、
左利きで直感派。

もう少し深掘りしてみますと
AB型は
「才能に溢れて器用」
「感性豊か」
「平和主義」
「芸術的」
蟹座は
「協調性があり優しい」
「寂しがりやで甘えん坊」
「聞き上手」
左利きは
「独自性の価値観を持つ天才肌」
「器用で応用力がある」
「直感で行動する」
直感派(右脳)
「5感が鋭い」
「感性豊か」
「感性が鋭い芸術家」
「空間認知力」
「アナログ」
「人の気持ちを汲み取る事が得意」
AB型の日本人は10%左利きも10%
AB型の左利きは
日本だけでも1%という数字だそうです。

「結構レアな人間なんだなぁ」
って最近知った。
そんな貴重な人間である事は、
その頃は知る由もなかった。
確かに良く言われていた事は
AB型は二重人格。
天才肌。
変わり者。
左利きは器用って言われてましたね。

自覚する所もありましたが、
「そうなんだ変わり者で才能があるのか〰︎」
って程度で深く意識する事もなかったです。

さて、こんな性格を持った私は、
才能を発揮する事になるのでしょうか?
都内の某有名ホテルのホテルマンとして
スタートを切ることとなりました。

わーすげ〜
ここで働くのか。
適当に就職先を決めた私でしたが、
結構気持ちは高揚していました。
制服はカッコいいし、
女性の制服も可愛い。
おまけに綺麗なお姉様方。
自然と背筋がピンっとなりました。

外国人の方を
こんなに大勢見たのは
初めてだった。
英語なんか当時喋れないのに
喋れるような気がしました。
でも14年間勤務させて頂きましたが、
結局大して喋れるようにならなかった笑笑。
やっぱり勉強は嫌いだったのですね。
話していれば自然に
覚えると勘違いしていました。
ちゃんと学ばないとダメですね。

ホテルチェーン
新規オープンでの入社だったので
全てが新しく
気持ち良く働く環境でした。

配属先は途中2回の転勤がありましたが、
全て新規オープンの
準備室から携わってきました。
新入社員研修が終わり、
配属先は客室係。その後フロントに移動。
客室係の制服は
カッコ良くはなかった。学生服ぽかった。
カッコいい制服は
やっぱりベルボーイでしたね。
黒服はある意味憧れの制服でした。
着る事は出来ませんでしたが。

仕事の内容は
客室清掃をパートさんがした部屋を
最終チェックする仕事です。
他にはお客様からのご要望の
備品等を届けに行く仕事です。

ホテルの仕事的には
どちらかと言うと
裏方でホテルにお越しになられた
お客様に最大限にお寛ぎ頂く
環境を提供する仕事です。

見た目のカッコ良さだけが、
ホテルマンの仕事ではなく、
ホテルの客室を管理する
重要な仕事に
誇りに思えるようになった
入社3年目の頃でした。

この頃日本は、
バブル景気が始まりかけていた頃です。
〈バブル期〉
1986年(昭和61年)12月〜1991年(平成3年)2月
51ヶ月間

入社2年目の時、新規ホテル準備室で
バブル期の1年前に六本木に異動しました。
バブル前とは言え六本木の街は、
人も街もオシャレで賑わっていましたね。
バブルになっても活気は元々あったので、
私自身はその変化に当時あまり違和感を感じず、
「東京ってこういうもんなんだ」って
思っていました。

そもそも普通のサラリーマンでしたし、
給料も並だったので
それなりに楽しんでいた程度だったと思います。


バブル崩壊後は
企業によってはボーナスは現物支給
という所も結構あったと思いますが、
私の勤めていた会社は無かったですね。
会社は儲かっていましたね。
リゾート地にも次から次に
新規オープンして全盛期時代でしたからね。


今振り返ると、
美味しい物も食べましたし、
飲みにも良く行ってましたね。
飲むと言えば、
夜勤明けが朝9:00までで
夜勤明けメンバーと
ファミレスでモーニングを頼み、
一緒に生ジョッキも頼んでほろ酔い。
夕方までファミレスで飲んで
日勤者を待ってカラオケへに行く。
若かったですねー

自宅は職場から電車で1時間、バスで15分。
日勤で飲みに行くと、
帰りの最終電車は気になる所ですよね。
確か最終が
新橋駅24時前だったと思います。
飲んでいるとあっという間に
24時になっちゃいますからね〰︎

でもね大丈夫だったんですよ。
帰りを気にしなくても飲めたんです。
それは勤めていたホテルに
泊まっちゃう事が出来たんです。
「ハウスユース」って言って
夜勤者が仮眠する時、
客室で仮眠をする事を言います。
(チェックアウト部屋)

勿論お金は払いませんよ。
夜勤の人に連絡して
「今日泊まらせて〰︎」
客室係の特権でしたね。

他にも
コックさんも夜勤があって
通常仮眠は仮眠部屋なんですが、
仲が良いコックさんに
「ハウスユースさせて」って言われます。
お礼に客室係の夜勤者に
ステーキやカレー、ビーフステーキを
ワゴンに乗せて持って来てくれるんです。
残り物ではなくて
わざわざ作って来てくれるのです。

ホテル勤めていて良かった事
沢山ありましたね。


ホテルに
お客様の行動や仕草、言葉に
意識を向ける観察力が養われました。
お客様から聞かれる前に
こちらからさり気なくお声をかけ、
お客様に安心して
過ごして頂く事を意識する様になりました。

これが今の私を作り上げて来た
原点だと思います。

3回の異動があり全て新規オープンのホテルで、
14年間環境の整った所で新鮮な気持ちで
働く事が出来たのは幸せでしたが、
才能が開花する事はなかったです。
ただ「モヤっと感」「何でだろう」「違和感」が
心に残っていました。


今は全て勤めていた所が
閉鎖してしまった事が
ちょっと寂しいですね。

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